スノードロップ
十二月のある日曜日のこと、年長組のそうたくんはパパと近くの公園に遊びに行きました。
外はとっても寒かったけれど、ママが用意してくれた服はぽかぽかで、まったく寒さを感じません。
すなば遊びにかけっこ。のぼりぼう。
それにブランコ。すべり台。
パパがいっしょに遊んでくれて、とっても楽しい気持ちになりました。
かえりぎわ、そうたくんは、ふと空を見上げます。
すると白い雪がひとかけら。ひらひらと風に遊ばれて落ちてくるのを見つけました。
「パパ! ゆき!」
そうたくんは雪を見つけて大はしゃぎ。
ゆっくりと降ってくる雪の下に、手袋に包まれた手を差し出します。
すると、雪は吸い込まれるようにツルツルの手袋の中に落ちました。
「ゆき、つかまえた!」
「わあ、すごいね。どうするのかな? ママに見せてあげる?」
パパの問いかけに、そうたくんはフルフルと首を横にふりました。
「ううん。とけたらかわいそうだから、にがす!」
「そっか。じゃあ、日が当たらない場所に置いてバイバイしよう」
ふたりはすべり台の近くまでもどって、階段の影に雪のかけらをそうっと置きました。
そしてそうたくんとパパは公園を離れていきます。
残されたのは、今年はじめて降った雪。
本来ならとけて消えるはずの、とけることのなかった冬の始まり。
そう、それは奇跡でした。
初雪のかけらが雪のお姫様になってしまうくらいには。
-◇-
次の日の月曜日。そうたくんは幼稚園が終わってから一人で公園に行きました。
そうたくんのお気に入りはすべり台。
今日も階段を登ります。
そのとき。
「わあっ」
びっくりしたそうたくんは思わず声をあげました。
そうたくんより小さな女の子が、階段ごしにじっと自分を見ていたからです。
「だ、だれ?」
「……ゆき……?」
女の子はしばらく考え込んだあと、首をかしげながら自分の名前を答えました。
「ひとりなの?」
そうたくんがたずねると、ゆきはこまったような表情をします。
そうたくんは、ゆきがかわいそうになりました。ひとりで遊ぶのは、年長のそうたくんでもさびしいからです。
「いっしょにあそぼう!」
そうたくんは階段を回りこんで、ゆきの手を取りました。
けれどびっくり。
ゆきの手はとっても冷たかったのです。
「これ、かしてあげる」
そうたくんは手袋を取り出して、ゆきにつけてあげます。
すると、ゆきはまるで花がさいたみたいに、ぱあっと満開の笑顔になりました。
それからふたりは公園で遊びます。
はじめはすべり台やブランコで遊ぼうとしたそうたくんでしたが、ゆきが怖がったのでやめました。
かわりにやったのは鬼ごっこ。
そうたくんは走る代わりにスキップをするルールにしたので、とても良い勝負になりました。
そうしてずうっと遊んでいると、5時のチャイムが鳴りました。そうたくんはもう帰らないといけません。
けれど、ゆきのことが急に心配になりました。ゆきは自分より小さいのに、パパもママもむかえに来ないからです。
「バイバイのじかんだけど、ゆきはだいじょうぶ?」
ゆきは、なにを言われているのかわからないような、ふしぎそうな顔をしました。それから何度も考えるように頭をふったあと。
「だいじょうぶ」
と、たどたどしく返事をしました。
そう言われてしまうと、そうたくんも何も言えません。ただ、手が冷たいのがやっぱり心配だったので、手袋をかしてあげることにしました。
「あした、またあそぼうね」
そう言ってそうたくんが手をふると、ゆきはまた、にっこりと満開の笑顔を咲かせたのでした。
-◇-
次の日、夜から明け方にかけて雪が降りました。夕方になっても、公園には雪が積もっています。
「そうた!」
そうたくんが公園に行くと、ゆきが待っていました。ぱたぱたと手をふりながら、公園の入り口まで駆けてきます。
「ゆき、こんにちは」
「こんにちは、そうた! きょうはなにしてあそぶ?」
今日のゆきは元気いっぱいです。
とってもハキハキとしゃべるので、ゆきは自分と同じ年長さんなのかな、とそうたくんが思ったくらいです。
「ゆきだるま、つくる?」
「ゆきだるま?」
「こうやって、ゆきをあつめておおきくするんだ」
