#121 ココット
思えば長いようで短い時間だった。
この私がココットとして生きてきた時間は。
もうすぐ13年になるか。あっという間だったと思う。
心を殺して過ごした12年間。レイメの死によって私は私であることを自覚した。激しい憎悪に象られた意識は私に戦う事を選ばせた。
エルクーロ様に救われ、魔将軍の装束を与えられた。
そして進んだ修羅の道。いつしか温かいものが増えすぎた。キエル、ミオ。そしてクォートラ達と……エルクーロ様。
温かく、そして儚い感情。
同時にそれらを失う恐怖を覚えた頃には次々と掌から砂のように零れ落ちて。
必死に拾い集めようと足掻くも、私はずぶずぶと泥の中に沈んでいく。
深い闇の底に居る感覚だ。皆この暗い水底に私を置いて行った。
誰も私を知らない。誰も私に、気づかない。
真っ暗闇の水中めいた空間の中で一人、私は目を閉じようとして、手を引かれる感覚を覚えた。
この手は、暖かい。レイメじゃない。キエルでもない。ミオのよりも大きい。
この、黒々とした大きな手は……。暖かいなあ。私の手を握るこの黒い手から、幸福感が胸に届いて苦痛と混ざり合っていく。
私は目を細め、静かに閉じた。
全ては夢現の幻に過ぎない。この手を振り払ったのは自分なのだから。
彼の傍にいたかった。だけど彼の為と傍を離れた。だからこの幸福は苦痛と混ざり合い線引きを曖昧にして、今の私には温かく突き刺さるだけ。
ああ、この胸の中に在る幸福も苦痛もすべて。
――――すべて、夢だったらいいのに。
♢
「げほッ……がっ……げほっ、げほ……ぺっ」
私は口の中の砂と埃、そしてそれの入り混じった血を吐き出した。意識が覚醒し、自分が今どこで何をしているかが一瞬吹き飛んでいたが、思い出した。
聖剣と共に地中に掘った特大の落とし穴めいた空間に落着した筈。何故生きているのだろう。
ゆっくり起き上がろうとして、胸に刺すような痛みを覚える。あばら骨のあたりを軽く押してみれば全身に痺れるような痛みがあった。
折れている感じではないのでひびでも入ったか。呼吸するたびに痛みが襲ってくる。
同じように左足にも痛みはあったが、動かせないほどじゃない。と、足の痛みを確認していたら、右目に水が入ってきた。慌てて拭えば赤黒い液体。頭も打って出血していた。
首を回せば砕けた木片が見えた。
どうやら私は木製の机の上に落下したらしい。衝撃でテーブルは砕けたが、緩衝材として落下の衝撃を和らげ即死は免れたか。
私は全身の痛みに顔をしかめながらゆっくりと立ち上がる。改めて口の中に血が残り溜まっていたのでペッと吐き出して口元を拭えば、頬にまで赤い筋が伸びた。
体中の骨が痛い。折れてはいなそうだが動かすたびに激痛が走る。
よろよろと歩きながら周囲の様子を確認し、聖剣の姿を探した。
そして周囲を見やった私は、驚いたのち……再び苦笑する。
「ゾフのやつ……こんな場所を爆破ポイントに指定するとは。おあつらえ向き、という訳か」
私の目に映る光景。
この場所は地下教会であった。
旧市街がまだ栄えていたころのものだろう。もともとあった空洞ならば、より大きな崩落を招けると踏んだゾフは正しいな。
ちょうど私が落下したのは祭壇の前。
振り返ってみれば薄布を纏い、翼をもち、胸に抱えるように十字架型の剣を持つ女性……女神ユナイルの像が私を見下ろしていた。
先の発破の影響か、いたるところにひびが入っていて今にも崩れそうだ。ざまあないな。
……聖剣は何処だ。
私が生きているという事は奴も生きている筈。
私は幸い近くに落ちていたらしい銃を拾い上げると、未だ爆破の残滓である炎が揺らめく地下協会でよろよろと歩を進めた。
そして。
目の前の瓦礫の山を押しのけて、フォルトナが立ち上がったのが見えた。
頭部からの流血。私と違って石畳に落着した筈なのにまだ動けるのか。クォートラと相打ちした衝撃で体を打ち、私の銃で脇腹を撃たれ、チックベルとも戦い、今崩落に巻き込まれてなお動ける生命力。忌々しい程のタフさにほとほと呆れる。相当ダメージはあるようで血を吐き荒い息をついていたが、その目は私を捉えると驚いたような顔を見せ、その後静かに剣を構えた。
やっとその気になったのかと私は鼻を鳴らす。
お互い満身創痍。だがまだ優位はあちらにあるかもしれない。それでも傷を負っているのなら、死ぬ存在だという事だ。
どれだけ馬鹿な力を持っていても人間は人間。血を流しすぎれば死ぬ。心臓を銃で撃たれれば死ぬ。死ぬ原因たるものなどいくらでもあるという点で私と聖剣は対等だ。
この見捨てられた地下廃教会で、どちらかが死ぬ。
あるいはどちらも。
「そうだとしても……先に死ぬのは聖剣の勇者フォルトナッ! お前でなくてはならないんだ!」
口を開こうとしたフォルトナが何かを言う前に私は銃を奴に向け引き金を引く。
驚いたフォルトナが転がって避けている間にすぐさま次の弾丸を装填する。
身体が痛い。引き金を引くたびに反動で腕が軋む。目もしっかり開けられない。それでも私の赤い双眸はフォルトナを見据えて銃を放ち続ける。
命中率もそもそも大したことはないが、装填にも時間がかかるにも拘らずここまで一方的に撃ち続けているのはフォルトナが弱っているからか、はたまた別の理由か。
なんにせよ未だ迷っているのなら好機。当たれば死ぬんだ。死ぬまで撃ってやる。大した弾数はもう残っていないので、私は撃ちながらも痛む足を憚らず前進していった。
3度の射撃。計6発の弾丸がすべて空を切る。私は苛立ちながらも再度弾を込める。
と、立ち上がったフォルトナが私に向かって両手を広げた。何事かと手を止めた私に、フォルトナは悲痛な表情で訴えた。
「はあ……ッ……ココット……僕には君がわからない! はあ、はあ……どうしてそこまでする!」
「理由は言ったぞ、聖剣! いい加減に理解しろ!」
「悪魔の相と呼ばれた者たちの苦しみも分かっているつもりだ! だから、この戦争を終わらせてクーと一緒に変えていくつもりだったのに!」
変えていくつもりだった、か。
私はその言葉を聞いてゆっくりと銃を下ろした。そして息を切らしているフォルトナを冷たい目で睨み、先ほどまでの激情とはうって変わった静かな、小さな声を零した。
「……本当に、お前は真っ直ぐで正しく勇者なんだろうな。上から目線の理想論ばかり。遠くしか見ていないから今虐げられている者達の望みがわからないんだ。クーなら……私を少しは理解してくれていたのに」
救いが必要な者たちにとって、助けが欲しいのは今だ。戦争が終わってから? 終わるまでに増えた悲しみ全部を抱え込めるというのか?
