#61 白い襲撃者
乾いた音と共に宙を舞った魔剣士の首。
暗い眼孔は驚きの色を浮かべているようで、きりもみ回転をしながら床に落着し転がると、首を失った骨の体が解けるようにバラバラと崩れ落ちた。
「……は?」
私は呆けた声を上げた。その刹那にである。立て続けに今度は悲鳴を上げた女魔族が胸から鮮血を噴き出し倒れた。
何が起こった。いや、考えるまでもない。
「敵だッ!」
ゾフが叫んで斧を手に取る。慌てて他の魔剣士達やツォーネも戦闘態勢をとる。しかし魔剣士達が剣を抜くその瞬間を狙い澄まさんとばかりに次々とその首や腕が切り落とされていく。敵の姿が見えない。
「野郎、俺達を上手く壁にしてやがる!」
ゾフがわめいた。魔族たちは突然の襲撃にパニック状態だ。
私も気圧されていたが、ゾフの声で我に返り、すぐさま焦りつつも指示を飛ばす。
「散れ、散れっ!」
密集しているから利用される。なら散るしかない。そう思い出した指示で魔族たちは散開する。結果として、敵の姿を拝むことはできた。
白い髪。赤い目。透き通るような白い肌に、返り血で彩られた白地の簡素な服を着て。私よりいくらか大きい程度の年齢の少年が、冷たい瞳で今しがた斬り殺したであろう魔族に目を落としていた。
その手に握られるのはナイフ。魔剣士の骨格を容易く裂いたところを見れば業物か、使い手の技術か。
なんにせよ、襲撃者は人間。悪魔の相を持つ、少年だったのだ。
「こいつが悪魔……!」
ゾフが動く。地を蹴り魔剣士たちの合間を縫って少年へ疾駆すると大斧を上段に構え一挙に振り下ろした。
その威力はすさまじく、大理石のような床が砕け粉塵が舞う。普通であれば脳天から股下までを両断される一撃。しかしゾフは手ごたえのなさにすぐさま苦い顔で唸った。
「すばしっこいじゃねェか!」
ゾフはすぐ上を見やる。私もつられて見れば少年はゾフの一撃を躱し飛んで逃げていた。凄まじい跳躍力。身軽さは並ではないようだ。
しかし空中に逃げたのは失策だろう。翼持たぬ者が飛べば、後は落ちるだけ。ゾフは斧を下段に構えて落ちてくる少年を待ち受けた。
しかし、少年はおもむろにナイフを投擲する。よく見れば光る筋が軌跡に煌く。細いワイヤーのようなものが括ってあるらしい。ナイフは広間のシャンデリアに引っ掛かると、少年が軽く腕を引いただけでその身を翻らせた。空中で軌道を変えた少年をゾフの斧は捕えられない。
完全に虚を突かれた形となったゾフは降りぬいた斧の隙の間に、背中側に少年の着地を許す。
同時に、ゾフが唸る。
見れば背中に赤い縦筋。着地と同時に背中を裂かれたらしい。
「ゾフ!」
「チッ……皮膚を斬られただけでさ! なんともねえですぜ!」
厚い表皮と筋肉のおかげで致命傷には至らなかったか、ゾフは声を張り上げて私に返事を帰す。
少年はゾフの背中を裂いた後2歩ほどひょいと飛び、ちょうど散開した私たちの中央に立つ。
ゾフを手玉に取ったこの少年。本当に人間なのか。
少年は感情のない淡々とした視線で警戒しつつも一連の攻防を見せつけられ動けずにいる私たちを順繰りに眺めた。
ツォーネはじりじりと私を庇う位置に立つ。私は自分が狙われてはひとたまりもないと感じツォーネの背に隠れる。そしてツォーネの脇腹から頭をのぞかせて見やれば、沈黙を取り戻した場において少年は動こうとせず、ただただ私たちを眺めていた。
(何をしている……?)
