精霊の導きと風魔法の師
「君がその身に宿している力は、ただの『取り柄』などという生易しいものではない。それは、うまく使えば、この国を大いに繫栄させることができる、根源の力だ」 王子は、東屋の柱に寄りかかったまま、視線を庭の木々の梢へと向けました。「だが、力というものは、常に表裏一体のものだ。間違った使い方をすれば、国を、あるいは世界を、滅ぼすことさえできてしまう。その恐ろしさも、僕は知っている」
王子は再びソフィアに視線を戻しました。「だからこそ、私は王族として、君がその力を、間違った使い方をしないか、常に見ていなければならないのさ。それは、王家の、そして国の、果たすべき義務だと考えている」
その言葉は、驚くほどさらりとしていた。それは、個人的な好意や興味といった感情を超え、国の未来を背負う者としての、純粋な「理」を語っているかのようでした。
ソフィア自身は、自分の力をそこまで大層なものだとは、一度も思っていなかった。幼い頃から、ただ当たり前のように己の内にあった、少しばかり風変わりな性質。それを制御することに、ただひたすら苦心してきただけだ。 「そんな……」 思わず、ソフィアは小さく息を漏らしました。 「それは、殿下の、あまりにも一方的な買い被りです」
だが、チャールズ王子の眼差しは、揺るぎませんでした。その視線は、ソフィアの謙遜を通り越し、彼女自身の魂の深奥を見透かしているかのように、鋭い光を放っていました。ソフィアの胸の奥で、まだ見ぬ風魔法の師匠の存在が、王子の言葉の重みと重なり合い、小さな戦慄となって広がっていきました。
チャールズ王子から紹介された風魔法使いは、ゼフィーリアという名を持つ人物でした。 王宮の庭の東屋から少し離れた庭の隅、陽光が木立の影に落ちる場所に、その人は静かに立っていました。一見して、その姿は性別不詳という印象です。丈のある外套に身を包み、目深に被った帽子の下からは、色の薄い髪が僅かに覗いています。風が通るたび、外套の裾がさらさらと音を立てました。
「こんにちは、ソフィア様」 ゼフィーリアは、ソフィアに向かって、ごく自然な、淀みのない足取りで近づいてきました。まるで、その場に元から生えていた木が、少し場所を移したかのような、無理のない動きでした。その声もまた、性別を感じさせない、清澄な響きを持っていた。
ソフィアは、背筋を伸ばし、丁寧に挨拶を返した。 「ゼフィーリア様、フレイザー伯爵家のソフィアと申します。……不躾とは存じますが、風魔法の指導をお願いしたく、参りました」
するとゼフィーリアは、口元に微かな笑みを浮かべました。 「あなたのことは、よく知っているわ。風の噂に乗って、随分と前から、あなたの名は私の耳にも届いているのよ」
ゼフィーリアは、そっと手を広げた。すると、その指先に小さなつむじ風が生まれ、庭の落ち葉をほんの少し巻き上げては消えた。 「風魔法使いはね、風の精霊と仲良くなると、人間たちが交わす秘密や、隠された思いまでも、風の噂として耳に入るようになるのよ」
ソフィアは、思わず息を飲んだ。 (風が吹く場所で、隠し事など話せない……!) 一瞬、そう戦慄したものの、すぐに気がつきました。この世界に、風の吹かない場所など、どこにもないのだと。それはつまり、この人に、自分に関する全ての機微が筒抜けだということでした。
「……それでは」 ソフィアは、やや顔を引き攣らせて尋ねた。 「チャールズ殿下が、ゼフィーリアさんのことを『気難しい魔女』と仰っていたことも、ご存じなのですね」
ゼフィーリアは、今度ははっきりと、楽しげに笑った。 「ええ、知ってはいるわ。でも、細かなことには、目くじらを立てないことにしているのよ。そんなことをしていたら、きりがなくなってしまうからね」 ゼフィーリアは、再びソフィアを真っ直ぐに見つめた。風が二人の間を通り抜け、ソフィアの髪を少し揺らしました。
「今は、それよりも大切なことがあるでしょう」 ゼフィーリアは静かに言った。 「まずは、風の精霊たちが、あなたのことを好きになってくれるかどうかが、問題ね」
風の精霊。ソフィアには、まだ姿も見えない。しかし、この世界の根源を成す、気まぐれで、そして、とてつもなく大きな存在。ソフィアの胸に、その未知の存在への、抑えがたい期待と緊張が、ふつふつと湧き上がってきました。
ゼフィーリアは、ソフィアから視線を逸らさず、静かに、しかし確かな言葉を紡ぎました。風が、二人の足元の草を微かに揺らしています。
「風魔法というものは、正確には、風の精霊を使役する魔法使いのことを指すのだけれど――その実態は、少し違う」 ゼフィーリアは、手のひらを、あたかもそこに精霊がいるかのように、そっと広げた。 「風の精霊からすれば、それは『使役』などではない。大好きな魔法使いを喜ばせたい、助けたい。あの人の願いを叶えてあげたい、という、純粋な『好意』によって、風魔法は成立しているのよ」
それは、ソフィアがこれまで学んできた、理論的な魔法体系からは、かけ離れた考え方でした。魔法とは、理によって力を引き出すものだと教わってきました。しかし、ゼフィーリアの言葉は、魔法の根源に、人の心と同じような、温かい感情のやり取りがあることを示唆していました。
ゼフィーリアの目が、遠い何かを見つめるように細められ、 「私はね、風使いの村の出身なの。その村は、風の精霊に、ある意味で『魅入られた』人々が住む、特殊な場所。精霊たちが、人として生まれてくることを望んだ者たちの、子孫が暮らしている」その言葉は、王宮の庭にある、現実の風景に、深い霧を立ち込ませるようでした。
「そしてね、ソフィア様」 ゼフィーリアは、再び、ソフィアの瞳にまっすぐな視線を向けた。 「その村に、あなたのことも連れてくるようにと、私は言われているわ。精霊たちが、あなたを『自分たちの大好きな魔法使い』として、歓迎しようとしている」
精霊に魅入られた村。 風の好意によって成り立つ魔法。 ソフィアの胸に、これまで感じたことのない、畏れにも似た、強い引きつける力が生まれるのを感じました。それは、王子の言葉の重みとは違う、もっと根源的で、抗いがたい、世界の呼び声のように響きました。




