#116 選択
「お嬢……戻ってきちまったんですね」
私の顔を見たゾフが、頭を掻きながら首を振った。
「戻らないほうがよかったか?」
「……いえ、全然。よくぞお戻りになりやした。兵一同、お待ちしてやしたぜ」
ゾフはそう言って頭を下げた。
夕暮れ時のルイカーナの白城前広場にて、チックベルらハーピー部隊を連れ立ってきた私は我が軍の面々に出迎えられた。
……私は、ルイカーナに戻ってきた。戦場の目と鼻の先、戦うための帰還だった。
兵を残して後方へ逃げ帰った将たる私の帰還に際しても、我が兵たちは毅然としていて戦意を失っているようには見えなかった。傷の癒え切らぬままながらも悠然と並び立つ彼らの姿に、私は確かな誇らしさを感じた。
すぐにツォーネも魔剣士部隊を率いて私の前に姿を現せば、一瞬複雑そうな表情を見せたがすぐに頬を緩ませて今にも私に抱き着かんばかりの勢いで走り寄ってきた。
いつもなら制止するところだが、今回は大目に見るとしてツォーネの抱擁を重んじて許した。
「ご壮健なようで何よりですわ」
「お前たちには迷惑をかけた。もう私はお前たちから離れないよ。最後までな」
そう言えばツォーネは私から体を離してゾフの隣に立ち、深々と礼をした。
私は星空に照らされた広場で、襟を正しながらこほんと一つ咳払いをした。
「すぐに準備に取り掛かる。我々の本当に最後の戦いのな」
私がそう言えば、魔族達は改めて拳を握りしめて私を見た。
出迎えの魔族らについて白城の中へ進む私を、チックベルは複雑な表情で見送っていた。
♢
私がルイカーナに向かう少し前。
魔王様との話を終えた私は、部屋を出た所でチックベルと鉢合わせていた。
「……ココットちゃん、魔王様と何を……話してたの~?」
待ち伏せされていたかのように、私に気づいたチックベルはもたれかかっていた壁から背を離し私に歩み寄ってくると、身体をグイっと私に近づけながら悪戯っぽく言う。
「……別に」
「戦う気~?」
チックベルの言葉に少し驚いたが、私は表情を変えなかった。少しだけばつが悪かった。悪戯を発見された子供のように。
掴み所のないチックベルの事だ。気付いていても意外ではない。
暗く蝋燭の日だけが照らす魔王城の廊下。二人きりで向かい合う私達。
私はふぅ、と息を吐きチックベルの赤い瞳を見て言う。
「チックベル、聖剣を倒したくはないか」
キッと睨みつけるかのような目で私はそう言った。それを見てチックベルは少しだけ目を丸くした。
私が睨んでいる相手は彼女ではなく彼方の誰かだとは察したらしい。
そしてチックベルは、すぐに表情を和らげにまぁ、と笑ったのだ。
「……ココットちゃん。そんな言い方で焚きつけなくてもうちは手伝うよ」
チックベルの笑顔に私はまたも驚いた。エルクーロ様に告げ口される前に懐柔しようとダメ元ではあったのだが、賛同を得られるとは。
彼女の笑顔はどこか困ったような悲しそうな感情を孕んでいたのだが。
「だけどいいの? うちはこのままココットちゃんがエルクーロ君と一緒になるのもいいかなとおもってるんだけどな」
チックベルはそう言って、後ろ手に体を傾けゆらゆらと揺れながら私を見た。
私はほの暗い廊下で、チックベルの言った言葉をゆっくり心の中で噛み締めた後静かに壁に向かい手を突きながらつぶやく。
「私もそうなったらいいなと思っている。今は、本当に。もう今更自分の気持ちに嘘は付けないな」
冷たい石壁の感覚が手に伝わる。手袋越しにも分かる大理石の冷たさ。だが、心のうちに思い浮かべるあの方と過ごした記憶。考えれば考えるほど、体の芯から暖かくなっていき、そしてまた……胸が締め付けられるような感覚も同時に襲い来た。本心を偽れないと言ったが、私はあの時……エルクーロ様に対しての本心を偽ってしまっているのだから。
「だからこそ、私のせいであの方に迷惑をかけることに耐えられない。彼がそうは思わなかったとしても……。そして今、また戦いを選んだ。つまり結局私は彼の事を、私が復讐を忘れられない言い訳にしているだけなのかもしれないと思った。だからこれは、独りよがりな私の我儘なのだろう」
