#13 魔の中で
アウタナ落としから早1か月が経っていた。
その朝、私は自分に用意された部屋のベッドで目が覚めた。
温かなベッドで寝たのはアウタナの領主屋敷に居た頃以来であった。しかし、あのベッドからはぬくもりも何も感じたものではなかったから、自らが勝ち得たこの待遇で眠った快適さには比べるべくもない。この部屋を与えられて数日の間、私はアウタナを焼いた達成感による清々しさもあって心地よい安眠を得ていた。
まあ、私が寝ていたこの場がそこまで安眠できるほど安全かと言われれば怪しいが。そこらの人間を捕まえて、この豪奢にして高級ホテルの一室めいた部屋でゆっくり休めと言われても、即座に首を横に振るだろう。ここはそういう場所だ。
私はついつい深寝し過ぎたか、未だしょぼしょぼとする目をこすり、上体を起こす。髪を指で軽く梳いてから、私の体には大分大きすぎるベッドの上をもぞもぞと移動し、床に立つ。
顔を洗うべく鏡台に向かうが、やはりサイズが合わずに椅子の上に立つような形で鏡を覗き込む。
こうして自分の体を見る事など殆どなかったからわからなかったが、改めて見ると本当に幼女だ。与えられた白いネグリジェは肌触りも良く高級であることは疑いようがない。透き通るほどの白さ、というか実際少し透けている。
私はそんな自分の体を眺め、苦虫を噛み潰したような表情で舌打ちをした。こんな非力な体に産まれたせいで、と。
女子として性別を変え生まれ変わり、生活することもう10年以上。いい加減女子の体にも慣れていたが、完全に自分を女と認識しているわけでもなく、やはりまだ如何ともしがたい曖昧さが胸中にある。この体に宿る精神と記憶は全て前世から引き継いでいる。故にどうしても主観としてみた精神的性別は男性寄りではあるが、赤子から今までの12年間は日本のそれとは大分異なるが女子として過ごした。今や自分の性別は曖昧で、何とも言い難いものとなっている。
いや、やめよう。そんなこと考えても仕方がない。というかどうでもいい。私は鏡台に置かれていた水のポットで顔を洗うと、椅子から降りた。
手早く軍服めいた装束に袖を通す。……やはり少し大きいな。
胴回りはベルトでなんとかフィットさせられているが、袖の丈がやはりいくらか大きい。袖の先からは指先がかろうじて出る程度。
上着の裾は本来膝上程度であろうデザインなのだが私が着ればくるぶしまであり、地面に擦らんばかりだ。
さて。
私は着替えを済ませると部屋の扉を押し開き廊下へと出た。
ここは魔王城。便宜上呼んでいたのだが、実際この巨大な建造物は街を兼ねた城であり、要塞だったのだ。
人類と敵対し、その身をも食らう怪物……魔族の本拠地。私のような人間が本来いる場所ではない。
山を切り崩して建築されたかのような様相の魔王城の中には、階層式に様々な施設が存在していた。その総面積はアウタナ程度の街一つならどっこいといった所だ。とても広い。そして複雑。滞在して一か月になる私もまだ迷ってしまうのを危惧して軍施設と自分に用意された部屋の往復しかしていない引きこもり状態だ。街に興味はそそられるが探検などと称してむやみに歩き回ればたちまち迷子になるだろう。
実際数多くの魔族がこの魔王城で生活を営んでいた。そういうのもあり、人間の私がほいほい歩き回るのは迷子だけではなく命の危険すらあるのだ。クォートラらのような知能の高い上級魔族だけでなく、ゴブリンのような下級魔族。さらには非戦闘員でさえその力は人間を凌ぐ。私が正式に魔王軍に参入し将軍の地位を得ているとはいえ、事情を知らないか、あるいは知っていたとしてもクォートラらと違い私を人というだけでその憎悪を抑えきれない者もきっといるだろう。
故に、出歩かない。折角歩み始めた安寧への道だ。つまらん事で命を失うわけにはいかない。魔族の将軍となった私だが、ただの人間でありただの幼女だ。12歳の女子以上の力は持たない。つまりは、とても脆弱な存在なのだ。
早いところ我が配下だけではなく魔族軍全体……ひいては魔族全体に私の身の安全を保障させたい。そのためには功績をあげるのが手っ取り早い……と、思うの、だが……。
この1か月、特に目立った動きを魔王軍は見せずにいた。
