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#122 finale:モノクローム

 





 ファルトマーレ王国首都、イファール。


 雪が路傍や家屋の屋根に降り積もる白い夜。静けさに包まれた王都の中央に立つ堆き王城。


 白い息を吐きながら、その王城の廊下を歩く者達が居た。


 一人は背に白い槍を持つ青年、聖槍の勇者アーバーン。


 一人は妖艶な雰囲気を醸す漆黒の髪のヴァンパイア、メーア。



 そして一人は……同じく闇のような漆黒の長髪を持ち、どこか楽しげですらある雰囲気を醸しながら歩く……魔王。



 人と魔の混合。面妖な一団は、特に言葉を交わすことも無くカツカツと靴音だけを響かせて、ろうそくの明かりにだけ照らされた静かな王城の廊下を歩いていた。



 一行は厳かに聳える巨大な両開きの戸の前に立つと、アーバーンが先んじて扉を押し広げた。


 広がった扉の向こうには、巨大な空間があり赤いカーペットの先には豪奢な椅子。


 そして椅子に座る老人は一向に気づくと悩ましげに浮体に手を当てて溜息をついた。



「直々のお出ましとは恐れ入る、魔王よ」


「久しいな、ファルトマーレ王」



 カーペットを踏みしだきながらずんずんと王の間を進む魔王に対し、ファルトマーレ王はそう言った。



「随分老け込んだな。前に会った時はまだほんの子供であったのに」


「人の一生は短い。我が父祖が国王で会った時にわしも一度見た限りだが、魔族という物はまるで老いを知らぬのだな」



 そのまるで羨むような言葉に魔王はくつくつと楽しげに笑う。不老不死めいた長寿はそんなにいいものでもないのだが、と。


 控えるメーアとアーバーンは表情を変えず、ただ傍らに立つのみであったが、アーバーンはやがて一礼するとファルトマーレ王の隣に向かい、魔王を振り返った。


 ファルトマーレ王は持っていたグラスのワインを一気に飲み干し、一息ついたのちに魔王をじっと見る。



「では、手早く済ませるとしよう。講和の……談合であったな」



 ファルトマーレ王の言葉に、魔王は静かに頷いた。




 そして進んでいく講和への談義。魔と人の王が対面に立ち会い、話をする姿はこの戦争を知るものにとっては異質に映るだろう。


 今この場に人の姿は彼ら以外になく、ファルトマーレ王を守る兵すらいない。だというのに人外魔境の極致たる魔王をその懐に招き入れている。それは即ち彼らがある密約に基づき立ち会っているからに他ならなかった。


 これはファルトマーレが大国として成長した、今より百年以上も前から脈々と受け継がれてきた密約。


 戦争の裏側。政治の姿であったやもしれない。



「では、戦争の終わりは後日わしの口から国民へ告げよう。そちらの方は……言うまでもないだろうな」


「もちろんだとも。これまで幾度となく繰り返してきたのだから」



 そう笑う魔王に、アーバーンが歩み寄り書類を手渡す。


 講和の調印。魔王は書類を受け取ったのちアーバーンを見る。アーバーンは表情でこそ笑みを浮かべていたが、この距離で魔王と立ち合い額に冷や汗を浮かべていた。


 恐ろしい存在だ。単身ではまず勝てない。その恐れと緊張は、油断すればあっという間に殺意を溢れさせて襲い掛かってしまいそうなほど。絶対的強者を前にして冷静さを欠いてしまえば、すぐさま返り打ちとなり自分は肉片になる。そんな予感をこの魔王を前にしてアーバーンは感じていた。