何より私にとって必要な救いは過去にある。もう、救われる事なんかない。私を救ってくれる存在の手さえ振りほどいてきた私には、言葉なんか届かない。
こんな、何も苦しみを経験してこなかったような……与える側の存在の甘言など意味がない。
私はフォルトナをじっと見つめて、静かに言う。
「お前は私を見ていない」
その言葉は冷たく何処までも真っ直ぐに地下協会に響いた。
一時の沈黙。静寂が冷たい空気に乗って地下協会を包む。
やがて、口を噤んでいたフォルトナが静かに私に向き直り、剣を握る手に力を込めた。
「そうか、そうだ……クーにもよく怒られていたよ。勇者が理想を語らずしてどうして民衆に希望を見せられるのかと思っていたけれど、僕は前ばかりを見すぎているって……君に言われると、まるでクーに言われているように感じてしまう」
そんな、気づきとも後悔とも思わせる口ぶりで一人呟いたフォルトナに私は眉を顰める。
「クーは僕にとって導だった……間違えてばかりの僕を正しい道に進ませてくれる支えだった……彼女が居なければ、僕は……ッ」
「敵討ちとでも言うかッ!?」
私はフォルトナの言葉を遮り銃弾を叩きこむ。しかし、フォルトナはその場を動かず、剣を動かしてこれを防いだ。
くそったれ、と。私は舌打ちし、コツを掴んできた装填を行う。あらかじめ指の間に挟んでいた弾薬を素早く銃身へ流し込み、再びフォルトナを狙った。
そして立て続けに引き金を引くが、放たれた弾丸はフォルトナの剣激によって弾かれた。
苛立ち、私は叫ぶ。
「弾丸を弾くな! 映画じゃあるまいに! 人間かお前はァ!」
脇腹に一発食らっているというのになんだその反射神経は。
フォルトナは弾丸を弾き、切り落としながら歩くような速さで私に近づいてくる。
「きっとまた僕は間違っていたんだ……僕は君を見ていなかった……ッ」
「何を……!?」
「ぐっ……クーの大切な人だから、キエルさんに頼まれたからッ! そんな他人の理由ばかりで君を見ていたんだと思う……ッ」
弾丸を弾くたび、腕に伝わる衝撃が傷に響くのか顔をしかめるフォルトナ。
だがそれでもその足は一歩、また一歩と私に近づいてくる。
私は後ずさりながら銃を撃ち続け、ある時コツリと背中が何かに触れる。はっとして振り返ればユナイル像の目の前の教壇机。もう後退できない。
見下ろすように佇むボロボロのユナイル像。その退路を断ったのがユナイルに思えて、私は眼球が充血するほどの怒りと、焦りを覚えた。
そこで砂利の撒かれた石畳を踏むような足音が私のすぐ目の前で聞こえて、ユナイルへの憎しみで気を持っていかれていた私は急ぎ体を正面へ戻す。
銃をフォルトナめがけて向けようとした私のその視界には、すぐ目の前に立つフォルトナの姿が映った。
「僕は君を……僕自身の理由で救うつもりがなかった!」
一瞬私は驚きに目を見開き……そして、その鼻っ柱にフォルトナの拳がめり込んだと理解すると同時に体が後ろに吹っ飛ぶ感覚を覚えた。
殴られた。顔面中央に拳を食らった。女の子にそこまでするか?
