#119 白と赤
「アーバーン殿」
場は主戦場、ファルトマーレ軍の拠点。
聖鎧騎士団団長アルアダンが、テントの中で椅子にもたれかかりテーブルに足を組みながら砕けた姿勢のアーバーンに声をかけた。
アーバーンは頭の後ろに腕を組んだまま、閉じていた目を開ける。
「ここしばらく戦闘と言う戦闘も無く、メーアの軍とにらみ合いが続いている。バルタの戦いも勝利したと報せはあったが、この状況はなんだ」
「何が気になってるんだい、アルアダンのおっさん。戦いがないのはいい事じゃないか」
腕をひらひらと振るアーバーンに、アルアダンは溜息を零した。
「異常だと言っている。この静けさに違和感を感じるのだ」
此処の所メーアの軍勢は我が軍の前方に布陣するのみで攻めてくる気配もない。
そしてこちらもアーバーンの意見で打って出ることはしなかった。聖剣の勇者フォルトナを欠いているのだから攻勢に出にくいのはわかるとしてアルアダンも防戦自体には賛同していたが、小競り合いの一つすら起きず両陣営が見合うだけの状況にいよいよ違和感を感じ始めていた。
そしてその違和感はアーバーンにも向けられていた。
アルアダンは推測する。アーバーンは何かを知っている。そしてそれはおそらくファルトマーレ国王も知る処だろう。イファールからの指示はぴたりと途絶え、少し前にただ一通。アーバーンの指示に従うようにとだけ文が届いていた。
当のアーバーンは定期的に散歩に出る以外はこうして待機をしているだけ。アルアダンが独断でメーア陣営への斥候を出したこともあったが、それに気づいたアーバーンは意味ないからやめときな、とだけアルアダンに言った。
この男は悠長に構えて何かを待っている、そうアルアダンは思っていた。小国連合から差し向けられた義援兵達にも同様に動かぬよう伝えるアーバーンの真意は分からなかった。
しかしアルアダンとしてもこの停滞した状況に思うところはあり、飄々としたアーバーンの態度についにその問いを投げかけるに至った。
一体何を待っているのか。この戦争の行く末を分かっているのか、と。
アーバーンはテーブルの上に置かれたリンゴを手に取り、マントで擦った後に一口齧る。
そしてゆっくりアルアダンを見据えると、笑いながら言ったのだ。答えと言うには曖昧な、まるで友人に悪夢の終わりを朗らかに示唆するような。そんな雰囲気で。
「心配ないって。待ってりゃいいんだよ。もうすぐ戦争は終わるんだから」
♢
場に現れた青年……それはまさしく聖剣の勇者フォルトナ。
待ち望んだ怨敵がついに目の前に姿を現した事で私は感情の昂りを自覚していた。フォルトナは馬から降り立つと切り結んでいたゾフとデオニオの間に割って入り、ゾフの大斧をはじき返す。ゾフは小さく舌打ちをして飛び下がり、私の隣まで下がってくる。
そうして、デオニオの隣に並び立ったフォルトナに向けて私はゆっくりと歩を進め、未だ乱戦状態の戦場の一歩手前から叫んだ。
「ようやく現れたなあ、聖剣の勇者っ!」
随分な重役出勤だ。さぞいい身分なのだろうなあ。
フォルトナは私の声に気づき、顔を向ける。
そして私の顔を見るや否や驚きの表情で口を開いた。
「君はッ……クー……?」
はっ。なんだこいつ。私を見るなりあの女の名前を口にするとは。
「私の名はココットだ……嫌な名前を口にしないでもらおうか」
難民や兵士と同じ反応だ。私と聖女が似ている……それにはまあ、納得はいく。聖女クーシャルナは我が母レイメに似ているのだ。ならばレイメの娘である私にも、まあ似ていても不思議ではない。考えたことは無かったが。
忌々しい。今となっては私を裏切りミオを殺したあの女に間違われる事など不快の極みだ。
そう不快感をあらわにしながら改めて名乗ってやれば、フォルトナは少し驚いた後に何かに納得したような顔で私にしかと向き直った。
そして警戒し身構える魔族と私の前で、驚くべき事を言ったのだ。
「そうか、君が……クーやキエルさんが言っていた通りだ」
私は、一瞬呼吸を忘れた。
魔族やバルタ兵、リビングデッドの戦闘音さえ数秒聞こえなくなった。