襲ってくる気配がない。魔族たちは未だ警戒の眼差しでいるが、一転した少年の様子に構えたまま制止を余儀なくされている様子だ。開幕に数体やられたのが衝撃だったらしい。
普段なら人間一人に警戒する魔族ではないが、阿呆でもない。ゾフ含め、魔剣士達も明確な敵として認識しているためうかつには出ないらしい。
私の教育の賜物ではあるが、油断するなと教えた私自身ですら……いや、同じ悪魔の相を持つ人間である私だからこそ動揺してしまっているというのに、よくやってくれている。
そして現状はきっと我々の不利。あの少年の芸当は並ではない。慢心せずに動くべきだ。私はすぐさまゾフらに移動するよう命令を下そうとした。
だが。
「ぐ……が……あぁあああ!!!」
唐突にレコが吠えた。少年の目がぎゅるりと動いてレコを捉える。
レコは爪を構え、雄叫びを上げた。
「があああッ! 同胞の仇を前に、怖じ気づいてなるかよおおおッ!!」
そして前屈姿勢で構える。合わせて少年もナイフをすっと構えた。レコの雄叫びに合わせてか、怯える一方だった捕囚の魔族達もその眼に戦意の炎を灯す。
「ウェアウルフは退かねえッ! 今度こそ八つ裂きにしてやるぞ悪魔めがああッ」
レコが地を蹴った。先走ったのだ。
「っ……堪え性のないッ」
レコにとってはあの少年が仲間の仇、という事なのだろう。にわかに信じがたかったがあの立ち回りを見せつけられれば納得もする。
だがそれとこれとは話が別だ。いかな仇を前にしたとて、命令系統を台無しにされてはツケが全体に及ぶことになる。大体約束しただろうが! 勝手に先走って……全部パアだ! 捕囚どももやる気になってしまっている。
あの少年と今戦うのは得策ではないと私の頭の中で警鐘が鳴っていた。あの少年は強い、というよりは巧いのだ。セグンのような戦闘力ではない。あれはただ殺す事にだけ特化したようにすら見えた。さながら暗殺者か。故にこう屋内で人や物も多い中では向こうに分がある。
だが、そうであれば真っ向勝負に持ち込まれた時点で少年の負けだろう。レコの先走りには顔を顰めるが、それで仕留められるのならいい。私はゾフを下がらせ、ツォーネと共に私を守らせながら少年を目で追った。
そこで……。
少年と目があった。
「……しろい、かみ。あかい、め」
「っ!?」
明らかに少年から意識を向けられて私は息を呑んだ。それとほぼ同時に、レコが再び吠えた。
目にもとまらぬ速さで少年に肉薄。爪による攻撃を見舞う。少年はナイフでそれを受け、流す。レコは再び攻撃。流す。速さに自負あるウェアウルフの攻撃を、受け止められないながらも的確にいなしていく少年。レコは目を血走らせながら少年に攻撃を繰り返すが手ごたえのなさに焦りが見られる。
次第に魔族たちが大挙してレコの加勢に向かうが、少年は一瞬の隙をついてレコの腹を蹴る様にして飛ぶと、姿を消した。
「っ……どこいきやがった!」
少年の姿はない。が、私にはわかった。先ほどあの少年が我らの密集時に体の影を利用して死角を取り続けていたように、今度は周囲の人間どもを盾に隠れたのだ。
レコ達もそれに気づいたか、半ば狂ったように周囲で未だ動かない人間どもに襲い掛かった。
未だに歌が響く中、手当たり次第に千切っては投げ、鮮血で広場を染め上げる。何人もが既にバラバラに引き裂かれて尚、動こうとしない人間たちの姿に私は吐き気すら覚えた。
「どこだ! この場の連中を皆殺して探してやるぞ!」
レコ達は暴れていた。もはや理性を感じられない程に獣と化して動かない人間たちを殺戮していく。
そして舞う血しぶきや手足で、より視界というよりも意識が散りやすくなっていることに気づいた。
「レコ、やめろ! そんな事をしても奴の思うつぼだぞ!」
「うるせえ! こうなっちまったら奴を殺すしかねえ! 見つかったからには逃げられないんだ、やるしかねえんだよ!」
まるで聞く耳を持たない。
「狂犬が……!」
約束はどうした。私の指示は聞く約束の筈だ。連れてきてやった上に捕囚まで連れ立たせてやったのに、恩を忘れて暴走とは。全部水の泡じゃないか! 配下にない魔族がこれほど扱いにくいとは……!