てっきりもっとこう、ガシカシと進軍するものかと思っていたが、戦争というだけあってなかなかに慎重。物語の中の人と魔の戦いというよりは、前世における外交的戦争に近いものを感じた。我らが魔族軍は人類の絶対敵であるが同時に国家でもある。直接戦争状態にあるファルトマーレだけではない、数々の人類小国とも小競り合い、そして交易を行っていた。
そして思っていたのと違う事がもう一つ。我らが魔王様の事である。
てっきり魔王様がこう、配下にあれやこれやと指示を出しているものかと思ったが、全然、まったく、そんなことはないのだ。
魔王様は毎日ペンを走らせ執務に勤しんでいるが、なんの執務なのかはわからない。大方政治的なものだろうことは予想はついたが。しかし、国家のトップであると同時に軍のトップでもある彼は特段軍としての作戦を指示することもない。
ただただ作戦の報告を聞くのみだと言う。私にアウタナ落としを命じたアレはイレギュラーであったと。
概ねすべての作戦は四天王に一任されているのだ。確か今はエルクーロ様含め四天王は3名しかいないらしいが……1名は既に故人であるそうだった。そしてエルクーロ様以外の2名は、今前線に出ていると。人類側でも強力な勢力とそれぞれぶつかり拮抗中とのことだった。
だが、ならばこそ……出陣こそが私の功績を上げるチャンスであり、憎い人間どもの街を焼き我が身に起きた不幸を禊ぐためにはファルトマーレに少しでも打撃を与えたいというのにと、私は悶々とした気分をため込んでいた。
そんな感じの私はこの一か月ただただ部下となったクォートラとゾフに魔族について教わったり自前で頭をひねって戦術について紙面に書き出して独学したりと何もしていなかったわけではないが、わかりやすい結果もなく進展もない日々に苛立ちを募らせていたのだ。
何度かの出撃もすべて雑務というか戦闘外のものばかりで実に不愉快だ。私に必要なのは進軍である。街を落とし、家々を焼く。それこそ我が望む復讐であるから。
廊下を歩きながら爪を噛み、俯きながら地面を睨む。ああ、焦れったい事この上ない……!
焦りは憎しみを助長する。私は立ち止まり、爪を噛んだまま虚空を睨む。ベッドの上にいる時とはもはや心持ちは反転している。あのぬくもりは幸せな生存という意味で私の望むもの。だがそこを離れれば私を動かすのは憎悪だ。
こうしている間にもあのクソッタレと同類の奴らがのさばっていると思うと煮え切らない。アウタナの連中は灰にしたが、その根源たるファルトマーレは大国。アウタナ程度、屁でもないだろう。
この一か月間私は少なくともアウタナに比べて安全で衣食住も保証されている幸せな生存の有難みと人間に対する憎悪から来る停滞した状況への焦りが頭の中をぐるぐると何往復もしていた。
ああ、クソッ。頭が痛い。イライラしすぎた。私は片手で頭を、もう片手でポケットのレイメの聖石を握りながら歯ぎしりをする。
カツカツと靴底で床を鳴らしイライラしていると、背後から声がかかった。
私は驚きと怒りそのままの形相で振り返ると、ゾフが慌てた顔でそこに居た。
「お嬢。そんな怖い顔しないでくださいよ。どうしたんで?」
ゾフの言葉に私ははっとして、表情を戻し呼吸を落ち着ける。
私が落ち着くとゾフはふーっと安堵したようにため息をついた。ゾフめ。最初に会った時は私を随分舐め腐っていたが、アウタナ落とし以降は私に従順、というかなんというか。
別に私は恐れて欲しい訳ではなくただ従順に動いてくれればいいだけなんだが。それに、媚び諂うという程ではないが、急な態度の軟化には若干虫唾が走る。しかし、どうやら調べた所、一度格上の強者と認めた相手には絶対従順というのがオーガ族の掟というか、種族柄の性格らしいというので、そういうモノだと思っている。
そうでなくては多少協力しただけで人間の幼女相手にこうも魔族が接するものか。魔族が人間に抱く憎しみは私の憎しみに類する。故に生半可ではない。アウタナ落としの折では全身に返り血を浴び愉悦の表情を見せていたゾフである。私がいくら功績を示し協力者だと述べたとて、利用こそすれこのような態度を見せられれば警戒していた身としては拍子抜けだ。
かつては恐ろしくすらあった魔族が、こうも懐っこいのは色々と逆に参る。あっさり認められたのは驚いたが、特にこのゾフは気さくだ。第一印象は大分強面で酒のつまみに人間の子供の腕を齧るような……は間違っていないが、そんな荒々しい印象を抱いたのだ。