甲高い耳鳴りめいた音と共にようやく世界に音が戻ってくる。はっとした私は、冷静さを欠きフォルトナの下へ駆けだそうとしてツォーネに腕を掴まれた。
「お嬢! いけねえっ!」
「ココット様! 迂闊ですわ!」
「っ……! おい、聖剣! 今キエルと言ったな! 言っただろう! キエルは……キエルは生きているのか!? どこにいる!」
怒りと驚き、そして心配の入り混じった悲痛なる叫び。ツォーネに掴まれた手を振りほどこうとしながら、キエルはどこだと叫び続ける。やがてツォーネに後ろから体全部を抱え込まれるように抑えられた。それでも私が暴れたのでついにツォーネは私を抱え上げた。
地に足がつかずバタバタしながら暴れる私の剣幕にフォルトナは一瞬たじろいだように見えたが、すぐに答えをくれた。
「安全な場所だよ。戦場には彼女の願いで来ている」
その言葉を聞いて、私は瞳を揺らしながら暴れるのをやめた。
安全な場所にいて、生きている。あの爆発ではぐれた後、バルタ兵に囚われたのか。あまりいい状況ではない。
だが、それでも……生きてはいる、のか。
「そうか……無事だったんだな……キエル」
私は安堵の声を漏らし、仄かに笑顔を見せた。深く息を吐き、落ち着いた。ツォーネの拘束が緩まり、私は静かに地面に降ろされた。ツォーネの手も震えていた。こいつにも驚くべき事実だったらしい。ゾフもだ。どうするんだと言った顔で私を見ている。
私は両手を頬に当て、何とも言えない息を吐いたまま地面をただ見つめていた。
キエルが無事……ここにきて何という朗報なんだろうか。俯き地面をただ見つめたまま、笑い声が漏れる。笑みもだ。喜びと安堵の声と吐息。戦場に居る事さえ一瞬忘れていたかもしれない。
その笑顔を見たフォルトナが私に言葉を投げかけた。
「ココット、僕は戦わなくて済む方法があるのならそうしたいと思っている」
「聖剣殿!? 何を言うか!」
聖剣の言葉に驚いたのは私もだが、声を上げたのはデオニオだった。
私はゆっくり顔を上げ、頬にあてた手を静かに下して腕組みをした。意識を戦場に戻すいい気付になった。こんなバカげた言葉を聞けるとは。
「はっ、何を言い出すかと思えば甘ちゃんの戯言か。戦わなくてどうする? 私を救うとでも言ってみるか? セグンのように」
「……そうか、セグン殿も君が」
ああそうさ。青翼騎士団団長セグンは私が罠に嵌めて殺した。キエルの父である男だ。覚えているともさ。
フォルトナのつぶやきに私は当時を思い出しながらふんふんと得意げに笑って見せた。
聖剣の勇者を前にして私の脳裏は複雑にして単純明快な感情が渦巻いていた。目的のための思案、作戦を次の段階に進めるための周囲の状況把握。そしてその中心にいる聖剣の勇者フォルトナが、私の終わりであることへの歓喜。奴を殺せば私はやっと終われる。あの方に迷惑をかけず、きっと喜んで頂ける。
私が死んだ事より、勇者が死んだ事の喜びが勝る筈なのだから。そう、盲目的に私は思い込む事にしていた。
そうして笑みを浮かべ続ける私に、フォルトナは苦悶の表情で告げる。
「僕は、君を殺せと言われている」
「当然だろうな。私もお前たちを殺すつもりだ。実にフェアじゃないか」
「だけど僕は君を、殺したくないんだ」
「……?」
フォルトナはキエルに私の事を頼まれた、と続けた。そしてそれだけでもないとも。
キエルが何か言い含めたらしいが、それ以外は興味はない。キエルが私の心配を、囚われの身の上ですらしていた事に呆れ、相変わらずだと苦笑した。こう言って優しい言葉を投げかけてくる奴は決まって最後には私を裏切るのだ。エルクーロ様以外は。
「兵を引き、僕の言うとおりにしてほしい。君は殺しすぎてしまった。だから大人しく裁きを受けるんだ。人として。命は僕が保証する。罪を清算するまで僕が面倒を見ると約束する。だから兵を収めてくれ」
「私に投降しろと? 人として裁く? ばかばかしい。私を人ではなくしたのはお前たちなのに。ああくそ、人間は何度私にこれを言わせる?」
「キエルさんの事を聞いた君の表情を見た。君は本当にキエルさんの事を心配していたんだね。キエルさんも君を心配していたよ」
「……だから、どうしたっていうんだ」
いや、待て。
