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王子の誘いと風使いの伝説

 それは春まだ浅い日のことでした。学友であるはずのチャールズ王子から、ソフィア宛に個人的なお茶会への誘いの手紙が届きました。飾り気はありませんが、墨痕鮮やかな文字で綴られた一通は、伯爵家の息女であるソフィアを、わずかなときでも己が傍に引き寄せたいという、王子の密やかな願いを透かして見せているようでした。


 だが、母マーガレットの裁定は厳しいものでした。 「二人きりというのは、まだ少し早いでしょう」 そう言って、母はソフィアの二歳上の姉、ビクトリアに同行を命じました。ビクトリアは学年こそ上だけれども、同じ学園に通う生徒で、何よりチャールズ王子の兄君、聡明で知られるセドリック王子と親しく、生徒会執行部で活動しているという、王家との交流に慣れた姉でした。


「私はお目付け役ね」 ビクトリアは快活に笑い、手紙をひらひらと振りました。 「チャールズ王子が、分を越して暴走したり、ソフィアが、うっかり不敬なことを働きそうになったら、私がきっちり止めに入るわ。姉の威厳にかけて」


「まあ、それは頼もしいこと」 母は心から安堵したように、柔らかな笑みを浮かべました。


 ソフィアは、しかし、王族という存在と付き合うこと自体に、あまり楽しさを感じていませんでした。どちらかと言えば、重く憂鬱な気持ちが胸の奥に澱んでいました。王族とは、血筋と、何よりも彼らが背負う「国」という重みと、常に向き合わねばならない。そのことに、ソフィアは居心地の悪さを覚えていたのです。


 学校の休日、伯爵邸の石畳に、王宮の紋章を掲げた馬車が音もなく滑り込んできました。磨き上げられた車体は鈍い光を放ち、伯爵家の前庭の軽快な空気を、王都のそれへと変えてしまうようでした。 二人の令嬢を乗せた馬車は、やがて伯爵邸の荘重な門を抜け、王宮へと向かう街道を静かに進んでいきました。


 二人を見送ったフレイザー伯爵は、手元の書類から顔を上げ、空を仰ぎました。(まさか、娘を二人とも王家に差し出すようなことにはなるまいな)


 ありそうもない、と知りながらも、ついそんな懸念が胸を過ります。王家とても、王国の政治的な均衡を考えれば、フレイザー伯爵家とあまりにも近しい関係を築くことは望まぬはずだというのに。伯爵は、自嘲にも似た苦笑を漏らし、再び筆を執りました。王家の思惑と、若者たちの淡い交流が、どのようにもつれていくのか、今はまだ、誰にも知る由はありませんでした。


 王宮の車寄せには、人の背丈の倍ほどもある重厚な扉の脇に、執事が一人、静かに控えていました。 「フレイザー伯爵家のソフィア様とビクトリア様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました」 声は低く、しかし、よく通る。執事は二人をエスコートし、慣れた手つきで馬車から降ろすと、苔むした石畳を滑るように歩き、王子の待つ東屋へと案内してくれました。


 東屋は、まだ芽吹いたばかりの庭の木々の中に、ひっそりと佇んでいました。そこには、すでにチャールズ王子が立っています。金糸のような髪が、早春の光を浴びて淡く輝いていました。


「やあ、今日は、突然の呼び出しに応じて来てくれてありがとう」 王子は、二人の姿を認めると、すぐに柔らかな微笑みを浮かべました。「まだ風が冷たいというのに、東屋でのお茶会になってしまって申し訳ない。寒くないよう、上質なブランケットを用意させているから、遠慮なく使ってほしい」


 ソフィアは、胸の奥に澱んでいた憂鬱を、表に出さないよう努めました。 「今日はお招きに賜りまして恐縮に存じます。殿下におかれましては、一体どんな風の吹き回しでしたのでしょう。私のような、魔法にしか興味のない娘をわざわざお呼び寄せになるなんて、さぞ退屈ではございませんか」


 それは、失礼なのか、それとも、極度にへりくだっているのか、判然としない、ソフィア特有の、どこか風変わりな挨拶だった。


 横で聞いていたビクトリアは、小さくため息をつきつつ、すぐに優雅な笑みを繕った。 「チャールズ殿下におかれましては、ご機嫌よろしゅうございます。いつもは兄上のセドリック殿下と親しくさせていただいておりますのに、今日は、母がソフィアに付き添うようにとのことでしたので、こうしてまかり越しました」


 王子は、そんな二人の様子を、気に留める風でもなく、優しく手を振りました。 「今日は私的な会だから、どうかかしこまらないでほしい。温かいお茶と、美味しいお菓子を運ばせる。たのしんでくれると嬉しい」


 やがて、運ばれてきた湯気の立つ紅茶の香りに、辺りの空気が少し緩みました。学校での些細な出来事や、ビクトリアとセドリック王子が共に取り組んでいる生徒会の仕事、そしてソフィアが熱心に励んでいる魔法の修行の話など、取り留めもない話が、途切れることなく続いていきました。


 だが、ふとした拍子に、チャールズ王子の眼差しが、ソフィアの瞳の奥を捉えました。「実は、ソフィア嬢が聖魔法と風魔法の師を探しているということが、風の噂で僕の耳に入ってね」


 ソフィアは、微かに肩を揺らした。王族の耳目というものは、思った以上に広範囲に及んでいるのでした。 「……殿下は何でもご存じなんですね」 半ば諦めにも似た響きを伴って、ソフィアは言葉を返しました。


 チャールズ王子は、ブランケットの縁に触れる長い指先を、少しだけ遊ばせました。 「風魔法の使い手に、心当たりがあってね。なに、王家と関わりの深い人物というわけではない。古くからの、ある種の『守り人』のような、気難しい魔女だ。だから、ソフィアが会ってもらえるかどうかは分からないが……」 王子は、そこで言葉を区切り、まっすぐにソフィアを見つめました。「もし、ソフィアにその気があるのなら、僕からその者に、話をしてみようかと思ってね」


 思いがけない申し出でした。王族の庇護とは無縁の、隠れた力の持ち主。その名を口にする王子の声音は、まるで、深い森の奥で、まだ見ぬ獲物を見つけた狩人のようでした。ソフィアの胸の奥で、燻っていた憂鬱が、一瞬、ざわめくような期待へと姿を変えました。


 ソフィアは、胸の奥で渦巻く小さな疑問を、隠すことができませんでした。それは、お茶の蒸気に溶けていくように、ごく自然に唇から滑り落ちました。「殿下、わたくしはただの伯爵家の娘です。殿下は、どうして、わたくしのような、魔法にしか取り柄のない者のことに関心を持たれているのですか?……それに、以前、父からわたくしの身の上についての殿下から照会があったことも、聞いております」


 チャールズ王子は、その問いに、一瞬の戸惑いも見せなかった。陽光を受けた瞳は、穏やかでありながら、深く、ソフィアを見つめている。「ソフィア嬢、君は、どうやら自分自身の価値を、正しく分かっていないようだね」王子の声は、静かでありながら、水面を揺らす波紋のように、確かな響きを持っていました。


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