【短編/完結】虐げられた伯爵令嬢は、破滅の聖女を断罪する
冷たい風が吹き荒れる聖堂の大広間。
古びた石壁の間を抜けるその冷気は、人々の沈黙した緊張をさらに際立たせていた。
コーデリアは堂々と立ち尽くし、その手には淡い青い光を放つ魔道具が握られていた。
魔導具が映し出す光景に、義妹アステリーゼの顔色がみるみる青ざめていく。
「これが証拠よ」
コーデリアの冷徹な声が静寂を裂いた。壁に投影された映像には、アステリーゼが保護結界を維持する魔道具を破壊する瞬間が克明に記録されている。それは誰の目にも明白な背信の証だった。
広間の人々は息を呑み、わずかな衣擦れの音さえ耳につくほどの静けさが広がる。だがその中心に立つコーデリアは微動だにせず、アステリーゼをまっすぐに見据えていた。
「私を憎むがあまり、ここまで堕ちるとはね」
その声には怒りよりも冷たい哀れみが滲んでいた。
「あなたがやったことは、ただの嫉妬では済まされない。街を守る結界を破壊し、無数の命を危険に晒した。聖女候補としても、人間としても、断じて許されない行為よ」
言葉の一つ一つが、鋭い刃となってアステリーゼに突き刺さる。彼女は唇を噛みしめ、震える声で叫んだ。
「証拠があれば何だっていうの! そんなもの捏造でもなんでもできるわ!」
アステリーゼの叫び声が広間に響き渡る。彼女の目は鋭く、顔には怒りの色が濃く浮かんでいた。
「お前は何を言っている? 捏造ではない。そもそも、魔道具の記録版は、そこにあったものをただ写し取るだけで、映像を記録後改変することはできない。聖女候補のくせにそんなことも知らないのか?」
カイルが剣を鞘に納めながら、呆れたように嘆息する。その声は静かだったが、アステリーゼの虚勢を軽く打ち砕くには十分だった。
その言葉にアステリーゼの頬が一瞬で紅潮し、ぎりっと忌々しげに歯を噛む音が聞こえる。彼女は震える手で拳を握りしめると、逆上したように声を荒げた。
「そもそもお義姉様がいけないのよ!」
彼女の視線はコーデリアに向けられていたが、そこにあるのは明確な敵意と嫉妬。
その顔は嫉妬と怒りで歪み、彼女自身の感情に呑まれていくようだった。
「お義姉様なんて、親もいないかわいそうな子だったじゃない! 誰からも愛されず、私たちからの施しを受けて生きてきたのに! なのに、どうしてそんな人が注目を浴びて、幸せを掴んでいるの? 本当なら、すべて私のものになるべきだったのに!」
彼女の声には激しい感情が混じっていたが、その叫びの中にあるのは、明らかに一方的な思い込みと自己憐憫だった。
「私は聖女候補として認められるほど聖術が使えるのよ!」
アステリーゼの体は怒りに震え、声がさらに大きくなる。
「皇太子殿下にも王城に招かれ、婚約者候補として注目されていたの! 私がどれほど優れているか、誰もがわかっていたはずなのに、どうしてそれをあなたが奪うの?」
その言葉に、コーデリアの表情は微動だにしなかった。無言でじっと彼女を見つめるコーデリアの態度が、逆にアステリーゼの苛立ちを煽っているのは明らかだった。
「どうしてよ!」
彼女はさらに声を張り上げ、涙さえ滲ませながら叫んだ。しかしその言葉が広間に響くたびに、そこにいる全員が彼女の幼稚さと傲慢さを痛感しているようだった。
コーデリアは、冷静そのものだった。ただ彼女をじっと見つめ、その瞳には微かに哀れみすら浮かんでいる。だがそれは決して同情ではなく、冷たく、突き放すような眼差しだった。
その態度がまたアステリーゼの怒りの炎に油を注いでいるように見える。彼女の感情の奔流は止まる気配がなく、コーデリアを責める言葉が次々と彼女の口から溢れ出した。
「そして何? 隣国の大国の血を引く辺境伯? そんな人に嫁いだなんて、皇太子殿下と同じくらいの地位を手に入れたようなものじゃない!」
アステリーゼの声は怒りで震えていた。彼女の目には嫉妬の色がありありと浮かんでいる。
「あなたなんて、元々そんな場所に立てる人間じゃないのよ! その地位にいるのは、本当なら私だったはず!」
