防波堤役に徹するモブ男の胸に秘めた長年の片想いと、めちゃもてイケメン女子幼なじみが爽やかな笑顔の裏で育てた気持ちを熱量に換算した場合の両者の関係にふさわしい記号を述べよ(三十と一夜の短篇第82回)
ホームルームがまもなく終わる。
担任教師が「連絡事項あるやついるか」と声をかけるのを合図に、教室じゅうに緊張感が走った。
「無さそうだな、じゃあ今日はこれで」
おわり、と言い切るより早く、教室に並ぶ椅子の半数がザッと音を立てる。
まるで軍隊のように統率の取れた椅子に座っていたのは、女子ばかり。クラスの女子全員が立ち上がるなか、男子で立ち上がったのは俺、藻部栄太ひとりだけ。
同じゴールを目指すとして、駆けねばならない者より手を伸ばすだけの者のほうが有利なのは当然のこと。
―――先手必勝、地の利は俺にあり!
名前順の席にした担任に感謝しつつ、目の前の席に座るやつの肩を叩く。
くるりと振り向く動作を見守る視界の端で、駆け寄ってくる女子たちの姿が見えるが、まだまだ俺の方がはやい。
「カオル、今日という日の平等な喜びを要求する!」
教室じゅうに聞こえるよう、早口で叫ぶ。
―――ちょっとうるさかっただろうか。
ひそかに気にする俺の気持ちがわかったのだろうか。カオルはまるで「気にしていないよ」とでも言うように微笑んで、首をかしげる。
この時点で、振り返りざまの笑顔を見た教室右側の女子と、笑顔からの首かしげを目撃した教室後方の女子が倒れている。
赤面を通り越して燃え尽きているであろう女子たちが「カオルくんの笑顔に乾杯」「笑顔を焼き付けて死ねるなら本望」「顔が良過ぎる、お金払わせてぇ」とうめく声をBGMに、カオルが口を開いた。
「今日はバレンタインだものね、栄太はチョコがほしいの?」
涼やかでいてすこし甘さのあるハスキーボイス。
これで踏ん張っていた残りの女子も倒れ伏した。気持ちはわかる。だって顔が良い。
男子も何人か「うっ」とうめいているのが証拠だ。
けれど俺は倒れてはいられない。幼なじみゆえの美しい顔面への耐性と、義務感で平静を装う。
「ほしい。チョコくれ。どうせカオルはひとりで食べきれないだけもらうんだろ?」
そう、今日はバレンタイン。
そして顔良し、性格良し、成績も優秀なカオルはもてる。
茂木カオル、高一、女子。
そう、女子。けど、この学校、いやこの地域一帯で一番女子にもててる人物だ。
性別、女だなんてのは関係ないらしい。
いや、むしろ同性でありながら桁外れな美貌を誇るカオルだからこそ、安心して愛を叫べるし想いを伝えられるというものなのだ、とカオルファンは語る。
カオルはそりゃあもう、中学校は言わずもがな、小学校どころか幼稚園生のころからもてにもてて、隣の家に住む俺は何度待ちきれないチョコレートの山を運ぶ手伝いをしたことか。
そして律儀なカオルが全部食べようと奮闘して、けれど人間の体には限界ってもんがあって、顔を真っ青にしているのを目にした俺(当時小学三年生)は、さとったのだ。
なんとかしないと、カオルが死ぬ! と。
しかし寄せられる好意を断るには、やさしいカオルの心が痛む。
家に帰ってから俺がご相伴に与るのは、贈り手の心をだましているようだとカオルが気にしてしまう。
だからといってカオルひとりに消費させるのは、年々増えている貢ぎ物の数を見るに危険すぎる。
というわけで、俺、藻部栄太は毎年恒例となりつつあるバレンタインの『公開おねだり』を繰り出したわけである。
その返事は。
「はあああ? 藻部、あんたなにカオルさまにたかろうとしてんのよ」
「あたしらのチョコはあんたに食べさせるためにあるんじゃないんですけどー?」
「ていうか、チョコほしいなら自分で買って食べなさいよ、このモブが」
