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亡き皇帝のためのパヴァーヌ  作者: 五十鈴 りく
第1部✤亡き皇帝のためのパヴァーヌ✤
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3◆祖父の遺言書

 小さな狭いリビングに男性が二人も入ったら、もうそれだけで手狭だった。椅子も二脚しかなく、ブランシュは二人に勧めたけれど、セヴランはやんわりと断ってブランシュを座らせ、自分は壁を背にして立っていた。


 ダルコスはブランシュの正面に座り、(トランク)を机の上に置いてそこから書類を取り出した。上質な紙に見えた。

 そこに震える文字が書き連ねてある。


 読んでもいいものなのか戸惑いながらブランシュが顔を上げると、ダルコスはにこりと柔和に笑った。


「これはあなたのおじい様の遺言書です」

「おじい様?」


 そんな人には会ったことがない。けれど、母だって、多分父だって人の子なのだから、最低で二人はいてもおかしくないのだ。

 父に関しては、ブランシュは何も知らない。母は語りたがらなかったから。


 けれど、グリマレにいた時、何度か同じ男性が訪ねてきたことがあった。その人が来ると、母は決まってブランシュを部屋の奥へと追いやった。だから、ブランシュの中ではあの男性が父なのだろうと考えていた。

 今にして思えば、いかにも訳ありで、他に家庭があったのだと推測される。


 そんな生活をしていたブランシュには、家族の面影を追うことは難しかった。祖父と言われてもどんな人たちなのか、まるで想像がつかない。

 ブランシュは落ち着かないまま考え込んでしまったが、ダルコスは続けた。


「先代メファノ伯爵があなたのおじい様です。そして、お父上はメファノ伯爵ご当主ということ。あなたは伯爵家のお血筋なのです。そのことはあなたを育てた女性から聞かされてはいないのですね?」


 あなたを育てた女性。

 ――母とは言わないのか。


 少しも似ていないと、人に言われるまでもなく思っていた。父親かと思っていた男性とも似ていなかった。それは、どちらもブランシュの両親ではなかったからなのか。


 膝の上でエプロンを握り締め、ゆるくかぶりを振った。最期まで、母は母のままで逝った。

 ダルコスはうなずく。


「彼女はメファノ家のメイドでした。あなたは伯爵と正妻との間に生まれた正当なお血筋です。ただ、メファノ家は跡取りとなる男児を求めておられた。女児では爵位と財産を相続することができません。次の子が生まれればそれでもよいのですが、生憎と奥様はもう妊娠は見込めないお体なのだそうです。仕方なくあなたを手放し、生まれた子は男児であったとして、子のすり替えは行なわれました。奥様は自分が産んだのは男児だと信じておられるそうです。その男児は、メファノ家のメイドの私生児でした」


 震えが止まらない。

 母はいつでも優しかったけれど、どこか踏み込めないものも抱えていた。時折妙によそよそしくなって、そのたびにブランシュは自分がいけないことをしたのだと思い込んだ。

 あれは――自らの子を奪われた母の悲しみだったのだろうか。


 そして、自分の子供ではない赤ん坊を押しつけられた女性の。

 あまりの話の大きさに、ブランシュはとてもついていけなかった。貴族の子だと言われても嬉しくない。母の子でありたかった。そうでなければ、この話が本当なら、母が可哀想すぎる。


「真相を知る人間はごく僅かです。あなたのおじい様はとても心を痛めておいででした。本当の孫であるあなたをずっと気にかけておられ、そしてこの遺言書を遺されたのです。――死に逝く老いた身で、不憫な孫娘のためにしてやれることはそう多くない。だから、信頼のおける人物に孫娘を託したい。セヴラン・シャルデニーに。彼ならば孫娘を大切に護ってくれるはずだから、と」

「託す……」


 ブランシュは、緊張のあまりセヴランの方を向けなかった。それでも、セヴランが壁際から動いたのはわかった。


「つまり、苦労ばかりして生きてきた君をこれから幸せにできる人物として、先代メファノ伯が僕を選んでくださったんだ。僕も先代にはとても目をかけて頂いたから、僕としてもその恩に報いたいと考えている。つまり、君を僕の妻に迎えるということだが――」


 思わず立ち上がってしまったブランシュは、恥ずかしさのあまり口元を押さえてその場にうずくまった。そうしたら、セヴランは床に膝を突いてブランシュの頭を撫でた。


「無理強いはしないが、こんな寂しいところに君を独りで置いていくのは心配だな。会ったばかりで言うのもなんだが、縁がある君だから」


 ――前に、こんなふうに頭を撫でてもらったのはいつのことだろうか。

 ほっとして、体中の力が抜けていく。


 縁というものが急に降って湧くものなのだとしたら、これがそうでないとは言いきれない。

 この世には誰も本当の味方はいなくて、家族もいなくて、ブランシュは自分がただ独りのような気がしていた。それが本当は違って、こんな結末が用意されていたのなら、人生はわからない。


「ほ、本当にわたしでよいのでしょうか?」


 感情が込み上げてきて、みっともなく声がかすれた。

 顔を覆った指の隙間からセヴランを見上げると、彼はとても優しくうなずいていた。


「ああ。よろしく、僕の奥様」


 そう言って、セヴランはブランシュの荒れた手を取り、甲に口づけた。


 こんなに立派な人が夫だなんて、いいのだろうか。

 祖父への恩義からブランシュを娶ると言うが、ブランシュをつまらない娘だと感じたりはしないだろうか。


 いや、そんなふうに疑うのはよくないことだ。

 この人のことだけは何があっても信じなくては。この人はブランシュの伴侶なのだから。


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