 書類にサインをした魔王はアーバーンにゆっくり突き返す。


 アーバーンはそれを受け取ると足早にファルトマーレ王の下へ戻り、書類を手渡した。


 書類にはバルタ返還の約定と、アウタナ、フリクテラ、ルイカーナの3都市を魔族領とする旨が書かれていた。同時に、その期限も。


 書類に書かれた魔王のサインを見てファルトマーレ王はようやっと肩の力を抜いた。



 が。



 しめやかに終えるはずであった和平調印の場に来訪者。


 王の間の扉を乱暴に開けて入室してきたのは聖鎧騎士団団長アルアダン。そして……黒曜の四天王エルクーロ。



「魔王様!」


「これはどういうことか説明して頂きたい!」



 両者は捲し立てるようにそう言った。


 魔王たちはこれを振り向くと、やや意外そうな面持ちで出迎えた。



「おやおやエルクーロ……今日は招いていなかった筈だが」


「不躾ながら後を付けさせていただいた。その結果がこれとは……メーアまで連れ立って何事なのです!」



 ふむ、と魔王は疑いの目を向けてくるエルクーロを見ながら顎を掻く。


 メーアはそんな魔王の隣で口元に扇子をあてて、ただ静かにエルクーロを眺めていた。そんな姿にエルクーロは眉根を寄せる。


 次に口を開いたのはアルアダンであった。



「王がこの城に魔王を迎え入れたという話を聞き及びましてな! このエルクーロの言う話と合致していたため無礼を承知で真偽を確かめに参ったのです!」



 ずかずかと進み出て、剣に手を添えたまま魔王の脇までやってくるとアルアダンはファルトマーレ王を睨んだ。


 その隣のアーバーンは「あーあ」と言った様子で手を広げていた。


 ファルトマーレ王もまた、額に指をあて失態を悔いているようだった。今宵この王城は警備に至るまで最低限国王の息のかかった者たち以外は出払わせていた。人払いは完璧であったはずだった。仮に不審に思う者がいても国王の命令なればと。まして魔王を招き入れているなどとは誰しもが予想だにしなかった筈。


 予想外はエルクーロとアルアダンの邂逅か。さらに話を聞けばエルクーロが夜闇に紛れ王城に飛来した時、アルアダンは一度は剣を抜いたという。だが戦いに来たのではなく真偽を確かめに来たというエルクーロの話を聞いて、この踏み入りに走ったのだと。


 人一倍忠義に熱かったアルアダンがよもやと。ファルトマーレ王は深く息を吐いた。



「アルアダンよ……長きに渡り仕えてきたお主にも、語れぬ暗部がこのファルトマーレにはあるのだ」


「それが魔王との密約だと言うのか! ファルトマーレの国民すべてを裏切ったのですぞ!」


「否である。わしの……いや、先祖代々ファルトマーレ王が守り務めてきたこの密約こそ、ほかならぬファルトマーレの繁栄の為であるからには」



 ファルトマーレ王はそう言いながらアルアダンを見る。


 良き騎士であった。幼子の頃から姿を知るその騎士が今、自分に疑いの目を向けている。


 ファルトマーレに、疑いを持っている。せめて全てを知って尚忠義を見せてくれればとファルトマーレ王は目を細めた。


 しかしそうはならなかった。ならば致し方あるまい。



「誠に残念だアルアダン。お主はここへ来るべきではなかった。知るべきではなかったのだ」



 ファルトマーレ王はそうため息交じりに言うと、片手を上げた。


 それを合図としてアーバーンが槍を抜き放ち殺意を滾らせる。殿中、まして王の御前で槍を抜いたアーバーン。それが他ならぬ王の命令であるがゆえに。アルアダンは驚きに目を見開き、慌てて剣を抜いた。


 アーバーンのその足に白い稲妻が奔ると同時、恐ろしい勢いでアルアダンに肉薄する。アーバーンは自分を殺すつもりだ。いや、アーバーンではない。ファルトマーレ王が自分を殺せと命じたのだとアルアダンは苦心する。



「王はご乱心かぁッ!」



 アルアダンは叫び、すぐさまアーバーンと打ち合う。


 その様を魔王やメーア、エルクーロはただ眺めているだけではあったが、勝負はそう長くは続かなかった。


 3手。たった3手打ち合っただけで勝敗は決したのだから。


 一瞬の攻防。瞬きの間に終わってしまったその打ち合いは、アーバーンの白い槍がアルアダンの胸当てを貫通し刺し貫いた事で終わりを迎えた。



 歴戦の騎士……ファルトマーレ最強と目される聖鎧騎士団の団長の実力は比類なき者。


 だが、アーバーンは慣れていたのだ。人を殺める事に。


 古来より国のため闇の仕事を担ってきた聖槍の勇者の役目。時の大国に現れる神の加護を受けた勇者それぞれに与えられた役目の中でも特段に汚れ役を担う者の役目。その役目はファルトマーレに仇なす存在を討ち滅ぼす事。対人においてその能力と相まって比肩する者はいない。たとえ聖剣の勇者であっても。


