8
空飛ぶ箱舟が町の上空にやって来る。
気づいた人々は喜びと、恐怖と、怒りと、様々な感情を撒き散らしながら箱舟の方へと集まっていく。あれは都から飛んできたのだ。
真っ白な機体の底がパカりと開いたと思うと、中から大量の四角い物がバラバラと落ちていった。人々はそれを拾おうと躍起になり、間もなく争いになるのだろう。多そうに見えても住民の腹を満たすには全く足りていないからだ。
あれが平民に施される食料だ。都は不定期にレーションみたいな不味い固形物をああやって与える。
監視をしているのか、存在を示すためか、何が目的かわからない。ただ義務は果たしたと言わんばかりに少量の食料を与えて都へと帰っていく。気味が悪かった。
窓から箱舟が飛び去るのを眺めたブラッドは忌々しさで目を細めた。呑気なものだ。あの箱舟がいつ爆弾を落とすようになるのかわかったもんじゃない。その時は食料を求めて集まった人々が爆発に巻き込まれ、一瞬で肉片と化すのだろう。
「ん……」
腰掛けたベッドの後ろから、吐息が漏れる音が聞こえた。振り返ると毛布にくるまった乖がモゾモゾ動くのが目に入る。ブラッドの温もりを求めて、ころんと体を転がしくっついてきた。
コイツも呑気なものだ。何の夢を見ているのか幸せそうに口元を緩め眠り続けている。
寝る場所が他に無かったことと、暖を取るために乖をブラッドと同じベッドで寝かせることにした。乖の小さい体は問題なく収まり、なんなら猫も足の間に挟まってきたくらいだ。
だが乖の体は驚くほどに冷たく、逆に寒さに震える羽目になった。身を寄せてブラッドの体温を奪っていった乖は、気持ちよさそうに寝息をたてていた。いわく、横になって眠るのは久しぶりなのだとか。
「にゃあん」
餌の時間を知らせようと、黒猫がブラッドの足に頭を擦りつける。
眠りが浅く疲れが取れていないせいで、頭がぼんやりする。
「ウワーォ」
「わかったって」
なだめるために頭を撫でると、黒猫は嬉しそうに体をすり寄せる。何故ここまで懐いたのかわからない。彷徨っていたところをたまたま拾ったせいで、恩人だと思われているのかもしれない。
乖も同じだ。自分の甘さを痛感し、ブラッドは奥歯を噛み締めた。
こんなんじゃいけない。隙のある心を抱いていれば、国を壊すことなんてできない。
自分はこんなふざけた国から出て、自由になるのだ。
そうでなければ今まで死んだ人たちは報われない。
「……」
視線を感じて振り返ると、空を思わせる澄んだ青が2つ並んでいる。
「起きたのか」
ブラッドの様子を注視していた乖はチラリと相手の手元を見つめる。無意識に撫で続けていたため、猫はゴロゴロと喉を鳴らし機嫌よくしていた。
「何」
乖はもう一度ブラッドを見ると、思いついたように目を見開き、元気よく口を開けた。
「にゃあ〜!」
ブラッドの表情が凍りついた。
「アラン……コイツをどうにかしろ」
休みをとっていたはずのブラッドがレジスタンスの基地に訪れたのは夕方ごろのことだった。アランは備品を数えていた指を止めブラッドの方を見る。ブラッドの腕にはピッタリと乖が張り付いていたが、アランは特に気にしない素振りでたずねる。
「何かあったのか?」
ブラッドは眉間のしわの数を増やすと、腕にしがみついていた乖をベリッと剥がし、アランの方へ放り投げた。
「おっと」
アランは受け止めようと腕を伸ばすが、乖はその腕から逃れてブラッドに飛びつく。ブラッドが何度も乖をアランの方へ押し飛ばすたび、乖はバネが弾けるように再びブラッドに飛びついた。あんな細い体でどこにそんな力と柔軟性があるのか全くわからない。
「お前ら磁力でも帯びてんの?」
「黙れ」
苛立つブラッドに構わず乖は頭をブラッドにこすりつけている。