これは取引だ。フォルトナは私に要求を、している。
なら私の要求も伝えるとしよう。
「わかった。こうしよう。お前は死ね。……キエルも返せ。そうしたら私は大人しく言う事を聞くよ。どうだ?」
私の提案に私の腕をずっと掴んだままのツォーネが驚愕の表情で私を見る。ゾフもだ。
私はこの作戦に命を懸けると宣言してきた。だから部下の命を使っている。だのに自分の命だけは棚に上げるわけはあるまい。
私の命で聖剣が殺せるならば喜んで差し出すさ。
だが、フォルトナはこの提案を却下した。
「それは……できない。僕は民の想いを背負っているから死ぬことはできない。キエルさんも再び魔族に引き渡すことはできない」
「はっ。聖剣でも我が身は可愛いか。それにあんな連中の想いだと? それは呪いだよ、聖剣! 歪んだ勇者め!」
「だから、僕は君を死なせたくもないんだ!」
「聖剣殿! 魔将軍と戯れるのはそこまでだ!」
我々の問答にデオニオが割り込む。
フォルトナの肩を掴み、怒りの表情をしていた。
「我が軍にも多く犠牲者が出ている。その幼女は部下すらリビングデッドにする外道だ! レーヴェも討ち取られたんだぞ!」
「なんですって……?」
フォルトナが驚き、デオニオが剣で指し示した方を見れば、未だにツォーネの突撃槍で壁に張り付けにされたレーヴェの亡骸が目に映る。
フォルトナはそれを見て目の色を変え、私を睨みつけ叫んだ。
「レーヴェを殺したのか……! クーを殺したのも本当だったんだね……!」
「今更信じたか! そうだよ! 殺してやったさ! 聖女もその女騎士もな!」
フォルトナから感じる気配が変わったな。怒りだ。殺意はまだ感じられないのが逆に癪に障るが、この調子で怒らせてやる。私は腕組みをして鼻を鳴らし、見下すような眼をフォルトナへと向ける。
「なぜだ! クーは手紙で君の事をずっと話していた! 信用していたんだぞ!」
「はっ! ははっ! そんな嘘で私の戦意を折ろうと言うのか!?」
「違う! 君がクーと一緒に居た事も知ってる……全部クーが教えてくれたんだ! 君はクーに優しかった……一緒に居て、なんだか他人の気がしないと言っていた!」
こいつまだそんなことを。
クーの話を私にするんじゃないというのに。
「嘘だ! あいつは私を騙してミオを殺した! これ以上ふざけた話を私に聞かせるな! 頭が痛くなる!」
「クーは僕に嘘はつかない! 僕だけじゃない……君にだって、嘘なんかつかない!」
「……ッ!」
私も、そう思っていた。
クーと過ごした期間の中で分かっていたはずだ。だから私は絆された。なにもレイメに似ていたからと言うだけではない。こいつなら私を裏切らないんじゃないかと思わせる安心感を、その誠実さから感じていた。
だけど結局、私を裏切った。それで私の大事なミオを奪われた。それが真相で、忌むべき過去の過ちだ。そのはずだ。
「キエルさんから話は聞いたよ……君は暗殺者を放ったのがクーだと思っているんだろうけど、それはきっと間違いだ。クーはそんなことはしない!」
「やめろっ! 聞きたくない! 聞きたくない!」
「クーは最後まで君を友達だと思っていたんだ! それに君は本当はクーの……」
「まやかすなァッ!!」
私は悲鳴のような声色で叫んだ。
これ以上は聞くに堪えない。先ほどの親子を見たせいか? 私は胸の内に芽生えた罪悪感と言う名の呪いを押し込めようと必死だった。
クーの話なんか聞きたくない。私はもう彼女を殺してしまった。真相なんかどうだっていい。聞きたくない。もう私は人間らしい感情なんか持たないと決めた。苦しいだけだからだ。もう苦しいのは嫌だ。だから恋も生存も諦めてここに来た。
悩みも後悔も考えないようにした。そんなものあってはいけないから。そう思ってここに来た。
ただただ聖剣を殺すために。
「お前の砂糖のように甘い言葉はもううんざりだ! 戦う気がないなら黙って死んで道を開けろ! これからバルタの連中を皆殺しにしに行くんだからな!」
「やめろ! 罪なき民衆を殺すな! もう戻れなくなるぞ!」
戦うしかなくなる、とフォルトナは言った。それでいい、そうしたいんだよ私は!
