いろは。
持っていたケータイがブルルルと震える。
(ブルルル)(ブルルル)(ブルルル)
(ブルルル……)
……4。
(ブルルル)(ブルルル…)
……31。
(ブルルル……)
………35。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
8月19日。忘れもしない。あの日の夕方の時だった。
僕は雨やみを待っていて、夏には似つかわしくない雨模様だった。静かに周りのものを包み込み、優しく周りのものの音を立ていた。
まさしく、雨は蕭々と降っていた。
もちろん夕立とは言えない。
しかし、確かにいきなり降り始めた。
あまりにも不自然だ。夏の雨にしては優しい。
僕はこの優しさに違和感を感じた。
持っていたケータイがブルルルと震える。
(ブルルル…)
僕はいつものようにケータイを開いて、誰からの連絡なのかを確認した。
特に変わりがない。なにも、変わりがない。
いつものように待ち受けの好きなアーティストが僕を迎える。
この前のライブは盛りがった。友達とは離れた席になったものの、みんなで一緒に盛りがった気分で、とっても幸せだった。
胸に響く好きな音楽。これは比喩ではなく、本当に響く。鼓膜が破れそうで破れない、ギリギリのライン。
また行きたいな。
当たり前にそう思った。
おかしい。
本来なら振動すれば、誰からの連絡なのかわかる。
例えば母から。時には友人から。いつかは恋人から。
それが本当の当たり前なんだ。
当たり前の光景が、適切なタイミングで当たり前とならないなら、それは異常だ。
その異常が、今起きている。
また振動がくる。
(ブルルル…ブルルル…)
2回きた。
(ブルルル…ブルルル…ブルルル…)
3回。
気持ちが悪い。
当たり前にそう思った。
振動が止まる。先ほどまで何もなかったように、僕のケータイは存在し続ける。当たり前に存在し続ける。
でも、たしかに僕の手にはまだ、先ほどの計6回の振動の余韻が残っている。当たり前に存在し続ける。
1回目と2回目と3回目との間にそれぞれ、2分間の間があった。
余計気味が悪い。
僕は誰からのイタズラなのかを考えていた。
あらかた予想はつく。
僕の親友の【春雨いろは】だろう。
彼女は幼稚園からの幼馴染だ。
昔から元気っ子で、僕をからかって遊んでいる。
もちろん、僕も彼女をからかう。
この前なんかお互いからかい合ってゲラゲラ笑って帰った。
お互いからかい合う。でも、少なくとも僕は彼女からのからかいにブチギレたことはない。彼女もない。
お互いがお互いをからかい合う。
時にはお互いをお互いが励まし合う。
そんなよくある友達同士の関係。
心地よかった。本当に。
彼女は先月亡くなった。事故だった。
トラック運転手の飲酒運転。それに巻き込まれた。
本当に彼女はいなくなった。未だに実感がわかない。
この前まで当たり前のようにふざけあって、
当たり前のように励まし合っていた。
その当たり前が、当たり前のようになくなった。
この気持ちが悪い現象も、あの事故も、全部彼女のからかいなのかもしれない。
そう思えないと、
そんなわけないのに。当たり前だ。もう彼女はいないんだから。
次の日、僕は久しぶりに外に出られた。
結局昨日は1日中雨で出られなかった。
学校は最近行っていない。
なぜか外に出ようとすると足が止まって、気がついたら見慣れた自分の部屋にいる。
新しい当たり前になった。
でも今日は異常だ。外に出られたんだ。
とくに何もする気は起きなかった。でも、外に出られた。
今日はこれでいいだろう。
(ブルルル…ブルルル…)
またか。
(ブルルル…ブルルル…)
(ブルルル……)
多いな。34回の振動だ。
(ブルルル…ブルルル…)
…22回。
(ブルルル…)
…1回。
いったいなんなんだ。本当に誰からなんだ。
(ヴーッ…ヴーッ…)
また… …いや、母さんからメールだ。
『今日はご飯一緒に食べる?お寿司の予定だよ?』
……
『ありがとう。でも、今日もごめん。』
…
僕は本当に迷惑しかかけてないな。
両親を悲しませて、心配かけて、ご飯も作ってくれてるのに食べずにいて、恩を仇で返してばっかりだ。
本当に自分が嫌になる。
きえたくなr
(ブルルル…ブルルル…)
…
なんなんだよ…!!!!もう!!!!
