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レジスタンスの基地から少し離れ、崩壊したビルが並ぶ大きな通りでは次々と断末魔が響き渡っていた。
「このっ!」
レジスタンスの1人がその刺客に向けて拳銃を発砲するが、刺客は目視でかわし至近距離まで詰めた。左手に持っていたナイフで相手の肩から腹部まで深く切り裂けば、悲鳴と共に鮮血や内臓が地面にぶちまけられ相手は絶命した。
またひとつ死体が増える。錆びた鉄のような、生臭い肉の腐敗臭のようなものが一帯に立ち込める。その臭いを作り出している相手は1人のはずなのに、死体は小さな山となり虐殺と呼ぶに相応しい光景となっていた。
灰色の景色は赤黒い色に染まり、断末魔が悲劇的な状況をより際立たせる演出となる。返り血を浴びながらその元凶である刺客の少年は乾いた笑いを響かせた。
擦り切れて破れた服を着て、ボロのようなマントを羽織っており、顔には同じボロを細く割いた包帯を目や口を避けるように巻き付けている。さらに包帯の下から痛々しい傷跡が覗いており、まるで手負いの獣のようだった。
「はぁ……」
少年が湾曲させていた口元はすぐ生気のないものへと変わる。彼にとってはどうでもいいのだ。人の死もこの光景も。ただ為すべきこととして機械的に行っているに過ぎない。
「ひっ……」
レジスタンスの構成員である若者は、その光景を見て息を呑む。信頼していた先輩も、よく一緒に飯を食っていた同年代の男も一瞬でこの少年に殺された。切り裂かれた傷口から赤い液体を漏らす体は動く様子がない。もう二度と動かない。
最初は何の関係もない子どもが切り裂かれて死んだ。次にその子どもの母親が殺された。あまりにも無慈悲な光景に人々は叫び、レジスタンスの人間は彼らを守るために立ち向かった。しかしその結果がこれだ。
自分ではこの敵に勝てない。敵わない。時間を稼ぐ肉壁にすらなれない。無意味な死を目の前に突きつけられ若者は恐怖ですくみあがった。
怖い。怖い。動けない。
今にも逃げ出したいのに、先に死んでいった仲間への罪悪感と、捕食される寸前の動物のような本能から指先1つ動かせなかった。
そのまま少年が持っているナイフの切先が若者の喉元を貫こうとする。若者はその動きをただ引き攣った顔で眺めていた。
直後、甲高い音を立ててナイフの突き技が弾かれる。
「よく耐えた。下がれ」
ブラッドは生き残ったメンバーの前に立ち、ダガーナイフを構える。血や内臓と砂利の臭いが混じった空気に不快さを感じながら、その空間を作り出した少年を探るように見据えた。
「へぇ、お前か。お前だろ。国に反抗するレジスタンスのリーダー。思ったよりガキだ」
少年は表情を一変させ、せせら笑うようにブラッドの登場を歓迎した。まるでブラッドが現れるまで待っていましたと言わんばかりに、両腕を広げ仰々しく会釈をする。それを見たブラッドは鬱陶しそうに唾を吐いた。
「お前の方がガキだろ、人殺し」
少年はブラッドより若く、しかし乖よりは年を重ねているのだろう。惨状を見るに、痛々しいほど細く見える体は人並外れた力で人を切り裂き相手を一瞬で絶命させることができるらしい。
少しの油断が致命傷になる。ブラッドは決意を固めグリップを握る手に力を込めた。
◆◆◆
刃がしなやかな軌跡を描き、何度もブラッドを切り裂こうと振り下ろされる。無駄のない動きは美しささえ感じるが、ナイフに付着した赤黒い血が光を鈍く反射し、使い手の残虐さを思い知らされる。
ブラッドは相手の刃を繰り返し受け流し、すぐさま持久戦に持ち込んだ。一度まともにナイフで相手の攻撃を受け止めたが、その一撃の重さに腕の痺れが残っている。その腕力に分が悪いと考えたが、相手の病的に痩せた肉体を見るに長い時間戦い続けることは不可能だと判断した。
少年が攻めを強くすればブラッドはひたすら受け流し、少しでも引く様子があれば容赦なく切先を叩き込んだ。息をつく間もなく続く攻防に、相手は愉悦と多少の苛立ちを感じているらしい。動きを止めないまま少年は小さく口を開いた。
「お前、ウザいな」
「そりゃどうも」
敵が軸足の重心をズラしたところでブラッドは相手の腹部を狙って蹴りを放つ。しかしギリギリのところでかわされ、少年は体勢を低くしたまま数歩後ろへ下がった。ボロを重ね合わせて纏った服装と相まって四足動物のように見える。
当たらない。ブラッドは先ほどから何度も急所を狙い、相手の隙をついて刃を振った。しかしその度に異常な反射神経で避けられるのだ。
攻撃をするのも相手の攻撃を捌くのも、まるで言葉の掛け合いのように自然な動きで行う。会話を楽しんでいるかのようなそのフランクな雰囲気は、この少年が数えきれないほど命のやり取りを行っていたことを示していた。ブラッドは皮肉るように口際を歪曲させる。
「人の死には興味ないくせに、殺し合いは好きなのか?」
「ああ。ワクワクするね」
「お前、都から派遣された殺し屋だろ」
「ああ。そうだ」
少年は端的な返事をするとさらに姿勢を低くしブラッドに向かい突進する。足を狙っている。そう悟ったブラッドは動じることなく片足を振り上げ勢いのまま振り下ろした。
「!」
ブラッドの靴は細工がしてある。踵部分に鉄製のプレートを装着し、蹴りを放った際の威力を高めているのだ。重くはなるがそれで不利になったことはない。