さあ怒れ。怒ってしまえ。問答など無用。言葉で私を惑わすなどせずにその白い剣を突き立てに来い。
でなければお前が剣を執らない事で困惑した兵士たちがリビングデッドにどんどん食い殺されるぞ。
我々が楽しくお話をしている最中にもバルタ兵とリビングデッドの戦いは続いている。
私もいい加減問答に飽きた。爪を噛みながらも笑みを崩さぬよう聖剣を睨みつけ、挑発的に振舞う。
レーヴェの死を見て尚私を説得しようなどと思うその脳内のお花畑を踏みにじる。
リビングデッドと戦う兵士たちの声を聴きながら、我ら主力同士はしばし睨みあった。
沈黙を破るのはデオニオだった。
「聖剣の勇者殿! なにをためらっておられる! 早くあの悪魔を仕留めるべきだ!」
「そうだ、そこの馬鹿の言う通りだ! 殺してみろ、勇者! 私は魔将軍だぞ!」
「だけど……殺す以外の道はあるはずだ……! キエルさんにも頼まれた……!」
「私が憎いだろう? 殺したいだろう? どうやって殺したか聞かせてやろうか……お前の恋人だったクーシャルナをなあッ!」
私のあおりを受けて、聖剣は目を見開いて私を睨みつけた。来た。確かに殺意を感じたぞ。聖剣の勇者と言えどただの男。愛するものに死に怒る気持ちはあるよなあ。
お優しいフォルトナ。クーが散々言っていた。ならばこういう言葉の方が効くだろう。
今の私に投げかけられるべき言葉は憐みでも救済でもない。ただ糾弾され、憎まれたほうがずっといい。どうせ私にはもうその道しかないのだから。
「もう戻れないんだよ、何処にもッ! エルクーロ様の所にさえッ! それでもお前を殺せばエルクーロ様のためになる! 誰かのために戦うのは悪い事じゃないだろ!? お前も同じだろうに!」
「なぜ魔の道を行こうとする! それは言葉だけの正しさだ!」
「正しいなら結構! 私はもう間違えない! だから死ねえっ! 勇者ぁあああッ!」
私は叫び、魔族達に指示を出す。
予定外の指示だった。ゾフやツォーネ達も私が冷静でない事に気づいてかすぐには動けない。作戦の段取りと違うのだ。私がどれだけ行けと命じてもゾフとツォーネは動かない。
が、ゴブリンやオークといった魔族達は私の言葉通りに聖剣に向けて雪崩れ込む。リビングデッドを盾にするようにして聖剣の首を狙う。
それを見送って私は叫び続ける。頭の中が真っ赤で、まともではなかった。ただ目の前の綺麗ごとで塗り固められたフォルトナを怒らせる事が出来ればそれでいいとさえ思っていた。
「お前を殺した後はバルタに住む連中を全員魔族の餌にしてやる! それが済んだら次はイファールだ! 全員殺してやるよ! クーシャルナのように!」
「……そうは、させない!」
瞬間、フォルトナの持つ聖剣白い輝きを帯びる。
白い炎のような光が剣から揺らめいたかと思ったら瞬く間に天を突かんばかりに立ち上った。
一瞬、私はその光に見惚れるようにして目を見開いた。
「お嬢、やべえぞ下がってくだせえ!」
「わたくしの後ろに! 早く!」
ゾフとツォーネが無理やり私の身体を下がらせる。
周囲で戦うリビングデッド。そして私達魔族軍主力。両方纏めて薙ぎ払う算段だと、直感で理解できた。
大きく剣を振ったフォルトナの剣からは、純白の業火めいた輝きが剣閃となって我々に放たれた。
放たれた剣閃は白き破壊の奔流となり一直線に我々めがけて突き進む。魔族やリビングデッドを弾き飛ばしながら、それは視界を埋め尽くすように向かってきた。
反則だろうと思った。見覚えのある白い光だ。あの時クォートラと共に私を撃ち落とした光の柱、その正体はこれだった。
いや、淡く予想は付けていた。超常の力。振るうはこのファルトマーレで勇者のみ。
初手から必殺の一撃を放ってくるとは。クーの話と違う。甘ちゃんではなかったのか。それとも怒らせすぎたか?
