17◇捕縛
路地に近づいた時、その先から言い争う声がした。
窓ガラスが割れている古い建物から明かりが漏れている。
まさかとは思うけれど、ブランシュは捕まっているのだろうか。
町でセヴランを見かけて、逃げられては困ると後をつけたのかもしれない。ブランシュにはそういう無謀なところがある。
そんな予感は的中してほしくなかったが、ブランシュの叫びがその割れた窓の内側から発せられた。
「ノア様――っ!」
それが聞こえた途端、他のことは吹き飛んでいた。ただ心臓をギュッと縮ませる。
急ぎ飛びついたドアには鍵がかかっていたが、老朽化が進んでいたようだ。ドアノブを力いっぱい引っ張ったところ、錆びた釘が折れた。ドアはその役割を果たさなくなり、中途半端にぶら下がった。
そのドアをもぎ取って入り口を広げると、壁際にいたブランシュが見えた。
ブランシュはノアの姿が見えるなりパッと目だけ輝かせたが、見知らぬ男に押さえつけられている。そして、金髪の青年――セヴランらしき男が割れたビンを手にブランシュに迫っていた。
何があってのこの状態かはわからないが、ブランシュの危機であることだけは確かだった。
セヴランは怒り心頭のノアを見て、震える唇でつぶやく。
「ま、まさか……ノア・オルグ将軍……?」
「生憎と、そのまさかだ」
それだけ吐き捨てると、ノアはものの数歩でセヴランに近づき、ビンを持った手首を捻り上げた。
「っ……!」
セヴランはあっさりとビンを手放し、その残骸はガシャンと音を立てて足元で崩れた。
ノアはセヴランのクラバットを着けた胸倉をつかみ、片手で吊り上げると、室内にいた赤ら顔の男に向かって投げつけた。セヴランのシャツがビッと音を立てて破れ、受け止められずに潰された男が蛙のような悲鳴を上げた。
よく見ると、ブランシュの他にも縄目に遭っている女性がいる。彼女が誰かは知らないが、状況からしてセヴランたちの被害者だろう。
ブランシュを捕まえている紳士風の男は多分、弁護士のダルコスだろう。ブランシュは彼もひどい悪党だと言っていた。
「ノア様!」
涙目のブランシュをノアの方に突き飛ばし、ダルコスは一人だけ逃げようとした。
ノアはブランシュを受け止めると、すかさずダルコスの足を払って転がした。
その拍子に窓ガラスの破片で手を切ったらしく、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てながら血を流す。こういう悪党ほど自分の傷や痛みには弱いらしい。
「ブランシュ、あの女性と一緒に避難しているんだ」
手短に言うと、ブランシュは力いっぱいうなずいた。
「わかりました! 途中で人を呼んできます!」
「ああ、頼む」
ノアは携帯していた縄を取り出し、騒いでいるダルコスを手早く縛る。ブランシュはぐったりしているセヴランを気にしつつ、もう一人の女性のそばに行って猿轡を外した。そして、硬い縄目は解けないと察し、落ちていたガラス片を拾って縄を切ったようだ。
「さあ、急ぎましょう!」
怯えて声も出せないでいる女性の手を引き、ブランシュは去った。
とにかく、ブランシュたちを逃がせてほっとした。ただし、ブランシュがこの場からいなくなった途端、ノアの顔に僅かに残っていた柔らかさが一切消え失せたけれど――。
「だ、大丈夫ですかっ?」
そこで、ブランシュが呼びかけてくれたらしき助けがすぐに現れた。
二人の青年が来たことによって、ノアは自制心を取り戻した。このまま人目がなかったら何をしていたかわからない。それくらいの憎悪が腹の底で煮え滾っている。
呼吸を落ち着け、彼らに手伝ってもらいながらセヴランたちを拘束した。
昏倒していたセヴランはようやく目を覚ましたが、しばらくぼうっとしていた。その腕をつかんで乱暴に立たせる。
「お前たちには聞きたいことがある。帝都まで連行する」
正直、この瞬間でさえ顔が判別できなくなるまで殴ってやりたかった。セヴランの傷は額をぶつけた程度でしかない。ブランシュが味わった苦しみを思えば、もっと傷つけてやりたい。
腕をつかむ手に余分な力が籠る。骨が軋む痛みはあるはずが、セヴランは未だに呆然とノアを見上げている。まだ頭が働かないのだろうか。
ノアは目で射殺せるほどの鋭さをセヴランに向けた。
しかし――。
「あ、あの……オルグ将軍にはずっとお会いしたいと思っておりました」
セヴランはまったく怯んでいなかった。
それどころか、この状況でズレたことを言い出す始末である。
「俺に会いたかった?」
「は、はい! 一度帝都でお見かけしたことがあって、それからずっと憧れていてっ」
頬をポッと染めて言われた。
「…………」
ノアはまだセヴランの手首をつかんでいたが、なんとなくセヴランがノアの二の腕に寄り添っているような気がした。頬を肩に擦りつけられた時、ゾワッと得も言われぬ寒気がしたのだが、それがどこから来るものなのかはわからない。
この男はブランシュを騙して傷つけた張本人なのだから、しっかりと罰してやりたい。それなのに、ノアが何を言ってもセヴランは嬉しそうで薄気味悪い。
「しょ、将軍! 早く私の手当てを! 死んでしまいます!」
ダルコスは涙ながらに訴えるが、どう見ても手を切っただけのかすり傷である。血に弱いにもほどがある。
「あ、あっしは関係ねぇんです。後ろ暗いことなんてなぁんにもしてねぇんで」
赤ら顔のなんでも屋はそんなことを言った。
「後ろ暗くないのなら話を聞かせてもらっても困らないだろう?」
「いや、それは、その、あれで……」
それぞれにうるさいダルコスとなんでも屋を無視していると、騒ぎを聞きつけたノアの部下たちも到着した。
とはいえ、今日はもう遅く、帝都に向けて馬車を走らせるのは無理だろう。このあばら家で夜を明かし、明日の朝に帝都へ向けて出立することにした。
ノアは部下にしばらくの間セヴランたちを託し、ブランシュの様子を窺いに行く。