そうたくんは雪をつかんで丸めたあと、どんどん周りの雪をくっつけて大きくしていきます。
「ゆきもやってみて。おっきくできたら、からだとあたまにしよ」
「うん! おっきくする!」
ふたりはゆきだるまを作り始めます。
やがて、そうたくんの雪玉が手に収まらないくらい大きくなると、そうたくんは雪玉を転がし始めました。
どんどん、どんどんと雪玉は大きくなっていきます。
「すごいすごい! ゆきもやる!」
ゆきも負けじと雪玉を転がし始めます。
どんどん、どんどんとゆきの雪玉も大きくなりました。
そうして、そうたくんの雪玉が頭の高さくらいまで大きくなったとき、そうたくんは言いました。
「ゆきのつくったあたま、ぼくのからだにのせよう」
それからは大仕事。
ゆきの雪玉も大きくなっていたので、ふたりでがんばって持ち上げます。
いちど。にど。さんど。
3回目のチャレンジでやっとあたまが乗りました。
「やったー!」
そうたくんはとっても嬉しくて、思わず雪の上に寝転びます。ちょっとひんやりしたけれど、それが火照った体にとても気持ち良かったのでした。
「これがゆきだるま……」
ゆきは手袋に包まれた指先でそっと雪だるまの顔に触れました。そしてそうたくんの隣まで歩き、ころん、と転がります。
「そうたは、ゆき、すき?」
ゆきはささやくようにそうたくんにたずねました。ふるえた声には少しだけおびえが混ざっています。それはまるで雪解けを待つ若葉のように。
けれど。心配はいりませんでした。
「うん、たのしいからすき! もっとゆきがつもったら、ゆきとゆきがっせんしたいな!」
元気いっぱいのお返事。
それはゆきの胸いっぱいに広がります。
「うん! ゆき、がんばるね!」
だから、これは約束になって。
その日から、街は吹雪に覆われたのでした。
-◇-
その夜、そうたくんは体が冷えたせいで熱を出しました。
パパとママは大慌て。
ごうごうと雪が吹きすさぶなか、なんとか車でそうたくんを病院に連れて行きました。
病院の先生におくすりを出してもらって、おうちの布団に入っても、そうたくんは荒い息を吐くばかりです。
それから三日。そうたくんは、ご飯を食べるとき以外、ほとんどの時間を寝て過ごしました。
吹雪は日を追うごとに激しくなり、ついにはパパのお仕事や、ほとんどのお店がお休みになりました。
そして、ゆきは。
ゆきは公園でただひとり、そうたくんを待ち続けています。
-◇-
ゆきは、そうたくんの手のひらに落ちた初雪のかけらでした。
初めに降った雪がその冬の王様になる。それが雪たちの決まりごとです。久しぶりにとけずに残った初雪は、他の雪たちの期待の的でした。
そして、あの日。
ゆきがそうたくんと雪遊びをした日の夜。
ゆきは、冬の雪、その全てに言いました。
『もっと積もって』
雪たちは大喜び。風と一緒にパーティをしながら、どんどん、どんどんと降ってきます。
先に降りてきた雪たちも、降ってくる雪たちがとけないように、どんどん、どんどんと地面を冷やします。
あっというまに雪はうずたかく積もっていきました。
ゆきは幸せでした。
こんなにたくさんの雪があったら、そうたくんが楽しんでくれるに違いないからです。
そして、ゆきはぎゅうっと、まるで小さな種がその中身を守るみたいに、そうたくんから借りた手袋を胸に抱いて眠りについたのでした。
けれど。
次の日、そうたくんは来ませんでした。
その次の日も、そうたくんは来ませんでした。
-◇-
ゆきと雪だるまを作ってから4日目の朝。
がたがたと窓を揺らす風の音で、そうたくんは目を覚ましました。
閉めきったカーテンを開けると、真っ暗な雲の下で、激しく吹雪が吹き荒れているのが見えました。街は、とても深い雪に埋め尽くされているようでした。
「すごいゆき……」
少しだけ窓を開けると、びゅうっ、と風が吹き込んできました。温められた部屋はたちまち寒くなってしまいます。
すぐさま、そうたくんは窓を閉めようとしました。
けれど。
ごうごうと。びゅうびゅうと。
恐ろしく吹き荒れる吹雪のその中に。
『そうた。そうた。どこ? そうた……』
ゆきの声を聞きました。
聞こえるはずはないのです。
それは人の言葉ではないのだから。
聞こえるはずはないのです。