 ましてやアルアダンは迷いと困惑のまま剣を抜いた。達人同士の戦いにおいてその心の動揺は致命的と為った。




 胸に槍を受けたアルアダンは、ごぼりと鮮血を噴き出しながら剣を取り落とす。


 そして槍が引き抜かれると同時に膝を折り、ファルトマーレ王を見た。



「これが……我が祖国ファルトマーレの姿なのか……」



 その落胆ともいえる言葉を最後に、アルアダンは甲冑のこすれる音と共に地に伏した。


 アーバーンは槍に付着した血を振り捨てると、再び槍を背に背負ってファルトマーレ王の隣へ戻った。


 アルアダンの亡骸を眺めるファルトマーレ王は、静かに黙祷するとまるでショーでも見終えたかのような楽しげな表情の魔王へ顔を向けた。



「すまんな、こちらの不手際だ」


「いやいや、いいものを観させてもらったよ。人間はいつの時代も変わらんな」



 ぱちぱちと拍手さえして見せる魔王は、そこで改めて……一連の出来事を真顔で見つめていたエルクーロに向き直った。


 そして、疑問を浮かべるエルクーロに向かって、笑みを消して至極真面目な顔つきで言った。



「さて、エルクーロ。お前の疑問に答えよう」



 じっと魔王の目を見るエルクーロ。拳を握りしめ、次の言葉を待つ。


 そんなエルクーロの疑問は、この場で起きた事ではない。その先、その真意による。そしてそれは魔王の口から呆気なく語られた。



「此度の戦争はファルトマーレ王から頼まれて、私が宣戦布告した」


「なんですと……?」



 エルクーロの胸中を衝撃が走る。これまで幾度となく起こされてきた戦争。その全てが魔王からの宣戦布告で始まった。


 そう、思っていたのだ。理由は語られず、聞くことも無かった。魔王には魔王の考えがあるのだろうと。


 兼ねてから人に虐げられた少数種族である魔族の復権にも少なからず寄与したこの戦争。エルクーロの他魔族達はこの戦争が魔族の為に起こされたものだと信じて疑わなかった。


 それが、頼まれたから開戦したと、そう魔王は言ったのだ。その意味するところは何なのか。エルクーロは明らかな動揺を見せて魔王と、その隣のメーアを見た。メーアはこの言葉にも動揺は見せず、ただただ扇子を口元にあてて静かに佇むのみであった。


 メーアは知っていたのだ。


 メーアを見て言いようの無い募りをこみ上げさせたエルクーロに、魔王は言葉を続けた。



「……我ら魔族は世界にとっての悪という役目を担う。時の大国は増殖しすぎた人口から発生する独立した派閥を枝切りするため、戦争と言う場を設ける。そこで悪役として我らが居る。我ら魔族と人間はそういったパートナー関係にある。出来レースなのだ。今回の戦争もアウタナやフリクテラ、ルイカーナといったコントロールできなくなりかけた膿を出し切るためのもの。そしてそれは我らにも言える。ウラガクナや……ポリニアの死もまた想定されたものだ」


「馬鹿な……ポリニアの死も……!?」



 そんなバカなとエルクーロは大きく腕を振った。


 握りしめた拳が己の肌を傷つけかねない程に動揺した。


 愛した女の死が、想定されたものだというのか。魔王はポリニアが死ぬことを知っていた……いや、実質殺しようなものだというのか。



「何故です! ポリニアは……ッ!」


「彼女は魔族にとって不利益を為す恐れがあったからだ」


「そんな筈はない! 彼女ほど魔族の平和を考えていた者はいなかった!」



 叫んだエルクーロに、魔王は酷く穏やかに「だからだ」と言った。



「彼女は戦争を、その裏にあるこの密約を暴きかけていた。彼女の言う平和とは戦争などせずとも人と魔が交わる世界だ。それはあり得ない。あり得ないのだよエルクーロ。利害の一致と言う防波堤のみでもってして、魔族は人と穏便に関わる事が出来るのだ」



 その言葉はポリニアと、その遺志を継ぐエルクーロへの何よりも痛烈な否定だった。頭をガツンと殴られたような衝撃にエルクーロは眩暈すら覚えた。



「我らが大国と戦争し、枝切りをする見返りに他国が我らに侵攻しないように根回しをしてもらっている。我ら魔族の持つ技術や資源を貿易と言う形で提供するパイプにもなってもらっている。小国連合の件は想定外だがね。あそこは一枚岩じゃあないからな。攻め入って奪えばいいという派閥が暴走した結果だ。故に貿易には制限をかけたので、穏健派が推進派を黙らせたであろうよ。小国連合とて我らと貿易は続けたい者が大多数だろう」


「……なぜそれをこの私にさえ明かさなかったのです!」


「私なりの親心だよ、エルクーロ。ポリニアが死ぬ前のお前は純粋に戦いを楽しんでいた。そのままでも扱えた。出来レースの仕組みに気づき始めていたポリニアが死んだ後は、お前は一転して戦いを嫌った。できれば私としてはそのまま隠居でもしてほしかったのだがね」



 説明になっていないとエルクーロは俯く。


 つまり魔王と人の大国はかねてから繋がっていた。戦争には何の意味も無かった。魔族の復権のための戦いではなく、人間の尻ぬぐいだったと、そう言うのか。ポリニアが死んだ戦いが、出来レースだったというのか。