いや、そんな事を言っても仕方がない。これでは作戦に支障が出る。ならば、さっさと切り捨てよう。そうしよう。取り返しがつかなくなる前に。
「ゾフ、ツォーネ! 移動する! いくぞ!」
「あのバカイヌはどうするんですの?」
「放っておけ! 錯乱した犬に噛まれる気はない! あの暗殺者が犬どもと遊んでいるうちにアレハンドロを仕留めに行く!」
「こいつらは見殺しにするってんで?」
「私の知ったことじゃない! 恩を忘れ私との約束を違えた死にたがりなどは勝手に死なせてやればいい!」
レコや捕囚魔族が気になる様子のゾフであったが、事実として私との約束を破った連中ではあるためか目を細めながらも私に従った。ゾフも捕囚を連れてくるよう私に頼んだ口だ。あの貸しを最悪の形で返されて私は今すこぶる機嫌が悪い。ゾフもそれは察していたようで、すぐに切り替えたらしい。先行しドア前の人間たちを大斧で薙ぎ払い道を作っている。
あの少年に襲われれば私はひとたまりもない。レコが押さえているうちに早く外へ……。
ゾフが広間のドアを蹴破り、廊下へ出て周囲を確認。倒れた警邏が私にも見えたが、あれがツォーネ達が殺した連中だろう。なんにせよ未だ歌は響いている。人間が動かないのであれば移動は容易のはず。隠れる場所のない廊下にさえ出てしまえばあの少年も対処できるだろう。
そう、考えて一歩踏み出した瞬間。
私の目の前に、あの少年が現れた。
私は驚きのあまり声も出なかった。レコと遊んでいたはずの少年はいつの間にやら私とツォーネの間に割って入る様にして出現した。
レコは。捕囚どもは。何をしているのか。
それを確かめる為に振り向きたかったが、少年と目が合ったまま視線を外せなかった。
「野郎てめぇ! ココット様から離れやが――――」
ツォーネが激昂し叫んで、密着距離で槍が振るえないことを悟り空いた腕で少年につかみかかろうとして……その腹に痛烈な蹴りを受けて吹き飛んだ。蹴り飛ばされたツォーネはゾフ目掛けて飛び、ゾフはからがらその躯体を受け止めた。ツォーネはゾフに支えられながら腹部を抑えて咳き込んでいる。
魔族を蹴り飛ばすなど。ましてダメージまで。ますますもってコイツは人間なのか?
そんな疑問を浮かべた私であったが、状況は最悪。護衛もおらず、少年と息がかかるほどの距離で向かい合っている。白い服や髪を返り血で赤く染め上げた悪魔が、私を見下ろしていたのだ。
心臓がばくばくと脈打つ。呼吸が早まる。額を汗が流れ落ち、首筋に何か冷ややかなものを感じた。
と、少年がおもむろに口を開いた。
「きみは、だれ?」
「なっ……くふ……」
その言葉に返す間も、意味を考える間もなく。
私は腹部に鈍い衝撃を受けた。
覚えているのは、喉元にせり上がる何かの不快感。ツォーネやゾフの声。レコの雄叫び。
私を呼んでいる気がした声と、未だ響く歌声を聴きながら、私は……敵地で意識を失った。




