22◆加護
冷たい拘留所で、ノアは頭を空にしていた。
ただ瞑目してアミルカーレに詫びる。
生きろという命令に背くことを。
あれは命令などではなく頼み事であったのかもしれない。
どちらにせよ、従えない。あの世で叱られよう。
この時、扉についた格子窓が開いてそこから声をかけられた。
「失礼致します。あなたに面会に来られた方がいらっしゃいますが、どうなさいますか?」
「面会?」
「ええ。家令だという老人と、その孫らしき若い娘です」
未婚のバルテスに孫などいない。その娘はきっとブランシュだ。
まさかここまで来るとは思わなかった。バルテスを動かしたのもブランシュなのだろうか。
そうでなければ、バルテスは主の意向を尊重したはずだ。
――別れは済ませた。
会って、それで。
これ以上どうしろというのだ。
それよりも、どこか遠くに行ってほしい。自分のことは忘れてほしい。
この首と胴が離れるような光景を見せたくはないのに。
「誰にも会うつもりはない。帰してくれ」
「本当によろしいのですか? それくらいの権利は認められますが」
「構わない」
「……わかりました」
遠ざかる足音が虚しく響く。
これ以上、心を掻き乱さないでほしかった。
しかし、来訪者がこの独房に現れた。
それはバルテスでもブランシュでもない。
グェンダル・ド・スキュデリー。
アミルカーレの二つ年下の異母弟だ。
独房の外から安全にこちらを眺めている。
「ノア、兄上のことは不運な事故だったのだ。お前の忠義には恐れ入るが、お前は兄上の分も生きて国に尽くすべきではないのか?」
輝くような威厳を放つアミルカーレとは似ていない、日陰の存在。
アミルカーレが存命中は誰も彼の存在に目を向けることはなかった。それが今、ようやく花咲いたとでも言わんばかりの自信に満ち溢れている。
「私にとって陛下が国そのものです。私は陛下と国に殉じます」
そう返したところ、グェンダルは矜持を傷つけられたらしい。
「だから、私が次の皇帝だ。兄上が遺されたものはすべて私が引き継ぐ。お前も、后も、城も、民も!」
真似をしたところで凡人がアミルカーレになれるはずがないのに。
こんな男が皇帝かと失望するばかりだった。
これからモルガド帝国は衰退していくのだろう。民たちが苦労する。
その民の中にノアの大切な人々がいる。そして、ブランシュも。
彼女を守ってあげられたらよかったけれど――。
色よい返事を返さないでいると、グェンダルは焦れたのか地団太を踏んでいた。
「もうよい! 断頭台から許しを乞うたところで遅いのだ!」
癇性な足音を立て、グェンダルは去った。
あの存在の何もかもが不快だとすら感じる。
そうして独り取り残されると、心が黒く塗り潰されて頭を抱えた。
――生きろと。
生きて過ちを正せとアミルカーレは願ったのに。
自分はそんなにも強くは在れない。
そして。
公開処刑の日はやってきた。
早く終わらせてほしいと願ってしまう。どこまでも自分のことばかりだ。
公開処刑は見世物でしかなく、大抵は汚い野次が飛ぶ。楽しげに手を叩いて刎ねられた首が転がる様を嗤う。
ただし、アミルカーレの治世にはほとんどそうした光景は見られなかった。アミルカーレが品位を欠くと嫌ったせいだ。
この日、処刑場と化した広場は静かだった。囃し立てる声もなく、民衆は静まり返っている。
本当に不思議なほど静かで、空を飛ぶ鳥の声が聞こえるほどだった。
「罪人、ノア・オルグをこれへ」
手鎖はされておらず、囚人服ではなく軍服のままで、最低限度の礼節は残っていた。
ノアは神妙に前へと進んでいった。その時、民衆の中から声が飛ぶ。
「ノア様――!」
ブランシュが、人を掻き分けて前に出てきた。
あまりのことにノアは一瞬立場を忘れそうになった。囲いの内側へ飛び出しそうな勢いで、ブランシュは兵に制止される。
抵抗する彼女をつかむ手が乱暴で、思わず兵を止めに走りそうになった。痙攣したように動こうとする足で踏み留まり、目を閉じて息を吐く。
あそこまでしてもらうほどのことを、自分はブランシュにしただろうか。
諦めてくれればいいのに。最後の最後に、こんな複雑な胸の内を抱えて逝かなくてはならなくなった。
ブランシュはずっと叫ぶような声でノアを呼んでいる。
ノアが群衆の前に立つと、斧を手にした覆面の処刑人がそばに来た。そして、もう一人。
アミルカーレが再編成した魔術師団の長、レミー・ペリエだ。
長い髪をひとつにまとめ、ローブの裾を捌いて近づいてくる。
戦場に出ているとばかり思っていたが、残っていたらしい。
アミルカーレほどではないが、彼もまた若くして天才と呼ばれた。アミルカーレに心酔していたから、憎まれていても仕方がない。
ペリエはスッと目を細める。
「やはり、オルグ様にはまだ陛下の御加護が残っております」
場がざわつき始めた。ペリエは見物人に演説するように語る。
「ノア・オルグ様は陛下の腹心でした。それ故に、陛下はオルグ様に身体を強化する加護の魔術をかけておいででした。それがまだ残っているのです。このまま処刑などできません。このような刃では首を落とすどころか刃が欠けるだけです。まずは術の解除から始めなくてはなりません」
そう言われてみると、アミルカーレにはそんな術をかけられたことがあったかもしれない。下手な鎧よりもずっと役に立つと言って。
亡くなった今もアミルカーレはまだこんなどうしようもない男を守ってくれていたのかと、その心に感謝した。