私は背中から教壇机にぶつかり、それを乗り越えて。地面にもんどりうって倒れる。割れたステンドグラスの破片の上に転がりガシャガシャと不快な音が耳に聞こえた。ぽかんとした顔で仰向けのまま宙を仰げば、ユナイル像が視界に入って私を見下ろしていた。
「きっとクーを殺した君が憎かったんだ……」
フォルトナはそんなことを言った。
そんな目で、私を見下ろすんじゃない。
肌を殆ど出していない装束が幸いしてか破片で身を裂くことはなかったが、やがて全身の痛みを無視してよろりと身を起こしてみれば、鼻に違和感を感じた。
手を当ててみれば赤い液体が滴り落ちているのが分かった。
「い、痛ぁ……」
殴られた。顔を。鼻を殴られた。折れてはいないが、鼻血が出ている。溢れてくる赤い液体がどろりと口の中まで入ってくる。
全身を激痛が襲っている中、鼻の痛みだけが妙に鮮明に感じられた。殴られたことなどいつぶりだろう。アウタナの地下牢で使用人に嬲られたころ以来か。懐かしい。
「すまない……はぁ、女の子を殴りたくは……なかったけど、咄嗟だった……はあ、はあ……」
「白々しい事を……! 痛いぞ、くそっ! 鼻から血を流したのは久しぶりだ……!」
教壇を剣で切り払い粉みじんにしながら歩み寄ってくるフォルトナに、ゆっくりと起き上がりながら憎悪を込めて吐き捨てる。
「わからないんだ……君を救うべきか、殺すべきか……僕には、わからない!」
「青二才が……! 大の男が情けない!」
「けど僕は……! やっぱり君を殺したくないんだ……だけど君が……クーを殺した君が、僕の言う事を信じてくれるなら……!」
「また上から目線を言って……ッ!」
鼻血を拭いながら立ち上がった私にフォルトナは静かに言う。
「もうやめてくれ……君が望んでいるのは復讐じゃない……罰だ」
「ッ……! 知った風な、事を……ッ!」
「キエルさんから聞いている……大切な人を奪われた憎しみと同じだけ、自らの無力さを嘆いたんだろう!」
「あのお喋りめ……!」
私は心の中でキエルに毒づきながら立ち上がると脱兎の勢いでフォルトナを大きく迂回するように駆け出した。
そして教会の中央付近にやってくると、がれきや樽の散乱した中木箱に手を突きながら息を荒げ、改めてフォルトナを睨んだ。
フォルトナはゆっくりと私を振り向くと、そのまま歩を進めてきた。先ほどと同じように、ゆっくりと。
まだ渾身の殺意を見せない姿に私は最大限の侮辱を感じたのだ。
その姿にもう怒り指数が限界を超えている私は頭が真っ白になり、叫ぶ。
「どこまでもどこまでもッ! そんなに私を見下すのが面白いか!」
フォルトナは答えない。
私は声の限り吠え、叫んだ。そして銃口をフォルトナに向け歯を食いしばる。
そんな姿を見て、フォルトナは半ばあきらめの浮かんだ顔で静かに言う。
「君を救えると思っていた……だけど君を本当に救うには別の手段が浮かんだ。僕は……その選択をしたくない」
「殺すって事だろう!? すればいいじゃないか! 私はお前を殺すぞ! 私はあの方の為にここに来た! お前を、殺せば……またあの方の隣に居られる!」
「エルクーロの事か……」
「気安くその名を口にするな! 私はッ……私の……居場所は……」
私は激昂しながら、次第に言葉尻をすぼめて。
仄かに顔を俯かせた。
その姿がフォルトナにどう映ったかは知らない。だが奴は私の方へ歩み寄りながら、殺気を薄れさせたのだ。だが確かなのは今のフォルトナは私を斬る覚悟もまたできているという事。
それはいい。だが、殺されてやるわけにはいかない。
「ココット……頼む。僕に斬らせないでくれ」
そう言ってフォルトナは静かに私に手を差し伸べてきた。
やめる、わけがない。
この作戦を成功させれば私はエルクーロ様のお傍にいてもいいかもしれないと考えたその時から、私の胸の内で膨れ上がっていた想い。
私が死んであの方が悲しむかどうかは分からない。だけど私が死んであの方に逢えないのが、私にとってどうしようもなく寂しくて。
帰りたい。傍にいたい。あの方の隣を歩きたい。本当の私の望みは貴方のお傍で生きる事なんだと、言葉にして伝えたい。
また一緒に食事がしたい。また熱い紅茶を淹れて欲しい。
また、抱きしめて欲しい――――。
「だから……お前が死ねば全部うまくいくんだァァッ!」
「ココット、よせッ!」
構えた銃の照準がフォルトナの身体を捕らえるより早く。白い剣が振るわれて。
私の銃を握った左腕は、肘から先を斬り飛ばされて宙を舞った。
驚きに見開かれたままの私の視線の先。
血飛沫に交じって見えた、引き金を引いたはずの私の腕は中空を舞っていて。
空中で放たれた弾丸はユナイル像に着弾した。
「ぎッ、あァァアアッ!? わたっ、私のっ、腕っ……ぁあッあああ!」
私は悲鳴を上げた。
熱い。切断された腕が燃えるようだ。
「痛い……痛いィいいっ……」
切断面を握りしめ私はうずくまりながら呻く。血が溢れ出しているのが押さえつけている掌に伝わってくる。生温かな感触。私の身体から流れ出ている命の赤。アレハンドロに薬を打たれた時のような痛みとは違う。リアルな欠損の痛みだ。
やってくれたな。激しい痛みに歯を食いしばり、赤い瞳でキッとフォルトナを睨みつける。
フォルトナは静かに、私を見ていた。
それがどうしようもなく悔しくて、噛んだ下唇から血が滲んだ。同時に目の前が白んでくるような感覚とめまいに襲われた。
血が流れすぎている。意識が朦朧としてきた。頭によぎる死の感覚。恐れよりも怒りと焦り。
こんな、こんな終わりは認めない!
ギロリとフォルトナを睨み続けていれば、フォルトナは私を見下ろした後剣を逆手に持ち替えた。
とどめを刺すつもりか……?
