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#45 prologue:来訪者

 





 その日、空は曇りであった。


 鬱蒼とした森に落ちる光はいつもに増して乏しく、まだ夕暮れにも差し掛かっていないというのに薄暗い。


 そんな森で右肩に籠を背負いながら木の影に屈み込む少女は、その薄暗さの下でも正確に手を動かし、土をがさりと掘り返していた。


 少女の齢はおよそ15,6。ボブカットめいて切りそろえられた茶髪に狩人めいた服を着こむ。顔立ちも良く、明るい印象を受ける丸い瞳は琥珀色をしていた。


 少女は掘り返された土から頭をのぞかせた丸い笠を持つ茸を見てにこりと笑うと、再びその笠の周囲を丁寧に掘り進め、7割ほど形が見えてきたところで思い切って引っこ抜いた。


 少女は手に取られた茸を満足そうに眺めると、背中に背負う籠に入れた。


 既に籠には半分ほどまで茸が入っている。大量だ。


 と、少女は顔を上げ、すうっと息を吸い込む。


 今日はこのくらいでいいだろう。空気の匂いも変わった。きっと今日は、雨が降る。


 少女は手に付いた土をパンパンと払い落とすと、足早に歩き始める。


 っと、少し歩いたところで少女は屈むと、籠を下ろして左肩を通す様に体に括っていた弓を手に持つ。


 這うように草陰を移動していく少女は、少し移動して頭を上げる。


 その視線の先には鹿に似た魔物がきょろきょろと周囲を見回していた。小柄だ。子供だろうか。少女は思案する。あの魔物は気候の変化に敏感のはず。群れの移動からはぐれて途方に暮れているような様子だ。


 少女は目を細めると、矢筒から二本矢を取り出す。


 一本を番え、もう一本は器用に指に挟んで持つ。きりりと弓を引き絞り、未だ少女に気づかぬ魔物に照準する。


 そして、一息の下に矢を射る。命中。すかさず速射用に持っていた二本目の矢を番えながら走る。


 魔物は移動せず、バタバタともがいている。少女は少し走り寄ると屈み、二射目を射る。命中。


 少女は弓を左手で持ったまま右手で腰の短刀を抜き放ち、二射目で動かなくなった魔物に走り寄る。


 そして、魔物が完全に息絶えていることを確認すると、小さい声で祈りの言葉を捧げた。


 矢は、魔物の首と胸に、それぞれ命中していた。


 少女は籠の中に放り込んであった縄を取り出すと、魔物の角に巻き付けた。


 そのまま籠を背負い、縄も肩にかけるとずるずると魔物を引きずりながら歩き始めた。







 ♢







 しばらく歩いた少女は、森を拓いたような広々とした場所に家々が立ち並ぶ小さな村……シンの村に辿り着く。


 柵で覆われたシンの村は、小さく貧しいが狩りや採取で生計を立てる穏やかな村であった。


 村に一か所だけある門の守衛である老人が少女の姿を認めると声をかける。少女が引きずる魔物を見て感嘆の様子。



「ルク! 無事じゃったか。ご苦労さん」


「うん、ただいまムン爺!」



 少女は屈託のない笑顔で応えた。


 少女は名をルク。シンの村の村長の一人娘であった。


 ルクは守衛の老人……ムン爺に手を振り、成果を見せる。



「ほお……こりゃまた大量じゃなあ。わしが引き受けよう。はよう中に行ってやりなさい。童どもが待っておるよ」


「うん、また来るよ!」



 ムン爺は髭を撫でて頷くと、ルクを通す。鹿に似た魔物はその場でムン爺が引き受けた。


 籠を背負うルクが村に帰るや否や、村の中央の広場に子供たちが集まって来た。



「ルクねえちゃん、おかえり!」


「おかえり、ルク!」


「おかえり~!」


「みんな、ただいま! いい子にしてたね」



 口々に出迎えの言葉を投げかける子供達に言葉を返し、頭を撫でる。ルクは、慕われていた。面倒見がよく快活。子供たちの遊び相手もするし、採取仕事も毎日やっている。たまに狩りに出かければ、得意の弓術で男顔負けの成果を上げて来た。


 子供達だけではない。村長だけではなく、村の人々はルクを自分の娘のように可愛がっていた。


 それだけ村が一丸となった仲睦まじさを表すものでもある。


 ルクは採取の成果を一軒の小屋に持っていく。中にいた初老の女性に籠を渡すと、出されたお茶をありがたく頂く。



「明日もまた採ってくるよ」


「頑張るのもいいが、気をつけておくれ。最近物騒な話も聞くから」



 少し前、近くの都市フリクテラが陥落したとの知らせがシンの村まで届いた。


 というのも、フリクテラ陥落に際して辺境の防備を固めるためという事で、シンの村にやって来た紫と黒の鎧を着た騎士たちが、村の若い男を徴兵していったのだ。そのため今シンの村には女子供と老人しか居ない。そんな中、狩りや採取を一手に引き受けるルクに、村の老人たちが過保護になってしまうのもこのためであった。



