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「あそこは近づくなよ。薬でラリったおっさんがそこらで見つけた女や子どもを引きずりこんでいくって噂だ」
「怖いね」
町を歩くうえで乖はアランに3つのことを約束させられた。1つ目はアランの側から絶対に離れないこと。2つ目はコートについたフードで髪をちゃんと隠すこと。3つ目は誰かに声をかけられてもアランが促すまで発言しないこと。
外の世界をほとんど知らない乖でも、この町が危険であふれていることはすぐにわかった。
バイクに乗って通ったときはブラッドの背中に安心していたため気にならなかったけれど、いざ自分の足で歩くとなると見え方が変わってくる。
それでもアランは大柄で力が強く、またレジスタンスの幹部ということもあり因縁をつけてくる人はいない。先ほど乖に好奇の目を向けた男とすれ違ったが、アランの睨みですぐにどこかへと走り去ってしまった。
「アランってすごいんだね」
「すごくはないが強くないと生き残れないからな」
裏通りを抜け広いところに出ると、箱を並べて布を敷いた上に色んな物を並べているのが目に入った。しかも一か所だけでなく色んな人が同じようにして連なっており、その間の道を多くの人が行き交っている。想像より人が多く、乖は呆気にとられた。
「ああ、市場って言えばいいのかな。自分たちが手に入れたもんを商品として売ってるんだよ」
アランが説明すると、ちょうど目の前で1人の男が商品を並べる男と話しだした。何やら物を交換しているらしい。
「商品の代わりにあの人は何を渡したの」
「あー、あれは……多分大麻だな。まだ育ててる奴いたのか。乖は見なかったことにしろ」
アランはうんざりするように眉間にしわを寄せる。彼から見てあまり良いものでは無いのだろうと思い、乖は素直にうん、と返事をした。
「この国は10年前に作られたんだけどな。都のやつら……つまり国のお偉い方によってメチャクチャにされた町に俺たちはそのまま放り込まれたんだ」
「どうやって?」
「さあな。正直よく覚えていない。俺は別の町にいたんだが、空襲で家族と生き別れて気づいたらここに連れてこられてた」
アランの表情は暗い。当時のことを思い出すだけで嫌な気持ちになるのだろう。
「品物は今も発掘されることがあって、ああやって売られてるんだ」
彼が言うには、昔あっただろう農場も工場も全て都の人間に潰されるか占領されており、使えない状態なのだとか。生産する手段を根こそぎ奪われたのだ。
枯渇した大地は何も育たず、限りある資源を奪い合いながら生き残る。それがこの国の現状なのだとか。
文明も秩序も壊滅状態で、通貨という概念も消えつつある。そもそも乖には通貨が何かわからない。とりあえず有る物が無い国なのだと納得した。
「地下を掘って国外の裏ルートから仕入れるっていうのもやってるが、やっぱり圧倒的に数が足りてないし餓死者は毎日のように出ているな」
アランの口ぶりはすでにこの生活に慣れきっていることを示していた。乖はもう一度町を見回す。どの人も今日を乗り切るために一生懸命なのだ。
そして都に住む偉くて選ばれた人間は贅を尽くし幸せに生きている。乖はそちら側の人間に管理されていたが、生活を垣間見ることは無いので知らなかった。
そんな世界でブラッドは生きている。何かと戦い続けている。
「僕はきっと恵まれた環境で生きて来たんだね」
「はっ?」
乖の言葉にアランは素っ頓狂な声を出す。その胸中を尋ねるようにアランを見ると、相手は言葉を選ぶように目を泳がせた。
「いや、お前はずっと閉じ込められて生きてきたんだろう? 実験されたり能力を利用されたり。俺やブラッドだってそりゃ飢えとか危険に晒されて生きてきたけど、お前よりは自由と言えば自由だし、俺はその……お前の方が苦労してきたと思うぞ?」
「うーん、考えたことないや」
乖は正直何が人として幸せを感じるのか理解できていない。ぼんやりと記憶がある施設での生活では、とにかく職員に言われたまま行動するのが正しいことだった。
工場ではただ電気を供給することが役割だった。それを大変だったとか苦労したとか言われるとわからない。
ただ、今やりたいことは施設に戻ることではなくブラッドの側にいること。それができると嬉しいと思った。それだけだ。
「乖……お前」
「あれれ、アランじゃない」
進行方向から華やかな女が現れ気さくな態度で話しかけてくる。グレーのジャケットにカーキのカーゴパンツと服装自体は実用性を重視した格好だが、花が開くような豊かな巻き髪ときつめの釣り目が印象的で、人ごみの中で異彩を放っていた。
乖は反射的にアランの背に隠れフードを深くかぶり直した。ブラッドを見たときは荒々しくも洗練された美しさに目を奪われたが、彼女の作り物のような造形美は、逆にあまり目を合わせてはいけないように感じた。何を考えているのかわからず、少し怖い。
逆にアランは慣れた様子で彼女の方に向き直った。
「おう、オリビアか。ブラッドがよろしくって言ってたぞ」
「よろしくじゃなくてアランに面倒ごとを押しつけただけでしょアイツは」
「違わねぇな」
オリビアは明るい茶髪を揺らし軽く笑うと、乖を見て意外そうな反応をする。
「アンタいつ子どもができたのよ」
からかいの声色を含んだ言葉にアランはふんと鼻を鳴らした。
「馬鹿言え。俺の子どもじゃねぇ、孤児だ孤児。この町に知り合いがいるかもってことで探してやってんだよ。ガキ一人で歩いてたら何が起きるかわからないからな」
