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亡き皇帝のためのパヴァーヌ  作者: 五十鈴 りく
第2部✤花嫁によるメヌエット✤

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19◇理解

 食器を下げてもらった直後、また扉が叩かれた。

 もしかして、とろくに確認もしないまま扉を開けた。


「ノア様!」


 勢いをつけすぎたせいか、ノアが一瞬たじろいだ。視線が下の方をさまよい、そっとずらされる。

 なんだろうと思ったら、ブランシュの恰好のせいだったのかもしれない。薄いネグリジェだ。

 しかし、もう寝ていても仕方がないような時間なのだから、これは当然だろう。


「扉を――」


 ノアはドアノブから手を放さない。いつものように開けておこうとするのだが、それではブランシュが寒かった。


「寒いです」


 正直に言ったら、ノアがとても困惑していた。

 どうやらセヴランたちはまだ重婚の話を白状していないらしい。


「いや、しかし……」


 部屋に入ろうとしないノアに、ブランシュは失望にも似た気持ちを抱えた。


「こんな格好で出迎えたわたしをはしたないと思いますか?」


 庶民として育ったブランシュだから、ノアとは感覚が違う。だからといって、それが嫌なら好きだなんて言ってほしくない。

 何か悲しくなってきて目に涙が浮く。そうしたら、扉がパタン、と閉まった。


「そんなことは思っていない。こんな時間に来た俺が悪かった」


 とてもバツが悪そうに謝られた。

 この人は優しい。それは知っているはずだった。

 だから、ついその優しさに期待してしまう。


「あの」


 ブランシュが口を開くと、ノアはその先を待つようにじっとブランシュを見た。いつでもこの人の目には労りがある。


「あの人たちに捕まっていたクロディーさんも宿に泊まってもらいました。それでいいんですよね?」

「ああ。明日になったら詳しい事情を聞こう」


 ノアとは話をしたいと思っていたのに、いざとなると上手く頭が働かない。すり抜けていく言葉をかき集めているうちにノアが言った。


「彼らのことは捕らえて部下が見ているから、もう心配は要らない。……また捕まったりして怖かっただろう? ブランシュの心痛が増したかと思って、こんな時間だが少し様子を見に来ただけなんだ」


 ノアはブランシュを心配して来てくれたのだ。嬉しい反面、その嬉しさに隙間風が吹く。

 ブランシュは両手を広げ、潤んだ瞳でノアを見上げた。


「じゃあ、抱き締めてください」


 そうしてくれたら、怖さも不安も消し飛ぶと思えた。

 けれど、ノアはその場で立ち尽くしたまま、腕を持ち上げることなく拳を握っただけだった。


「そういうことは――」


 ノアは何かをつぶやいたが、ブランシュは悲しくてぼうっとしてしまって、よく聞こえなかった。ただ、そういうことはよくないと言ったような内容だったように感じ取れた。

 やはり、本気で結婚なんて考えていないのだ。


 ノアはただ、弱者には等しく優しいだけで。

 静かに泣き出したブランシュに、ノアは戸惑っていた。それが自分のせいだとは気づかないらしい。


「もう怖いことは何もないから――」


 そうじゃない。

 そんな的外れな慰めは要らない。

 ブランシュは泣きながらノアを睨むように見上げていた。


「ノア様の本心を聞かせてください」

「本心?」


 鼻の奥が痛くなって、ブランシュは一度目を閉じ、それから覚悟を決めた。


「本当はわたしと結婚するつもりなんてありませんよね?」


 これを言ったら、ノアは驚いたような表情をした。鈍そうなブランシュに言い当てられたことに対する驚きだろうか。

 そう思ったけれど、ノアはとっさに言葉が出ないようにも見えた。そんな演技ができる人だったとは意外だ。


「だって、ノア様はわたしがすでに結婚してるって話をしてからよそよそしくなりましたよね? 本当はその時点でわたしのことを好きじゃなくなってたのに、素直にそう言わないのも優しさですか?」


 自分で言って、傷ついた。本当に血が流れているのではないかと思うほど胸が痛い。

 人の心は日々変化していく。これは自然なことだ。だから、心変わりを責めても仕方ないのに、止められない。


 それでも、ノアは硬い表情のままかぶりを振った。


「よそよそしくしたつもりはない」


 まだ認めない。ただ困っている。


「そうでしょうか? わたしがノア様に触れると、決まって距離を取られました。好きならそんなのおかしいですよね」


 好きなら触れたいと思うのが自然なことだと、ブランシュ自身が感じている。少なくとも、ブランシュはノアに触れたいし、触れてほしい。

 そうすることで気持ちを確かめたかった。

 堪えきれない涙が零れる。それを見たノアが痛々しく顔を歪めた。


「それは……」

「わかってます! どうしたって、わたしがノア様に相応しくないってことくらい、わかっ――」


 視界が急に狭まり、何も見えなくなった。

 ノアがブランシュの頭を自分の胸元に押しつけたせいだと、体を締めつける力でわかった。


「そんなことを言うな。相応しくないなんてことは絶対にない」


 悲しそうな声で言う。

 こうしていると、ブランシュにもノアの心音が聞こえる。この音は嘘をつかない。


「俺は、君がそんなふうに受け取るなんて少しも考えつかなかった。俺の考えは伝わっていると勝手に思っていた」

「ノア様の考え?」


 ヒクッとしゃくり上げる。ノアはうなずいたようだった。


「君が書類上だろうと、まだ他の男の妻のうちにあまり触れるのはよくないから」

「そんなこと……」


 そんなこと、気にする必要があっただろうか。

 けれど、四角四面なノアの性質なら、すべて正しいと思える方を選ぼうとする。人に後ろ指を指されるようなことはしないのだ。


 ただ、それが誰のためなのかと言えば、ノア自身のためではないのかもしれない。自分が仕える皇帝や、関わる人々のためであったりするのだろう。それに思い当たると、ブランシュは自分がひどいわがままを言ったような気分になった。


