#55 暗夜
――――あの夜から三日が経過した。
我が軍はその士気とは裏腹にしてシンの村でおとなしく過ごすこととなった。
理由は再度フリクテラからの物資の到着を待ち、シンの村の近場に別で築いていた陣地に運び込み、そこで攻城戦の準備をさせていたためだ。
クォートラらが良く私の補佐をし、魔族はゾフのいう事をよく聞いた。フリクテラ攻略時に比較して3倍ほどにまでになった我が軍の戦闘準備など上手くできるか不安はあったが、私の伝えた作戦と準備の仕立ては、彼らが伝聞することで滞りなく終わった
そして、有益情報と引き換え且つ、私の絶対配下という条件付きで一時的参画したウェアウルフのレコ率いる元奴隷魔族のレジスタンス部隊も、その一角に居た。これでもかと両の手を挙げて監視を買って出たツォーネ率いる魔剣士部隊に見張られている形ではあるが、せかせかとそれなりには働いていた。
ツォーネの殺気に怯えながら働くゴブリン達を眺めていると過酷な労働環境から嫌な記憶を連想するが、彼らへの同情は一切ない。むしろ監視だけで済んでいるのだからマシな方だろう。
そんな連中の忙しい準備模様を後目に、私は魔物の檻の前で肉を持ち思案にふけっていた。
クォートラらに伝えるべきことは伝えたので、息抜きも兼ねて日課を行っているのだ。
しゃがみ込んだ姿勢から肉を檻の中に放れば蛇や蜥蜴のような魔物がすぐさま食らいついた。アウタナの地下牢から連れ出した魔物たちへの餌やりは私の日課となっていた。かつて私が地下牢に居た頃ともに繋がれていた魔物たち。あの頃は特段意識さえする余裕はなかったが、多種多様な魔物が多くいた。
とはいえアウタナ夫人の管理も粗雑だったうえにアウタナ陥落に伴い餌すら与えられなくなったためか、再びアウタナを訪れた折にに連れ出したのは未だ息があった個体のみでそう多い訳ではない。しかして何かに使えるかもしれないという私の一存でこうして行軍に引きつれ、餌もしっかり与えている。
そのかいあってか衰弱していた魔物たちも次第に猛々しさを見せるようにはなった。長い間檻に繋がれていたとはいえ魔物の強靭な肉体と精神は回復の兆しを見せている。今にも私の喉笛を食いちぎらんばかりに檻の向こうで歯を見せて唸っているのだから。
「私が憎いだろ。殺したいだろ」
私はそう言いながら肉を放る。魔物はすぐさま食らいつく。
ルイカーナで見た魔狼が思い出される。あの衰弱した魔狼の目には確かに檻の外の者たちへの殺意が見て取れた。私が今肉を与えている魔物たちも同様だろうな。趣味娯楽の為に捕えられ、粗悪な環境に押し込められた。だがその理不尽なまでの扱いと、共にあの地下牢で過ごしたという点から多少の同族意識のようなものが私の中に芽生えているのか、魔物たちがどれだけ私に唸り声を上げようが、放った肉を食い日に日に活力が戻っていく様を眺めるのは一種の楽しみでもあった。
前世でペットを飼ったこともなかったが、親戚の家の金魚にエサを与え、一心不乱に食いつくさまを見るのは楽しかったと思いだす。
だが、檻の中で殺意の爪を研ぐ魔物たちの中で、私が不思議に思っている個体が一匹。
視線を向ければ、私の疑問の主たる他の魔物より一際大きく立派な鬣を備えた魔獅子という魔物がのっそりと寝そべりながらもその瞳でじっと私を見ていた。
魔獅子は、強力な魔物である。魔族風に分類するなら上級魔物といったもの。アウタナ伯夫人がどうやって捕えたかは知らないが途方もないか金と労力を注いだはずだ。もっとも、そういったものがあっても本来捕らえられるかはわからない程の存在。
だが、どうにもこの個体は活力がない。いつ見ても寝そべり、悪く言えばだらけている。眼の濁りなどもなく食事もとるので衰弱ではなかろうが、なんとものんびりとした有様だった。
野の王たる魔獅子が何たる様相かと、言葉が通じれば一喝もしたくなる。そんな思いを抱きながら魔獅子を見やるが相変わらずの様子で私を見るのみ。
「おまえには憎しみがないのか」
ぼそりと言うが、返答はあるはずもなく。
代わりに小走りでやってきたらしいクォートラが私に声を掛けた。
「姫、陽動部隊が先んじて出立致しました」
「……わかった。予定通りルイカーナの正面に布陣させる」
私は残っていた肉を雑多に檻の中に放ると、立ち上がってクォートラに向き直る。
「我々も行くぞ。部隊の編成は済んでいるか?」
「は。我が部隊から斥候として何人かドラゴニュートを飛ばせています。先んじて帰還した者によれば街の外に兵は居ないとの事です」
「よし」
私は頷き、広場へと戻る。
そこでゾフ、ツォーネ他村に残った少数の主力が整列していた。時刻は夜。暗闇に松明の明かりだけが赤々と周囲を照らす中私は皆に向き直り腰に手を当てた。