とはいえ部下は部下だ。私が上司。跳ねっ返りで殺されてはたまらんが、エルクーロや魔王の目のある軍内では、少なくとも往来ではそういった事はないはずだ。故に私は魔族が相手だろうが毅然たる態度で接する。むしろ、ゾフやクォートラは私の実質護衛めいて働いているから、一緒にいる間は他の魔族も私にヘタな手出しはできない。
……ま、魔族に対するそう言った凶暴なイメージも人間どもによる印象操作という物もあろうが。そういうわけで、懐っこいのはいいとして、呼び名だけはどうにかならんか。
「……はぁ、お嬢はやめろと言っているだろう。どうしたもこうしたもない。最近は随分平和じゃないか。これでは息が詰まる」
「あぁ、なんでも最近は戦況も膠着しているとか」
「それは聞いている。しかし我々がこの一か月行った事と言えばせいぜいが物資運搬、偵察、後方待機だろうが」
雑務ばかりのこの一か月間に焦らされていたのだ。戦況が膠着しているのであれば私達も前線に出るとか、いくらでもやりようはあるはずだと言えば、ゾフは笑った。
「ははは! 今度俺が街を案内しましょうかい? エスコートしますぜ」
「はぁ?」
「いや、暇だってんなら少しは楽しいかと思って。お嬢一人じゃ色々危ねぇし」
笑うゾフに私は呆れかえった。
「結構だ。興味がない」
私は帽子のつばを抓みながらため息交じりにそう答えた。
嘘だ。興味はある。しかしそんなことよりも重要な事が他にある。
「大体そんな暇があれば戦術の勉強をする。お前たちもだぞ……屈強な体に任せた力押しばかり提案してきて。人間どもを蹂躙したければもっと頭を使え頭を」
私はついイライラしてあたってしまう。
この一か月で勉強がてらクォートラやゾフ達と自軍運用について理解を深めようと対話していたが、一言でいえば我が部下達は皆脳筋だったのだ。真っ直ぐ突っ込んで蹴散らす。それしか案が出てこない。
彼らがというよりは魔族全体にいえるが、身体能力を過信しすぎだ。だから人間の戦術を破れず、アウタナのような事になるのだと。
と、言ってしまったはいいがゾフが黙り込んだので私ははっとする。
いかん。言い過ぎたか。逆上されればマズい。一瞬忘れかけるが、相手は魔族。人間の敵で、人間を食う。怒らせすぎれば私の命が危うい。
私は恐る恐るゾフを見上げる。
ゾフは真顔で私を見下ろしていた。筋骨隆々とした体に鬼のようにいかつい顔。着ている服こそ小隊長の証たる軍服めいた兵士のものだが、だからこそ余計に怖い。ハイオーガは身長2mを余裕で超すのだ。私など小動物だ。見下ろされたら怖いに決まっている。
私は毅然とした表情でゾフを見上げるが、そのいつもと変わらないように見える表情の裏で背筋にはだらだらと冷や汗を垂らしていた。
と、ゾフは急に大笑いすると、急な大声での笑いにビクリとした私を見て感心するかのような顔で言った。
「……お嬢は本当に頼もしい程に人間どもを憎んでいらっしゃる。そんなお嬢に朗報を」
「ほ、ほう?」
とりあえず大丈夫なようだ。なぜか感心された。一応今は部下とは言え恐ろしき魔族。扱うにはもう少し注意を払おう。
ゾフはそんなことを思う私を見下ろしつつ、顎を掻きながらにやにや笑って話をする。
なんでも、先日のアウタナ落としがファルトマーレの首都に伝わったらしく、今まで最前線とはいえ僻地であり激戦区とは離れていたアウタナ近辺の街の防備が急遽厚くなったという事。
話を聞いて私はまた不機嫌になった。
なんでそれが朗報なんだ。やりにくくなるって事じゃないか。
私がゾフを睨むと、ゾフは困ったように笑いながら説明を続けた。
「こいつは、人間どもが慌てふためいてるって証でさぁ! お嬢と俺たちが暴れた影響が出てるってぇ事に違いねぇ。ついさっき情報が入ったんで教えに来たってワケで」
「……あぁ」
成程、と。
アウタナ程度と思っていたが存外どうしてあの街を落とした事はファルトマーレを多少なりと揺るがせていたようだ。確かにそれは朗報。嬉しい誤算と言える。
最も、私は知らなかったが、円卓会議は多少の震撼どころか大荒れだったのだが。
私は多少機嫌を良くする。なんだ。しっかり意味はあったのだ。私と……レイメが受けた傷の清算に、あの街一つだけでは釣り合いが取れないからな。
と、私に声がかかった。振り向けば無骨な竜人の男、クォートラの姿。
「姫、ゾフ。ここに居られたか」
「クォートラか。どうした」
「エルクーロ様がお呼びです」
私はその言葉に帽子を被りなおすと、気を引き締めた。