#15 エルクーロの溜息
魔王軍四天王エルクーロは、飲み終えた茶器を片付けながらため息をついていた。
悩み、という程ではないが。彼のため息の理由は先ほどまでここで茶を飲んでいた、人間の娘でありながら魔王様より魔族軍の将軍の地位を授かった、ココットだ。
エルクーロはココットを始めは同情で拾った。適当な愛玩にするという名目で、世話をしてやるのも悪くないと考えた。とはいえそれは全て魔王様のお眼鏡に叶えばの事。どうせ魔王様の一言で、ココットも怯えふためき、食料か奴隷に落ちるものだと思っていた。
エルクーロにできるのはそこまで。万が一魔王様に気に入られれば生を得られると。あの場で放置して確実な死を待つよりは、多少よかれと考えた。しかし、まさかあの娘が本当に魔王様の興味を得、あまつさえ今動かせる軍では中々攻略は難しいと考えていたアウタナの攻略を成し遂げてしまうとは。
推測はしていたが、あのアウタナの街はココットの生まれ故郷だった。悪魔の相などと呼ばれ虐げられ、憎しみを連ねていたとしてもやはりあの娘の内に秘める感情は幼子のそれではない。知能も、度量も、全てが幼女に相応しくない。そして、残虐性も。
ココットの前任将軍がまとめていた、クォートラを始めとしたかの軍は、その将軍が殉職することと相成った戦いで敗走。その時に受けた屈辱と恨みが燃え盛る爆弾めいた集団だった。故に任せられるような逸材もおらず、適当に使おうにも難しい連中だったため待機が常となり、それがさらに憎しみを助長していた困り種だった。
そんな彼らにわざわざ魔王様はココットをあてがい、ココットは見事に掌握した。まだまだ完全に信用されているとは言えない状況でも、この一か月間で何度か行わせた任務を見るに統率は取れている。
拾ったときはぼろ布同然だったあの娘が、こんな代物だとは思わなかった。エルクーロは茶器を片付け、椅子に腰かけながら顎に指を当て、先のココットとの会話を思い出した。
エルクーロがした囮行軍の話を、あの小娘は見事に理解していた。
元より単純な作戦ではあるが、意図を汲み取る能力が素人ではない。まるで何年も組織にて計画性のある仕事に従事していたような、そんな貫禄さえ感じた。
エルクーロにはココットが分からなかった。
そして魔王様の命令も。
魔王様はアウタナ落としの報告を聞き、ココットが退室した後、エルクーロに命じていた。
曰く、「ココットを使え。可能な限り軍務に出してやれ。見ものである」と。
エルクーロは深々と礼をして承諾した。しかし、腑に落ちなかった。
その心境も複雑で、本来であれば庇護されるべき子供を戦場に出したくないという情の気持ち。そして、ココットの中に住む獣が、戦場でどう化け出るかが予想できないという警戒の気持ちが同居していた。
ココットはただの人間の子供に過ぎない。その力は弱く、下級魔族であるゴブリン一匹にすら簡単に殺されそうなほどに脆弱で儚い存在のはずだ。しかしあの娘からは何かを感じる。先ほどもエルクーロに見せた黒い笑み。
だからこの一か月間も、魔王様から与えられた言葉に背かないように、ココットをいくらか出撃こそさせたが、その仕事は全て戦闘とは無縁のものとしたのだ。物資の運搬や偵察といったもので適当にガス抜きをさせてやるつもりだった。
案の定彼女はそんな任務に不満を感じていたようだったが、エルクーロはこれでいいと考えていた。しかし今回魔王様からフリクテラ攻略に際しココットを出すようにと改めて命令があった。具体的な作戦指示など殆どしない魔王様から直々の指名。ココットはどうにも魔王様の興味を惹いている。
流石にそう言われればココットを使わないわけにもいかず、エルクーロは先んじてココットを呼び出し命令を下した。
会ってからすぐに分かった。ココットは戦いを欲している。エルクーロの口から自分に出撃の命令が下されるのを待ち望んでいる。自分と同じ紅い瞳に期待を込めて私を見るココットの様子は、次なる戦火を求めるものだった。
しかしエルクーロはココットに後方待機めいた命令を下した。彼女の意志とは相反して。
そして。
『進軍の足掛かりたるこの重要任務、預からせて頂きます』
ココットは笑って受諾したのだ。
あの言葉の裏にエルクーロは確かに黒い獣を見た。
作戦に組み込みつつも戦いから遠ざけようとこれまで通りアウタナへの物資搬入、その後同アウタナにて後釜待機という不名誉な任を与えたが、あの娘はそれをあの笑顔で受諾した。はじめこそ感情をあらわにして抵抗の意すら見せていたのに、あの切り替わりの速さはなんだ。
あの娘の異常性が、抱える憎しみによるものでありそれを産んだ人間どものせいだとしても、ああも戦いに身を置きたがるような様子に、エルクーロとしては納得しきれるものではない何かがココットにはある。
かの母親を奪ったのが人間で、それに対する復讐の為に全てを投げうつとして余りある黒々とした何かを、あの娘は胸に秘めている。復讐心による精神性の成長などという話ではない。あれは、違う。重ねて言うが、幼女の身で持っていいものではないものを、ココットは持ちすぎている。
知能、知識、経験、憎悪……全てが幼女に相応しくない。
そんな幼女が笑ったのだ。
何か企んでいる。間違いない。
元より警戒もあってフリクテラ攻略はツォーネに任せることとしたのだ。しかし、何か不穏なものを感じる。ツォーネは問題はあるが力はある。フリクテラもやや内地の街。アウタナ程ではないが堅牢、且つ今は防備の強化がされているが、ココットにアウタナが落とせたのだからツォーネもやってくれるはず、と期待していた。ココットの出番は無い筈である。
だのに、妙な胸騒ぎすらする。
ココットがアウタナを落とした有様は地獄めいた虐殺だった。彼女の背景を考えれば致し方ないが、同族をためらいなく業火で焼いて見せたあの幼女は、危険だ。
ココットには物資搬入の後すぐさま帰還せよとの命令を出すべきだったか。
いや、それではいざという時に動かせる兵力がいなくなる。ツォーネがフリクテラに出立した後アウタナを守る者も必要だ。
そしてココットの様子。エルクーロがアウタナへの物資搬入及び待機を命じた時は一瞬狼狽していたが、すぐに黒い笑みを浮かべて納得したあの切り替わり。
ココットは察していたのだ。自分たちが単なる後方待機というだけではなく、フリクテラ攻略の為の予備兵力だという事を。己に与えられた権限を。エルクーロはできる限り何もするなというニュアンスを込めて作戦を説明したつもりだったが、あの娘は気づいたからこそ態度を変えたのだ。
まったく、魔王様はなぜあのような娘に将軍の任を任せたのか。
あれは必ず、何かをやらかす。そういう目をしている。
その何かが、牙であれ爪であれ、我々の腕を引っ掻かないとは限らない。アレはそういう娘だ。
あれはもしかすると本当に悪魔なのかもしれん。
自分で拾った手前、如何ともしがたいが……本当に脅威になる気配があれば、この手で殺せばよい。所詮は人間。……と、いかんな。
エルクーロは額に指をあてるとため息をついた。
自分が一人の人間の子供にここまで警戒を露わにしている事に、思わず苦笑してしまう。
「私は、あのような娘が笑って暮らせるように戦っているのではないのか」
一人呟かれた独白。
その言葉を聞くものは、誰も居なかった。