「……止血する」
私は呆気にとられた。その言葉の意味が理解できなかったのだ。
だがすぐにフォルトナは逆手に持った剣で自分のマントを裂き始めた。止血帯を作っているのは嫌でも理解できた。まだ私に情けをかけようとしているのが嫌でも行動で理解できてしまった。私の腕を斬っておいて。エルクーロ様に握ってもらった私の腕を。
だから、だからこそ。
私ははらわたを煮えくり返らせるどころか裏返りそうな激しい怒りを募らせたのだ。
「どこまでも……私を侮辱するのか……」
「はあ、はあ……動かないでくれ。もう僕はどうしたらいいのかわからない……とにかくすぐに布を用意するから……」
「そんなに私を下等に扱いたいのか、人間ッ!!」
絶叫に似た怒声を上げ額を地面に強く打ち付けた。フォルトナが驚いたのが感じられた。だが、どうでもいい。血が流れる額を地べたにこすりつけたまま、私の視線は一点に向けられていた。
斬られた私の腕。銃を握ったままフォルトナの脇に転がっている。
まだ弾丸は一発装填されている。あれさえ拾えればまだ打つ手はある。
「ココット!」
頭を打ち付けた私を見た聖剣の叫びが耳につく。苛々する。私を心配するようなその声がどうしようもなく私を苛立たせる。
そこで私は異変を感じた。体に力が入らなくなってきている。切り落とされたはずの腕の痛みも段々と冷たさに代わっていった。
歯を食いしばるがすぐに溢れてきた血と吐しゃ物の混合液によって口を押し広げられ、嗚咽しながら蹲る。
……時間切れが近い。私の身体に相当なダメージがあるという証拠だ。
有体に言えば、死にかけている。
「まだだ……まだ……」
私はうずくまった姿勢からゆっくりと上体を起こす。
「わた、しは……まだ死な……ない……死んでなど……やるものかッ……」
フォルトナは急ぎマントを裂いていて私の挙動から一瞬目を離している。そこへ私は先ほど殴られて転がった際に拾い上げていたガラスの破片を取り出すと、勢いよくフォルトナめがけて切りつけた。
「くそったれの神サマにこんな世界に転生させられ……くそったれの女神サマに弄ばれ、てッ……」
手の甲を裂かれ、驚いた表情で飛び下がったフォルトナを見ながらゆっくり立ち上がり、駆け出すべくして足に力を籠める。私の腕まではそう遠くない。一気に走れば拾える。まだやれる。
こんな体たらくではあの方に申し訳がない。もう一度お会いした時に、面目が立たないではないか。
せめて聖剣の勇者を道連れにせねば、死んでも死に切れるものではない。
生きて帰った時にエルクーロ様に。
死んでしまった時にミオとレイメに。
合わせる顔がまるでないだろうが。
「死ねる、ものか……! あの方に報いるまでは……! 聖剣、お前さえ……お前さえぇええッ!」
そう、叫んだ瞬間。
私の視界は爆炎に包まれた。
フォルトナは、ゆっくりと震える腕を地面に付け、起き上がった。
今の爆発はおそらくこの教会に仕掛けられていた火薬かロックボムのいずれかが残っていたものだろう。先の崩落時に不発だったが、火が燃え広がったことで遅れて爆ぜたのだろう。
そしてココットはあの爆炎に飲まれた。確かにあの小さなココットが、吹き飛び炎に消えるのを見たのだ。
未だに教会の祭壇の前には激しい炎と煙が巻き起こっている。
フォルトナは下唇を噛んだ。ココットは無事ではないだろう。そう悟った時、妙な脱力感と喪失感がフォルトナを襲った。
ふと気づく。手に握っていた聖剣が無い。
黙々と煙幕立ち上る周囲を見渡してみれば、剣が吹き飛んではるか後方に突き立っているのが見えた。傷を負った体。聖剣の下まで向かう足取りは重く、何度もフォルトナは倒れかけた。血を流し、チックベルと戦い、崩落に巻き込まれた果ての肉体だ。
フォルトナの身体も文字通り限界が近い状態だったのだから。
だが、剣を握り振り返った直後にフォルトナははっと目を見開いた。
燃え盛る爆炎にシルエットが浮かび上がり……やがてその中からふらふらと幽鬼のようにココットが現れたのだ。
驚き、フォルトナは震える瞳でその姿を捉える。
生きている。歩いている。悪運が強いのか、執念の賜物なのか。
魔将軍ココットは未だフォルトナの前に立っていた。
だが。
フォルトナ静かに剣を構えるが、すぐに異変に気付いた。
「なんだ……目が、よく見えない……」
そう、ココットは呟き、周囲をきょろきょろと見まわし始めたのだ。
帽子は吹き飛び、足首程まであった服の裾は足が見えるほどに破れ焦げ。
ボロボロの状態で濁った赤い瞳を虚空に向けながらココットは歩いてきた。
その目は恐らく自分を映してはいないのだろうと、フォルトナは悟る。
「さむ、い……くらい……どこだ……どこに……いる……」
よろよろとした足取り。口から夥しい鮮血を吹き零し。幽鬼のように手を前に出し手探るようふらふらと、歩く。
虚空をきるその腕は何かを求めるようで。
フォルトナはそんな様子を見て……静かに目を閉じた。
暫く立ちすくんだまま、フォルトナはココットから顔を背け、俯く。
どれくらいの時間が経っただろうか。やがてココットの小さな手、その指先が……ちょんとフォルトナの腹に触れた。
ココットは、そこでにこりと笑った。
