18◆ノアの覚悟
バルテスはブランシュの服を見繕い、服飾店の馬車に送られながら戻ってきた。
目の前に箱を置かれ、ブランシュはそれを開けるように促された。恐る恐る確かめると、三着のドレスが入っている。それと、一緒にあった小さめの箱を開けるとネグリジェと肌着まであった。
「女性の店員に選んでもらいました。私が選んだわけではございませんので」
冷ややかに言われた。
「あ、ありがとうございます」
ノアに着替えてくるといいと言われ、ブランシュは部屋に戻った。
どのドレスも今着ているコットンドレスより上等だ。普段着という話だったが、リネンだろうか。細いストライプ柄で、ベルトで調節できるから少しくらい大きくても気にならなかった。襟のレースが可愛い。
鏡の前でおかしなところがないか確認していると、下の階が騒がしい気がした。
物静かなノアとバルテスが話しているくらいでうるさいはずがない。バルテスが買い物をした店の人がついて来ているのだろうかと、そんなふうに思った。
後になって、のん気なものだったと、自分の愚かしさに恥じ入るばかりである。
階段を下りていく。
玄関ホールに十人ほど、男性ばかりだった。皆が一様に同じ服を着ている。
目に飛び込んだ黒い集団に不吉さを感じずにはいられなかった。それでも、ノアは落ち着いて受け答える。
「支度をしてくるので、しばらく時間を頂きたい」
「ええ、お待ちしております」
軍服の男たちはノアに敬意を表した。
ゆっくりとノアが階段を上ってくる。ついにこの時が来たのだと、脚が震えてしまった。
すれ違い様にノアが一度こちらを見遣り、そしてそっと微笑んだ。それだけだった。
ノアを追って部屋まで行くか、バルテスに話を聞くか一瞬だけ迷って、すぐそこにいるバルテスに駆け寄る。
「あの、ノア様は……」
「これから帝都へ向かわれます」
「ノア様はどうなるのでしょう?」
「それを言い渡されるのは帝都に着いてからです」
今はまだ、はっきりしたことはわからないらしい。
それでも、先ほどのノアの表情からはすでに覚悟があるように思えた。その覚悟は多分、賞賛できたものではない。
最悪のことを考え、ブランシュがゾッと身震いをすると、集団の中の一人が近づいてきた。
まだ若い。ノアよりも年下だろう。
その若い軍人は曇った表情で告げる。
「職務上、本来はこんなことを漏らしてはならないのですが、オルグ将軍はもうここへお戻りになることはないでしょう」
隣にいたバルテスがハッと息を呑んだ。あまりの衝撃に倒れるのではないかと思ったけれど、心を落ち着けるように目を伏せる。
「じゃあ、どこに行かれるのですか?」
率直に尋ねると、軍人はささやくように、苦しげに言った。
「どこにも……」
どこにも行かない。
――彼の人生がそこで終わると含ませているとしたら。
そうでないとしても、終身を監獄で過ごすとしたら。
どちらにせよ、あまりに重たい。
それなのに、バルテスからはノアが受け入れるのならば、主の思いに従うのだという気概が見て取れた。
しかし、ブランシュは違う。ノアは主人ではない。
だから思うことを口にする。
「そんな! どうにかならないのですか? ノア様はとても苦しんでおいでです」
それを言っても、若い軍人はうつむいただけだった。
「我々としてもこんなことはあってはならないと思うばかりですが、それを覆す力もなく――」
もう、彼の言葉を最後まで聞かなかった。
スカートを翻し、ノアの後を追う。ノアの部屋に入ったことはないけれど、大体この辺りだとわかっていた。
「ノア様!」
扉をドンドンと叩いた。開けてはくれない。
しつこく何度も呼びかけ、叩いた。手が痛む。
やっと扉が開いた時、ノアは軍服を着込んでいた。精悍な姿だが、どこか寂しいと感じるのは勲章がなかったからだろう。たくさん武勲があるはずなのに、それらをすべて外してある。
それを見た時、心臓がギュッと潰れそうになった。
「ノア様は本当に罰せられるべきなのですか? こんなの変です!」
ノアはこの言い分の方を変だと思うのか、うなずかない。
「軍はそういうところだ。とにかく君はバルテスの言うことに従うように。バルテスは俺の頼みは断らないでいてくれるから、何も心配は要らない」
「わたしの話はいいです! そうじゃなくて、ノア様は厳しい処罰を受け入れようとしていますけど、理不尽ならちゃんと戦ってください! 戦うのが無理なら逃げたっていいじゃないですか!」
声がかすれて、涙が滲んだ。悲しみばかりではなく、ノアに対する苛立ちもそこには混ざっていたのかもしれない。
なんの力もないブランシュでさえ、悪辣なセヴランたちに抗い、生きていこうとしている。
それなのに、こんなにも強いノアが自分の命を諦めてわかったような顔をしているのだ。
それでいいわけがない。そんな諦めは、もっと足掻いてからでいい。
「逃げるつもりはない。もう覚悟はしてある」
毅然とではなく、困ったように言われた。まるで癇癪を起している小さな子供を前にしているように。
「どうして!」
「陛下がおられないのに、俺が生きる意味がないからだ」
意味がないと言う。
それは本心だろうか。
だとしたら、どうして今、目を逸らしたのだ。
ブランシュが泣くからか。
「皇帝陛下が向こうからノア様を呼んでいるとでも仰るのですか? あの世でお仕えするおつもりですか?」
「いや、陛下は……」
言いかけてノアはその先を噤んだ。
「すまない、もう行く。どうか元気で」
歩き出したノアにしがみついた。硬い筋肉に覆われた腰に腕を回し、力いっぱい抱きつく。
「駄目です! 行かないでください!」
今までの自分なら、こんなことはしなかった。何故、ここまで必死になれたのだろうか。
それは、ノアが傷だらけだったブランシュを優しく包んでくれたから。
こんな優しい人が、どうして厳罰に処されなくてはならないのだ。こんな世の中は嫌だ。
「他人のわたしが何を言っても響かないかもしれませんが、わたしはノア様に生きていてほしいんです! 生きることを諦めないでください!」
泣きながら縋るブランシュの肩にノアの手が載った。あたたかい、大きな手が。
ノアが少し身を屈めたのがわかった。ブランシュにノアの影が落ちる。
「ありがとう、ブランシュ」
そうつぶやいた声は柔らかく、優しかった。
心からの言葉だったのだと思う。
けれど、ノアの手はブランシュを簡単に引き剥してしまった。みっともない泣き顔を正面から見据えられたが、涙を止められなかった。
「どこにいても君の幸せを願っている」
そんなものは墓の下から願われたくない。それをわかってほしいのに。
自分は無力で、この人の生き様を変えるようなことはできないのだ。それがひどく悲しかった。
ノアが最後に見せた穏やかな微笑みがいつまでも胸に残った。




