#86 嵐の前の
「悪魔の相だ……悪魔が歩いていやがる!」
「くそっ、消えろ! 悪魔め……!」
罵声。そこら中から聞こえてくる。そして嫌悪と侮蔑の色をした視線。
投げつけられたトマトが私の頭に命中し、弾けた果肉が私の白い髪を赤く染めた。
食べ物を粗末にして。配給が潤沢だからと馬鹿な事をする。
私は無言で付着したトマトを手で払うとフードを深くかぶり廃墟を歩く。
私の前にも後ろにも、私と同じようにボロ姿の者達が並んでいた。
皆、石を投げられ卵を投げられて、無言で歩いていた。
「死ねっ! 魔族の同胞ども!」
「なんで悪魔の相がよくて、俺たちはだめなんだ!」
「くそっ、地獄に落ちろ! 忌子どもめ!」
(うるさいなあ……)
私はフードの下に隠れる赤い瞳を細める。
どこにいたって私たちは忌むべき存在。人の世にあって魔とされるもの。ユナイル教の教えとやらで定められた、ふざけた決まり。
ああ、耳障りだ。慣れ親しんだ罵声とはいえ、聞きたいわけではない。
頬に流れたトマトの果汁をぺろりと舐めると、ぺっと地面に吐き出した。
悪意をこの小さな身に受けてもうどれくらいになるか。
廃墟に住むこの難民共の中に在ってさえ、私は異端であり排斥されるべき存在というわけだ。
ああ、心地いいよ。それでこそ私は憎悪をこの胸に抱き続けられるのだから。
待って居ろ血袋ども。すぐにお前らなんかその腹を裂いて臓物を辺りに……。
と、心の中で悪態をついた私ははっとして自分の手を見やった。
ぎゅっと握られた私の手。その手に伝わる温もりが、一段と強くなったことで暗く思い感情が驚きに切り替わる。
この暖かさ。覚えがある。闇の中に在って私の手を包んでくれた温もりの味は、母たるレイメその人の記憶。
隣を見れば。
私に身を寄せて手を繋ぎながら共に歩く……キエルがいた。
「ココット……」
そうか。私は一人ではなかったな。
キエルは私を気遣うように頭を寄せて降り注ぐ悪意から私を庇った。私はそれにむず痒い思いを感じながらも、キエルの手を振り払うことなくただ、歩いた。
「貴女は、こんな経験をずっとしてきたのですよね……」
「……ああ。お前たちのおかげでな」
「……はい」
キエルはそう言って私を抱き寄せる腕の力を強めた。
私はそれに目を細めて、ただただ身を任せた。そして周囲の雑草どもの罵詈雑言を聞きながら連中の顔を眺めて、笑った。
アウタナの時とは違う。排斥されるために来たのではない。せいぜい今のうちに私を貶めておけ。倍返しするのが楽しみになる。
被害者面した難民どもめ。恨みの対象をすり替えて多少なりと気持ちよくなりたいのだろうな。
体制への不平不満を幼子相手にすげ替えるのは楽しいか? 心は晴れるか?
否。すぐに全員が泣いて許しを請いながら死に絶えることになる。
私は、この廃墟を進み視線の先に見える城壁の向こうに聳える神聖都市バルタを、焼きにきたのだから。
♢
時を少し遡り、あのバカ騒ぎした夜が明けた頃。
私はひどい頭痛に襲われていた。
昨日キエルと別れた後ミオの眠るベッドに倒れ込むようにして潜ったのは覚えている。
朝起きたらミオにしがみつかれていて、猛烈な頭痛と体のだるさが私を襲っていた。
やはりこの体にはあの量でもまずかったらしい。
私は魔族達を整列させながら青い顔で立っていた。
そしてゾフをはじめとした魔族たちはもうすっかり元気になっていたもので、ずるいものだと恨めしく思った。
大分長い事やっていたのにすっかり回復している。種の違い故か。
飲み明けで朝早くから偵察隊も出立していたというし、10時頃までうっかり寝こけていた私に何も言う権利はなかった。
そんな私をよそに仕事をしてくれた連中。まったく有難い話だ。
そうあくびをしながら必死に目を覚まそうと目をこすっていれば朝出立した偵察隊が帰ってきた。
クォートラ達ドラゴニュート部隊だ。
クォートラは広場に着地し人化すると、私の前に歩いてきて跪いた。
「姫、おはようございます」
「ああ、ご苦労。起こしてくれてよかったのだぞ」
「いえ、大事なお身体を煩わせるほどでもないかと思いまして」
まったく世話をかける。優しくされるのは慣れていないのだが、なかなか染み渡るものだな。
私は上着の襟を直し、周尾を見やる。
魔族達はあわただしい様子だった。
「何かあったか?」
「は、報告を。ゾフから伺いましたが、先の偵察の折、姫が馬車を尾行させた者らが戻っております。それから、近くの交差路で人間どもが怪しい動きを見せており……」
「……あれか」
クォートラらに案内され小高い丘に身をひそめながら目を細める。