「……ああ、そこに、いたんだ……ミオ……れい、メ……」
そう、いった刹那。ココットは口から血の塊を吹き、膝をがくんと折り倒れる体でフォルトナにしなだれかかった。
呆気にとられるフォルトナは、倒れたココットを抱き支えると地に膝をつき、上を向かせたココットに目を落とす。
もはや目の焦点もあっておらず、乾いた呼吸音が仄かに響く。もはや息も絶え絶えながら、ココットは夥しい血を零しつつもか細い声で言葉を紡ぐ。
「エル、クーろ……さ、ま……ごめん、なさ……」
ココットは謝罪の言葉を口にしながら、震える腕を伸ばした。
「あいし、て……いま……す……」
一筋の涙をその赤い瞳から零しながら中空に伸ばされた手は空を切り。
その、長らく胸に秘めながらついに伝える事叶わなかった告白の言葉を最後に。
血の海が広がり、力なく伸ばされた手は糸が切れたように地に落ちて。
――――小さな魔将軍は……動かなくなった。
フォルトナは地に落ちたココットの小さな手を見て、目を伏せた。
最後に愛の言葉を口にしたココット。そこにフォルトナは、ココットが復讐以外の理由を持っていたのではと思ってしまった。愛する者のために、戦いを選んだのではないか、と。
「君は、これで救われたのか……? 死ぬまで憎悪に身を焦がすよりはいっそ楽にと……そう考えた僕はまた、間違えたのか……?」
胸の内で亡きクーシャルナにフォルトナはそう問いかける。だが答えなど返ってくるはずもなく。
ただ未だに燃える炎のぱちぱちとした音と、月明かりだけに照らされた薄暗い地下協会には静寂だけが広がっていった。
フォルトナは静かにココットの肩を抱き、ゆっくり地面へと下ろした。
そして立ち上がると、自分が握る剣を見やる。
この剣はこんな幼女一人救えない。ココットが言った通り、前だけを見すぎた。本当に救うべき、手を差し伸べる相手の事をまるで理解していなかった。
そんな過ちの果てに、彼女という悪魔が生まれてしまった。
そして自分の前に立ちはだかった悪魔が、最愛の人の肉親であった。
「本当は死なせたく、なかった……。だって君は、クーの妹だったんだ……運命の歯車が悪さをしなければ、僕達は家族になっていたかもしれなかったのに……」
そうして、寝かせたココットに背を向け、フォルトナはゆっくりと出口を探すべく周囲を見渡した。
戦線に戻り、ココットの死を全軍に伝えよう。そうすれば魔族も戦いをやめるかもしれない。あるいは、敵討ちにと憤るか。
後悔ばかりが胸を襲う。死なせてしまった不甲斐なさに謝罪の言葉を虚空に叩きつけたくなる。自分は何て無力で馬鹿なんだと。こんな幼子一人守れやしない。
フォルトナの言葉はココットには届かなかった。彼女の憎悪がそれほどだったのか、愛の為に曲げられない思いがあったのか……そうだとしてもすべては自分の力不足と思慮不足が招いた結果だった。
いずれにせよ、まだやるべきことが残っている。後悔は全てが終わった後に。
フォルトナは瀕死の身体に鞭打ちながらよろよろと歩き出した。
……だから、気づかなかった。
背後で何かが動いたことに。
「がッ……ぐぁああッ!?」
フォルトナの絶叫が響き渡る。
突然の強襲。何かに襲われた。何かが背中から覆いかぶさり、フォルトナの首筋に噛みついていた。
震えながら顔を向ければ、白い髪が視界を覆った。
目を見開くフォルトナ。そんな、まさか。
「く、ぐっ……生きて……いるのか……!?」
恐ろしい力で組み付き、首筋に噛みつくのは間違いなくココットだった。
どうして、なぜと疑問が頭に浮かぶ。痛みに顔をしかめながら白い髪を鷲掴み引きはがそうとするも離れない。これは幼女の力じゃない。
なんなんだ、この力。ココットの様子が普通ではない。そんな疑問を浮かべるがそれもすぐにココットがフォルトナの首筋を噛み千切ったことで中断された。
首筋から赤い血飛沫が勢いよく噴き出し、フォルトナは喉の奥から乾いた声と赤い血を吐き出した。
フォルトナは力を振り絞ってココットを振り払うと、片手で首を抑えながら荒い息を吐いて聖剣を構えた。
「がぁ、う……まさか、自分に……リビングデッドを仕込んで……」
フォルトナの言葉通り、ココットは自分の身体にもリビングデッドを寄生させていた。
だから、リビングデッドに襲われなかったのだ。既に寄生されている獲物に、リビングデッドは見向きはしないから。
だが、その本意はリビングデッドに襲われない為ではない。
「そうまでして……なのか、ココット……」
死したとして尚、生ける屍と成り果てて尚、戦いを続け憎むべき相手に歯を立てるために。
そのためにココットはその身に魔物を寄生させることを選んでいた。
食いちぎった肉を咥えたままゆらりと立ち、光の無い目を向けてくるココット。フォルトナは片手で食いちぎられた首筋を抑えながら、目の前が白んでくる感覚を覚える。
明らかに致死量の出血。もう……自分は助からない。
そう悟ったフォルトナは……ちぎった肉をぺっと吐き捨て、獣のように唸りながら片腕を構えたココットを見た。
リビングデッドらしくないその生物的な様子に、フォルトナは穏やかな、後悔の目で彼女を見るとゆっくり剣を構えた。
「君は、本当に僕達が憎かったんだね……」
