5:泣いているのかい?
アーガイルのアイスグリーンのゆったりとした衣装の胸元に、私はすっぽり収まることになりました。騎乗するアーガイルの邪魔にならないよう、そこに収まったわけですが……。
アールグレイのいい香りがして、適度な温かさで、とても快適です。さらにアーガイルの心音を近くに感じ、それはなんだか安らぎを与えてくれます。
その一方で……。
馬をゆっくり進ませている間。
並んで馬を進めるオーマン公爵令嬢が、しきりにアーガイルに話しかけています。その様子が……どうにもこうにも気になってしまうのです。
森の散策を申し出たオーマン公爵令嬢は、きちんと乗馬もできる方でした。用意された馬にしっかり鞍をつけ、ちゃんとした手綱さばきもできるので、アーガイルは彼女が森へ同行することを認めたのです。
そしてオーマン公爵令嬢は、アーガイルと森の中を散策するのが嬉しいようで、とても楽しそうな声で話をしています。
その会話から分かったことは、オーマン公爵令嬢とアーガイルはどうやら幼馴染みに近い関係のようだということです。
オーマン公爵令嬢の父親、オーマン公爵の領地は、魔王城から離れた場所にありました。でもオーマン公爵令嬢は、バカンスシーズンや城で行われる行事に参加する父親に同行し、頻繁に魔王城へ来ていたようなのです。そしてまだ子供だったアーガイルとも、共に遊んで過ごすことも多かったようで……。
オーマン公爵令嬢は今、その昔の楽しい思い出について語っていらっしゃいます。
その思い出の中で語られるアーガイルは、幼少から聡明で、落ち着きがあり、優しい性格であることが感じられました。オーマン公爵令嬢に対しても、とても紳士的に接していることが伝わってきます。
「ねえ、殿下。みんなでバーベキューをした川のあたりまで、行きませんこと? ここからそう遠くはありませんよね。あそこのことは、今でもよく思い出しますのよ。昼間はバーベキューをして水遊びをして。夜はそのままキャンプで花火をしましたよね」
みんなでバーベキュー。
想像すると楽しそうです。
水遊びをしてキャンプして花火……。
オーマン公爵令嬢はアーガイルと沢山の思い出をお持ちのようです。
「そうですね。川は……すぐそこなので、参りましょうか」
アーガイルが進路を変えると、後ろに続くギルが「左手に曲がるぞ」と部下の騎士に声をかけるのが聞こえてきます。
オーマン公爵令嬢の話を聞くことで、私の知らないアーガイルの幼少時代を知ることができているのです。それにアーガイルと私では、会話は一方通行。でもオーマン公爵令嬢とアーガイルは、ちゃんと会話のキャッチボールができるのです。
独り言のように私に話しかけるのではなく。会話が成立するオーマン公爵令嬢とアーガイルが話すことに、私が反応する必要はないのです。私はアーガイルと話すことができないのですから。おとなしく、二人の会話を聞いていればいいのです……。
そう、頭では理解できているのですが。
なんだか会話に入れず、のけ者にされたようで寂しくなってしまいます。
何より、オーマン公爵令嬢がアーガイルに好意を抱いていることに私は気づいてしまったので……。
オーマン公爵令嬢は同性から見ても魅力的です。
素敵なドレスにスタイルも抜群。
溌剌として積極的。乗馬もお上手。
それに比べ私は……。
子猫に変化して戻ることが出来ない状態。
しかも獣人族に戻った時、その姿がオーマン公爵令嬢に敵うかというと……。
体のメリハリで負けてしまいそうです。
それにこんな風にアーガイルに積極的に話しかけることができるのか……自信がありません。
なんだかだんだん不安になってしまいました。
アーガイルさま、ミアはここにいます。
私のことも相手にしてください……。
そんな心の声が、か細い「なぁ。。。。」という鳴き声になっていました。
すると。
「ミア、どうかしたかい?」
わざわざ馬を止め、アーガイルが私の顔を覗き込んでくれました。
「……! どうしたのだい、ミア。泣いているのかい?」
アーガイルが胸元から私を出すと、優しくぎゅっと抱きしめてくれました。
「乗馬が怖かったのかい? 揺れが怖かったのだろうか?」
心配そうにアーガイルは私の背を撫でると……。
「オーマン公爵令嬢、申し訳ないが、川に行くのは止め、私はここで少し休憩し、城へ戻ることにします。もし川の方まで行きたいのでしたら、ギルに案内させますから」
「え、殿下、まさかその猫が馬を怖がっているので、川まで行くのを止めるのですか?」
アーガイルが黙り込み、鳥が鳴きながら木から飛び立つ羽音だけが聞こえてきました。
「……オーマン公爵令嬢。ミアは今、確かに猫の姿です。でも彼女はわたしの愛らしい妃。二度と、そのような言い方をしないでいただけますか」
いつもの優しいアーガイルの声ではなく、周囲の気温がぐんと下がるようなとても冷たい声だったので、その場にいた全員がビックリしてしまいます。
「……! 殿下、失礼いたしました。そして妃殿下、申し訳ありませんでした」
オーマン公爵令嬢が慌てて謝罪すると、アーガイルは……。
「いえ。分かっていただけたなら良かったです。……それで、川までご案内しますか?」
いつもの声音に戻り、オーマン公爵令嬢にアーガイルは尋ねたのですが、彼女は「私もこちらで休憩して城に戻ります」と恐縮しています。
「ではみんな、少し休憩をするよ」
アーガイルの声を合図に、皆、馬から降りました。
「ギル、馬を任せてもいいかな?」
「もちろんです、殿下」
自身が乗っていた馬から降りると、アーガイルは柔らかい下草が生える木の根元に腰をおろしました。そして改めて私を抱きかかえると、優しく頭を撫で、尋ねました。
「ミア、しばらくここで休んだら城に戻ろう。……水を飲むかい?」
お水なんてあるのかしら?と思い、「みゃあ(はい)」と返事をすると。アーガイルはすぐそばの葉に手を伸ばし、呪文を唱えました。するとその葉には、ビー玉のような水の雫が現れています!
葉を手にしたアーガイルは私の口元へと運んでくれました。
アーガイルの膝に前足をのせ、口を開くと、美しい水の雫が口の中へと流れ込んできます。なんだかほんのり甘い味がして、美味しく感じました。
「にゃー」
嬉しくて思わず声が出ると、アーガイルはアイスブルーの瞳を細め、笑顔になります。私を大切に自分の胸へと抱き寄せると……。
「ミア、この森は子供の頃のわたしの遊び場だったのだよ。ギルを連れ、よく遊び回っていた。かくれんぼうをしたり、宝探しをしたり、妖精を探しに行ったりしたのだよ」
アーガイルは休憩の間、私の頭を優しく撫でながら、この森の思い出、そして幼い頃の自分のことを話して聞かせてくれました。それを聞いた私はさっきの寂しい気分はなくなり、代わりに……。
アーガイルのことがさらに好きになっていました。