視線の先にあるのは拠点からさほど離れていない路地だ。バルタ兵の検閲が設けられていた通商路の交点。そこにはいくらかの人と、馬車が何台もあった。
怪しい馬車がバルタに続々と集まっているらしいという情報は前回の偵察時に見た馬車の姿と一致する。そして、馬車を尾行させていた魔族が帰還し報告を聞いた限りでも今見ている馬車がバルタを何かしらの理由で往復していることが分かった。
問題は何をしているかだ。
私は疑問符を浮かべずにはいられなかった。
なぜなら、兵士の指示だか先導だかで馬車の周りに集まる人々の中には、悪魔の相を持つ者も数人見受けられたからだ。
「お嬢に似たやつらがゴロゴロいらあ。確かあれでしょう? 白髪に赤眼は人間の中じゃ散々なんじゃなかったんですかい?」
「そのはずだ、ゾフ。我ら悪魔の相持つ者は人間などとは思われない。ただの塵扱いさ。だからこそ私の眉根に皺が寄っているのがわからないか?」
ゾフを睨めば頭を掻いて目を伏せた。
「姫、如何しますか」
「情報が足りないな。あれを潰すのは簡単だろうがあまりに妙だ。一度戻る。監視は引き続きさせておけ」
そうして私は一度拠点へと戻ると魔族たちを集めた。
遠目に見てわかったことは多少ある。
まずあの一般人たちはおそらくはバルタへの避難民だろうという事。散らせていた魔族の報告で馬車は近隣の至る場所で人を拾い集めていたという。
馬車を待っていたであろう避難民のグループの一つを襲い口を割らせた結果バルタでは積極的に避難民の受け入れをしているとのことだった。そしてどうにもその受け入れは悪魔の相を持っていたとしても分け隔てがないとも。
これが一番腑に落ちなかった。
ユナイル教の総本山であるバルタなのだから悪魔の相の排斥こそすれ受け入れなど理解ができない。
故に、私は一つ行動を決めた。
「やはり情報が欲しいな。ともなれば強行偵察だ。向こうが招いている以上ルイカーナよりかは入りやすそうだしな」
うんうんと頷きながらつぶやいた私にゾフとクォートラが目を丸くする。
「お嬢、まさかまた……!」
そのまさかだ。入れてくれるのなら行ってやろうじゃないか。
「我々には時間がない。悠長に安全策ばかり取っていられまい」
「また捕まったらどうすんですの!? 罠かもしれませんわ」
罠。罠か。確かにそれもありうる。そんなことはこの私が一番わかっているさ。
この髪と瞳を持つ者がこのファルトマーレでどれだけ疎まれてきたかはこの体に12年分刻まれているからな。
だからこそこのふざけた催しの真相を暴かねば気が済まない。
それに、仮に罠だとして理由がわからなすぎる。私という悪魔の相を持つ人間が魔将軍を務めていることがバレていたとて、あのような下策はしない。ノコノコ魔将軍が釣れるなどとは思わんだろうはずなので、私の事は未だ連中には伝わっていないことは明白。
つまりは何らかの理由で連中は悪魔の相を含む難民を囲い込んでいる。それがもしただの善意からなら……これほど笑えることはない。
それを、確かめなくてはならない。
「二の轍は踏まん。ただ視察に行くわけじゃあないしな。そら、用意していた馬車を準備させろ。キエルも呼べ。それからナイトリザードを数人選抜しろ。確か補充兵に居たはずだな」
私の指示にクォートラがまだ何か言いたそうに私を見る。
まったく、お前は兵士だろうに。作戦に私情は極力挟むなと言いたい。
「案ずるな。あの街を確実に落とすための準備だ。例の作業は継続してやらせておけよ」
「……ですが、せめてエルクーロ様が援軍を率いてくるまで辛抱されては……」
「ならん。援軍が到着したとて攻略の糸口を掴んでおかねば意味がない。せいぜい雁首揃えて睨みあいになるだけだ。今のうちにやれることはやっておく」
「クォートラ、あきらめろ。お嬢はこう言ったらテコでも動かねえよ。ほら、行くぞ」
ゾフに肩を叩かれ、クォートラは最後まで心配性な顔をして去った。
まったく、過保護というかなんというか。妙なスイッチを入れてしまったようだが……それも私の責任か。私は顔を伏せて目を閉じた。
どちらにせよ正面切ってバルタを落とすことは困難を極める。アウタナも、フリクテラも、ルイカーナも。すべては敵の手の内と考えが分かったからこそ付け入るスキがあった。
今回はそうはいくまい。いよいよもって尻に火が付いたファルトマーレはバルタの要塞化を進めている。銃という最新鋭の装備をいくらか我が軍は装備しているとはいえ単純な物量と、あの堅牢な都市の攻略には戦力不足だ。
何より、あそこにはすでに聖女が到着しているだろうとして、戦力の中心は教皇直轄の神殿騎士ども。黒紫騎士団のようなならず者ではない、真なる忠義で戦う者たち。頭を取ってハイ終わり、とはいくまい。
