2◇粛清
――まさか、ブランシュにあんなにも困った表情をされるとは思ってもみなかった。
嫌われてはいないはずだったが、慕われているといってもそれは恋慕とは違うのか。
世話を焼いて懐かれただけで、ブランシュにとってノアは恋愛対象としては見られない存在だったのかもしれない。
ノアの方が勝手に彼女に恋をした。それだけのことだった。
あんな若い娘を相手に何をやっているのだろう、と今更になって恥ずかしくなる。
今は私事に頭を悩ませている場合ではないのだから、身を入れてアミルカーレの守護と戦の終息に務めなくては。
わかっているけれど、頭の中から完全にブランシュを締め出すのが難しかった。
アミルカーレはノアとペリエを従えて堂々と王宮に凱旋するなり、玉座の間で右往左往するグェンダルを捕まえた。朱色の垂れ幕は、グェンダルを少しも神々しくは見せていなかった。その色はアミルカーレだけを輝かせる。
「その席はまだ私のものだ。控えよ」
「は、はぃ……っ」
颯爽と歩み、煌びやかな玉座に腰を据えると、ひれ伏した異母弟に向かって意地悪く微笑んだ。
「私を亡き者にせんと企んだ者がおる。私がいなくなればその者は動き出すだろうと思い、しばらく様子を見ることにしたのだが」
グェンダルは震え、ひと回りもふた回りも縮んだように見えた。しかし、ただ立ってその場を眺めているラグレーンは顔色ひとつ変えない。
「私を葬れば、グェンが帝位に就いた際、我が国土のエスピナス領を譲り渡すとドルジア王と密約を交わしたらしいな?」
ドルジア王国は東の国だ。東方魔術という、この国の形態とはまた違う魔術を扱う。あの黒尽くめの魔術師たちはドルジア王の放った刺客だったのか。
「そ、そのような事実は……」
グェンダルはどうすれば言い逃れられるのか、必死で考えていただろう。
けれど、ラグレーンはそんなグェンダルに見切りをつけていた。なんの助け船も出さない。
アミルカーレが本気で追放すべく戦っているのは、異母弟ではなくこの宰相なのだ。
「ラグレーン、貴公はどうだ? 身に覚えがないとするか?」
「まったくもって、寝耳に水でございますな」
この場でまだ笑顔を浮かべていられる。それでも、アミルカーレには叶わない。
「ほう。ではグェンに聞こう。宰相殿は潔白か?」
その言葉にグェンダルは飛びついた。
「いいえ! 私に話を持ち掛けたのも、実行に移したのも、すべてラグレーンです! 私は、兄上が本当にお亡くなりになるとは思えず、ラグレーンの計画を話半分に聞いていました。兄上がお亡くなりになったという報せが届いてから、私は……」
「よくわかった。とりあえず、二人とも牢へ入れておけ」
二人は暴れなかった。グェンダルは力尽きており、ラグレーンはアミルカーレに憎悪の目を向けながらも連行されていく。
彼らが去ると、アミルカーレは深々と嘆息した。さすがに疲れているらしい。
「……あの時の魔術師集団はドルジアの者たちでしたか」
ノアがポソリとつぶやくと、アミルカーレと一緒にペリエまでもが目を剥いた。
「将軍、あなたという御方は本当に……」
ペリエが信じられないものを見たかのような顔をしている。何が言いたいのだろう。
アミルカーレは何故か楽しそうに笑っていた。
「純粋な男だろう? あまり虐めるな」
「いえ、こういう御方だったからこそ上手くいったのですが」
わからないことを言う。
ノアが憮然とすると、アミルカーレがいつになく優しい目をしていた。
「あれは狂言だ。あの魔術師たちはこのレミーを始めとする魔術師団が作った動く人形に過ぎない」
「えっ?」
「ドルジアとの密約を突き止めた後、お前に私が一緒に海へ落ちたと証言させるために仕組んだ。それから、完全に気配を消すために特殊な術を使ってお前の中に同化させてもらって、それで舞台が整うまで待っていたのだ。毎日コツコツと気づかれないように気をつけつつ、お前に調和の術をかけて準備しておいた」
「お、俺の中……」
「安心しろ。中にいても、お前の思考までは盗み見ることはしていない。まあ、あの娘とのやり取りくらいは知っているが、聞かれて困るような話もしていなかっただろう?」
本当に、アミルカーレはとんでもないことをする。
改めてそれを思った。
ノアはアミルカーレに向けてずいっと大股で一歩進み、低い声で告げる。
「二度としないで頂きたい」
さすがに今回のことはあんまりだ。怒ってもいいだろう。
アミルカーレも多少は悪いと思ってくれているのか、気まずそうだった。
「しない。悪かった。だが、これでこの国はもっと過ごしやすくなる。お前も結婚するのなら平和な国がいいだろう?」
これを言われたら、ノアの方が固まってしまった。
結婚――。
今は、とても大事なことを軽はずみに口にしてしまった気がしている。
「ブランシュは面白い娘だ。それに勇気がある。もちろん許可してやるぞ」
と、綺麗に微笑まれた。
それに対し、ノアは見る見るうちに萎れたのだった。
「い、いえ。それは彼女次第で、まだ決まったわけでは……」
「ああ、断られることもあるか」
あまりにはっきりと言うから、ノアの方がグサリと来た。
アミルカーレは、まさかノアで遊んでいるのではないかと思いたくなるほど楽しそうに見えた。さっきペリエには虐めるなと言ったくせに。
「しかし、お前に結婚の意思があるとは思わなかった。一生独身でいいと言い出しそうな気がしていた」
「自分でも驚いています」
ノアが結婚しなければ家が絶えてしまうのに、結婚に前向きにはなれなかった。それがこの数日で覆ったのだからわからないものだ。
「それなら、ブランシュが駄目だったら他の女でもいいか?」
「はっ?」
「いや、どうも彼女は乗り気ではないようだから、断られた場合、私がお前に見合った花嫁を見繕ってやる。前からそのつもりをしていたのだ」
「ま、前から?」
「だから心配するな」
呆然としているノアに、アミルカーレは微笑むばかりだった。
――余計に心配になった。