……あるいは愛する者のための覚悟か。
フォルトナは静かにココットへの謝罪を胸中でつぶやく。すまない、と。
そして再び飛び掛かってくるココットめがけて、最後の力を振り絞り、白い光を放つ剣を……振るった。
♢
大門前は慌ただしかった。
デオニオとレーヴェが討ち死に、聖剣の勇者フォルトナもまた行方知れずとの報を聞いて、兵たちは皆混乱していたのだ。
教皇は指を噛みながら逃げ出す考えを決め込んでいたが、それを兵士に命じる前に大門は強襲された。
オーク、ゴブリン、魔剣士から為る魔族部隊が突然大門めがけて突貫してきた。
警備は手薄。だが対して魔族は少数。兵力ではまだ勝る。それに教皇は初めは安堵したものだったが、すぐにそれは焦りに変わった。
「弓兵! 魔族を櫓に近づけるな!」
号令で幾本もの矢が放たれる。刺し貫かれ櫓に到達することなく次々倒れていく魔族達。
それでもその勢いは衰えない。ただのゴブリン一匹ですら、矢を腕や腹に何本も受けてさえ前に進む足を止めようとしなかった。
騎士達は恐怖する。本来脅かせばすぐ逃げていく程度にはゴブリンは気が小さい。熟達の騎士であれば歯牙にもかけないそんな魔族ですら、恐るべき気迫を以て足を前に進めてくる。
彼らは決死隊。ココットのために死ぬことさえ厭わない者たち。
その覚悟に、騎士や兵士は背筋に汗をかいた。
すぐに悪い予感がよぎった護衛部隊長は教皇に向かって叫んだ。
「教皇様! 奴らは何か変です! お逃げを!」
教皇は何度も首を縦に振りながら頷き、逃げようと兵士に手を貸されながら櫓の端後に手をかけた。
その刹那だった。教皇が首筋にざわつくものを感じ魔族達を振り返った瞬間、一匹のオークと目が合った。
「オマエが、きょうこう……か……?」
一際醜い顔をしたオーク……オドが、赤い瞳で教皇を睨みつけていたのだ。
「オマエが、オマエが! ココットさまを困らせただな! ココットさまをォオオッ!!」
あれが教皇。あれが。
ミオを殺し、ココットを悲しませた原因。
オドは視界が真っ赤に染まるほどに怒り、咆哮すると興奮しながら石畳が抉れんばかりの脚力で櫓めがけて突貫した。
すぐさま兵士たちが迎撃にと矢を放ち、槍を投げる。
だが幾本の剣を、槍を、矢を受けて尚。オドの疾走は止まらない。全身をこれでもかと刺し貫かれても、立ちはだかる騎士達を弾き飛ばして走った。
「オーク一匹に何を手こずっているのです! 早く、早く殺しなさい!」
教皇が自分めがけて猛進してくるオドに恐怖し、叫ぶ。だが、遅かった。
オドは矢の雨をかいくぐり、櫓めがけて体当たりをした。衝撃はすさまじく、支柱の何本かにひびが入るほど。
それでも終わらず、オドは支柱を抱き込むと渾身の力で圧し折った。
揺れる櫓はすぐさま崩壊し、櫓の上に居た教皇は悲鳴を上げながら地面へ転がっていく。
「あひっ!?」
素っ頓狂な声を上げて転がった教皇は慌てて身を起こすが、すぐ目の前にオドが居る事に気づき目の色を変えた。
オドは鼻息荒く、その醜い顔には憤怒を張り付けていた。
恐ろしさで失禁した教皇が四つん這いになりながらへこへこと逃げようとするが、その足をオドが掴む。
そしてそのまま引っ張り上げると頭の上に持ち上げてその頭と足を掴んだ。
「や、やめなさい! これは背信です! 私は神に仕える者! その私に、ああ、こんな事をしては許されませんよ!」
オドの頭の上で教皇がじたばたと暴れ、喚き散らす。
それを意に介さずにオドは腕に込めた力を強めていった。
教皇の悲鳴と兵士たちが慌てる声が聞こえる。だがオドの突貫を機に櫓まで雪崩れ込んだ魔族達は恐るべき気迫を以て騎士達に襲い掛かった。
もはや教皇を助けられるものはいない。全身甲冑の騎士ですら、手負いのゴブリンに圧倒され命を落としていた。
そんな戦いを尻目に、オドに掴み上げられた教皇はついに恐怖で涙を流した。
どうして自分がこんな目に。神に仕え、真面目に生きてきたのに。汚らわしい聖女さえ排し、ついに自分が王となり、念願の宗教国家の王と為れる日も近かったはずなのに。なぜ、どうして。
天を仰ぎ見ながら教皇はユナイルへと問う。だが漆黒の夜空は冷たく教皇を見下ろすばかりだった。
そして、終わりはやってくる。
オドが咆哮しひときわ強く力が込められていく。
「ガァァァァァアアアアッ!!」
「あがっがあ! いた、痛いぃぃっ! やめなさ……やめてッ! たすけてっ、あぎッ……おお、おぉぉあああぁぁぁッ!」
ミチミチと嫌な音を立て、教皇の身体が引き延ばされていく。
オドはあらん限りの力と憎悪を両腕に込め、掴んだ教皇の首と足を一気に引き裂いた。
♢
戦場の声が段々と少なくなってきたバルタの夜。
夜明けが近く白んできた水平線にシルエットを浮かび上がらせながら空を切り裂いて、崩壊した広場に黒い翼が舞い降りた。
魔王城から全力で飛翔した黒い影。
"黒曜"の四天王エルクーロはバルタへ辿り着いてすぐに戦場を舞っていたチックベルの部下のハーピーを見つけ、やはり彼女も一枚かんでいたかと顔をしかめながらココットの居場所を聞き出した。
そしてココットが単身聖剣に挑む作戦と聞き及び、その仏頂面に焦りを滲ませて急ぎ聞き出したポイントへと向かったのだ。