 それでもノアは怒らなかった。包み込むように、柔らかく言葉をくれる。


「それから……、俺が軽はずみに触れたら、自分が傷物だから軽んじられていると受け取ってさらに傷つくかもしれないとも考えた」

「傷物……」

「いや、言葉が悪かった。その、初夜のことなんて思い出したくもないだろうに」


 とても苦しそうに言われた。

 ブランシュがどういう意味だろうかと考えていると、ノアはブランシュを抱き締める腕に痛いくらいの力を込めた。


「すまない、思い出さなくていい。忘れたままでいてくれ。君は何も悪くないし、俺が受け止めるから」


 ノアは何を必死になって伝えようとしてくれているのだろう。

 大体、思い出すも何も、初夜なんてなかったのに。


「初夜って、その、夫婦が共寝することですよね? わたし、その前に逃げてますけど」


 それを言うと、ノアは素の声で、えっ? と声を漏らした。


「あの人、結婚式が終わった後、わたしのこと趣味じゃないって言って放り出したまま酒盛りしてましたから、その隙に逃げたんです」

「……縛られたまま全部終わったというのは?」

「そうですよ、結婚式が最後まで全部――」


 そこでブランシュは、ノアが何を勘違いしていたのかに気づき、涙も引っ込んでただ顔を赤くして叫んだ。


「ノア様! わたし、初夜どころか猿轡をされたままで誓いのキスだってしてません!」


 でかい声で言うことではない。

 ノアの方が大変焦ったのは言うまでもない。


「わ、わかったから」


 この何事にも動じないといった(てい)でいる将軍が、こんな小娘の言動に振り回されていると誰が思うだろうか。

 ブランシュは、そんな誤解を受けたままでいた恥ずかしさも手伝って饒舌になった。


「それと! 一緒に捕まっていた女性があの人の最初の奥さんだったんです! 死んだと思っていたら実は生きていて、そうすると私とは重婚になるから、本当はわたしとの結婚なんて成立していなかったってっ」


 これを言ったら、ノアは急に自分の口元を押さえた。

 ノアを見上げると、わかりづらいけれど少し赤くなっている。


「それは本人が言ったのか?」

「そうです」

「帝都に戻ってからちゃんと確かめる」

「はい、お願いします」


 そこでノアと目が合う。ノアの腕が再びブランシュを包んだ。

 この大きなあたたかい手はとても力が強いのに、驚くほどの安心感がある。


「――君に触れてはいけない理由がなくなってしまった」

「残念そうに言わないでください」


 思わず憎まれ口を叩いたら、ノアが笑っていた。

 この時、ノアがどれくらい安堵していたのか、今になってブランシュにもようやく伝わった。


「……わたし、人から大事にされることに慣れていないんです。だから、ノア様がそんなふうにわたしのことを考えてくださるなんて思っていませんでした。平凡なわたしが、ノア様みたいに立派な方に好きでいてもらえるなんて奇跡なんです。だから、いつも何かの間違いなんじゃないかって不安になるんです。ごめんなさい」


 たった一人の味方のはずの母も、ブランシュが一番大切ではなかった。それを言い遺された時、もう誰もブランシュの味方はいないと半ば諦めた。

 けれどこの人は、そんなブランシュに寄り添っていてくれる。


「不安なんて、多分俺にだって同じくらいある。俺たちはまだ出会ってそれほど経っていないから、互いの考え方や弱みも全部出しきったわけじゃない。こういう行き違いはこれからもあるんだろう。それでも少しずつ改善していくから、一緒にいてくれ」

「……はい」


 ノアの背中に腕を回し、いつまでもしがみついて心地よい熱を感じていると、ノアがやんわりと体を離しにかかった。

 もっとこうしていたいなと思っていたら、ノアの手がブランシュの頬を撫でた。その手に首を預けて擦り寄ると、カクン、と首が上に向けられる。


 触れ合う程度の軽いものだけれど、初めてキスをしてくれた。それだけでブランシュは嬉しかった。恥ずかしさもあったけれど、やぱり嬉しさが勝る。

 ふわっと微笑んだら、ノアは一度動きを止め急にブランシュの膝の裏に腕を回して横抱きに抱え上げた。


「ノ、ノア様?」


 軽々と持ち上げられ、何故か椅子ではなくテーブルの上に座らされた。きょとんとしていると、ノアがテーブルに手を突いた。

 そのまま二人の顔が近づき、二度目のキスをした。

 それにしても――さっきのがとても優しかったから、二度目は別人かと思った。


「ん……っ」


 いつもの冷静さが嘘のように、熱の籠ったキスを繰り返す。

 ノアにもこんな一面があるのだと思ったのは、後になって落ち着いてからだった。不安定なテーブルの上、落ちないように必死でノアにしがみついていた。


「だから……」


 唇を離したノアがうつむいたまポツリと零す。


「部屋に入るのを躊躇ったんだ。抑えが利かなくなる」


 なんとなく、正直なノアを可愛いと思った。


「我慢されてたんですか? しなくてもいいのに」

「煽るのはやめてくれ」

「えー?」


 ブランシュはクスクスと笑った。ノアも笑っていた。

 とても満たされた気分だった。


 この人は、ブランシュがセヴランに乱暴されたと思い込んでいて、それでさえブランシュを受け入れるつもりをしてくれていた。ブランシュが思う以上に懐が深い。

 皇帝に、私の忠臣を見くびるなと叱られそうだ。


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