彼は私が行くことを良しとはしないだろう。私の事をどう思っていようと、だ。
だが私とあの方は共にはいられない。きっと初めからそういう定めだったんだろうから。
あの方に救われた時から、私が魔将軍として復讐に身を染めると決めた時からこうなる筈だった。改めて原初の感情を思い出す。
復讐、復讐なのだ。結局私の心の中にはいつもそれがあった。いつしかそんな黒々とした感情を覆い隠す暖かなものが増えすぎて、私もついそれに甘んじかけた。
だが、そんな私の大切な者たちは、私という悪魔を前に不幸になる。レイメも、ミオも、キエルも。いなくなってしまったのだ。
エルクーロ様は御強い方だから居なくなる事はあるまい。だが、だからこそなのだ。
「魔王様も了承している。もとよりバルタを落とせなければ私は魔王様に殺される筈だった。エルクーロ様のおかげで勇気が出た。覚悟もできた」
「エルクーロくんが守ってくれても~?」
「それこそ我慢ならない。これ以上私と言う重荷を背負わせたくない。エルクーロ様に私はやっぱり不要だよ」
私は少し寂しげにそう、笑った。
エルクーロ様の魔族内での復権には私を使いつぶす必要がある。
私を庇護することで自分同様の陰口に苛まれるのは看過できない。彼のために死ねば、彼の面目は立つだろう。あくまで彼は黒曜として、恐れられ敬われるべき方。何もしない愚衆に舐め腐られていい存在ではない。私が理由で彼の名が畏敬の意味ではなく腑抜けとまで言われたのなら、それを正さねばならない。
そのために死ぬのならば……きっと私は満足して逝けるだろう。
「生まれ落ちて死を願い、母の遺言で生きると決めた。復讐の為に身を焦がしたはずが、いつしか生きたいと願っていた。だが結局再び恨みに震え復讐をと戦い、それが叶わないと知った途端にあの方に縋りつくような私は……きっと愚かしくて図々しい、人間なんだ。まあ、今更かもしれない。本当に、今更……」
「ココットちゃん……」
「安心してくれ。あの方に迷惑はかけずに、聖剣は倒して見せるよ。この命に代えても」
どうせ死ぬのならば、当初の目的通り私は私の目的を果たそう。
復讐を果たし、エルクーロ様への恩義を果たす。レイメの遺言は守れないけれど、きっと悔いはない。誰が為の二度目の人生と疑問を胸に抱き12年。答えは、見つけた。
私は一人そう考えて、ゆっくりと目を閉じた。
「ココットちゃん、本当に……おばかさんだなあ。エルクーロくんは今度こそ……ココットちゃんの事本当に大切にしたいんだと思うけどな」
チックベルは歩き出した私の背を見ながらそう、呟く。そして未だ眠っているのか現れない幼馴染に思いを馳せる。
今ここに彼が現れたのならば、きっとココットを止められるだろうに、と。
「エルクーロくん、うちを恨むだろうなぁ~……」
チックベルは静かにそう言いながら、私の後を追った。
自分では……ココットは止められない。止めるべきだとしても、止めてやれない。ココットの胸に秘める復讐心も恋心も、どちらも否定できないから。ならばせめてココットが生還できるように、手を尽くそうと……チックベルは想う。ココットを生きて帰した後に、エルクーロにどやされる事にしようと。
その日の朝早くから、魔将軍ココット及び魔王城駐留軍のいくらかが姿を消したのだ。
♢
ココットが出立した少し後の事であった。
日が昇った頃エルクーロは自分が眠っていたソファから身を起こしベッドを見たが、そこに眠っていたはずのココットの姿は無かった。
はて、と。自分がソファで眠るからベッドを使えと言ったのに散々自分が床で寝ると豪語したココット。軽く口論にすらなりかけて、結局疲れ切ったココットがソファで寝たので静かにベッドへ運んだわけだが……起きた際にそれを不服としてどこかへ行ったかと。
いや、だがココットが私に何も言わず出かけるか? 有り得はするか。先に起きたのなら眠っていた私を気遣ったかもしれない。
不信に思い謎の焦燥に駆られながら魔王城内をいくらか散策したが、やはりココットの姿は無かった。
この時はエルクーロは、自分に気を遣いまたどこかへ一人で行ったのだとしたら、すぐには見つからないだろうと思ってしまった。再三注意はしたから無茶はしないだろう、とも。