教室中の、いや、廊下にも窓辺にもあふれる学校中の女子たちからのブーイングである。
あまりの騒ぎに担任がたじろいでいるのが視界の端にうつるが、ドスの効いた大合唱は、もう誰にも止められない。
というわけではなく。
カオルがすこし眉を下げ、申し訳なさそうに微笑んで見回せば、うそのようにしんと静まり返る。
「みんな、聞いてもいいかな?」
無言が答え。いや、切なげにうったえるカオルの視線に、女子たちは顔を真っ赤にして頷くのが精一杯なだけ。
すべての視線を一身に集め、カオルは問いかける。
「みんなが私に寄せてくれる好意は断りたくない、だけど私ひとりでは食べきれなくて、無駄にしてしまう。そんなことはしたくない。だから、栄太にも手伝ってもらうこと、許してくれるだろうか。受け取ったすべて、どれもひと口ずつは私も食べるから」
爽やかな懇願に、女子たちが一斉唱和。
「「「もちろん、大丈夫!」」」
ビリビリと窓ガラスを揺らすほど、大音量の黄色い声。
「ありがとう、みんな。うれしいよ」
にっこり笑ったカオルに、女子たちが歓声をあげて詰めかける。
カオルの手に、胸に押しつけられる色とりどりの箱。すべてを律儀に受け取っては机に置いていくカオルの横で、俺はせっせと袋詰め作業にいそしむ。
放っておけばあっという間に机からこぼれ落ちてしまうだろう。だからその前に丁寧に、かつ素早く、そして確実に袋に詰めるのが俺の仕事なのだ。
カオルは笑顔でお礼を言い、女子たちを昏倒させるのに忙しいからな。
ちなみに袋は束で持参している。ぬかりはない。
―――もう八袋か。今年はまた一段と多いな。
満タンになった袋を並べて、ひと息ついた。
見える限り、すべての女子が渡し終えただろうか。
そう思ったが、まだ箱を手に持つ女子がひとりいた。
クラスメイトのひとり、花野さんだ。
女子のなかでも小柄で、おとなしい女の子。
教室の前の方で立ち止まる花野さんは、胸にかわいらしいラッピングのされた箱を抱えている。どう見てもバレンタインの贈り物だろう。
「おおい、花野さん。渡すなら今のうちだよ」
恥ずかしくてためらっているのか、と声をかけると花野さんは弾かれたように顔を上げた。
ほんのりと赤い顔で歩き出し、向かった先には担任教師。
騒動がおさまるのを待っていたのだろう。教室の前方扉付近で立つ彼の前に立ち、花野さんは真っ赤な顔で腕を突き出す。
「先生っ、好きです! 受け取ってください!」
まさかの先生目当てだった。
担任教師も面食らったのだろう「おお?」と言いながらも受け取っている。
思わぬ告白劇にクラス全員の視線が持っていかれているなか、ふと俺の耳元に吐息がふれた。
「妬けるな、公開告白なんて」
「んっ!?」
振り向こうとした。
けど、カオルの顔があまりに近くて、振り向けない。
固まる俺の手に、こつんとぶつかる硬い感触。
「私なんて、何年もかけてようやく一歩踏み出す決意を固めたところなのに」
声とともに押しつけられたのはシンプルな箱。
リボンもかけられてはいないけれど、今日、この日に渡されるということは。
「ずっと隣で守ってくれてありがとう、栄太。これからは私が君の隣に立てるよう、がんばるからね」
すこし待っていて。
耳元でささやかれて崩れ落ちなかった俺は、もしかしたらただのモブじゃないのだろうか。
教室が生徒と先生の恋の行方に誰もが注目するなか、俺は手のなかのチョコレートをこっそり鞄のなかへと仕舞い込む。
「……顔、あちぃ」
つぶやきは、すぐそばにいるカオルに聞こえたのだろう。
うれしそうに笑う顔が一段とかわいく見えて、これ以上惚れさせる気かと、めまいがした。
たまには長文タイトルが書きたくなったのと、甘いものが食べたい気分だったので。