どうあれこの一撃を防がねば先は無い。どうする。隠れる? 無理だ。避け……られない。コンマ一秒にも満たない時間の中で私はあれやこれやと考えて、何も打開策が見つからない。
魔剣士達やオド、ゾフ、ツォーネが全員私の前に立ちせめて盾にと構えるが、あれを防ぐ事が出来るだろうか。
リッチであるアンドレオをも葬った一撃だぞ?
ゾフとツォーネだけなら躱せるだろう。対処もできるかもしれない。だが私が居ては別だ。
聖剣を殺す前に私が死んでしまっては意味がない。
ないのか、本当に?
――――まあ、いいか。いいな、うん。
別に死んでも構わないか。
バルタに攻め入り、討ち死にしたとしてエルクーロ様の面目は立つ。たとえ勝てはしなくても目的は達成される。
エルクーロ様の下に居られない言い訳をした。復讐のために戦うと理由を付けた。でも結局私はまだ死にたかったんだ。どこまでも私は半端ものなんだな。今際にあっても己の心を固められなかった。
それにいい話は聞けた。本当に、いい話が。
私は向かって来る白い光をぼうっと眺めながら、冷静さを取り戻した私はキエルが生きていてくれたのなら……これも終わりとして構わないかなどと考えて。
でも、いいのかなあ。キエルが生きているのに、会わずに死ぬのは嫌だなあ。
私はそんな事を考えて静かに目を……閉じた。
――――激しく吹きすさぶ一陣の風が私の頬を撫で、白い髪を揺らした。
目を閉じてすぐに、私は眼前より聞こえた羽音で目を開けた。そして、驚愕した。
ドラゴニュートだ。ロックボムによる爆撃を命じていたはずのドラゴニュートが地上に降り立ってきた。
何を、と思う前にドラゴニュート達が次々と地上へ降り立ち、白い奔流に対して火炎を放ちはじめる。
ひとつ、ふたつ。鎧をも溶解する炎を受けても奔流は勢いを緩めない。
みっつ、よっつ。やがてドラゴニュート総勢が揃い、火炎を放った。
私は目を疑った。
ドラゴニュートが地上に降り立つなど自殺行為。地上には未だ敵がいるというのに!