「これは癒着ではあるが融和ではない。世界の仕組みだ。私が今ここでファルトマーレ王を殺めることもできようが、それで世界に覇を唱えでもするか? 瞬く間に我ら魔族は世界にのみ込まれる。さしもの私も世界を相手には戦えんよ」



 納得のいかない表情のエルクーロに魔王はそう言った。


 魔族は先述の通り少数種族だ。エルサレアにおいて人間と魔族の比率は9対1。人間が国家という枠組みで別れているからこそこの比率が保たれている。だが、実際に過去魔族は人間に不当な搾取を受けてきた。故に魔王が立ち上がらなければ絶滅していたかもしれないと、感謝と畏敬の念を抱いていたのに。



「魔王城に住む魔族達は戦争の陰で穏やかに暮らしている。あくまでこの戦は裏で増えすぎ分化した人間の枝切を我々が担っているに過ぎない。より多くの平和のために、私はこの選択をしたのだ」


「納得……できるわけがない……! 軍人たちは命がけで魔族を守るために戦っていたというのに!」


「その魔族を守るための戦争なのだよ。納得せずともよい。人と魔は、決して相容れる事はない。この私が数百年以上も世界を見てきて結論付けた。反論は許さない。故に、お互いの利となる戦いによってのみ、その裏にある平和を守れるのだ」



 つまり魔王は魔族が世界全てを敵に回さぬように、その世界……エルサレアにおける時の大国と取引をしていたというのか。


 魔族を悪役として尻拭いをするという取引を。見返りに周辺諸国への牽制と魔族の価値を示す、と。


 魔族が持つ技術、資源。それは人間の間でも貴重。だが力づくで奪いに来ないとも限らない。一つ一つの国であれば今の魔族なら対抗もできる。だが連合でも組まれた暁には敗戦は必至。再び搾取される暗黒時代に突入する。


 それを防ぐための貿易基盤の構築。その手伝いをファルトマーレに見返りとして要求していたと。ファルトマーレ程の大国との戦争で引き分ける戦力を持つ魔族に戦争を挑む国は小国ではありえないと踏んでか。だが実際、この戦争で疲弊した魔族に対し漁夫の利を得ようと小国連合のような周辺諸国が宣戦布告してくる可能性もある。だがこれまでそれは一度たりとも起きなかった。いや、起きてはいたが大事に至らなかったという方が正しい。


 周辺諸国は学んだのだろうか。魔族と敵対するより互いの利となる貿易を続けた方がいいと。この戦争は魔族の力を示すものでもあるのだ、とエルクーロは理解はした。


 だが、どうしても納得が出来なかった。


 魔族を守るために魔族を犠牲にする。民衆を守るために命を懸けるのが軍人とはいえ、此度の戦いでウラガクナとポリニアが死んだ。それ以前にも四天王や魔将軍、既知の存在は斃れて行った。それもすべて想定内……いや、魔王の言う平和にとって邪魔だったから消された可能性すらある。認められるわけがない。


 しかし、何を言おうとも魔王には魔王の信念がある。その魔族に対する情愛は本物だとも理解してしまった。その結果が、何も知らずに戦う軍人たちやポリニアのような犠牲者を生んでいるというのに。まるで知らないほうがいい事もあると言わんばかりのその赤い瞳がエルクーロを刺すように見ていたのだ。


 エルクーロは斃れたアルアダンに目を向ける。その姿がこれまで斃れて行った同胞に重なって見えて、歯噛みをした。


 果たして魔王の言うそれは正しいのか。ポリニアのような人との融和を目指した魔族の存在は、魔王の語る平穏とはまるで違うもの。互いが利害を超えて尊重し合う真なる平和を指す。だが、魔王をしてそれはあり得ないと断じられた。だからといってポリニアを消す必要などあったのか。そんなに人間と魔族の融和への道は遠く、不可能でありえないものなのか。


 初めてエルクーロは父祖たる魔王に憎しみを覚えた。仇にすら見えた。なぜ、なぜ自分に言わなかったのか。言ったとして反発したならばポリニアと同じように消したのだろうか。


 矛盾している。魔族の平和のために魔族に害しているようなものだ。そうエルクーロは思った。しかし、魔王城の魔族達……軍人では無い者達は何も知らず、平和に暮らす者たちが殆ど。戦争の最中にあって街中は穏やかなものなのだから。奴隷商のようにこの出来レースであった戦争で甘い汁を啜るものもいる。


