#56 制裁
――――キエルは、口に手を当てて目を見開いていた。
視線の先には深々と突き立った矢があり、赤々とした血が滴っていたのだ。
「え……あ……」
キエルが一歩後ずさり、矢と矢が飛んできたであろう方角を交互に見やる。
そして。
「……はぁあ~」
私の盛大なため息が響いた。
「お嬢、無事で」
「ああ、ゾフ。すまないな」
矢は、ココットの顔の前に突き出されたゾフの丸太のような腕に突き立っていたのだった。そこからぽたぽたと血は流れているが、ゾフはすました顔だ。そして、一瞬力むと矢を勢いよく引き抜いた。
直後、再び風を切る音がして、立て続けに二本の矢が飛来した。ゾフは背負った戦斧を抜くと、造作もなく防いだ。
もう無理だよ。矢で私を殺すのは。
私はため息の後、シンの村の方角からややずれた木々の合間の暗闇を見ながらつぶやいた。
「ツォーネ」
「はいはーい」
ツォーネは返事をすると突撃槍を取り出し、ぐっと構える。その構えは槍投げ競技選手が如く、左手を前に突き出し、耳の横で槍を構える。
ゆらゆらと揺れる穂先。呼吸を止めて狙いを定めると、瞬間、一思いに突撃槍を闇目掛けて投擲した。
弾丸のような速度で一直線に飛翔した突撃槍は、数呼吸程の時間の後、木々を砕く音と共に何かに突き立った音を響かせた。
ツォーネがにやりと笑い私を見る。
私はツォーネから視線を外すと、オドの頭をぺしぺしと叩き方向転換。今しがた出立したばかりの私たちは、ゆっくりと来た道を戻るのだった。
キエルにゾフの腕の手当てをさせながら少し歩き、クォートラとツォーネの先導の下やがて一本の大木に辿り着く。
木の表皮には暗闇でもわかる赤い液体がつう、と滴り落ちてきている。上を見やれば、突撃槍に腹部を穿たれ大木に磔にされた不届きもの……ルクの姿があった。
「がふ......えぁ......」
ルクは苦しげに呻き、目に涙をためながらも懸命に突撃槍を引き抜こうともがいていた。
無様だな、と私は呟いた。ルクは私たちに気づき、鮮血を口から吹きこぼしながら恐怖と悔しさがにじみ出たような表情で私たちを見下ろした。
私を狙ったであろう弓は未だしかと握っていたが、肝心の矢筒が地に落ちてしまっている。もう抵抗はできまい。それ以前に、致命傷と見て取れる有様から長くも無いだろうが。
「怖じ気づいておとなしくしていればよかったものを。まさか本当に仕掛けてくるとは愚かさに辟易する。若くして村を任された責任感がそうさせたのやもしれないが、無謀をしては意味がない」
私の言葉にルクは痛みと悔しさで歯噛みした。
すぐにツォーネが突撃槍を引き抜き、解放と同時に栓を抜かれた傷から血が噴き出たルクは見る見る間に青白い顔になっていった。
それでも容赦なく、クォートラがその首を掴み上げる。そしてそのまま私と頷きあう。
「我々は約束を破られた。であれば、そうだな。制裁を加える理由にはなったわけだ」
にや、と笑った私はシンの村へと足を向けた。
「ああ、まだ死ぬなよ。愚行を悔いる機会をやる」
くつくつと笑いながらルクを流し目で見て私はオドの腕に手をかけた。
クォートラに首を掴まれたまま瀕死で運ばれ苦しげに呻くルクの視線は……キエルに向けられていた。
そして、視線に気づいて目を逸らしながらか細い声で謝罪の言葉を口にするキエルに、霞んだ声でルクは恨み言を溢した。
「うら......ぎりもの......」
シンの村に踵を返した私たちの姿を見て、村人たちの表情は真っ蒼になった。
村長でさえ、私の姿とクォートラ達。そしてクォートラに見せしめとばかりに運ばれる瀕死のルクを見て悲鳴を上げた。
「何故だ、何故生きている!? ルクは失敗したのか……騎士たちは……!?」
「騎士達は我々の主軍がおもてなし中の頃合いだろう。一人も生かすなと言ってあるから、戦いの前のいい前菜になっているんじゃないかな」
村長の言う騎士達。ルクらが私にバレないようルイカーナ騎士に再度の来訪を依頼していたのは聞き及んだ次第。故に先に出立させた連中にも騎士たちの存在を伝え、待ち構えるように命令していた。我々の存在があるからルイカーナからの最短ルートでやっては来ないだろうと、先行部隊は3つに分けて広範囲に進軍させた。
そして現に、騎士達が来ていないところを見るにどれかにはぶち当たったのだろう。騎士たちは哀れ魔族の餌というわけだ。
で、だ。私はオドの肩から地に降り立ちながら言う。
「村長、私は言った筈だよ。いう事を聞いておとなしくしていれば危害は加えない。私は約束は守るつもりだったのだがねえ」
「ぐっ……」