「援軍か! 弓兵構えいッ!」
デオニオの指示で弓兵が次々に弓を番える。狙いはドラゴニュート達だ。
飛来した矢がドラゴニュート達の翼や首に容赦なく突き立つ。だがそれでも彼らは火炎を吐くのをやめない。
流れ矢が私の方へも飛来し、ゾフとツォーネがこれを弾く中私はその光景から目が離せなかった。
ぶつかり合う紅蓮と純白。白い奔流はわずかに勢いを落とす。だがそれでも火炎を押し込みながら進んでくる。
と、今度は私の背後で複数の羽音がした。
はっとして振り返った私は目を丸くした。
「クォートラ!?」
そう、クォートラだ。通常より巨大なドラゴニュート。飛翔できない片翼でどうやって。
見れば左右にそれぞれドラゴニュートがついている。自分を運ばせたというのか。
クォートラを運んできたドラゴニュートはすぐさま私の前に降り立ち、白い奔流へ向けて火炎を放つ。容赦のない雨の矢をその身に受けながら、火炎を吐き続けている。
「馬鹿やろう! なんで来た! そんな体で……足手まといだと言った筈だ!」
「命令に背いたことをお許しください。貴女の命令よりも守るべきものがあったのです、姫」
静かにそう言ったクォートラの目と私の目が交差する。なんだそれは。私の命令以上に優先するものがあり、その結果がこの無謀だと言うのか。
クォートラは一瞬私の目をじっと見て、目を細めた。その目にある慈愛。そして、覚悟を読み取った。
そしてクォートラはすぐにキッと鋭く視線を白い奔流へ向けると咆哮する。
「貴女を守ることこそ、我が本懐! その為ならばッ」
そしてクォートラもまた、私から離れ聖剣の奔流の前に立ち渾身の火炎を吐いた。
例にもれず、クォートラの身体にも矢の雨が次々と突き立っていく。
その光景に私はゾフとツォーネに遮られながらも叫ぶ。
「や、やめろ……もういい! もういいんだ! 私なんかのためにこれ以上……っ」
ドラゴニュート達は傷つきながらも奔流を押しとどめる。
紅蓮の炎と白い炎の接触点にエネルギーの拮抗が起こり、膨れ上がっていく。
直感が警鐘を鳴らす。これはよくない。
私は必死にクォートラに叫ぶ。もういい。もうやめろと。
それでもクォートラ達は奔流に立ち向かう。接触点の光が強くなる。白と赤の混じり合う炎。
そんな光がついに弾けようとしていた。ゾフとツォーネが私を抱くように盾になる。その体の隙間から、私はずっとその光景を見ていた。
甲高い音とともに閃光が迸る。あまりの眩さに瞼を閉じかけて。
白と赤の閃光をバックにこちらを振り返る、穏やかな瞳のクォートラと目が合った。
「どうか……生き……!」
大きく目を見開いた私は、クォートラの言葉を最後まで聞くことはできなかった。
ついに臨界点を迎えた奔流は火炎とともに大爆発を起こしたのだ。
クォートラの声とその姿……ドラゴニュート達を飲み込んで。
「ッ……クォートラぁあああッ!!」
叫んだ私もまた、爆発の衝撃と粉塵の幕に飲まれていった。
「がはッ……」
爆発の衝撃で大きく建物に叩きつけられたフォルトナは口から血を吐いた。
ずるずると壁から地面にずり落ち、うつ伏せに倒れ込む。
爆発の影響でその場にいたものは全員衝撃に曝されたが、ダメージを意に介さずむくりと起き上がったリビングデッド達が倒れた兵士たちに襲い掛かり、戦いはすぐさま再開された。
しかし指揮系統も隊列も今の出来事で瓦解している。
デオニオは急ぎ兵士たちの立て直しを図り、リビングデッドを斬り捨てながら周囲を見渡し焦りながら探す。
「ココットは、ココットはどうなった!?」
デオニオが叫ぶ。視界に映るのは未だ轟々と燃える火炎の渦。炎に照らされる吹き飛び倒れた人魔問わずのうめき声とシルエットからココットを探す。
ヴァンパイアは。あのハイオーガは。
奴らはどうなった。死んだのか? いや、否。その死体を見るまで油断はできない。デオニオは炎の壁を睨みつける。
刹那、その業火を突き破るように黒いものが飛び出した。
「ぬぇ”ぇえぁあァあああぁあッ!!!」
衣服の所々を火炎に焦がし、炎を纏うように跳躍してくるはハイオーガ、ゾフ。
憤怒の表情を顔に張り付け、上段に構えた大斧を一直線にデオニオめがけて振り下ろす。
デオニオは急ぎ剣を構えこれを受けるが、その重さは想像以上だった。