そして、先日の魔王の問いに対する答えが固まった気持ちが逸り、ココットの捜索は魔王への謁見の後にしようとして魔王の間へと向かった。
全て終わらせた後、ココットに良い報告をしてやろうという気持ちがあったのも理由の一つではあろうが。
魔王の前に立ったエルクーロは、昨晩と同じように書類にペンを走らせる魔王に向かいあう。
「魔王様、お話が」
「うむ」
「私のバルタへの出陣をお認め下さい」
「構わんがね。つまりココットを取る、という事だな」
書類に走らせるペンの動きを止めず、眼さえエルクーロに向けないで魔王は酷く淡白にそう言った。
頷くエルク―ロ。そこでやっと魔王は手を止めると、深々と溜息をついた。
「まったく、似たような願いを日に二度も聞く羽目になるとは。どっちもどっちという事か」
「似た……?」
エルクーロは、魔王のその言葉にどこか引っ掛かりを覚えた。
そしてすぐにはっとして、自分が後回しにしてしまった彼女の事を考えた。それはすぐに悪い予感と共に焦りを加速させ、慌てながら魔王に問う。
「魔王様! ココットは何処です」
魔王ならばきっと知っているのだろう。そして予想通りならばココットは今。
そしてその答えは魔王の口から無情に、そして淡白に語られた。
「ココットならバルタへ戻った」
エルクーロは目を丸くした。
いや、やはりというべきか。魔王が言った似たような願いを二度聞いたという事。ならばその願いを申し出たのが彼女だとしたらこの答えは予想していたものだった。最悪の予想として。
エルクーロは拳を握りしめ、キッと魔王を睨みながら言う。
「何故……なぜ彼女を行かせたのです!? 彼女は傷病兵です! 彼女の兵も同じ……」
「これはココットが望んだことだ。再びバルタ攻略の任を与えろと、そう頼まれたのでただ許可をした」
「バルタ攻略は撤回したはずです!」
「お前も今バルタ攻略撤回の撤回を私に頼みに来ているではないか」
「っ……! だが……ココットは私には一言も……」
顎に手を当てて思い悩むように苦い顔をしたエルク―ロを見て、魔王は溜息を一つ零した。
「お前には言わぬよう頼まれていてな。まあ最後の頼みであるとして聞いてやっていたわけだ」
「最後の……?」
「エルクーロ、ココットを囲い込んだことで魔王城内でお前への不満が募っているのは気づいていないわけではあるまい。あの娘はそれを嫌ったのだ」
魔王の言葉に顔を上げたエルクーロの表情が見る間に驚きと焦りに染まっていく。
「あくまでエルクーロがココットを駒として使いつぶしバルタを落とした、という体ならば不満はねじ伏せられるし、面目もたつ。命令無視で単独侵攻、それでココットが討ち死にしたとして戦争終結にも多少の此方の不始末で済むし、教皇も納得しよう」
「彼女をそんな道具のように!」
「あの娘はそれを理解していた」
エルクーロは息をのむ。
「ココットはお前のために行ったのだよ」
魔王はそう言った。短い言葉だったが、エルクーロには鮮明に耳に聞こえ、そしてそのまま胸を刺した。
ココットが身を犠牲にして自分の体裁を保とうとしたのかと、エルクーロは唇を噛む。私の尊厳を保つために私に死地へ送られたという体にすると、そういうことなのか。
馬鹿なことを。なんて馬鹿なことをと拳を握りしめた。私をあくまで"黒曜"に仕立てようというのか。
そして胸の前に持ち上げた掌を開いてみれば、あの時握ったココットの小さな手の感覚が思い出されるようで。
己の拳を睨んでいれば、胸にこみあげてくる焦燥感。これまでに感じた事がない程の。
「エルクーロよ、私は見たいのだ。お前が拾ったあの娘がどう生き、何を為し、そしてどう死ぬかが見たい」
衝撃が頭に走った。死ぬ、と言う言葉。ココットが死ぬ。ポリニアと同じように? エルクーロは目の前の魔王に対し一瞬募りを覚えた。ココットが死ぬのを見たいと言ったのだ。
ココットが死ぬのは……それは、好ましくない。ポリニアの時は焦ることも気づく事も出来ずにただ目の前からいなくなってしまった。
だが、此度は焦りも気付きもある。こうしてはいられない。
