#41 鏡と湯浴み
私はエルクーロ様の心配そうな顔に別れを告げ、宿舎へと向かう。
道中で、キエルが何度もグズグズと文句を垂れてくるのは概ね無視したし、特に首紐を括って引っ張っているわけでもないからすぐ足取りを遅くしていたのも止めなかったが、私からはぐれた時点でお前は死ぬぞと改めて念押ししたら観念して後ろをついてくるようになった。
私は苛立っていた。
だからこそ逆にこのキエルへの応対に冷静で居られた。
キエルに私の絶望が生む世界を見せつけてやらねばならないから、下手には扱えないしな。
私は詰所の宿舎のドアを乱暴に開ける。そして中に居た魔族たちが一斉に私を見て、敬礼をする。
その光景にキエルは怯えた様子を見せた。
ゴブリンやオーク、魔剣士の集団寄宿舎だ。周囲全てが捕食者の中、私はずんずんと進む。キエルは流石に怯えながら、ゆっくりと私の後ろを着いてきていた。
ゴブリンやオークなんかがすぐさま寄ってきて、私が連れ込んだ人間たるキエルに興味を示す。涎を垂らしながら目の前に上等な餌があることで興奮し、笑っている。私が連れていると皆分かっているから手こそ出さないが、光景として見ればピラニアの水槽に放り込まれる寸前の餌だ。キエルは怯えきり、足がすくみ始める。
それでどんどん背後に聞こえるキエルの足音が遠ざかる。遅い。
いい加減見かねて私は足を止めて振り返った。
「おい、さっさと来ないか」
ゴブリンやオークに囲まれるキエルを侮蔑の目で見ながら言うと、キエルは震える目で私を見た。
「あ、貴女怖くないんですか……!?」
「はあ?」
私は思わずやれやれと首を振ってしまった。何を間抜けなことを言っているのか。自分で言っていたじゃないか。私に率いられた魔族に皆を殺されたと。ならば私がなんなのかわかってるだろうに。
「呆けた事を言っているんじゃない。お前、私を悪魔だ魔族だと言った癖に。同族を怖がるわけないだろう」
ため息交じりに言ってやる。
「お前はフリクテラで人間に怯えながら街を歩くのか? 違うだろう。彼らは私の同胞で部下だ。私に害は為さない」
「そういう事ではなくて……!」
「お前うるさいぞ。お前は私のものになったから手は出されんが少しでも私から離れれば命の保証はしない。もちろん、私に何かしようとしても同様だ。死にたいなら試せばいい。死にたくないなら黙ってついてこい」
キエルはまだ何か言いたげだったが押し黙る。
「それでいい。私に復讐したいんだろうが、私に手を出せばお前は死ぬ。死んでも果たしたい復讐などとのたまうなら心底私はお前を軽蔑する。最もバカバカしい愚行だ」
「愚行……!?」
私の言葉が気に障りでもしたか、やっと黙りかけた口を再び開いたキエルは私に詰め寄ってくる。
「お父様の仇をうつのが愚行だって言うんですか!」
「復讐のために死ぬのが阿呆だと言っている」
私は頭一つ程も身長の違うキエルを冷たい目で見上げながら言う。
「お前たちが私から奪った母、レイメは死の間際私に生きろと言った。だから私は絶対に死なない。お前如きにも殺されてなどやらない。必ず生きると、そう決めた。母レイメの遺言たるその言葉に比べれば、お前たち人間への復讐などついでのようなものだ。ついでに死ぬ馬鹿はいまい」
「ついでッ……ですって?」
「私は私が大嫌いだ」
私はキエルの言葉を遮った。
どこまでも冷たく、どこまでも憎しみの宿る表情を崩さないままに。
キエルは私の言葉と様子に思わず言葉を切る。
「お前たちに悪魔と呼ばれ蔑まされた私さえ愛さなければ、レイメは死なずに済んだのだからな。だからそんな私の望みは、優先順位としては最高ではない」
私はポケットの中のレイメの聖石を撫でながら言う。
「復讐は私が望んだこと。だが、私の生存はレイメが望んだことだ」
キエルは一瞬沈黙した。私を見る目が少し変化した気もする。些細な事なのでどうでもいいのだが。
