#62 魔姫囚人
「ん……」
漏れた声。ゆっくりと瞼を開ける。ぼやけた視界に白い天井が映る。
仰向けに倒れているらしい体をぺたぺたと触る。傷は、ない。五体満足。
「生きている……」
どうやら気を失っていたらしいが、幸いなことに命はまだあるらしい。
と、腹に走る痛みに顔を顰める。
何があったのだったか。そうだ、突然レコを躱して目の前に現れた少年に、腹部に一撃貰って昏倒したのだ。
あの後何があった? ゾフは? ツォーネはどうなった?
「目が覚めたかい」
「っ……!?」
ゾフらの姿を探そうと身を起しかけた矢先唐突にかけられた声に私は肩をびくりと震わせた。
そして恐る恐る声の方へ視線を持っていく。
そこには、白いスーツに身を包んだ、金髪で端正な顔立ちの男が居り、私を見て笑っていたのだ。
「驚かせてしまったようだね」
椅子に座りテーブルに用意されている紅茶のカップを手に、男は柔和な笑みを浮かべてそう言った。なんだ。誰だ。
私は警戒心をあらわにしながら周囲を見渡した。白い部屋。ルイカーナの城。棚には様々なカップやボトルが立ち並び、私室といった趣。
そして私が身を起こした場所はふわふわとしたベッドの上だった。と、ここで気づいた。上着がない。帽子もだ。いつの間にか脱いでいる。いや、着替えさせられた?
今の私の恰好は白いドレスワンピース。丁寧に下着まで取り換えられている。最悪だ。
ベッドの上で私は男を睨んだ。
「……お前がアレハンドロか」
「ああ、そうだよ。小さなお姫様」
眉根を寄せて男……アレハンドロを睨む。
ルイカーナの実質的権力者であり、今回の私たちのターゲット。それが、私の目の前にいる。
そして、どうやら私はこいつに捕らわれた……らしい。手枷などはない。だが、状況は不味い。
アレハンドロはまじまじと私を眺めながら紅茶を飲むのみ。沈黙が続く。ちらりと部屋の隅を見る。ドアがある。私はアレハンドロがカップに口を付けた瞬間を見計らって一気にベッドから飛び降りてドアへと走った。
しかし。
ドアまであとすこしといった所で私は肩を掴まれた。
びくっとして振り返るとそこにはあの少年が立っていた。どこにいたんだ。さっき部屋を見渡した時は居なかったはず。
少年は相変わらず感情の読めない瞳で私を見ながら、私の肩を掴んでいる。振り払おうかと考えたが、こうなっては下手をすれば殺されかねない。脱出は……無理か。
「かってににげちゃだめだ」
少年が口を開く。私はおとなしく従う事とし、掴まれた肩に入れていた力を抜いた。それが分かったか、少年も肩から手を離した。
少なくとも、直ぐに殺されるというわけではないらしいな。最悪よりかは多少はマシな状況らしい。
私は少年に腕を引かれ、少し乱暴にベッドの上に戻された。掴まれていた腕が少し痛かったので、ベッドの淵に座りながら腕をさすり、恨みの視線を少年に向ける。しかし少年はどこ吹く風だった。
「ご苦労だったね、シア」
アレハンドロがぱんぱんと手を叩きながら立ち上がった。シア……というのが少年の名前なのだろう。シアは此方に歩み寄ってきたアレハンドロに道を譲る様に退き、また沈黙した。
「さて、君の事を教えてもらえるかな」
アレハンドロの問いに、私は無言の睨みで返す。アレハンドロはため息をつきながら首を振り、笑った。
「強気な子だ。小さいのに気丈だね。流石は魔族を率いただけはある。人間なのにどうやって魔族を操っているかは知らないが、アウタナとフリクテラを落としたのも君なんだろう?」
「……何故そう思う」
「違うのかい? 外に来ている魔族軍。あれ、君の仲間だろう?」
クォートラ達の事か。彼らは正しく役目を全うしているらしい。しかし認識していながら猶更なぜこの城に警備がいないのか。
あの、シアたった一人に全て任せているのだとしたらとんだ慢心だ。だが、事実こうして私が捕らわれた以上……迂闊は私の方であったが。
「……私と共に来ていた魔族はどうした?」
「ああ、彼らならどこかへ逃げてしまったよ。いくらかは仕留めたらしいが、まあ逃げ帰らせただけいいだろう。シアが君を捕えて来た時は驚いたが、君が捕まるや否や一目散に逃げたらしい。いい仲間を持ったね」
……なるほど。それはそうだな。ヘタをこいてしまった人間など価値はないだろう。ゾフやツォーネも私を見限り撤退したか。失敗と判断した時はすぐに撤退する手筈としたのは私だから何も言えんが……まあ、無事ならばそれでいいか。
いや、奴らの心配より自分の心配だ。奴らは私の道具に過ぎない......のだから。
それにいざこの窮地を乗り切ったのちに、連中がまだ私のいう事を聞いてくれればいいのだが。……そうでなかった場合、私はどうなるのだろう。
拒絶されるだろう。成果あってこそ人間の私に従っていた連中だ。無能となれば......ただの憎い人間に過ぎない。それで殺されるような事になれば何がなんでも逃げるしか無い。奴らから襲われ、逃げる......少し、嫌だな......。
考えれば考えるほどに最悪の展開を想像して、私は身震いをした。思えば大きな失敗など初めてだ。散々利用してきたつもりでいた魔族達。ゾフやツォーネ。おそらくはクォートラも。成果あってこそ付いてきてくれていた筈。失敗した私の事を、ただの人間として扱うならば私の命はないかもしれない。