「相変わらずアランたちは慈善活動みたいなことをするのね」
呆れたような声を出しながらもオリビアは乖に視線を合わせて屈み微笑んだ。乖はギュッとアランの服の裾を掴む。
「こんにちは、私はオリビアよ。あなたのお名前は?」
乖は口を開こうとしてやめた。アランから許可がおりてないからだ。オリビアはニコニコしながらも少しだけ眉を下げた。
「ずいぶんとシャイな子なのね」
「色々ショッキングな経験をしたみたいでな。そっとしておいてくれ」
「みたいね。髪が白くなっちゃうほど怖い目に遭ったのね」
乖のフードからこぼれ出ている一房の髪を指差し、オリビアは笑みを深める。
「栄養失調もあいまってな。仕入れの話はまた今度にしてくれるか」
「ええ、お邪魔しちゃったわね。それじゃあごきげんよう」
オリビアは特に追及することなく立ち去った。それと同時にアランはホッとしたように息を漏らす。乖が掴んでいたアランの服の裾を何度か軽く引っ張ると「おお」と申し訳なさそうに振り返った。
「あの人……誰?」
「あの女はオリビア。外の国から来た商人だ。アイツがガキの時から国外の裏ルートを使って色々支援してくれている……んだが、信頼できるのかどうかわからねぇってのが正直なところだ」
乖が感じていた違和感をアランも感じているらしい。どこか張り付けたような雰囲気。それが商人として生き残るための演技なのか、何か隠しているのか。乖には想像がつかなかった。
「まぁアイツからの情報に助けられてることも多いし、それに……」
「おい! このクソ野郎がぁ!」
アランの声を遮るように、少し離れたところから怒声と共に銃声が響き渡った。
「きゃあああ!」
アランのすぐ隣にいた女が甲高い悲鳴をあげる。銃声の方角を見ると、誰かが物を盗んだらしい。激怒した店主の男が護身用に隠し持っていたのだろう、銃身の長い銃を構えているのが目に入る。
盗人は銃弾を腕にかすめ血を流していたが構わず走る。それを見た店主はさらに怒気を強め次弾を装填しようとしていた。
「チッ……こんな人通りで死人を出す気か!」
アランは駆け寄ろうとするが、同時に逃げようとする人の波に押されてしまう。別にアラン1人なら問題ない。だが小柄な乖はその勢いに押され流されかける。
「乖!」
次々と飛んでくる人の足やら腕やらが乖の全身を打ち倒れそうになる。間一髪アランが乖を引き寄せ自らの体を盾にすることで、乖はどうにか体勢を直すことができた。もし地面に倒れて大勢に踏まれれば、骨はすぐに砕け内臓がつぶれるだろう。乖は想像して反射的にアランにしがみついた。
「アラン……ごめん」
「構わない。連れてきたのは俺だ、むしろすまない」
しかし苦々しそうなアランの視線は店主の方へ向けられる。ここからではもう間に合わない。店主の指が今まさに引き金を引こうとした。
銃声が響く。しかし銃口は空へ向いていて、弾は天へと撃ち放たれた。
店主の目の前にはブラッドが立ちふさがっており、ブラッドは蹴り上げていた足を降ろす。銃を店主の腕ごと上へ蹴ったのだ。
「うっ……」
そしてブラッドの後方数メートル先には盗人の男が頭を押さえうずくまっていた。いくつかの缶詰と一緒に血のついた石が地面を転がっており、盗人の頭から血が流れているのが見えた。ブラッドが投げたのだ。
張り詰めた緊張の中、ブラッドは店主に向かって静かに口を開く。
「落ち着け」
「でも……」
「次は顔面に入れるぞ。他の人間を巻き込む気か」
ブラッドの赤い目に睨まれ店主は黙る。不満そうではあるが敵わないと思ったのだろう。小さく舌打ちをすると、店主はうずくまってる盗人の方に行き、地面に散らばっている缶を拾い集め店へと戻っていった。その際に盗人の腹に蹴りも入れていた。
盗人はうめき声を漏らしたまま這いつくばるように路地へと消えていった。
「……はぁ」
ブラッドはため息をついてから眉をひそめる。そして注目してくる人々を邪魔そうに通り抜けると真っ直ぐアランの元へ歩いてきた。
「勝手なことをするな」
ブラッドの視線はアランに守られていた乖の方へ向けられている。アランは誤魔化すために笑い片眉を上げたが、ブラッドはしかめっ面を崩す様子はなかった。
「ブラッド……」
乖は不安だった。自分が来てからブラッドはずっと不快そうな態度をとっている。自分がいることはブラッドにとって迷惑で、嫌なことなのだろうと思った。
今まで乖はとにかくブラッドと一緒にいたいという気持ちで頭がいっぱいだったが、アランとの出会いを通してやっと冷静に物事を考えられるようになっていた。
もし自分がアランのように気が利く性格だったら。そう考えると乖は申し訳なさで心が押し潰されそうになってしまう。
「ん」
ブラッドは特に何も言うことなく手に持っていた紙袋を乖に押し付けた。乖は訳のわからないまま受け取り、そっと紙袋を開ける。中には缶詰や飲料水、レンガのように硬そうなパンが入っていた。
ブラッドが乖のために食料を調達してきたのだ。しかもこの量は物資の少ないこの国ではごちそうなのだろうと乖はすぐに察した。それが正解であると示すようにアランは口笛を吹き、ニヤニヤとブラッドの方を見る。
「ブラッドくんのお人好し」
ブラッドがアランの脛を蹴飛ばし、アランは今日1番の悲鳴をあげる。そんなやり取りに気づかず、乖は紙袋を宝物のように抱きしめた。
ブラッドが、僕のために。
長年冷えていた心にドクドクと血が通い始める。それは初めて生まれた「愛おしい」という感情だった。