 だが、その陰で生まれている悲しみを、魔王が知らないはずはない。魔族が国として成り立つ以前から、魔王は人と戦い魔族をまとめ上げてきたのだ。


 例えエルクーロがここで反発の言葉をいくら投げかけたとて、魔王は重々承知の筈なのだ。その上で人間と取引を続けてきたのか。


 魔王は、無言で困惑するエルクーロを眺め、ふむと鼻を鳴らした後目を閉じた。そして、静かに。珍しく感情のこもった声色で言ったのだ。



「……お前は知るべきではなかったよエルクーロ。ポリニアの事は残念だ。良い娘だった」



 その言葉を聞いたエルクーロは、魔王に対し今にも掴みかからん勢いで足早に歩み寄ると、腕を振り上げる。


 しかし、それをじっと見ていた魔王の瞳を見て、エルクーロは唸りながら歯を食いしばり、上げた手を下ろして項垂れた。


 魔王の瞳に、その心を見たのだ。魔王は決して、好き好んでポリニアを斬り捨てたのではないとわかってしまった。だからエルクーロは項垂れたまま、絞り出すような言葉を出した。



「ではなぜ……ココットを拾った事を許したのです……。本当に彼女がどう生き死ぬかを観たかっただけなのですか……」



 人間であったココット。確かに始めは復讐に燃えるその姿を見て人と魔の融和を見る者はいなかっただろう。例えエルクーロであったとしても。


 しかし時を重ねるにつれ、ココットの存在はエルクーロの中で大きくなっていた。原初の想いが情けであったとしても、彼女に惹かれ、ポリニアの目指した人と魔の交わりの希望を見出すようにさえなっていたのだから。


 そしてそのココットさえ……。



「……私は長く生きた。その中で過去一度だけ、人間を妻に娶ったことがある」



 遠い目をした魔王は、酷く穏やかな、懐かしむような声色で語る。



「気立ての良い娘だった。赤い瞳に白い髪を持っていたな。子を為す前に死んでしまったが、な」



 エルクーロには初耳の話であった。エルクーロが生まれるより前……気の遠くなるような昔の事なのだろう。


 魔王が人間を娶っていたという話は耳を疑うもの。ましてそれが悪魔の相だったというのか。


 そう驚くエルク―ロの前で、魔王は本当に懐かしみを覚える、それでいてどこか寂し気な表情を一瞬だけ見せた。



「ココットを見て、少しだけあの娘を思い出した。今思えばそうだったかもしれない。そして……それだけだ、我が息子よ」



 そう言うと魔王はエルクーロから目を離し、話は終わったとばかりにその横を通り過ぎて行った。


 エルクーロの背後で扉が閉まる音がして、魔王は去った。


 しばらくエルクーロは今この場で起きた出来事、聞かされた話の内容に心を搔き乱され立ちすくんでいた。


 戦争の話、ポリニアの話、そして魔王が寂しそうに語った悪魔の相持つ人間の妻の話。どれもこれもが、混乱の種だった。



 だが、やがてゆっくりと足を動かすと、ファルトマーレ王とアーバーンに見送られるように、エルクーロと……その後に続いてメーアも王の間を後にした。













 ♢















 王の間を出てすぐ、廊下でエルクーロは立ち止まった。


 背後をついて来ていたメーアが同じく立ち止まり、その背中を眺め目を細める。



「メーア……君は全てを知っていたのか」



 背中越しに問われるエルクーロの言葉。メーアは、きっとすべてを知っていた。そしてそのうえで何も言わずに魔王の言うがまま行動してきた。主戦場の膠着も、アーバーンと密約があったに違いなかった。


 メーアはふうと息を吐き、扇子をぴしゃりと畳んで懐にしまった。


 そしていくらか考えた後、エルクーロの背中に言葉を返した。



「だったら、どうしますの?」



 刹那、エルクーロがメーアを振り返りずかずかと歩み寄って来たかと思えば、勢いよくメーアの頬を殴った。


 そしてすぐに、やりきれない表情を残して背を向けると、無言のまま去った。



 メーアは口の端から零れた血をぺろりと舐めとると、深くため息をついてその背中を見送った。



「殺されるかと思っておりましたが。この程度で済んだのは……幸いと言うべきですわね」



 どこまでもお人好しなエルクーロ。そんなことを頭に浮かべながら。











 ♢













 イファールの王城の中庭にて、俯いて歩くエルク―ロ。


 そしてそれを中庭に打ち立てられた柱の上から見る影があった。


 白い槍を持つその人物は聖槍の勇者アーバーン。


 アーバーンは眼下の弱弱しく歩くエルクーロを眺めながら鋭い目を光らせていた。



(すまんね、王と話し合ったんだが……あんたは危険だよエルクーロ。魔王と袂を分かちかねない。あのポリニアのようにな。祖国ファルトマーレの害には消えてもらわねばならない。だからせめて一撃で仕留めさせてもらう)