もうすっかり懐いている。「あきらめろ」と言わんばかりにアランはニヤニヤと笑みを浮かべた。アランから見れば面白いのだろう。いつも素っ気なく蹴ってくるブラッドにはいい気味だとさえ思っているのかもしれない。
「アラン~昨日はありがとう」
ブラッドと対照的に乖はニコニコしている。餌付けをされた猫のようにデレる姿を見たアランは、少しくすぐったそうな笑みを返して乖の頭を撫でた。
乖ほど無防備な表情を向ける人はそうそういない。この町に住む子どもでも常に懐疑心を抱きながら相手を見る。
「乖、家に帰った後はどう過ごしたんだ?」
「昨日は疲れちゃってご飯を食べてそのまま寝たよ。今日起きたらまたブラッドと一緒にご飯食べた! あとお湯を沸かして体を拭いてもらったよ。それでね、部屋に本があってね、ブラッドに読んでもらったの」
「……」
アランは訝し気にブラッドを注視する。アランにとってブラッドは一言で言えばクソガキだ。レジスタンスのメンバーが興味本位でアランに尋ねたとき、本人がそう返答していたのだ。本人が横にいるのにも構わずに。
ブラッドは不機嫌さを隠さない態度で唸る。
「コイツマジでうるさい。猫の方が億倍マシ」
乖は今朝から黒猫の動きを真似るようになったのだ。鳴き真似をしてみたり、構って欲しいときは擦り寄ってみたり、とにかくブラッドにくっついてはおねだりを繰り返した。
「いつまでもニャアニャア文句を言ってくる。人の言葉が通じない。同じことをすれば猫と同じ待遇を受けられると思ってやがる」
「そりゃ凡人にはできない発想だ」
確かにブラッドの家にいる猫は甘え上手だ。アランが国外からの流通にたまに紛れこんでくる猫餌をついつい持ってきてしまうのも、可愛いがりたいという欲求が溢れてしまうからだ。
甘えん坊でいやらしくなく、なおかつ相手が癒される。それが猫だ。ブラッドが知っている猫はそうなのだ。
乖がその様子を観察して学んだというのは驚きだが、根本的に間違えているのは乖は猫ではないという点だ。少なくともブラッドが猫の真似をする歳下男子に癒されることはない。
「もう考えることすら面倒だ……」
珍しく弱音のようなボヤキを漏らすブラッド。
静かな時間を根こそぎ奪われ、眠りが浅く睡眠が足りていなかったブラッドは渋々乖のおねだりを聞いてやった。乖の甘えは続き、ブラッドは助けを求めてアランの元にどうにかやって来た。そして現在に至る。
手を入れていない髪はくしゃくしゃで、うなじの長い髪がくたびれたように肩にかかっている。いつも着ている白シャツの裾は中途半端にズボンに巻き込まれ、持ち上がった布から肌が見えたが、ブラッドが気にするほどの余裕はない。
「乖の情操教育に悪そうだな」
アランはブラッドの格好をたしなめる。ブラッドが疲れ切って乱れた服装をしていると「下手に顔が整っているから逆に色気が出ている」と女や男色家が近寄ってくることがあった。アランは昔からそんな場面を見かけては代わりに追っ払っていたので思うところがあるのだろう。
「ま、今のお前は子育てに追われる母親みたいだけどな」
「黙れ」
アランの軽口を跳ね除けるように返すと、流石にブラッドが気の毒になっただろう。アランは屈んで乖に優しく微笑んだ。
「乖、昨日俺は言っただろ。人との距離の取り方。お前は猫じゃないんだから」
「うう……」
「ブラッドをあまり困らせると本気で追い出されるぞ」
それは嫌なのだろう。乖はゆっくりとブラッドから離れ悲しそうにうつむく。
一方のブラッドは乱れた髪を指先でつまみ、申し訳程度に整えていた。インナーカラーで気まぐれに染めたビビットピンクが前より薄くなっている気がする。