そしてその場所に辿り着いたエルクーロは地面に降り立ち翼を収納する。
周囲を見渡したが誰もいない。ココットは、ココットは何処なんだ。
「エルクーロ、くん……」
周囲を見渡していたエルクーロの耳に自分を呼ぶか細い声が聞こえた。
はっとして目をやれば見知った顔が瓦礫の中から現れた。
「チックベル!?」
よろよろと傷を抑えるチックベルがエルクーロの方へ歩いてきていたのだ。
急ぎエルクーロはチックベルに駆け寄ると、その傷の程度を見て目の色を変えた。
エルクーロに倒れ掛かるようにチックベルはよろりと姿勢を崩したもので、その体を抱きかかえながら、エルクーロは何があったのかと狼狽する。
傷を抑える羽に染みた血が赤く緑の羽毛を染めている。深い傷だ。装束や抑えた羽の隙間から覗く肌は血まみれで、胸から腹にかけて切り裂かれていた。
「ごめんよ、エルクーロくん……うち、うちは……止められなかった」
「喋るな。急所は外れている。聖剣にやられたのか?」
エルクーロはこの傷が聖剣によるものだと確信した。
チックベルは隠居の身の上とはいえかつては魔将軍。そしてその中でも実力は折り紙付きだった。エルクーロは力の弱かった幼少期とはいえ、魔将軍のチックベル相手に組み手で一本も取れなかった程、その技は冴えている。
そんな彼女が重傷を負うとすれば聖剣以外ありえない。
だが、それならば聖剣はどこだ。このポイントでは聖剣をおびき出しココットが仕留めるなどと言う無謀じみた作戦が行われたはず。聖剣の姿はなく、ココットもいない。作戦ではチックベルが此処に居るはずでもなかったのだ。
不安は色濃く額に汗となってにじみ出る。最悪の予想が頭をよぎる。
エルクーロはできるだけ子細にチックベルから状況を聞き出そうとした。だがそれより早く、チックベルが泣きそうな顔でエルク―ロに言った。
「ごめんよ、ごめんよぅ……」
それは謝罪の言葉だった。エルクーロの脳裏の最悪の予想が鎌首をもたげていく。
「何故謝る。もう私が来た。何も心配はいらない」
嗚咽交じりにしゃくりはじめたチックベルの表情は懺悔と悔恨の色で一杯で、せめて落ち着かせようと声をかけたエルク―ロではあったのだが。
次のチックベルの言葉でエルクーロはチックベルにかけようとしていた慰めの言葉を失った。
「ココットちゃんが……」
心臓が締め付けられる思いだった。チックベルの言葉に込められた深い懺悔の感情。エルクーロに対し許しを請うようなその表情から、エルクーロは絶句しチックベルの顔を見る事しかできず。
そんなエルクーロに対して、チックベルは震える羽で広場に空いた大穴を指し示した。
チックベルに指示された大穴を飛び降り、着地したエルクーロ。
探す相手は特段苦労せずして目に留まった。
エルクーロが目にしたのは地下の教会の中で倒れる聖剣の勇者フォルトナと……片腕を失い仰向けに倒れるココットの姿だった。
両者とも血まみれで、ピクリとも動かなかった。
エルクーロは聖剣の勇者の姿に警戒し、構えながらフォルトナに近づいて……すぐに構えを解いた。
首筋を大きく噛み千切られたように負傷していて、明らかに致命傷。光のない瞳からして、既に死んでいることが分かったためだ。
だとするならばこれをやったのはココットという事になる。
ありえない。ココットはただの人間で、戦闘能力など皆無。ちょっと強く握っただけで砕けてしまいそうなあの小さな手をしたココットが聖剣を単身で倒すなどありえない。
直前にチックベルと交戦していたようであるからあるいはとしても、やはりありえないのだ。
ココットの弱さはこの腕に抱いた自分がよく分かっている。だから戦いに等出したくなかったのに、エルクーロがやっとの思いで見つけたココットは酷い傷を負って、微動だにしなかったのだ。
「ココット……!」
はっとしたエルクーロは聖剣から目を離すと急ぎココットの下へ向かい、その身を抱き起こす。
軽い体を抱え上げ、傷の程度を見る。全身に打撲のような跡。そして切断された左腕。目尻から未だ乾かぬ涙が滴る瞳は静かに閉じられていて、穏やかだった。
ふとその傍らに、小さな芋虫めいたもの……両断されたリビングデッドの死体があるのが視界に映ったが、今のエルク―ロには深くは考えられなかった。
「……ココット」
エルクーロは静かにココットの名をもう一度呼ぶ。
返事は、なかった。
ゆっくりとその頬に手を添えて、エルクーロは目を細める。
そして抱えたココットのその穏やかな顔を見た後、エルクーロは静かに瞳を閉じ、俯いた。
また自分は、間違えてしまったのか。
そんな懺悔が地下の教会で胸の内に広がっていく。また、自分は。また。
また、愛するものを――――。
ココットの白い髪を一度指で漉いた後、エルクーロは黒々とした翼を大きく広げ、夜が明けかけて爆破された天井から覗く空より光の筋が舞い降りる中、天を仰ぐ。
その時、ココットの胸元から……焦げて千切れたネックレスから外れた赤紫色の石がころりと地面に落ちた。
石は最後の輝きと言わんばかりに濁った淡い輝きを放ちながら、エルクーロの顔と……その頬に流れる一筋の涙を映していた。
♢
(ココット……ココット……ッ! 何処なんですか……!?)