何か付け入るスキを見つけねば、あいつらを火の海に沈めることなどできはしないのだから。
ふう、と私は溜息をつき、ふと顔を上げればツォーネが自分も行く気満々でいるのか、ふんすと張り切った顔でいるのを見てもう一度溜息をついた。
ミオは……多少心配だがツォーネに任せるしかあるまいから、こいつには残ってもらうしかないのだが。幸い女子力……というものは高めなので世話自体はできるだろう。
水浴びも私より手際はいいはずだ。なんだかんだ私の予想外にミオは我が軍に馴染んでいる。
そんなわけでツォーネに頼めば自分が留守番だという点にひどくショックを受けたらしい。ルイカーナでは同行したからな。今回はそうもいくまい。
しがみついて一緒に行くと聞かないツォーネを適当にあしらっていれば、ミオがぱたぱたとやってきた。
「ココット! またおでかけするの?」
抱き着いてきたミオの頭に手を伸ばして撫でてやりながら、悲しげな表情のミオに苦笑する。
「ああ、すまないな。また少し出かけてくるよ。大丈夫。すぐに戻る」
「ほんと? いっしょにいっちゃだめなの?」
一緒になど連れていけない。
悪魔の相の受け入れがあると思しきにしても、紛れもない敵地に彼女を連れて行くなど。
できれば片時も離れたくないのは私も一緒だ。大事なものを常に目の届くところに置いておかねば、本当は不安で仕方がないのだ。
私が見ていない間に、失ってしまうなどという事があれば私は今度こそ耐えられないだろうから。
「だから、いい子に待っていてくれ。ツォーネと一緒に水遊びをしているといい。あいつは私と違って髪を洗うのも上手だから、洗ってもらえ」
ツォーネに多少手ほどきを受けていたとはいえミオの長い髪を洗うのは私では難儀していたところだ。お転婆に暴れるミオもツォーネならば問題ないだろう。
間違ってもケガでもさせたら絶対に許さんがな。しばらく血をお預けにしてやる。
「うん、おるすばんしてるね。はやくかえってきてね」
「ああ、すぐ帰るよ。そうだな、出来たらの話になるが、おいしいお菓子でもあったらお土産にくすねてきてやるからな」
「ほんとう? おかしすき!」
そう言って笑うミオの頭をぽんぽんと撫でてやって、ゆっくりとその肩を押し離す。ツォーネに目配せをすれば、泣きそうな顔でミオの手を引いて去っていった。
留守番ばかりさせて、すまないな。
私はそれを見送った後、改めてばさりと上着を翻らせて体を向き直り、選抜されたナイトリザード達を見やった。
ナイトリザードはリザードマンの近類であり、どちらかといえば蜥蜴というよりはヤモリのような外観の魔族だ。
隠密行動に長け、狡猾。潜入任務にはもってこいだ。
「まとめるぞ。これより私と潜入部隊がバルタへの潜入を敢行する。中では別れ、私は一般人として情報を集める。ナイトリザード達には別の事をそれぞれやってもらうから心しておけ。脱出には入るときと同じように馬車を奪い、難民を運ぶ体で行く。馬車の確保と運転手には、先日尾行した馬車が孤立したところを襲い奪った騎士の鎧で偽装した魔剣士を充てる」
出るのは入るよりは難儀しそうではあるが、ナイトリザード達にはそのままバルタ内に潜伏しやってもらう事がある。
私と、もう一人の人間くらいは馬車に潜り込めるだろう。
楽観ではなく、覚悟。時間がない我々が取れる策としての強行策ともいえるが、やってやれないことはない。
中から敵が外に出るなど、身持ちを固めた連中には想像もできんだろうさ。
悪魔の相を持つこの非力な幼女たる私が、バルタを襲わんとしている魔将軍などとは夢にも思うまい。それを利用する。
それに、おもしろいものもいくつか手に入っている。恐れろ人間ども。私は、なんでもするぞ。
と、呼ばれていたキエルが不安げな顔で私の前にやってきたところで、私は帽子を取り、上着を脱ぎ近くの魔族に手渡す。
代わりにぼろ布の着物を二着分受け取ると、キエルに向かった。
「あ、あの……どこかへ行かれるんですか? 皆せわしない様子で……」
キエルはそんなことをいうモノだから、私は持っていた着物の一着をキエルに投げつけた。
それを慌てて受け取ったのを見て、私はキエルに言う。
「私とキエルがあの招集を利用しバルタの中に入る。偽の馬車は途中で合流させろ。さあ出発の準備をしておけ」
それを聞いたキエルはぞっとした表情で私を見た。
「まさか、また……」
そのまさかだ。私はにっこりと悪意たっぷりに笑ってキエルに向かい、その手を取り握った。
「ほら出番だぞ? ……キエルお姉ちゃん?」