 此度の戦争のシナリオを外れた出来事、それは勇者フォルトナ、クーシャルナ、ヨーン……そして教皇の死。その釣り合いを取る必要がある。


 即ちそれは四天王エルクーロの殺害。魔王とて納得しようとして、アーバーンは王に提言し暗殺を企てたのだ。


 そして刹那、一筋の迅雷の如く速さでアーバーンは飛び出すと、渾身の突きを以てエルクーロの背後を狙う。


 エルクーロは未だ俯き歩くのみ。アーバーンは胸の内で笑う。"黒曜"とは名ばかりの腑抜けめ。心中の怒りと困惑で己の危機すら察知できぬか。()()()見せた気迫はもはや微塵も感じられない。


 いや、そうでなくとも感じ取れるものか。迅雷の異名を持ちかの四天王ウラガクナですら反応しきれなかった俊足を誇る聖槍の奇襲。


 アーバーンは培ってきた経験、記憶、直感。その全てにおいて己の勝利を確信する。



「もらったぞッ!! エルクーロォオッ!!」



 叫びながら槍をエルクーロへ突き出すアーバーン。


 そこでエルクーロは、ひどく冷ややかな表情でゆっくり顔だけを振り返り、その赤い瞳で己に突き出されようとしている白い槍と……アーバーンを映した。














 カツカツと靴音を鳴らして去るエルクーロ。


 彼の表情は未だ暗く、そして漆黒の装束には赤い返り血をべっとりと塗りたくって。




 エルクーロは、イファール王城の中庭で、草花に囲まれる石畳の上に四肢を投げうち鮮血の池に沈むアーバーンの亡骸を背に……魔王城への帰路へ着くのだった。












 ♢













 バルタでの戦いからものの数日後に、ファルトマーレ王が国民に向けて魔族との講和の締結を報道しました。


 あの血みどろの戦いを間際で見ていた者としてはあまりにも呆気ない程淡白な報道だったと。


 時を同じくして魔王もまた、魔族達へ向けて終戦の締結を報じました。


 ……戦争は、終わりました。


 ファルトマーレの勇者は全員が死亡し、魔族の四天王も2名が亡くなるという戦いが、やっと終わったのです。


 かつては憧れの象徴であった勇者、その内3名の死に間接的とはいえ関わってしまった事には、未だに信じられない思いもあります。


 唯一、アーバーンさんの死は……終戦の折、終戦に反対し独断でエルクーロさんに襲い掛かったのを理由に処刑した……そう、ファルトマーレ王が謝罪をしたと聞いていますが、本当の事は私にはわかりません。


 魔王は何も言わず報じず、終戦の知らせを持ってきてくれたエルクーロさんもまた同様でした。





 知らせと言えばもう一つ。いい知らせだと思います。


 ファルトマーレで悪魔の相と呼ばれた白い髪と赤い瞳を持った人々に対する弾圧を禁ずる命令が下されました。彼らも人間であり、権利を認めるべきだ、と。ユナイル教も新教として変化の兆しはありますが、旧教との対立などもありまだすぐには差別の色は薄れませんが、少なくとも大きな一歩は踏み出されたと言っていいはずです。


 差別を主導していた教皇が死んだ事。それと聖剣の勇者フォルトナさんと聖女クーシャルナ様の遺言によるものだと言う事です。あの二人は、本当に悪魔の相と呼ばれた者たちの立場を改善することを望んでいらしたみたいです。


 今でも脳裏に浮かびます。私が無理を言って戦場に送り出してしまった聖剣の勇者フォルトナさん。だけど結局いい方向には動かなかった。彼は死んだのですから。それはきっと彼女の心を動かす事が出来なかったという事。私の甘い考えによる偽善がまた、悪い出来事を起こしてしまったんじゃないかと今でも胸が痛むのです。


 そして、本当に最後まで融和の道を説いて、陰謀による行き違いから命を落としたクーシャルナ様。彼女の姉君だったクーシャルナ様は、彼女の心を開けたかもしれないお方でした。裏の真相をゾフさんに聞かされて、やっぱり聖女様は本当に彼女と手を取り合うつもりだったんだと安心をして……同時に居た堪れなくなったのです。聖女様の死も、ミオさんの死も……全部全部、ユナイル教の教皇とデオニオさんの画策したものだったなんて。