「ではこれより、ルイカーナを攻めるぞ。作戦は事前に語った通り、軍の9割を陽動としてルイカーナ正面に展開、けん制する。落とせずとも良い」
先だって陽動部隊が出立しているため村に残るのはごく少数の魔族とクォートラ率いるドラゴニュート部隊のみ。閑散とした有様だが一同の士気は高かった。
私が語り始めれば腕組みをしたゾフや腰に手を当てて胸を張るツォーネがやる気満々の様子で鼻を鳴らした。出撃を今か今かと待ち望んでいる様子。そんな様子に私は頷き、ふと脇を見ればキエルが俯いた様子で居た。
先日から随分意気消沈していて張り合いがない。虐めすぎたかもしれんが、可愛がってやるつもりもない。
どうせすぐにいつもの調子を取り戻すだろう。構わず私は言葉をつづけた。
「陽動部隊が注意を惹きつけている間に潜入部隊がレコの言う水路より侵入。侵入後は二手に分かれ、片方は街中の奴隷の解放だ。話によれば催眠術めいたものを掛けられているらしい。薬でないのが幸いだな。活を入れてやれば正気に戻るだろうとの事だ。そしてもう片方はアレハンドロの確保、または殺害だ」
頭を潰せば戦いに勝てる。戦争とはそういう物だろう。
エルクーロ様の言いつけがある以上はルイカーナも可能な限りそのままの状態で手に入れたい。
アレハンドロの保有戦力は未だ不明瞭ではあるが、あの薄気味悪い程に平和ボケした住民共や、街中にほとんど警邏が見られなかったことから攻め入られることを想定はしていないのだろう。フリクテラまで落として見せたというのにこう余裕がられては癪に障る。
そして、黒紫騎士団。連中はおそらく陽動部隊の方に向かうはず。
万一陽動部隊にかからず籠城を決め込まれた場合には、迎撃の程度にもよるが攻め込んでいいと指示をしておく。警邏の少なさから速攻をかければ踏み込めるかもしれない。市外戦になれば有利はこちらだ。ろくに避難もできていない住民共は格好の盾になる。地の不利は人質でひっくり返せるのだ。
あと懸念はレコの言っていたアレハンドロ子飼いの悪魔だが……眉唾としか思えない。
仮に存在したとして、我が部下の敵ではない筈だ。それに……悪魔の相を持つ者が人間なんぞに味方するなど……。
止むにやまれぬ事情でもあろうが、信じがたいものだった。今の私なら連中に使われるくらいなら自死してやる。最も、そんな未来は絶対に阻止するが。
ひとしきり話し終えると同時、村に残った3隊長及び魔族たちはそれぞれ武器を構えて荷を持ち、行軍の準備をしてシンの村を出立した。
見送りに来させた村長が青い顔をしながら我々を眺めているので、オドの肩に乗りながら一瞥する。村長の後ろには村人たちが集められていた。皆一様に私に対する恐怖と敵意を募らせていた。
そんな様に満足して私は村長を見下ろした。
「ではな村長殿。短い付き合いだったな。我々は行くよ」
「は、はあ……」
なんとも気の抜けた返事で顔を背ける村長にふん、と鼻を鳴らして私たちは前を見た。足音が鳴り響き、宵闇の中魔軍は進む。
そしてシンの村を離れ、暗い森を十数名の魔族が歩を進める。私は掌でころころとレイメの聖石を愛おしみながら夜空をのんびりと見上げていた。思えば空などまともに見上げたことはなかった。満天の星空は、素直に美しいと思えた。
この美しい空の下、私が進むのは魔道。必ずアレハンドロの首を取り、エルクーロ様の信用を勝ち得なくてはならない。復讐の行く先には評価があり、そして昇進、やがては安寧の生活を手に入れる私とレイメの望みを叶える最高の魔道なのだ。
私は自分の中でもより士気を高めようとそんな事を考えていたのだが、すぐに気を散らされた。
隣を歩くキエルが妙にそわそわした様子でしきりに後ろを振り返っているのだ。なんだというんだ。
「落ち着かないな。見ていて目障りだぞ」
びくり、と肩を震わせたキエルは途方もなく困ったような眼でゾフの肩に乗る私を見上げた。
「な、なんでもありません」
「ならいいが。……村など忘れろ。何も心配はいらないし、二度と会うことも無いだろう」
軽い調子でそう言ってやる。
あの村には世話になった。いや、世話をさせた、とも言うが。ともあれ私の言いつけ通りいう事はよく聞いた。ならば私は約束を守る。いう事を聞いておとなしくしている限りは安全だというあの言葉を反故にはしまい。
キエルを窘め、俯き気味で頷いたのを確認すると私は再び前を向いた。
その直後、か細い風を切る音が背後から聞こえ、何とはなしに振り向いた瞬間視界に銀色のきらめきが映った。
そして……宵闇の中で矢が深々と肉に刺さるブズリという音が鈍く聞こえた。