キエルは、旧市街をひたすらに走っていた。
息を切らし、何度か瓦礫に足を取られて転んでも。すぐに立ち上がり擦りむいた膝など気にせずに走った。
ココットの所へ行かないと。
その一心でもって走っていた。
そんな折に旧市街の外れで大きな爆発音が鳴り響いたものだから、きっとココットに違いないとして一直線に向かってきたのだ。
そうして辿り着いた広場。
広場には大穴があいていて、その穴の傍ではチックベルがひどい傷で倒れていた。
キエルはチックベルと目を合わせ、彼女の傷の程度からすぐに手当てが必要だと考えたが、当のチックベル本人のその目線の先が大穴に注がれている事に気づき、歩を進めた。
そして大穴の淵までやって来て、ひざを折る。
ほの暗い穴の底を覗き、キエルは口に手を当て絶句した。
大穴の底。キエルの視線の先には……ココットを抱きかかえ、漆黒の翼で包み込む……エルクーロの姿があった。
全て、終わってしまったんだとキエルは悟った。
いつまでもいつまでも、ココットを抱えたままのエルクーロに声をかける事さえできず。その背中が語るのは何よりも雄弁な事実であり。
キエルは……ついにココットとの約束を守れなかったのだと気づいて目尻に涙を浮かべた。
すみません、ごめんなさい。すぐにでも叫び出したかった。
近くに倒れるフォルトナ。キエルの言葉に従いココットと相対した結果がこれだ。やはりココットはもう人間には戻れなかった。
だというのに、エルクーロに抱かれるココットの表情は何処までも穏やかで、安らかで。
キエルは悪魔と呼ばれた幼女と四天王たる魔族の前に、すすり泣きの声一つ上げられず。
ただただ二人を見ていたキエルの視界に白い欠片が映る。
ふと、顔を上げれば。
「雪が……」
空より舞い落ちる白い結晶が、はらりと舞い落ちていた。
冬がやって来た。寒く冷たく。このエルサレアにおいて貧民にとっては死の季節でもある白い冬。
全ての終わりをキエルに予感させるには十分であった。
戦場に咆哮が聞こえる。
キエルははっとして目を向けた。
キエルだけではない。喧騒の中に在ってその咆哮は何よりも鮮明に戦場に居た者たちの耳に聞こえ、その目を向けさせた。
大門の上、巨体を持つ醜悪な顔のオークが頭上に両手を上げて叫んでいた。
オドは、自らの頭の上に教皇の首を掲げ、ひたすらに声を上げていた。
「オオオオ……オオオ……オオオ――――」
天高く首を掲げ、目にも見よと言わんばかりにただ叫び続ける。
その咆哮は、どこか慟哭に似ていた。
♢
「戦場に在る全ての者に告げる。武器を、収めろ」
エルクーロはココットを抱え、漆黒の翼を広げながら飛翔。眼下の戦場へ向けてそう、言った。
眼下で戦いを続けていた人も魔族も、疲れ切った顔で空を見上げた。
「ユナイル教皇は死亡し、聖剣の勇者もまた討ち死にした。これ以上血を流す必要はない。これ以上――――」
その言葉を聞いた人間はひざを折り武器を捨て、項垂れた。
魔族も同様にエルクーロの言葉に従い、武器を収めて行った。
エルクーロの宣言は、旧市街にも届いていた。
真っ赤に染まって血の海となった旧市街の大通りで、ツォーネはその声を聴いていた。
「はあ……はぁ……ココット様……」
背に剣山の如く何本もの剣が突き立ったまま、杖代わりに突撃槍を支えとしてかろうじて立つツォーネは、何十もの屍の中に在って空を仰ぎ主の名を呟いた。
旧市街で別れた愛する主。傍でお守りするべきだったのだろうかと何度も自問自答しながら血を流し、流させた。
この場で戦う事が主の為と信じ、追撃部隊を一人残らず殲滅せしめた。
だが、これでよかったのかどうかは分からない。
ただ、一つ言えることは。
もう一度お会いして、頑張った事を褒めて欲しいと。
いつもよりちょっぴり多めに血を頂いた後に、褒めてもらおうと。
そう、ツォーネは考えて大きく身体を揺らした後静かに血の海へ倒れた。
そしてバルタ旧市街前の戦場にも、同様に。
「生きてるか、クォートラ」
ゾフは、倒れ伏しながら深い呼吸を繰り返していたクォートラに声をかけた。
クォートラは閉じていた瞳をゆっくり開けると、ゾフへ目を向け首をもたげようとして、再び地に頭を付けた。
「ゾフか……戦いは……どうなった」
クォートラの静かな問いにゾフは無言でクォートラの脇へ座ると、肩を落とし大きく息を吐いた。
その姿を見てクォートラは少しだけ目を見開き、「そうか……」と零して目を閉じた。
「教皇は決死隊が討ち取ったらしい。オドの野郎……しっかり役に立つじゃねえか」
「我らは、勝ったのか……」
「ああ。バルタの連中は降伏した。そんで……エルクーロ様が来た。……停戦命令だ。戦いは終わりだ」
そうか、と安どのため息とともに目を細めたクォートラ。
だがすぐにハッとして、慌ててゾフに向かって聞く。
「姫は……姫はどうなったのだ……?」
クォートラがその疑問を口にした直後。
戦場に魔獅子の遠吠えめいた咆哮が響き渡った。
その声は、何かを悼むような悲しげなものであった。