そして案の定すぐにはっとしたようにまた私にあーだこーだと言い始めたのだ。
「でも! 貴女は罪もない人々を大勢殺したじゃないですか!」
「罪もない私たちを迫害した奴らが大層な口をきくな。お前も父の為だとかいって私を殺そうとしただろう。私をどうこういう権利はない」
さっき話した言葉をもう感情にまかせて繰り返すキエルの阿呆さにはあきれるばかりだ。
ほとほとうんざりするほどに人間という物は非を自分以外に求めたがるな。
「それに今の私は軍人だ。お前の父も戦場で多くの敵を斬っただろう。同じだよ。私を否定すればお前は父も否定することになる」
「そんなっ……はず……」
「わかったら黙れ。今はお前とくだらない話をしていると頭が痛くなる」
苛々しながらそう吐き捨てると、苦々しげな表情のキエルが私を睨む視線を無視し、再び私は歩き始めた。
こいつの用途としては、こういった人間の汚らしい部分を間近で見続けることで私の憎悪という炎にくべる薪にしようと考えたのだが、今は疲労が勝る。とっとと用事を済ませて眠りたい。
そう足早に歩く私。
背後からは、先ほどより近い距離から足音を感じた。
「ツォーネ、いるな」
「うぇ”ッ!? わああー! いやああ! はいはいはーいですわ!」
宿舎で魔剣士に囲まれてのんびりしていたツォーネは私に呼ばれて変な声を上げて飛び上がった後、急ぎ足で駆けて来ると目の前に跪いた。
その勢いに一瞬ビクリとしてしまう。跪いたことで私より目線が低くなったツォーネを見下ろしてみれば満面の笑みだ。
「こんな時間にわざわざわたくしを訪ねてくださるなんて嬉しくてどうにかなりそうですわ! 一体何用でございまし?」
ああ、と私は返事をしたのち目線だけを動かして、私の背後で怯えながら私を睨み続けているキエルを指す。キエルの顔を見た途端、ツォーネは笑顔を消して一転、冷たく冷酷な表情になる。
おそらくはキエルの私への敵意を感じ取ったからだろうが、先んじて私は手で制しておく。殺されては意味がない。
キエルはキエルでツォーネを見て少しだけ反応を見せた。ツォーネはアウタナ担当だったからゾフのようにキエルとは顔を合わせていない筈だが。まあいいか。
「ツォーネ、これは私が先ほど購入した奴隷で、フリクテラの人間だ」
私の言葉にツォーネは驚き、私とキエルを交互に見た。
言いたいことは分かる。危険だという話だ。通常魔族が蹂躙した町や村の捕虜を侍らせるなどはまああってもおかしくない話だが、それは人間が魔族に勝てないからであって、などという常識的な話を思い浮かべたうえで、私がこうしているのでツォーネはこんな反応を見せたのだろう。
まあ予想通りではある。
「ツォーネ、少し頼みがある」
「え、あ、はい? はい! 頼み! なんでもやりますわ」
「こいつを風呂に入れろ」
笑顔から一転。なんでもやると言ったくせに、ツォーネは恐ろしく不機嫌な表情になった。なんで人間なんかを風呂に入れなくちゃならんのだという文句が、眼帯で覆われていない片目からありありと伝わってくる。
キエルもこれには抗議の声を上げる。ふざけるな、と。
「なんでお風呂など……! 私は、貴女なんかのモノになったつもりなんか……」
「それ以上言わんほうがいいよ」
キエルの言葉を遮るように言う。キエルは殊更に表情を強張らせたが、直ぐに理由は分かったらしい。
周囲で私たちをじっと見るオークやゴブリン。その視線はキエルに注がれているのだ。
私のモノなんかじゃないなど宣えば、即座に餌食になると、何度も忠告しているつもりなのだがな。
「兎も角だ、お前は風呂に入れ。ツォーネは見張りも兼ねている」
「ええ、で、でも……そりゃあわたくし女の子は好きですし? でも……ココット様にこんな視線を向ける女など殺してしまいそうで……」
「殺すな。私の所有物だ」
「ココット様の愛奴はわたくしだけですのにぃい」
面倒くさいなコイツは!