瀕死のルクを突きつけてやれば村長は目を丸くして絶望した。冷や汗を流し、それでいてルクにまだ息がある事に気づくと恐るべき変わり身で私に命乞いをした。
だが、私は一切聞こえないフリをする。もはや問答は無用なのだ。
「本当に、短い付き合いとなったなあ……真に残念だよ」
私は言葉とは裏腹に満面の笑みでそう言って、腕を振って魔族たちに命令をする。
殺せ、と。
――――いつぞやアウタナで見た地獄絵図。アレに比べればだいぶ規模は小さいが、今シンの村は確かに地獄と化した。
老人から幼い子供まで分け隔てなく魔族の爪や牙が襲った。
今更泣きわめこうが遅い。先に牙をむいたのはお前たちなのだからと。
私は火を点けられ燃え上がる村を眺め思う。隣ではクォートラに捕まれたルクが涙を零して叫んでいる。静止の声なのだろうが最早言葉になっていない。
村長や、ムンと呼ばれていた老人が魔族の暴虐に飲まれていく。大分長い間お預けをしていたものだから、ゴブリンやオークは我先にと村人に殺到し、自分の取り分を確保すべく奔走していた。
悲鳴と、愉悦の笑い声と。抵抗する村人への咆哮と、獲物を取り合う魔族同士の喧嘩の声と。
「我々は蛮族ではない――――か」
燃ゆる家屋の赤々とした炎に暗夜のなか顔を照らされ、私はそんな様を笑みを浮かべて眺めつつ呟いた。
「遅かれ早かれこうなる定めというならば、はじめから全滅させるのと何が違うと言うのか。そうでしょう、エルクーロ様」
こちらが手を出さずとも、結局は攻撃を受けた。やらねばやられる。やられたのならばやるしかない。
結局そうなる定めならば、語る舌など初めから持たずに殲滅する方が効率的だ。そうすべきだったのだ。情報源だ人質だとあれこれ理由をつけて生かす努力をしてみたが、結末がこれでは。利用するだけして最後に私の一存で殲滅できればいざ知らず、先に仕掛けさせてから反撃で皆殺しにするなど面倒でしかない。リスクもある。
政治的印象などこの村の連中を見れば無意味としか思えなくなる。大体、誰に遠慮するというのだ。
遠き魔王城に居るであろう上司、エルクーロ様に届かぬ言葉をつぶやきながらも、私は進軍においてやはり甘さは不要と結論付けた。
村人の殆どが骸と化し、悲鳴も上がらなくなってきた頃合いで、往生際悪く声なき声を上げていたルクだったが、やがてひゅーひゅーとか細い空気の音を上げるだけとなった。かるく手を振り、クォートラに命ず。楽にしてやれ、と。
そして首を掴むクォートラの腕に力が込められ、小枝が折れるような音が鳴りしめやかに止めと相成った。
ふん、と鼻を鳴らした私は、ずっと私の隣でしゃがみ込み、光景の凄惨さに耐えられなくなったか吐しゃ物をまき散らしているキエルを見下ろした。
私の視線に気づいたか、涙と涎でぐしゃぐしゃになった顔でキエルは私を見上げた。
「なんだその顔は」
キエルは私を睨むような、悲しむような、後悔ばかり滲んでいる表情で私を見た。私は呆れて両手をひらひらと上げ、ため息交じりにキエルに言う。
「後悔など今更だろ。こうなると分かっていた癖に」
そう、お前にはわかっていたはずだ。この状況を作り出したのは紛れもなくキエル、お前なのだから。
「お前が襲撃をあらかじめ教えてくれたから私は死なずに済んだ。そして、お前が襲撃をあらかじめ漏らしたから奴らは死んだ。お前の身勝手さが全て招いた事だ。中途半端な優しさを誰彼構わず振り撒いた気になっていたお前のせいだ」
「っ……」
「一応礼だけは言っておいてやる。よくやった。弓をあの娘に渡していたことも不問にしよう。いいあぶり出しになった。だが、私の礼の引き換えに、多くの恨みを得たな。おめでとう」
その言葉を聞いてキエルは私をキッと睨んだ。
そう。
今回のルクによる私の暗殺計画。そしてそれに伴いルイカーナから追加派兵がある事。村人たちの企みを私に教えたのは紛れもなくキエルだった。その結果どうなるかなど、わかっていなかったわけではあるまいに。ルクの奇襲も、ゾフに事前に話をしていたから対応できたわけだ。
それでも私はすぐさま先んじて村人を皆殺すようなことはしなかった。キエルのいう事を信じていなかったわけではない。ただ私は最後まで自分の言葉に責任を持っただけだ。最も、破られてしまえばこちらとしても守ってやる義理もなくなった。ただそれだけの事。
私の指摘に、キエルは泣きそうな顔で私を睨んだ。
「やっぱりあなたは悪魔です……!」
「今更何を言う。ずっと私は悪魔さ。お前たちのおかげでな。それに私を咎めるのはお角違いだ。こうなるとわかって、私に襲撃を教えたんだろうが。両方救えるとでも思ったか? 結果はこれだ。奴らからすればお前も立派な悪魔だよ」