彼女は息を荒げながら続けた。その声はだんだんと歪み、感情に飲み込まれていくようだった。
「それなのに……私の家はどうよ! お母様も私も、少し贅沢を楽しんだだけじゃない! なのに、爵位まで危ないって……こんなに不幸になるなんて、どうして私ばっかり! どうしてあなたが幸せで、私がこんな目に遭うのよ!」
その叫びには、自らの行いが招いた結果を省みる姿勢は一切なかった。ただコーデリアへの嫉妬と憎悪がむき出しになっている。
「お前は何を言っている?」
カイルが静かに肩を竦め、コーデリアの隣に並び立つ。その落ち着いた姿は、アステリーゼの荒れた様子と対照的だった。
「ただ自分が欲しいものが手に入らないからと、駄々をこねる小さな子供のようではないか」
カイルの紫色の瞳が鋭くアステリーゼを射抜く。その言葉が冷たく響き渡る中、アステリーゼの怒りは頂点に達しそうだったが、何も言い返せなかった。
「あなたは何不自由のない生活を送ってきたわ」
コーデリアの声が静かに広間に響く。彼女の瞳はアステリーゼをしっかりと捉え、逃げ場を与えない。
「愛され、大切にされ、望むものを何でも手に入れられた。私を見下し、侮辱することさえ、あなたにとっては当たり前だったわね」
その言葉に、アステリーゼはぐっと唇を噛む。
「けれどその代償として、他人の痛みを知ることも、自分の責任を負うこともなかった。その結果がこれよ」
コーデリアの冷静な声が放つ真実が、広間全体を凍りつくような沈黙に包み込む。人々は誰も息を飲み、ただその場に立ち尽くしていた。
しかし、アステリーゼはただ黙って受け入れることができなかった。彼女は震える手をポケットに滑り込ませ、そこから黒の魔石を取り出す。その動作に気づいた人々がざわめき始める。
「何をするつもりなの、アステリーゼ!」
コーデリアが一歩前に出ると同時に、カイルも剣の柄に手を掛けた。その視線は鋭く、危険を見逃さない。広間の空気は緊迫し、次の瞬間に起こることを全員が見守っていた。
「やめなさい!」
コーデリアの声が鋭く響いた。しかしアステリーゼは耳を貸さず、黒い魔石に魔力を注ぎ込む。石が淡い紫色の光を放つと同時に、広間全体が不吉な震動に包まれた。
「何をしたの!」
コーデリアの叫びが響き渡ると同時に、アステリーゼの手から落ちた黒い魔石が甲高い音を立てて割れた。瞬間、魔石の中から溢れ出した闇が広間を覆い尽くし、渦を巻きながら巨大な魔獣の姿を形作っていく。
低く唸りを上げた魔獣が一たび咆哮すると、耳を劈くような轟音が広間全体に響き渡り、空気がびりびりと震えた。窓ガラスは内側から外側へと砕け散り、破片が雨のように降り注ぐ。
「きゃあああああ!」
聖堂に集っていた人々は一斉に悲鳴を上げ、我先にと出口へ殺到する。貴族たちは恐怖に顔を引きつらせながら、無我夢中で逃げ惑っていた。
広間の中心に立つ魔獣は、漆黒の体躯に長い尾を引きずり、その赤い瞳で全てを睨みつけている。その姿は、まさに災厄そのものであった。
「アハハハハハハッ!」
その光景を目の当たりにしながら、アステリーゼは狂ったように笑い声を上げた。両手を広げ、くるくると回りながら、まるでダンスを踊るようにその場で舞う。
「これが私の力よ! 私を侮辱した報いを受けるがいいわ!」
その声はどこか空虚で、自らの行いの重大さをまるで理解していないようだった。
******
「お前……!」
カイルが鋭い声を上げ、彼の剣が一瞬で鞘を離れた。冷たい銀光を放つ剣を手にした彼は、即座に魔獣に向けて構えを取る。
魔獣は低い唸り声を上げ、その巨大な前足をゆっくりと持ち上げた。
「コーデリア、下がれ!」
カイルが叫ぶが、コーデリアは一歩も引かず、毅然とした表情でその場に立っていた。
「いいえ!」
コーデリアの手に魔力が集まり始め、青白い光が広間を照らし出す。その冷静な瞳は魔獣の動きを追い、攻撃の準備を整えていた。