 それでも、全ては終わってしまった事。そして色んな悲しみを経て、少しずつ世界は良い方向へ向かっているのかもしれません。


 今は……そう、信じる事にしたのです。








 それから数か月。


 色々と状況も移り変わっていったと思います。









 ゾフさんは、魔将軍になりました。とはいっても戦争は終わっていますからね。オドさんと一緒に魔王城で燻っているらしいです。


 たまに遊びに来てくれて、私に魔馬の扱いを教えてくれます。近くの森に一緒に狩りに行くこともあって、昔よりは距離が縮まったように感じます。獲物が取れた時には皆でご馳走にして頂くのですが、ゾフさんの部下の地上部隊が集まってちょっとした宴会みたいになって楽しいです。


 私が作った料理を、魔族達は騒ぎながらすべて平らげてくれる光景がどこか行軍の時を思い出させるもので、よい体験だったと言えば複雑ですがただ、そう……酷く懐かしくなる時があるのです。



 そしてツォーネは、傷が癒えた後魔将軍に復帰したようです。と言っても、ゾフさんと同じで退屈な日々を過ごしているらしいですが。


 彼女が顔を見せに来るたびに、そんな愚痴を零していきます。ゾフさんと一緒に来ることもありますが、毎度毎度口喧嘩が始まるので仲裁役も板についてきました。魔将軍二人の間に入って喧嘩の仲裁をする……とても昔の私からは想像もできないです。


 たまに色々な物を持ってきては、プレゼントしてくれます。爪のお手入れ器具、髪に使う香料……どれも貴重品ばかりでなんだか申し訳なく思いますが、有難く使わせてもらっています。



 あと……クォートラさんは、軍を退役して故郷へと戻ったそうです。しばらく会っていませんが、妻と娘の墓の近くで静かに暮らしているのでしょう。


 少し寂しいですが、仕方ありません。戦争の終わりを家族に伝えると、言い残していったそうですから。


 とはいえ、いつかふらっと顔を見せてくれる気がしています。



 それから、バルタから帰るときに戦場の端にちらりと見えた影。大きな獅子と魔物たち。彼らは帰還する私たちをしばらく眺めた後、どこかへ消えていきました。トグーヴァと魔物たちは、野生へと帰ったのでしょう。




 そして、私は……









 ♢









 死の冬が去り、春の暖かな陽気が世界を包む季節。


 魔族領内のとある辺鄙な場所。広く澄んだ湖の畔に、小さな小屋が立っていた。


 黒い気品ある装束に身を包み、ブロンドの髪に眼鏡をかけた長身の魔族……エルクーロは、手に小包と花束を持ちながらそこへ向かっていた。


 野原に轍が出来ているだけの、人気のない穏やかな土地。エルクーロは小鳥の囀りを聞きながら静かに歩く。



 やがて小屋を囲う柵の門をゆっくり押し開けば小さな鈴がチリンと鳴って。


 まず目に入るのはよく手入れがされた花壇だった。


 そして色とりどりの花を咲かせる花壇に囲まれた庭先に人影が見えて、エルクーロは一息ついたのち声をかけた。



「キエル」



 呼び声にはっとした少女、キエルはエルクーロを見て驚き、そして笑った。



「エルクーロさん……お久しぶりです」


「変わりはないか」


「おかげさまで」



 キエルは手に持った如雨露を抱きかかえるようにしながら、少しだけ気恥しそうにしていた。土いじりをしていたのだろうか。手には手袋をはめ、服の裾や頬に土がついていた。それをどうやら恥ずかしがっているらしいとして、エルクーロはふっと笑った。


 今のキエルが纏うのは使用人服ではなく、魔族製の私服。


 キエルは今や奴隷ではない。エルクーロが身元引受人と為った、魔族領内に住むことを許された人間。一般の人間がこのような待遇を得ることは前代未聞であった。それはエルクーロが魔王に対するささやかな反発だったのかもしれない。人と魔が融和を実現する証左足り得るかどうかはまだ、わからないが。