「ぬううッ!?」
苦悶の表情を浮かべるデオニオ。足を地面に突っ張り耐えんとするが、全力のゾフの体重と速度を載せた一撃の衝撃のままに押し込まれ、つばぜり合う姿勢のまま滑るように地面を削っていく。
デオニオの腕が軋む音さえ聞こえてくるような一撃。冷や汗が一筋デオニオの額より流れる。このままでは腕を折られる。受け流そうとするもゾフはそれを許さず。押し潰さんとする勢いでデオニオを拘束せしめた。
そこで、馬の蹄の音が戦場に聞こえる。
ゾフに押し込まれながら、デオニオはツォーネと共に魔馬に乗り駆けるココットの姿を捕らえた。後に続く複数の魔族の一団も。
まずい。我々を抜く気か。
焦りに目を見開いたデオニオは急ぎ周囲に目を凝らし聖剣を探す。居た。
身体を強く打ったのかよろめきながら立ち上がっているフォルトナめがけ、余裕のない表情で短く簡潔に言葉を叫ぶ。
「聖剣! ココットを追えいッ!」
フォルトナはデオニオの声にハッとすると駆けていくココット達の背を捉えた。
一直線にバルタ大門へ向かっている。しかしこの場の状況も捨て置けない。渾身の技をドラゴニュートに相殺され、周囲に被害をもたらした。
残ったゾフ率いる魔族とリビングデッドの目的は殿だろう。自分たちを此処へ押しとどめココット達が大門に達してしまえば最悪の事態が起きる。
行くしかない、自分が。
「後続は向かわせる! 行けぃッ!」
「……任せます!」
フォルトナは痛む体を無理やり動かし、口笛を吹いて白馬を呼ぶとすぐさま飛び乗り走らせる。
ココットを追って。
♢
大門の櫓の上では、旧市街で起きた爆発に慌ただしさが蔓延していた。
あの光は聖剣のもので間違いはない。しかし爆発は違う。何かが起きた。まさか聖剣の勇者さえ敗北したのではないか?
教皇の胸の内に湧いた不安は瞬く間に彼から冷静さを奪った。
「貴方たち! あの魔将軍を捕らえるのです! ほら、行くんですよ! 貴方も! 貴方もです、ほら! 早くいけ!」
教皇が笑みとも怯えともわからぬ狂乱した表情で喚き散らし、待機していた兵士たちを戦場へと送り出す。
恐怖により錯乱寸前の教皇の言葉に、兵士たちは困惑する。自分たちがこの場を離れるわけにはいかないとしてなんとか教皇を説得しようとするが教皇はまるで駄々っ子めいていう事を聞かない。
護衛の兵士達が困り切りながら仕方なく櫓を降りて行くのを見もせずに、横でキエルはじっと旧市街を見つめていた。
戦いの推移は分からない。キエルはただただ祈るばかりであった。だが、空気が変わった。この空気の感覚には覚えがある。立ち込める魔の香り。殺意で張り詰めた空気の肌を刺すようなぴりりとした感覚。
聖剣の勇者フォルトナはココットを救ってくれなかったのか。あの光は怒りに満ちたもの。もしフォルトナがココットを殺してしまっていたとしたら。考えれば考えるほどに心臓が締め付けられるような気がして。
やがて、一際旧市街方面が騒がしくなった頃合で、はっとして呟いた。
「ココットが来る」
何故そう思ったかはわからない。
だが、確かにそう思ったのだ。ココットが此方に向かっていると。
だけど、わからない事もある。ココットの想いが此方に向いていない、そんな気がした。
そして同時に痛烈な程に嫌な予感がキエルの脳裏に広がった。キエルはぎゅっと服の裾を握り、舌唇を噛みながら決意する。
「行かないと……」
ココットの下へ。
キエルはずかずかと兵士を追い飛ばし独りになった教皇の下へ歩いていく。息を荒げた教皇は近づいてくるキエルに目を向け、まるで今気づいたかのようにとぼけた表情をした。
「おや、貴女は兵士ではない……? ……使用人?」
「すみませんッ」
キエルはそう言うや否や両手を拳に合わせて勢いよくスイングし教皇の呆けた頬に一撃を見舞った。
素っ頓狂な悲鳴をあげて転げた教皇を振り返りもせずに、キエルは櫓を駆け下りた。
そして背後で兵士たちの問答と、教皇の喚き声を聞きながら、旧市街へと駆けだした。
胸の内に芽生える不安を抑え込もうと胸を押さえながら、心配を表情に浮かべて。
「どこへいくのですか、ココット……何をするつもりなのですか……!?」
脳裏にあの幼女の事を思い浮かべる。
どうか馬鹿なことはしないでと祈りながら。