(ブルルル……)
……27。
(ブルルル……)
…47。
(ブルルル…)
…42。
明らかに何か意図がある。僕に何かを伝えようとしている。
なんなんだ?どうしてケータイの振動だけなんだ?
なぜ直接メッセージを送らないんだ?
いや、送れないのか。だから振動を使っている。
そしておそらく、意味の切れ目のときに2分ほど間が空く。
なにを伝えたいんだ?なにがしたいんだ?
(ブルルル…)
…3。
(ブルルル…)
…21。
(ブルルル…)
…18。
……
回数に何か意味があるのか?
今のところ、最大の振動数は47回。
50音表か?
となると、3は…
『う』?
次は…『な』?それで…『つ』?
『うなつ』…?
意味がわからない…50音表じゃないのか…?
『いろはにほへと』とか…?
いやそんなわけ…
…一応確認するか。
……
…
『は』『な』『そ』 ……?
話そ…?話したいのか…?
(ブルルル…)
…18。
(ブルルル…)
…24。
…『そ』『う』
そう…!? 同意したのか!?
本当にいろはにほへとだったのか…
(ブルルル…)
…24 42 2。
…
『うしろ』…?
僕はとっさに後ろを振り返った。
後ろから猛スピードの自転車がやってきて、危うく轢かれそうになった。
この謎の人物のおかげで、僕は怪我をせずに済んだのだ。
いろは。
僕はなぜか、ふと彼女の名前が浮かんできた。
もしかすると、この人物はいろはかもしれない。
名前が出てきたのと同時にそう思った。
(ブルルル…)
…27 47 42。 またかこれか。
…『おすし』
…お寿司?晩御飯のこと…?
『そう』
そんなことより、君はいろはなのか?
『わからない』
わからないってどういうことだよ。どういう意味のわからないなんだ?
春雨いろはを知らない、わからないという意味か?
それとも、いろはだけど、今の自分はいろはと呼べるのかわからないという意味か?
『おなか すいた』
ごめん、今それはどうでもいい。いろはなのかどうかだけ教えてくれ。
『おすし たへたい』
…たへたい…? …あー…食べたい…?か?
『そう』
いろはにほへとは、『ん』と濁点と半濁点がないもんな
『そう きつい』
うん。きついな。でも、ある程度頑張って読み解くよ。
…いろはかどうかはわからないけど、僕は君のことを【いろは】って呼ぶぞ?いい?
『いいよ よろしく』
…よろしく。いろは。
(グゥゥウ……)
…
ちょっとお腹すいたな…
『おすし』
…
そうだな。食べようかな。おすし。
『えらい』
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それから僕といろはは、少し奇妙で、少しめんどくさくて、とっても楽しい日々を送った。
いろはと話しているうちに、なんだかいろいろなことへのやる気を取り戻して、外出するのもやっとだった僕が、ついに学校にも行けるようになった。
家族との会話も、前よりも増えた。なんだか、家族の絆が深まった気がする。
これも全部、いろはのおかげだ。
いろはがいないと、僕はこうしてられなかった。幸せな当たり前を、感じることができなかった。
みんなと仲良くなったり、できなかったことができるようになっただけじゃない。
いろはのおかげで、ここ最近ケガをしていない。
ケガを負いそうになると、前もっていろはが教えてくれるからだ。なんどかいろはに命を救われた。
もう、いろはがいないと。
いろは。僕はいろはがいないとダメなんだ。
最高の親友だ。
持っていたケータイがブルルルと震える。
(ブルルル)(ブルルル)(ブルルル)
(ブルルル……)
……4。
(ブルルル)(ブルルル…)
……31。
(ブルルル……)
………35。
え
また僕はいろはに助けられた。
やっぱりいろはがいないといけない。
親友がいないといけない。
そんなの当たり前だよね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ある秋の夕暮れである。
雨が蕭々と降っている。
そこに男が一人、ケータイをもってたたずんでいる。
男の手は震え、幸せそうな笑顔をしている。
雨がだんだんと強くなる。轟々と降り続ける。
黒洞々と広がる空を、大きく大きく広がる雲が覆う。
風が強くなってきた。葉が枯れきった木が激しく音を立て揺れる。
男の笑い声も激しくなる。
より雨風が激しくなる。より空が低くなる。
突然、笑い声が消える。
(ブルルル…)
……いろは?