 しかしこれはエルクーロが一方的に提案したものではない。むしろキエルの希望を汲んだ結果であった。


 あの戦いの後、ファルトマーレに戻る事も出来ると提案したエルクーロの言葉に、キエルは首を横に振った。


 曰く、「約束したから」だそうだ。


 その言葉を聞いた時、エルクーロは小さく笑った。




 キエルについて庭先を歩きながら、小屋の裏手へと回っていくエルクーロ。



「エルクーロさんが来てくれて、きっと彼女も喜ぶと思います」



 キエルがそう微笑みながら言うと同時、エルクーロは庭の隅へと顔を向けた。


 家の庭には墓が二つ、立てられていた。


 それを眺めたエルクーロは、キエルに向き直り困ったような顔を見せた。



「寂しい思いをさせただろうか。仕事が忙しく間が空いてしまった。国境監督の仕事も楽ではないとはいえ……」



 エルクーロは現在ルイカーナに駐留し、主にバルタを相手とした橋渡しの監督役になっていた。


 今は仕事をチックベルに任せ、久方ぶりの休暇との事だった。遠方の都市での仕事になかなか会いに来れない寂しさを感じたキエルは、くすりと笑って言った。



「かもしれません。彼女はああ見えてとっても寂しがり屋さんですから」



 寂しいのはきっと貴方だけではないと、そんな揶揄いも含めたキエルの言葉にエルクーロはふっと笑った後、墓石に近づいて行った。


 片方の墓石には白と赤の花弁を持つ花が。そしてもう片方には、色の濁った魔石が供えられていた。


 エルクーロは静かに黙祷を捧げ、墓前に花束を供えて息を吐く。


 そんな姿を眺めていたキエルは、少しだけ目を伏せた後に声をかけた。



「あの、花に水を上げたらすぐお茶を入れます。先に中で待っていてください」


「気遣い感謝する。そうさせてもらおう」



 エルクーロはキエルを振り返り、少しだけ笑みを見せた。


 そして思い出したように花束と一緒に持ってきていた小包を取り出してキエルへと差し出す。



「茶菓子を持ってきた。口に合うかはわからないが」


「わあ、ありがとうございます。甘いものは好きですから、嬉しいです。私も、彼女もきっと喜びます」



 キエルは口に指をあてて、そう言ったと思えば何かを思い出したかのように笑い始める。



「彼女、とにかく甘党なんですよ。コーヒーもブラックは飲めないんです」


「……そういえば、いつぞや紅茶に砂糖をしこたま入れていたのを見た事がある。鷲掴みで入れるものだから驚いたが、無類の甘党だったのだな」



 エルクーロも少しだけ笑いながら、そんなこともあったものだと思い出す。



「彼女、大人びているくせに変なところで少し子供っぽいですよね、あはは……あ、こんなところで話していたら聞かれちゃうかもしれませんね」


「怒るだろうか?」


「照れると思いますよ。ああ、私は怒られますね、きっと……」



 てへへと笑うキエル。それを見てエルクーロもまた頬を緩ませた。


 キエルも大分変わった。エルクーロが初めて会った時の出来事は今でも覚えている。奴隷に落ちながら復讐のため自分の目の前で彼女に襲い掛かったのだったな、と。それが今は、こうして自分と話をして、笑っている。


 全ては変わっていくのだろう。こうして人と魔が笑いあう世界は、確かに存在している。それがどれだけ小さく儚く、歴史に乗ることのないものでも、存在していることがエルクーロにとっては何よりの喜びだった。


 あの魔王でさえ人を娶っていたのだから、いつか理解……いや、思い出してくれる時は必ず来るはずだと信じられる一助となろうもの。


 だから、エルクーロは笑えた。





 やがて仕事を済ませなくてはとキエルは笑いながら如雨露を持ったまま花壇の奥へ駆けて行ったので、それを見送ったエルクーロは一度だけ空を見上げる。


 広がる蒼穹。この空に見降ろされたこの場所は、争いなどとは程遠い長閑で穏やかな、平和と言う言葉そのものであると思った。人と魔。正しく平和の体現と言える融和の未来は、きっと存在する。そう思いながらエルクーロは懐から取り出した……深い藍色の魔石を眺め、そして静かにまた仕舞いこんだ。






 エルクーロは静かに歩き出し、家の表の戸口の前に立つと、静かに息を吸い、吐いた。


 そして一呼吸の後にゆっくりと戸を開けて、中へ踏み出す。


 埃の臭い一つしない、手入れのされた小さいながらも綺麗な小屋。日の明かりが窓から差し込み、キエルが仕込んだものだろうか……野イチゴのジャムの香りが仄かに漂ってきた。


 テーブルの上の瓶に詰まるそれは日の光を通し赤く輝いていて。








 ――――()()は静かにその脇で窓の外を眺めていた。











 エルクーロはその後姿を見て、笑みを見せる。


 そして静かに一歩踏み出しながら、優しい声色で言った。








「……元気に、していただろうか」









 エルクーロのその問いに、椅子に座った彼女はゆっくり振り向いて。


 そして……仄かに微笑んだ。

























 その幼女、悪魔につき。


 ―完―

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― 新着の感想 ―
少女はきっと悪夢になったんだよ。
[一言] 解釈の余地がある終わりで少し救われた…
[一言] とても面白かったです
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