7◇想定外の事情
またアミルカーレが何か企んでいるような気がした。
いつものことではあるし、アミルカーレの策略は結果を出すというのもわかっている。だからノアは問い質すこともせずに言われるがまま連れてこられた。
どうもブランシュのところに向かっている気がする。しかし、何故ここに后がいるのかがわからない。
アミルカーレの后はノアよりもひとつ年下だが、大柄なノアに気後れするような女性ではない。いつでも堂々としている。
誰から見ても美人で、アミルカーレの隣に立つ女性は容姿に劣等感を抱きがちだが、彼女に関してはそんな必要もないだろう。
彼女はアミルカーレの数少ない弱点だと思われる。
今、ノアの隣にいる后はニコニコしているばかりで何の説明もしてくれなかった。
「よし、少し待っていろ」
「畏まりました」
と、夫婦間でしかわからない合図を目で送り合う。この夫婦は似た者同士だ。
しばらく所定の位置で待っていると、アミルカーレとブランシュのやり取りが聞こえてきてドキリとした。ブランシュは相手が皇帝だというのに、恐れて声も上げられないというふうではなかった。それどころか、わりと文句を言っていた。
そのやり取りでわかることは、ブランシュには何か結婚の障りになる事情があり、そのせいで苦しんでいるのだということ。
「わたしだって、できるならノア様と結婚したかったんです!」
ブランシュの声でその言葉が聞けた時、素直に嬉しかった。多分、どんな勲章をもらった時よりも。ブランシュの心は、ノアが本気で欲したものだからだろうか。
同時に、ブランシュの抱える事情を全力で解決しようと心に決めた。それがどんなことであっても。
「面倒くさすぎて手に追えんが、一応そういうことらしい。あとは自分で話を詰めろ」
アミルカーレに言われ、ノアは我に返った。
后とブランシュに何やらよくわからない会話があったけれど、そこは置いておく。ミュリエルというのはプレオベール公爵令嬢の名だが、何故ここで出てきたのだろう。
ノアが部屋に踏み込むと、後ろで扉が閉められた。バタン、という音にブランシュが飛び上がりそうになる。
「あ、あの、今のは……っ」
連日泣いてばかりで、ブランシュの目が腫れている。まだ目元を擦ろうとするから、ノアはブランシュの手首をつかんで止めた。
「まず、君が抱える事情を話してほしい」
「それは……」
細い肩が震える。何をそんなに怯えているのだろう。
それを知りたいのに。もどかしさが募る。
すると、ブランシュがボソリと言った。
「聞いたら、ノア様はわたしを嫌いになるかもしれません」
そんなことを言うから、即答した。
「ならない」
「まだ何も聞いてないでしょうっ?」
怒ったふうに言われた。
そんなブランシュを宥めるように、なるべく穏やかに告げる。
「どんなことを言われても、俺が知っているブランシュを信じているから」
ブランシュはまた目に涙を浮かべた。そしてうつむくと、消え入りそうな声で言った。
「……わたし、もう結婚しているんです」
それは、ノアにとって想定外のひと言だった。
だから、当然のごとく返答も用意されてはいなかった。
動揺したのが目に見えてしまったのか、ブランシュは顔を上げたかと思うと悲しそうに涙を零した。
「わたし、何もよくわかっていなくて、その人が本当はひどい人だって事前に気づいて、やっぱり結婚は嫌だって伝えたんです。でも、そうしたらその人は怒ってわたしを縛って、抵抗できないでいるうちに全部終わってしまって――」
必死で逃げてきた様子が見えた彼女。
殴られたような痣。
ひどく怯えていて、隠れるところを探していた。
それらがこう繋がる。
――眩暈がしそうだった。
「なんとか逃げ出せて、ノア様のところで休ませて頂けて、それでやっと生きた心地がしました。他に結婚したい人ができた時にどうしたらいいのかなんて、まだ考えられていなくて……。わたしが望んでいない結婚だったけど、それでも成立してしまったのなら、ノア様はもうわたしと結婚したいなんて言ってくださらないと思って、言えなくて……」
いつもどこか頼りなくて、たどたどしいブランシュを騙すことなど簡単だっただろう。
それにしても、こんなことが許されていいのだろうか。
縛られている間に全部終わってしまったと。
そんな卑劣漢に体を開かされ、どんなにつらかったことだろう。
目の前で泣いているブランシュが痛々しく、そして何物にも代えがたく愛おしかった。
「よく話してくれた。その事情を二人で解決していこう。離婚が成立したら、俺と結婚してもいいと言ってくれると嬉しい」
目を見て、心を込めて伝えた。
ブランシュはくしゃりと顔を歪めた。
「はい。わたし、ノア様のことが好きです。ずっと一緒にいたいです」
思いきりブランシュのことを抱き締めたいと思った。
けれど、今の彼女はまだ人妻だから、それをしてはいけない。
ブランシュは何も悪くないけれど、他の男との触れ合いに罪悪感を抱かせたくなかった。大事にしたいと思うほど、今はまだ触れられない。
ノアはこれまでの人生でまだ見ぬ相手に殺意を覚えた。殺すのは生ぬるい。死ぬほどの絶望を味わえばいいと願わずにはいられなかった。