恐ろしい。ミスをした後の事を考え、私は酷く狼狽した。
そんな様子を気取られたか、アレハンドロはにっこりと笑ってまた私に一歩踏み出してきた。
「……やめろ。近づくな」
「つれないじゃないか。君は魔族軍のなんだろう。人間で、悪魔の相を持つ。それでいて魔族を従える。魔族に送り込まれた諜報員かな?」
そう言いながらアレハンドロは私の髪を梳いた。悪寒が走り、反射的に手をはたき払いのけながら私は身を引く。
「触るな! 私は……私はココット! 魔将軍だ! 好き勝手出来ると思うなよ……!」
「……なるほど。しかしやれやれ、今更言われてもねえ」
アレハンドロは私にはたかれた手をさすりながら笑みを崩さず、今度は私をベッドに押し倒し、組み敷いてきたのだ。強い力で抑え込まれ、自由が利かない。成人男性の力というものがここまで強いとは。
えもいわれぬ恐怖に襲われた。思えばこういった事を警戒すべきだったのかもしれない。今まで全くなかったから意識できていなかった。ベッドの上に居る無力な私。特殊な趣向の貴族であればあるいは、と考えるべきだったのだ。
アレハンドロの手が私の両腕を器用に抑え、もう片方の腕で改めて髪や頬を撫でられた。足をじたばたさせて暴れるが、ついには馬乗りにされてしまい抵抗できなくなる。
「や……嫌だ! やめろ! 触るな!」
「安心したまえ。傷つけようという訳ではないよ。ふむ、やはり悪魔の相を持つ以外はただの人間か」
「ううっ」
反射的に目を閉じたところを、無理やり指で瞼を開かれ、ぐっと顔を近づけて来たアレハンドロに覗き込まれる。
男に組み敷かれて自由を奪われることがこんなに怖いなんて……! だが、このまま何をされたとしても絶対に耐える。命さえあれば……チャンスをうかがって……それから……!
恐怖心を思考で誤魔化そうと必死に考えを巡らせる。しかし私の瞳を覗き込むアレハンドロの翡翠色の瞳が惑わせる。
と、なんとか色々と覚悟を決めようとしていた矢先、私は唐突に解放された。
「ふむ。気に入った。君はとても歪んでいるね。そういうのは私好みだ」
解放されたらしい私は急ぎ体を起こすとベッドシーツで反射的に体をくるんだ。それを見てクスクス笑うアレハンドロをいつの間にか涙が滲んでいて潤んだ瞳で睨んでやる。悔しい。弄ばれた事と、それに本気で恐怖したこと。いい年して涙が出た事。そして、力で敵わないと悟ってしまった自分が体を好き放題される覚悟までした事が悔しい。
こいつは絶対に殺してやる。
アレハンドロは私を眺めてふうと一息ついた後、思いついたように手を叩いた。
「そう睨まないでくれよ。質問の続きをしよう。そうだな。じゃあ……これは一体何だい?」
そういってアレハンドロが取り出したものを見て、私は一気に頭に血が上るのを感じた。
「それを、返せッ! レイメに触るなあ!」
私はベッドシーツをかなぐりすて、アレハンドロに飛び掛かる。奴がつまんで見せた赤紫の宝玉……レイメの聖石を取り戻そうと。
服を着替えさせられた時点で真っ先に気づくべきだった。ポケットに入れておいたレイメの聖石。奪われていた。
アレハンドロは私の剣幕に少し驚いた様子だったが、どうでもいい。ぱたぱたと駆け寄りその服に手をかけ……ようとして、阻まれた。
一瞬私の腕をシアが掴んだと思えばそのまま私の体はふわりと浮き、天地がさかさまになったような錯覚の後、背中に強烈な衝撃と、気道の圧迫感が襲ってきた。
一瞬肺の中の空気が絞り出された感覚となり呼吸ができなかった。背中から投げられて大理石の地面に落下した。痛みに顔を顰めながら必死にひゅうひゅうと呼吸しようとする。しかしなかなか息が吸えない。頭に血が上り冷静さを欠いていたのが乗算したか。元々荒げていた息が災いして丘に上げられた魚の如き有様だった。
「痛い……っ」
痛みと苦しさでまた涙が出て来た。この体は涙腺が緩すぎる。不愉快だ。
仰向けに倒れたまま立ち上がれず、私を見下ろしているアレハンドロとシアを見ながらうわごとのように返せ、と口にする。
そんな私を見てアレハンドロは改めてまじまじと聖石を眺めた。
「ふむ、よほど大事なものらしい。魔石かと思ったが、どうにも普通の魔石じゃないね。まあいい。気を失っていた君がポケットの中で握っていたのがコレだ。返してあげるよ」
アレハンドロは屈み込むと、未だ荒い息を整えるべく上下している私の小さな胸の上にレイメをちょんと置いた。
私はすぐに両手で胸の聖石をぎゅっと握ると、勢いで体を捻り、丸めてアルマジロめいた格好になる。それを見たらしいアレハンドロの笑い声が耳障りだった。
「いや、すまないね。好奇心が押さえられなかったんだ。それからまだ痛むかい? シアには乱暴しないよう言ってあるんだけど」
すまなそうな声色でそういうものだからちらりと視線を向ければ俯いたシアが目に入った。「ごめんなさい」と謝っている。なんなんだ、なんなんだこいつらは。私をどうしたいんだ。
読めない私の扱いと連中の様子に混乱していると、アレハンドロは屈んだ姿勢のまま、私に手を差し伸べた。
「立てるかい? まだまだお話したいことがたくさんあるからね。紅茶でも一緒に飲もうじゃないか」




