4◇特別なひと
ブランシュには本気で嫌がられている気がしてきた。
悩み始めるとよく眠れなかった。それが顔に出ていたのか、アミルカーレはノアの顔を見るなり噴き出した。ひどい話だ。
「よし、脈がない娘は諦めろ。私が世話をしてやると言っただろう? そちらに期待して待て」
「……誰でもいいと言ったつもりはありませんが」
「だから、目を見張るくらいの美女を連れてきてやる。それとも、ブランシュに似た娘がいいか?」
「似ていても別人は別人です」
「面倒くさいヤツだな」
雑なことを言われた。
これでもアミルカーレには后がいるのだ。子はまだないが、夫婦仲はいい。
「今回のことでお后様の御心痛は計り知れなかったでしょう? どう詫びられたのですか?」
ため息交じりに言ったら、あっさりと返された。
「そんなもの、最初に告げてから出かけた。私が死んだとする凶報を告げられても信じるなとな」
「それは俺にも告げてほしかったものですね」
ぼやいたノアの肩をアミルカーレはポンポン、とごまかすように叩いた。
「とりあえず、別の女にも会うだけ会ってみろ。きっと気に入る」
優しく言われたが、面白がっているのではないかと思われた。
「――俺のことよりも戦局はどうなっているのですか?」
話し合わなくてはならないのはむしろこの話題だ。
しかし、それもアミルカーレにはサラリと躱されてしまう。
「今は元帥に一任してある。レミーも向かわせたのでな、しばらくは善戦してくれるだろう」
だからお前が今心配しなくてはならないのは、そこではないとでも言うのだろうか。
もしかすると、アミルカーレはノアの中に潜むという無茶な術で体に負担がかかっていて、それが回復しきれていないのではないかという気もする。直接訊ねてもはぐらかされてしまうのはわかっているが、なんとなくそう思った。
それをごまかすためにノアの世話を焼き、戦地へ戻るまでの時間を稼いでいるような。
そうでなければ、この状況でノアの結婚話などに首を突っ込まないのではないだろうか。
ノアとしては、ここで腑抜けているよりは戦場へ向かった方が役に立てる気がしたけれど。
翌日になって日を跨いだから、もうブランシュに会いに行ってもいいだろうか。
彼女の顔が見たかった。できることならば笑顔を見たい。
このところ、ブランシュは困った表情を浮かべるばかりで笑うことがなくなっていた。
そうさせているのはノアなのだと思うと余計に心苦しい。
それでも会いたいと願ってしまう。
少しの葛藤の末、ノアはブランシュがいる部屋に向かう。
いつまでも王宮にブランシュがいるのはおかしなことかもしれない。
もともと、ブランシュはバルテスに頼んで安定して暮らせるところを世話するつもりだった。ブランシュも多分そのつもりだったのに、ノアが手を放せないでいるからこんな中途半端なことになっている。
結論を急いではいけないけれど、どうすべきだろうか。ノアの屋敷へ移ってもらうと、余計にブランシュには気詰まりかもしれない。
そんなことを考えながら回廊を歩いてると、進行方向に見知った令嬢が待ち構えていた。
プレオベール公爵令嬢だ。何度か夜会で会ったことがある。
軽く挨拶を交わしてすり抜けようとしたのだが、彼女は扇で顔を半分隠しながらキッとノアを睨んだ。
「……将軍ともあろう御方が、あのような庶民に求婚なさるなんて驚きですわ」
それほど親しくもない令嬢にまでこんなことを言われるとは思わず、ノアはげんなりとした。
「将軍の妻として抜擢したのではなく、私個人が求めただけです」
正直にそう言うと、彼女の扇を持つ手が震えた。
「わたくしは、あなたがいつかわたくしを選んでくださる日を待ち望んでおりましたのに!」
驚くようなことを言われた。そんなつもりは一切なかったのに。
「陛下のお気に入りで、武人としての功績もおありになって、尚且つ侯爵位のあなたがどうしてあんなっ! わたくしの方が余程相応しいはずでしょうっ?」
相応しいとか相応しくないとか、そんなことを言われて嬉しいはずもない。それがわからないのは何故だろう。
そんな令嬢に、ノアはポツリと言った。
「将軍の位を剥奪され、断頭台に立ったままの私だったらどうですか? それでも相応しいと感じてもらえましたか?」
「その罪状は誤りだったはず。現にあなたはまだ将軍で、侯爵ですから」
「……あなたは断頭台の前に飛び出すようなことはしなかったでしょうね」
傷つけたいわけではないけれど、皮肉な言葉をつぶやいてしまった。それはブランシュを侮辱されたからかもしれない。
この令嬢に限らず、他の誰もあんなことはしなかっただろう。
ブランシュだけが特別だった。
「あなたという人は……っ」
矜持を傷つけられた令嬢は顔を朱に染めたけれど、ノアは小さく詫びてさっさと彼女の前から去った。
やはり、他の女性にブランシュと同じほどの執着を持てる気がしなかった。
ノアが顔を見せると、やはりブランシュは困った顔をした。これに傷つくのは勝手だろう。
「あの、ノア様。わたし、いつまでここにいるのでしょう?」
やはりブランシュも気になるようだ。ノアは軍務があるからまだ帰れないが、ノアの屋敷へ行きたいのなら行ってもらってもいい。それを告げようかと思ったのだが、ブランシュの目が赤いことに気づいてしまった。
まるで夜通し泣いていたかのような目をしている。
本当に困らせてしまったのだな、とノアは自己嫌悪で苦しくなった。
ブランシュを悲しませたいわけではないのに。
――思えば、ノアは昔から欲がなかった。
出世など望んでいなかったが、アミルカーレの役に立とうとした。それで気づけば将軍になっていただけで、そこを目指したつもりではなかったのだ。
執着も薄く、自分の命でさえ諦めて手放そうとしていた。
そんなノアは、愛しい娘ができたとしても、その娘が振り向いてくれるまでつきまとうようなことはしない。
諦めてやることが彼女のためなのだと割りきる。
つらいのが自分だけならば、耐えればよいのだから。
「……今朝、陛下から俺の結婚相手を用意すると言われた。あまり君を困らせるなということだろう」
これでいいと、何度も自分に言い聞かせる。
そのくせ、本心では部屋に踏み入って追い詰めたいような気もしている。腕の中に閉じ込めて、気持ちを押しつけてしまいそうになる。
本当の自分はこんな人間だったらしい。そんなことも知らなかった。
ブランシュはハッとしてノアを見上げた。髪が揺れ、そして収まる。
「無理を言ってすまなかった。それでも、君の今後についてはなるべく力になりたいと思う。その件に関してだけは頼ってくれていい」
一瞬、ブランシュは何かを言いかけて口を開いた。けれど、すぐにそれを呑み込む。
うつむきがちに言った言葉が揺らいでいた。
「わたしは、困ってなんていません。ノア様に困らされてなんて……」
それでも、ブランシュは心を閉ざした。
ノアにはそれがわかった。
だから、多分、これでブランシュは泣かずに眠れるだろう。




