10:清楚で可憐な伯爵令嬢
メイドは涙目でアーガイルを見て、銀色の丸いお盆から右手を離し、こちらへと差し出しました。すると親指の付け根あたりから血が出ています。どうやら落ちて割れたガラスの破片が飛んできて、傷ができていたようなのです。
アーガイルが呪文を唱えると、その傷は綺麗に治っていました。
「ありがとうございます。も、申し訳ございませんでした」
メイドは勢いよく頭を下げます。
「大丈夫ですよ。グラスも元通り。わたしも濡れていませんから。……さあ、君達、そのグラスを下げてもらえるかな?」
声をかけられた、その場にいるメイドが一斉に動き出します。グラスを拾う者、傷を治してもらったメイドをその場から連れ出す者、新しい炭酸水が入ったグラスをアーガイルに差し出す者。
彼女達が自身のすべきことを終えると、そこに残ったのは……アーガイルにレースのハンカチを差し出した、シルバーピンクの美しい髪の令嬢でした。
髪の美しさもさることながら、ローズクォーツのような瞳も大変美しく感じます。瞳と同じ色のドレスはギリシャ神話の女神が着ていそうなデザインで、他の魔族のご令嬢とは違い、清楚で綺麗な女性です。微笑を浮かべるお顔はとても小さく、唇は可愛らしい桜色をしていました。
「アーガイルさま、お見事ですわ。お水を浴びられた時は、とても驚きましたが。最終的にその場を丸く収められて」
「お褒めいただけて光栄です、ソラス伯爵令嬢。ハンカチもありがとうございました。よろしければ新しいハンカチを贈りますが」
「いえ、お気になさらないでくださいませ、アーガイルさま。そのハンカチは汚れておりませんから、お返しいただければ問題ございませんわ」
この清楚な女性は伯爵令嬢なのね。
アーガイルからレースのハンカチを受け取るその動作は可憐であり、伯爵令嬢らしい上品さを感じます。
「ミアさま、あぶないところをアーガイルさまに助けていただけて良かったですね」
ソラス伯爵令嬢はそう言うと、私に笑いかけました。
「アーガイルさま、ぜひソラス家の屋敷にも領地視察を兼ね、いらしてくださいね。こちらからは少し遠いですが、お待ちしていますわ」
「検討させていただきます」
アーガイルがそう答えると、ソラス伯爵令嬢は優雅にお辞儀し、ホールの方へ向かわれました。
「相変わらずの女狐ぶりですわね」
この声はオーマン公爵令嬢!
ドキッとしながら左側に立つ彼女を見ると、その目はここから去って行くソラス伯爵令嬢の背中を追っています。
「君も気づいていたのかい、オーマン公爵令嬢」
「当たり前ですわ。昔からあの子のあーゆう意地悪にさらされていたのは、この私なのですから」
「そうだね。成長したら、なおるかと思ったけれど、変わらないようだ」
するとオーマン公爵令嬢は、大きくため息をつきました。
「三つ子の魂百までと言いますから。変わらないと思いますわ」
そう言った後、オーマン公爵令嬢の黒い瞳が私を見るので、思わずドキッとしてしまいます。
「妃殿下。気を付けた方がいいですわよ。多くの者が明日には領地に引き上げますが、何人かの殿下の熱烈なファンな令嬢は、魔王城に居座ると思いますから」
「オーマン公爵令嬢、君もだろう?」
「! わ、わたくしはバカンスシーズンにそのまま突入ですから、滞在させていただきますわ」
するとアーガイルは「そうだろうと思いました。君のために料理人には、朝食メニューにパンケーキを加えるように伝えておきましたよ」と言い、「さすが、殿下! ありがとうございます。……妃殿下も獣人族の姿であれば、あの絶品パンケーキを召し上がることができますのに」と応じました。
その様子を見た私は。
あれあれ……?
オーマン公爵令嬢の初対面の印象は、とっても色っぽくて、アーガイルのことを好きで、私のことを嫌いなのかと思いましたが……。今の感じですと、アーガイルとは、サバサバとした男友達の関係のように思えます。
初めて会った時は、派手なドレスも着ていたので、なんとなく私の中では、オーマン公爵令嬢が悪役令嬢のように見えてしまいました。なんだか意地悪をされそうで、怖いとさえ思っていたのですが……。
そこでよくよく考えると。
オーマン公爵令嬢からは、面と向かって何かされたわけでありません。アーガイルからオーマン公爵令嬢はたしなめられていましたが、それは本当に私の見た目が猫だったので、思わず「猫のために!?」と口走ってしまっただけで、私をいじめるために言った言葉ではありませんでした。
それに子供時代の話をしていたのも、久しぶりにアーガイルと行く森に思い出がよみがえり、ただそれを話していただけなのでは……?
きっとそうなのでしょう。
もし私を意地悪する気満々だったら、アーガイルもきっとオーマン公爵令嬢にここまで打ち解けるわけがありません。
「さて。ミア、舞踏会はまだまだ盛り上がりそうだけど、わたし達は部屋に戻ろうか」
「え、殿下、舞踏会はまだまだこれからですわよ?」
「でもミアは子猫だから」
オーマン公爵令嬢は目を丸くし驚きながらもクスっと微笑みます。そして扇を口元にあて「溺愛ですわねぇ。羨ましい。お幸せに」と呟かれました。その声は本当に小声で。五感に優れた猫の姿の私には聞こえましたが、きっとアーガイルには聞こえていません。
オーマン公爵令嬢がアーガイルに好意を抱いているのは……やはり間違いありません。でも自分の気持ちは封印し、私とアーガイルの幸せを願ってくれていると分かり、思わずじわっときてしまいます。
「ほら、オーマン公爵令嬢、見てご覧。ミアの目が眠そうで、涙がにじんでいる」
「はいはい。どうぞお二人はお部屋にお戻りくださいませ」
オーマン公爵令嬢は華麗にお辞儀をすると、そのままホールへと向かって行きます。一方のアーガイルは私を抱き上げ、廊下に続く出口へと向かいました。


















