「ッ……失礼します」
言い終わる前に踵を返し退室したエルクーロの背中を笑みを浮かべながら見送る魔王は、少しだけ悲しそうな目をして呟く。
「やはり行くか。甘くなったなエルクーロ。わからないものだ……いつだってお前を変えるのは女、か」
♢
風の強い深夜だった。
ルイカーナの白城の廊下の窓を激しい風が容赦なく叩く音が響いている。
作戦会議を終えた私は陰鬱な表情の面々を一瞥した後、会議の為充てられたエントランスを離れていた。
そして一人白い廊下に風の音と混じる靴音を響かせながら歩き、歩き。アレハンドロの部屋を抜けて、庭園までやってきた。
花畑を踏みしめながら満天の星空を仰ぎ見て、ふうと吐息を漏らす。
出撃はこの後すぐだ。
連中にこの後展開する作戦の概要を説明するのには骨が折れた。反対も多かった。だが、ねじ伏せた。
兵力の少ない我々が勝利するための作戦。リスク無くして行えるものではない。今更リスクに対し私自身はどうも思わないが、部下たちはそうでもなかったらしい。愛されるという事は、縛られる事でもあるかと苦笑する。
それが理解できたからこそ、私はエルクーロ様の下を去ったのでもあったか。彼を、縛りたくなかったから。
「ココット様」
ぼうっとそんなことを考えていた私に声がかかった。呼ばれた声に振り向けば、ツォーネが居た。
私と目が合ったツォーネは少しだけ笑った後、すぐに表情を曇らせた。らしくない。
「やっぱりわたくし……」
「なんだ」
「……ココット様の事は好きですわ。その仰る作戦も……好き放題暴れられますし? わたくしが暴れる事でココット様が笑うのも……好きですけど……やっぱり今回の……」
ツォーネは小声で何やらぼそぼそと言っているが、私には半分も聞き取れなかった。
だがその赤い隻眼が私をちらちらとみる感情には、マイナスなものが見て取れた。作戦に対してまだ思うところがあるようだ。
私ははあ、と息をつき体をツォーネに向ける。
「どうしたんだ、ツォーネ。お前らしくも無い。私と初めて会った時のお前はもっと堂々としていたぞ。私をちんちくりんと罵ったのを覚えている」
「あっ、あっ、あれはーその……小さくてカワイイ、というアレで、その……」
「ふむ……私はカワイイか?」
「カワイイですわ! きっと美人になりますもの!」
素直に、嬉しく思った。これまでならば聞き流していた世辞も、私の意識の変化かすんなり受け入れ、仄かに頬を染めさせるに至る。
エルクーロ様もそう思ってくださっているだろうか。いや、そんなはずはないな。あの方にとって私はただの部下。それが保護対象になっただけ。あの優しい言葉もきっと仮初のもの。あの方は優しいから、誰にでもああいうはずだ。
それでもかまわない。あの優しさのおかげで私はこの作戦に踏み切れた。
「ツォーネ、納得しなくてもいい。だが理解はしたまえ。この作戦以外に、勝利は無い」
「ですが、偵察隊の報告では敵の戦力も士気も低下、こんな作戦でなくても」
「どいつもこいつもくどいな……私を心配しているのは分かる。前線に出る以上は危険は付きまとう。クォートラの背にという訳にもいかない状況だ。だが、それでいい。私でなくてはいけないんだ」
ツォーネは苦虫を噛み潰したような表情で拳を握った。
未だギブスをはめた左腕が震えているのが分かった。
私は少しだけ唇に指をあてて考えた後、ふっと笑った。
「腕の具合はどうだ」
「まだ少しだけ感覚が鈍いですが、痛みは気になりませんわ。問題はないですし? ココット様の懐槍として働くには十分ですもの」
「なら大丈夫だろう。今回の作戦、私を守るのはお前だ。だから……大丈夫だろう?」
ツォーネは私の言葉にハッとすると、静かに言う。
「わたくしはこれまで、お姉ちゃんの真似ばかりしていましたわ。劣等感、ですわね。お姉ちゃんはすごいから、わたくしにないものをたくさん持っていましたし」
独白を始めたと思えば、すぐにツォーネはギブスを外して投げ捨て左腕をぐいっと回してニカっと笑った。
「傷一つつけさせませんわよ。ココット様はわたくしのものですし? お姉ちゃんになくてわたくしにある大事なものですわ。魔王城に帰ったら、あのドレス姿のココット様と一夜を共にしたいのですもの」