「大丈夫だよ。こんな小さな村誰も見向きしないよ」



 ルクは女性の心配そうな言葉に笑って応えた。


 小屋を出て伸びをする。また空気の匂いが変わった。もうじき降り出すだろう。


 日はもう暮れかかり、地平線の厚い雲の向こうでは紅い空が透けて見えた。


 ルクは鼻歌を歌いながら広場に戻ると、未だ外で遊ぶ子供たちを家へと帰るように促す。



「ほーら、早く帰らないとびしょ濡れになっちゃうぞ」


「はあい」


「はーい」



 手を振り各々の家に帰る子供達に、同じく手を振って応えながら、ルクは広場で周囲を見渡した。


 小さいけれど活気ある村。自分が生まれ育った愛する村。男達が連れていかれた今、この村は自分が守らねばならない。


 近々ルイカーナへ避難する案も出ている。フリクテラを落とした魔族がいつ戦線を押し上げるとも限らない。


 既にこのシンの村は、人間の防衛ラインの外にあるのだ。


 それでも、こんな森の中の小さく平和な村をあえて襲うメリットなど何もない。


 戦略的な戦争ならなおさら。この村に資源的価値など皆無だし、わざわざ森の中に来る意味もない。ルイカーナからは離れているし、フリクテラから魔族が行軍するにしても進路上の平野からはかなり逸れている森なのだ。


 それでも、仮にこの村に危機が訪れたなら、命に代えても守ろう。


 ルクはそう固く心に誓い、明日も頑張ろうと気合を入れた。


 と、ルクの頬にぽつり、と雨粒が落ちた。降り出してきたらしい。ゴロゴロと稲光まで聞こえ始める。黒い雲からは瞬く間にざあざあ振りの雨が降り出し、地面を濡らした。



「っと、忘れてた! ムン爺が濡れちゃう」



 ルクは慌てて雨よけを取りに自分の住む小屋に戻る。


 そして二つ雨よけの笠を取り出すと、一つを被り、急ぎもう一つをムン爺に届けるべく再び小屋を出る。


 そして、駆けだした矢先であった。



「な、なんじゃお前は!」



 ムン爺の叫び声がルクの耳に聞こえたのは。






 ♢






 ルクから獲物の鹿魔物を引き受けたムン爺は、すぐさま別の老人を呼び受け渡しにかかっていた。



「よーうムン爺。こりゃ差し入れ。っと、おぉ、ルクが仕留めたのか。こいつは子供だが、なかなか仕留めるのが難しい魔物じゃないか」


「おうともよ。ルクも腕をあげたもんじゃ。やんちゃ娘が今じゃいっぱしのシンの村の大黒柱じゃよ」


「まったくだなあ。しかしこいつは助かる。毛皮も肉も、角も使える。早速解体にかかるかねえ」



 鹿を担いだ老人にムン爺は手を振り、見送った。


 今、この村には老人と子供ばかりだ。ルクには、助けられている。


 それもこれも、戦争のせいだ。魔族も、騎士も。好き勝手にやっていればいいものを。


 男手を奪われれば、いずれこの村も立ち行かなくなる。魔族に襲われるのと何ら変わらんと、老人は村の現状に鑑みファルトマーレの騎士たちに心の中で毒ずいた。



「わしたちを守ってもくれず、奪っていくだけの国が。貴族や街に住む連中は自分たちばかり助かればいいとおもっておる。わしらなんぞどうなったってかまわんに違いないわ」



 ルクに頼ってばかりの現状に不甲斐なさを感じる村の老人たち共通の認識。


 まだこの村が戦争の外にあるからだろうか。不満は魔族よりも、街に住めるような連中や国に向いてしまっていた。



「魔族どもが襲ってきたとて、自分たちでどうにかせいっちゅうんじゃろう。男どもを連れて行っておいて、代わりに何も置いてゆかん。まったく、わしら貧民は世知辛い世の中じゃ」



 しみじみと誰に語るでもなく言葉にしてしまう愚痴は、戦時下においてムン爺たちの苦労や鬱憤がどれだけ堪っているかを如実に表していた。


 が、すぐにムン爺はいかんいかんと首を振り、先ほどの老人が差し入れにと置いていった包みを開けた。


 中には、葉で巻かれた餅のようなものが入っていた。まだ湯気がほくほくと立ち上っている。それを見てムン爺はほっこりと顔を緩ませた。



「ほっほー、こりゃ婆さん手製のムコロ餅じゃあないか! 材料は少ないと聞いていたが、奮発してくれたのう! どれ、さっそく冷めないうちに……」



 そうやってニコニコと包みから餅を取り出そうとした時、ムン爺の頭に雨粒が滴った。


 ムン爺は顔を上げ、直ぐに眉間にしわを寄せた。空模様はどうにも嫌な雲だ。黒々とした暗雲は雨以外にも何かを運んできそうな模様であったから。


 そして、すぐに稲光が響き、パシッと周囲をまばゆく照らした。


 そして。



 一瞬の電の閃光は、いつのまにか村の前に存在していた者たちの影を映し出していた。



 ムン爺は、目を丸くし、驚きで口さえ半開きにしたまま。


 目を疑うような光景を見たのだ。


 魔族。


 ゴブリン、オークの群れ。それらは電の輝きが去ると同時に暗闇の中で赤い目を爛々と光らせていた。


 そして、目だけではない。耳すら疑うような声がムン爺に投げかけられた。



「ごきげんよう」



 その声色は、雷鳴の輝きに照らし出された魔族達の中にあって、ひどく不似合いな……澄んでいて甲高い、幼女のそれだったのだから。


 ムン爺は、思わずムコロ餅の包みを手から取り落としていた。






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