人選をミスしたか。いや、コイツしかいない。私の知る中で私の命令をよく聞く女性魔族は居ない。
それに私はキエルを風呂に入れる事にリスクばかりが多いから頼むだけだ。風呂の中で襲われたら死んでしまうかもしれない。それと一応自分自身の中でいい訳はさせてもらうが、女性と裸の付き合いという物を避けているわけでもない。私は今肉体的に女性だし、こんな奴の裸なんぞかつてならまだしも今は何とも思わん。思わんはずだ。
そういうわけでさっさという事を聞いて欲しいものだ。いろいろあって今日は疲れているんだ。
「いいからやれと言ったらやれ。これから私の身近に置くのに臭くてかなわん。私には女性の湯浴みなどやり方がわからないしな」
「やりますですわ……でも、ココット様。ご自身も女の子ではありませんか。普段湯浴みはどうなさって?」
私の事を聞いてどうすると思ったが、イライラし始めていたので手短に答えてしまった。
「適当に湯をかぶって擦って済ませているが」
その言葉を聞いたツォーネは今日一番絶望的な表情をした。
なんだ。悪いのか? 女性の体の洗い方など知らん。風呂を浴びたのなど前世と、魔王城に来てからだ。それまではずっと濡らした布で体を拭くだけだったのだから。
それを信じられないと言った顔で見てくるツォーネ。
私は首を傾げた。
「いけませんわココット様! 女の子はしっかり体を正しく! 洗いませんと!」
「はあ? 私じゃなくてコイツを……」
と、抗議しようと思ったのだが。
「ちょうどいい機会ですわ! その人間はついでに洗いますわ。 まずはわたくしがココット様に湯浴みを教えて差し上げます! それはもう隅から隅まで!」
謎に興奮するツォーネ。そういえばこいつは同性愛者だったな。何をされるかわからんが、きつく言えばヘタなことはすまい。
私の後ろでは魔族、それも元将軍且つ知らないだろうがセグンにとどめを刺したヴァンパイアと風呂等という話があがったことで青い顔をしたキエルが黙っている。
ツォーネのよくわからない剣幕と、まあ確かに私も当の女性であるツォーネから体の洗い方を学んでおくのもメリットではあるかと考え、気恥ずかしさは押し殺してツォーネになされるがまま連行された。
結果、抵抗するキエルを力づくで押さえつけながら体を洗うツォーネと、女性陣の裸に関しては極力無心を心掛ける私という組み合わせで湯浴みをした。
キエルの匂いは酷いものだった。これでは誰も買わないだろうな。1ヶ月で人はここまでになるのなら、魔王城にきたばかりの私はとてつもない悪臭を放っていたのだろう。
私は急に恥ずかしくなる。魔王様には臭いと言われたが、エルクーロ様は何も言わなかった。あの仏頂面の裏で臭いと思われていたらショックだな、と。
そして、嫌な顔一つせず私を抱きしめ、体を拭いてくれたレイメが無性に恋しくなる。
まあ、すぐにツォーネの騒がしさでそんな恥じらいやセンチメンタルな気分は吹き飛んだが。
キエルの体をニヤニヤと眺めたり、私が自分でやると言っているのに容赦なく体に手を這わせて洗ってくるツォーネが一人だけ終始楽しそうだった。
「はぁぁ〜。ココット様のお体ぷにぷにですべすべで最高ですわぁ〜」
「黙れ」
いちいちうるさいツォーネを一蹴。しかしまあ、もっとツォーネは暴れるかと思ったが、私を見る目や表情とは裏腹に教え方は丁寧だった。こいつもバカだとは思っていたが魔族としては普通の女の子なのかもしれないな。
などと思い耽っていたせいでどんどんとツォーネの華奢な割に豊満な胸などに意識がいきそうになり私はそれからのぼせかけてしまった。いかんな、と顔を背け視界に誰も入れないよう努める。
「あら、魔石ですの」
と、ツォーネが私の手を見て呟く。
私は湯浴みの際もレイメの聖石を肌身離さず握りしめている。眠る時だけ、ベッド脇のテーブルにそっと置くくらいだ。握って眠ることもある。
「握っていたらうっかり流れてしまいますわ。危ないですわよ?」
「肌身離したくない。流したら殺すからな」
「き、気を付けますわ……。大事なものですのね。誰の石ですの?」
「......母だよ」
その私の言葉に、ツォーネにしこたま洗われて隅で私達を睨みながら縮こまっていたキエルがピクリと反応したが、私は気づかなかった。ツォーネも、珍しく騒ぎ立てずに、深くは聞いてこなかった。
レイメの聖石は取り落とさないようにぎゅっと握ったままの私の髪を、わしゃわしゃと洗っていくツォーネ。何故か向かい合う形で洗ってくるせいで目のやり場に困り、ずっと目をつぶっている羽目になった。
それをツォーネが、「目を瞑ってるココット様は見た目相応でかわいいですわ♡」などとからかってきたのでげんなりした。
しかし、しっかり体を洗い、髪を洗うのは存外心地がいいものだ。悔しいがツォーネは手馴れていて不愉快ではなかった。そんなこんなで湯浴みはそれなりにつつがなく終わった。
当初の目的のキエルの湯浴みは完遂したが、体の洗い方以外の記憶は忘れるとしよう。
……あとでクォートラやゾフにまた何か言われそうなので、ツォーネと風呂に入ったことは内緒にしなくてはな。