それは、雪にもれだした、ゆきのこころでしかないのだから。
けれど。
聞こえてもおかしくはないのです。
だって約束があったから。
雪が積もったら、ふたりで雪合戦をするって約束をしたのだから。
そうたくんは、ゆきが呼んでいると知りました。気付きました。そうに違いないと決意しました。
外行きの服に着替えます。
手袋はありません。そのことが、ゆきのことは夢ではない、とそうたくんの胸をきゅうっと締めつけました。
部屋のドアを開けると、パパとママが朝ごはんを食べていました。
ふたりとも、そうたくんの調子が良くなったことを喜んで、次に外に出ては行けないと、そうたくんに言いました。
けれど止まるわけには行きません。
そうたくんは駆け出して玄関を開けました。
そこには、雪だるまがいました。
ゆきとふたりで作った雪だるまが、玄関の前に立っています。
(むかえにきてくれたんだ)
そうたくんは雪だるまに飛びつきました。
雪だるまはぎゅん! と動きだし、後ろから追いかけてきたパパを引き離します。
はやく。はやく。
雪だるまはその身を削りながら、降り積もった雪をはじきとばして公園までの道をひたすらに進んでいくのでした。
-◇-
吹雪はとどまることを知りません。
あふれだした『寂しい』は、もうゆき自身でも止められないのです。
普段なら歩いて5分ほどの道のりも、そうたくんにはずっと続くように感じられました。
「あっ!」
ぼろっ、と。雪をかき分けていた雪だるまが崩れて動かなくなりました。
そうたくんの周りには、自分の背よりも高い雪の壁。吹雪は、今まで通ってきたところも雪で閉ざしてしまいます。
崩れた雪だるまをそっとなでたあと、そうたくんは目の前にある雪の壁を手で掘り始めました。
雪をかき分けて、崩れた雪を踏みしめて。そうして少しずつ前に進んでいきます。
手はあっという間に真っ赤なしもやけになりました。
それでも。さらには、進んでいる方向が分からなくても。
そうたくんは進み続けて、そして。
「ゆき……」
公園にたどり着いたのでした。
-◇-
「ゆき……」
ゆきが声のした方を振り向くと、そうたくんが立っていました。
吐く息は真っ白で、手は真っ赤で。小さな体をふるわせて、そうたくんが公園の入り口に立っていたのです。
「そうた……!」
ゆきが駆け寄ると、ぐら、とそうたくんの体が傾きました。
「おくれて、ごめんね」
全身をゆきに預けたそうたくんは、ゆきの耳元で呟きました。もう、意識は途切れ途切れです。
「ううん……! ううん……! ゆきのほうこそ、ごめんなさい……っ」
ゆきは、ふるふると首を振りました。
ゆきは、このとき初めて知ったのです。ひとは寒いと凍えてしまうということを。
「ゆきがっせん、できなくてごめんね。でも、ぼく、ゆきのこと、やっぱりすきだよ」
少し微笑んで、そうたくんはゆっくりとまぶたを閉じました。ゆきがどれだけ話しかけても、ぶるぶると体をふるわせるばかりです。
「そうた……っ!」
ゆきはぎゅうっとつよく、つよくそうたくんの体を抱きしめます。
それは、そうたくんを凍えさせてしまう行為のはずでした。ゆきの体は雪と同じく冷たいものだったから。
けれど。
そうたくんのふるえはどんどんと小さくなっていきました。
だって、ゆきのからだはもう冷たくないのです。
とけないように太陽から隠してくれたこと、ふたりで一緒に遊んだこと、吹雪のなか来てくれたこと。
あたたかい思い出がむねを満たし、からだはもう、ずっと。ずうっと。
雪が解けてしまうくらいずっと。
ねつはあたたかく、あふれていたのでした。
-◇-
それから少しして。
吹雪がとつぜんやんだおかげで、パパとママはそうたくんを見つけることができました。
そこにはとっても不思議な光景が広がっています。
雪に包まれた街の中で、そうたくんのまわりだけ雪はなく。
かわりにあるのは白い花。雪解けに咲く、たくさんのマツユキソウがそうたくんをやわらかく、あたたかく。
そっと。ぎゅうっと。受け止めていたのでした。
スノードロップ:
別名 マツユキソウ。
厳しい冬の寒さを耐え、春先に小さな白い花を咲かせます。その力強さ、可憐さから「希望」「慰め」などの花言葉を持っているそうです。