彼女は身を低くし、跳躍の魔法を足にかけると、腰に佩いた愛剣の柄頭に手を滑らせた。その剣は夫、カイルが贈ったもので、コーデリアの魔力に応じて力を発揮する特別なものだった。
剣の柄に込められた魔力が鈍く光り始める。
「行くぞ」
カイルが短く告げると、すぐに走り出した。動きは素早く、的確だった。
「……!」
コーデリアも一瞬遅れて足を蹴り、宙を舞う。軽やかな動きで魔獣の死角を狙い、全身に魔力を漲らせる。
剣の刃が鮮やかな軌跡を描き、魔獣の爪をかいくぐった。
「グォオオオオオオオオオ!」
その動きは巨体に似合わず、あまりに素早かった。
「くっ……!」
コーデリアは素早く後退し、次の呪文を唱える。指をつま弾き、詠唱なしで攻撃するが、威力が弱いため致命傷にはならないと痛感する。
一方、カイルは剣を斜めに構え、魔獣に突進する。剣と爪が激突し、火花が散る。
「これ以上好きにはさせない!」
カイルが魔獣の攻撃をかわしながら剣を振り下ろすと、魔力の波動が広間を揺るがす。魔獣は苦しそうな咆哮を上げて後退。その隙を逃さず、コーデリアが再び魔法を放つ。
「逃がさないわ!」
彼女の魔法が魔獣を捉え、光の槍が黒い体を貫いた。魔獣は断末魔の叫びを上げ、闇の塊となって崩れ落ち、消えていった。広間に静寂が戻る中、コーデリアは息を切らしながら立ち尽くしていた。
***********
魔物が消え去った後も、アステリーゼの笑い声は収まることなく、ケタケタと耳障りな音が広間に響き渡った。彼女はその恐ろしい笑い声を響かせながら、まるで何かを楽しむかのように大股で歩き回っている。
「こんなものを呼び出して……」
コーデリアが冷徹な目でその姿を見つめながら、静かに言葉を紡いだ。
「ウフフ。アハハハ、みぃんな、いなくなっちゃえばぁいいのにぃ!」
アステリーゼの異常な笑い声が空間を支配する中、コーデリアはゆっくりと歩み寄る。その歩みの一歩一歩が、まるで時間を切り裂くかのように重く、彼女の決意が感じられた。
コーデリアはアステリーゼの前に立ち、その怯えた瞳を真っ直ぐに見据えた。目の前で暴れる義妹に、今までの怒りが一気に込み上げる。
「歯ぁ食いしばれ、――こぉの、ばかちんが!!」
「アハハハッ、あばぅっ!」
コーデリアの手が一気にアステリーゼの頬を打った。乾いた音が広間に響き渡り、その音があまりにも不自然に大きく感じられる。
アステリーゼは目を見開き、予想外の痛みにうろたえながら後ろにふらついた。
「あなた、そんなことしてる場合じゃないでしょうが! 心の底から、ちょっとは考えなさいっ!」
アステリーゼは目を見開き、大きな瞳から涙をこぼし始めた。
「あなたのせいで傷ついた人たちの分よ」
コーデリアは低く、冷徹な声でそう言い捨てる。
「アハッ、アハハハッ。アヒャッ。アハハハハッハハハアアぁああああああああああああああああああああああああ!!!!!」」
コーデリアはアステリーゼの絶叫に耳を貸すことなく、静かに背を向けた。
義妹はその場で発狂したように奇声を上げ続けたが、彼女は一度も振り返らなかった。無視するように、毅然とした足取りで、夫である辺境伯カイルの元へと歩みを進める。その背中に漂うのは、これまでの忍耐と怒りが交錯した、深い決意のようなものだった。
「もうこれ以上、彼女たちと付き合う義理はないわ」
コーデリアが冷静にそう告げると、カイルは優しく微笑みながら手を差し出した。その笑顔には、彼女への深い愛情と、これからの道を共に歩む決意が込められていた。
コーデリアはその手をしっかりと握りしめ、深く息を吐きながら広間を後にした。
混乱と苦しみを乗り越えた領地には、再び静かな平和が訪れた。人々は少しずつ立ち直り、町は復興を始め、平穏無事な日常を取り戻していった。
コーデリアとカイルは、共に力を合わせてその復興に尽力し、愛と希望をもって未来を切り拓いていった。
――愛する夫と共に築く、幸せな未来。それがコーデリアの選んだ道であり、これから歩むべき道だった。
(FIN)