みるみるキエルの表情が曇り、涙が零れ落ちていく。キエルはおそらく、ルクらの襲撃も止めようとしたのだろう。そして、襲撃がない事を祈りながらも、事の次第を私にも教えた。誰も死なない様にと祈りでもしながら。事実私に襲撃を教えた時にも殺しはやめるように説得された。もし何もなければ見逃して欲しいと言ってきていた。
だがルクらは襲撃を決行した。そして、この有様だ。ルイカーナで見た魔狼の時とも同じ、中途半端な優しさなど誰も幸せにはなれないんだと思い知ればいい。そして、身勝手が産んだ悲劇に憤慨し、身勝手に私を恨むがいいよ。
「奴らの企みを阻止したかったのならば、なぜ弓を渡した? お前がやったのはただの扇動だ。中途半端にやる気を出させて、挫いただけだ。おかげで私としては奴らを殺す名分が出来たわけだが、あの弓一つが連中の破滅を招いたのは間違いない」
「それ、は……」
「それとも最初から、奴らを破滅でもさせるつもりだったのか? そうだとしたら褒めてやる」
どうせこいつの事だ。私を殺せるのならばという淡い期待もあったのではなかろうか。一度は私を殺そうとしたキエルだ。うまくルクらの作戦が成功したならば、と。期待するがあまり中途半端さを招いたのだろうと、私は推測した。
「どうした。怒った顔だな。私が死ななかったのがそんなに面白くないか?」
挑発的な言葉。しかし、キエルのやつは私を多少驚かせる発言をしたのだ。
「私が……怒っているのはあなたを選んでしまった自分にです……! 後悔しているんですよっ……!」
なんだ、それは?
私を、選んだ? では本当にこうなると分かってこうしたというのか。
「できればこうならないようにしたかった……ルクさんたちに思いとどまってほしかった……彼女たちが止まりさえすれば、あなたはこの村に何もしなかったはずだから……」
キエルは言葉を続けた。弓を渡してしまったのは自分の愚かさだと。村人達の剣幕に押されてしまったが結果もわかっていたと。私があわよくば死んだところで、キエル含め犠牲は出ていたはずだと。そして弓を渡さなかったとしても、きっとルク達は私を襲っただろうと。
「私があなたに襲撃を教えさえしなければ彼女たちは生きていたのかもしれない。だけど、あなたはきっと死んでいた。だからわからない……自分が死なないためと言い訳をしたけれど、本当はただあなたが死なない結果を選んでしまっただけの自分が!」
キエルの瞳には私に対する憎しみと共に、別の感情が見え隠れして。私は思わず一瞬たじろいだ。また、あの目だ。そしてそれがどうしようもなく不愉快に感じて、歯を食いしばりながら私は屈み込んでいたキエルの頬を張った。
平手で打たれた頬を抑えながら私を見るキエルに、半ば叫ぶように言う。
「他人を犠牲にして自分のわがままを通しただけだろうが! くだらないことを言って、私に恩でも売ったつもりか? 誰かを切り捨てて売った恩で私が……私、が……」
そこで私は言葉に詰まってしまった。
私は、迂闊を嘆いた。思い出してしまったのだ。自分の発した言葉で。
――――あの日、私を食わせる為に泣きながら小鳥を殺めていたレイメを、思い出した。
シンの村を切り捨てて私を結果的に救ったキエルが……少しだけ重なって。それだけで私は思い出に塗りつぶされて、それ以上言葉を紡げなくなった。
そして同時に、ひどく胸が苦しくなった。理由は別にレイメへの焦がれからではない。認めたくなかったのだ。キエルの事を。
なんでだ、どうしてだ……と。ルイカーナの奴隷市でもそうだった。
お前が、お前なんかが……なんでレイメをチラつかせる……。彼女とお前など、天と地ほども差があるのに。私の味方は、優しくしてくれるのは、レイメだけだったのに。
キエルなど、中途半端に見えるもの全部に事情も知らず勝手に手を差し伸べるだけの偽善者だろうに。私に優しい訳じゃない。後先考えずにその場その場の感情で身勝手に動き、起きた悲劇に憤慨する愚か者に過ぎないのに。
私はぎゅう、と胸を抑える。
こいつの存在は、危ういのかもしれない。いや、私が気にし過ぎなだけだ。寂しさを紛らわすために、こんな奴にさえレイメの影を見る弱さ故だ。こんな身勝手な奴がレイメと重なる筈がないんだ。
忘れろ。気にするな。レイメはもういない。私に優しくしてくれる者は存在しない。利用し、利用される。その中で私は成り上がるだけだ。
深く、深く深呼吸をしたのち、がっくり項垂れるキエルを放って私は燃えるシンの村に背を向け……暗夜の向こうにあるルイカーナの方角を睨んだ。