アランは乖の肩を軽く押し、ブラッドの方へ向かせる。
「乖、ごめんなさいは?」
「……ごめんなさい」
眺めていたブラッドは小さく鼻を鳴らし、アランに意地の悪い笑みを見せる。
「子育て上手だなお父さん」
「助けがいのない奴だ。あと俺はまだ20歳だ」
アランはブラッドを睨みつけながらも、乖を安心させるためにもう一度乖の頭を撫でる。そんなアランの顔を乖は真っ直ぐ見上げた。
「アランは本当に優しいね。なんで?」
「なんでって……」
乖が不思議そうに首を傾げるので、つられてアランも首を傾げる。確かにアランはいつもお人好しだお節介だと色んな人に言われている。特にブラッドのような年下相手にはより一層構い倒す傾向があった。アランは少し考えると「ああ」と思いついたように言葉をこぼした。
「昔弟がいたからな」
「そうなんだ〜」
乖の質問はそこで止まった。アランもあまり気にしていないようだ。
アランには弟がいた。元々アランは郊外の農場で暮らしていたが、親の用事で近くの町を訪れ、そのまま空襲を受けたらしい。アランは家族と一緒に避難している途中で爆撃に遭い、死に別れたのだという。
だからアランは犯人を憎みレジスタンスに加入したのだ。ブラッドや乖になんだかんだ世話を焼くのも、弟に重ね合わせて見ているからだろう。
「乖は初めてくる場所だろう。危ない所もあるからブラッドから離れんなよ」
「うん」
乖も随分と素直にアランの言うことを聞いているようだ。
「ブラッドは乖の手を握ってやれ」
ブラッドは再び口をへの字に曲げ、嫌だと意思表示をする。しかし乖が顔色をうかがう視線を向けるので気まずそうに目をそらし、それに気づいたアランは追い討ちをかけて釘を刺した。
「離れ離れになったらお前の責任だぞ。子どもを預かる最低限の責任は持たないとな?」
「……」
ブラッドは少し沈黙した後に乖の袖を引っ掴む。昨日の帰り際、ブラッドは乖に合う服を適当に見繕い調達していた。少し大きめの白ニットを着た乖は体型が隠れ、なおさら性別が曖昧に見える。長い袖と分厚い生地のおかげで手袋は目立たず、髪さえ隠せば普通の子どもと変わりない。
「行くぞ」
「うん」
乖がブラッドの呼びかけに嬉しそうに返事をした時、レジスタンスのメンバーである男が慌てて備品室に駆け込んできた。
「ブラッド!」
その危機迫る顔にブラッドもアランも緊急事態であることを察する。
「南地区で暴れてるやつがいる。だが強いんだ、全然倒せない!」
「人数は」
「1人だ。ソイツ無差別に人を殺し始めたらしいんだ。都から来たって言ってたらしいんだけど」
「都から」
ブラッドの問いに男は震える声で答える。この町は10年前に人口削減という名目で各地で大規模な爆撃が行われたらしく、レジスタンスの基地は経験に基づいて地下に作られた。その後は現在まで爆撃を受けたことはなく、まして殺人鬼を送りこまれたことも無い。相手がどんな目的で殺戮を行っているのかブラッドは想像できても断言はできなかった。
「アラン、俺は先に現地に向かう。お前は銃撃部隊を組んでから向かえ。そこのお前は乖をここに匿っててくれ。変な所に行かないよう見張ってろ」
報告に来た男は珍妙な物を見るような目を乖に向ける。乖は不安そうにブラッドの手を握った。
「良い子にできるな?」
「うん……」
有無を言わせないブラッドの言葉に乖はうなずくことしかできないようだ。ブラッドはアランに近づき二言三言会話を交わすと、アランは胸元に下げているペンダントを服の内側へしまい「わかった」と答えた。
「ブラッド、気をつけろよ」
「ああ」
ブラッドとアランはそれぞれの目的のため部屋を飛び出す。乖は何もできないままその2つの背中を見送った。