常人がくらえば骨が砕ける蹴りを、少年はわずかに体をズラして避けた。さらに手で地面を押して宙へと跳躍し、体のしなりを利用してブラッドの脳天目を目掛けてナイフを突き出した。
ブラッドは相手の切先の中心をズラして刃で受け捌く。それからも数撃、2人の間で刃が触れ合う甲高い音が辺りに響き渡った。
(足音が増えた。到着したな)
絶え間なく動きながらもブラッドの耳は常に周囲の音を拾っていた。生き残りが負傷者を連れて撤退する音、混乱から悲鳴をあげ逃げる人々の声、そしてこちらの状況を窺うように物陰から忍び寄る足音、息遣い、物が擦れる音。
ブラッドは間合いを詰めたまま相手の切先を避ける。刃が掠った頬から赤い線が浮かび上がり、そんな無茶な回避をするブラッドに相手は一瞬警戒し身構えた。それを見計らっていたようにブラッドは相手の腹部を突き飛ばすように蹴りを放つ。
少年はその反射神経でわずかに背後へ飛んだのだろう。衝撃を殺すように数メートル飛び退き、特にダメージを受けた様子もなく再びナイフを構えた。
「撃て!」
そのタイミングを狙いアランは声を張り上げる。同時にそれぞれ物陰から銃を構えた数人が姿を現し、少年に向かって発砲をした。
空を切る激しい音が鼓膜を刺激する。だがブラッドはその厳しい形相を崩すことは無かった。少年は倒れなかった。避けたのだ。相手の視線と銃口から狙われた位置を把握し、関節のない軟体動物のようにぐにゃりと体を地面に伏せた。次の瞬間には大きく跳躍し、遮蔽物となる建物裏へと姿を隠した。
「まさか俺たちがいるのに気づいていたのか⁉︎」
驚くアランの声にブラッドは心の中で否定した。違う。相手は確かに不意打ちを喰らった。だが視認してから避けたのだ。その反応は常人の域を脱している。
「お前、ギフトだな」
ブラッドの確信したような言葉に、姿が見えない少年の笑い声が返ってくる。
「ああ。そうだ」
動体視力。反射神経。あるいはその両方。電気を発電できる人間がいるのだ、人の感覚を飛躍的に高めた能力を持つギフトはいるだろうと予測できる。
「お前も中央の都の奴らに実験体として利用され続けたんだろう」
「ああ。そうだ」
ブラッドの問いに対し、まるで感情のない機械的な返答をする。アランは苦々しそうに表情を歪めた。少年も乖と同じく道具として扱われ続けていた。しかしそれに大きな疑問も不満も持っていないらしい。だから人を躊躇なく殺せる。殺し合いを楽しめる。
(ここで仕留めるしかない)
ブラッドは改めて決意を固める。それに呼応するようにアランはブラッドに向かって叫んだ。
「D-51!」
「わかった」
アランが伝えたのはトラップが仕掛けられている位置だ。ブラッドはアランにここに来る前、あらかじめ相手が隠れられそうな所にワイヤーを使った罠を仕掛けるよう指示を出していた。ブラッドの立ち位置、アランを含めた銃撃隊メンバーの射線から逃れようと、案の定相手はその方角へ身を隠したらしい。
ブラッドが先陣を切り、アランがそのサポートを行う。連携は慣れたもので互いの考えは言葉を交わさずともある程度わかる。ブラッドはダガーナイフを構えたまま、倒壊したビルが混在する瓦礫の空間の中へと足を運んだ。
◇◇◇
「おい……おい、ガキ! どこ行ったんだよ!」
乖は初めて自身の小さな体の活用方法を見出した。体が小さければ小さいほど見つかりにくいのだ。乖は思いつきで見張り役の男の目を盗んで物陰に隠れ、相手が自分を探しに慌てて部屋の外へ飛び出すのを見送った。あまりにも上手くいってしまったので、気持ちが高揚して心臓の音がやけにうるさい。
頭に埃をつけたままそろりと出ると、乖はブラッドと来た時に辿った道を戻りはじめる。見張りの男は奥の部屋を探しに行ったらしい。他のメンバーはほとんど出払っているのか姿が見えなかった。乖は音を立てないようハシゴを上り、そのまま出入り口の扉から外へと出る。
ブラッドには大人しくしていろと言われた。アランにも念を押されるように微笑みかけられた。それでも嫌な予感がしてじっとしていられなかった。
外に出ると乖は急いで建物の残骸の裏に隠れた。湿っぽいコンクリートの臭いが余計に不安な気持ちを掻き立てる。するといくつかの足音が基地の方へ向かうのが聞こえてきたので、乖はそっと耳を澄ました。
「おい、わざわざ戻ってどうするつもりだ」
「倉庫に爆弾が残ってるからそれを使う。ブラッドが戦ってる相手はギフトらしい。たが相手は近接技しか使わない……なら捨て身で自爆して巻き込めば勝てる」
そのまま進もうとした足音は何かを掴むような音によって遮られる。
「その方法はやめろといつもブラッドさんに言われてるだろう」
「だけど今回ばかりはブラッドが負けるかもしれない。アイツを失うくらいなら俺が身代わりになる!」
切迫した男たちの会話を聞いて乖の体に戦慄が走った。彼らはブラッドが殺されるかもしれないと懸念している。それほどに相手は強いのだ。
男たちは再び急ぐように足音を立てて遠くへいった。乖は弾けるように反対側へ走る。息を切らしながら手袋で覆われた手を服の上から握りしめた。頰をつたう汗が体力的なものなのか心因的なものなのか区別がつかない。考えるだけの余裕が乖には無かった。
(ブラッドを失いたくない。ブラッドだけは嫌だ)