「お前が、私のものだろ。まったく……考えておくよ。その時は好きにしていい」
「……マジですの!?」
冗談のつもりで言ったのだろうが、私の返答に目を丸くして驚くツォーネ。
そして再三にわたってガッツポーズをして鼻息荒く興奮し始めた。この様子なら大丈夫だろう。相手くらいしてやるさ。褒美としては十二分だ。私が魔王城に帰ったら……な。
♢
「おゥ。クォートラ……腐ってんな」
白城の外の広場の隅で、首を垂れながら虚空を睨み物思いに耽っていたクォートラの下に来客。
包帯と添え木だらけの身体をゆっくりと動かし相手を見て、鼻息を漏らした。
「ゾフか……」
ゾフは手に酒を持ちながらクォートラの頭の脇へ腰を下ろし、瓶を地面に置く。
「まだ人化は無理か」
「悔しい事にな」
竜の姿のままのクォートラは皮肉めいて苦笑する。
そしてその赤い瞳を少しだけ細め、先ほどの出来事を思い出した。
ココットが出撃の為作戦概要を話した折の事だ。作戦概要は白城のエントランスにて行われ、クォートラも同席した。
小さな魔将軍の語った作戦にクォートラは絶句し、だとしても完遂すべく奮起したが、作戦会議の後クォートラの下を訪れたココットは短く絶望を告げた。
『クォートラ、お前は残れ』
『しかしッ』
『戦えんだろうよ、その翼では。使えぬ駒を戦場に持ち込んでも足手まといだ』
ココットはそれだけ言うと、未だ声を上げるクォートラを無視して白城の奥へと消えていった。
クォートラは一連の出来事を思い出し、再び深く息を吐いた。
「俺を笑いに来たか」
ゾフはその言葉に笑いを零し、持参していたコルク抜きを取り出すと酒瓶を手に取り、ポンという子気味いい音とともに栓を抜いた。
そしてトクトクとグラスに酒を注ぎながら口を開く。
「お嬢はお前を気遣ってンだよ」
「肝心な時に姫を守れぬ俺を気遣う? 意味が解らん。姫を守るのが俺の役目だ。この翼では空を舞えない。姫を背に乗せる事が出来ない」
「固い奴だ」
フンと鼻で笑ったゾフは注いだ酒を一思いに腹に流し込む。
そして息を深くはいた後、再びグラスに酒を注ぎなおす。口元を拭いながら、目をクォートラへ向ける。
「俺たちがちゃんとお嬢は生きて帰す。お前は待ってりゃいい」
「だが、姫が語った作戦を聞いただろう! お前は納得しているのか!?」
「しちゃいねえ。だがお嬢がやるってんなら従うまでだ。それがどんな事でもな」
それに関してはクォートラも同意ではあった。たとえどんな事でもココットの作戦には従う。アウタナを落とした時からの誓いだ。フリクテラを攻略する折、ココットが自信を囮として青翼騎士団をアウタナに招き入れキルゾーンへ誘導した際も従った。
それもすべて有事の際に自分が何とかできる状況、状態にあったからこその納得とも言えた。
だが今回は、今回だけは。
クォートラは己の片翼を眺める。半分欠けた翼。これでは満足に飛べない。
項垂れたクォートラを眺め、ゾフはやれやれと首を振る。
「お嬢の覚悟は本物だ。俺たちが真っ直ぐにその作戦に従わねえとその覚悟すら踏みにじることになる。お嬢の言いつけを守りながら、お嬢も守る。それが俺たちの役目で、今のお前の役目じゃない」
「不甲斐ない限りだ」
「お前はお嬢を守って傷を負った。十分役目は果たしたさ。で、新しく命令をもらった。お留守番だ。帰ってきたときに出迎えが居ねえのは、今のお嬢にはつらいだろ」
ゾフの言う事はクォートラにも頷かせるものだった。
ゾフは暗にキエルや、ミオが居た時の事を言っていた。彼女たちが居た頃は、作戦から戻ったココットを出迎える存在になっていて、ただいまとお帰りのやり取りの中でココットは笑顔を見せていたのだから。
「だから心配すんなとは言わねえ。だがせめて信じろってェんだ。お嬢と、俺をな」
あ、それとあのクソヴァンパイアも一応と付け加えたゾフに、ようやくクォートラは苦笑を漏らした。
「俺は昔魔将軍を守れずに逃げた。結果部下も失った。今度はヘマはしねえよ」
ゾフの言葉に、クォートラは静かに頷いた。
♢
「遅いぞ、ゾフ」
ルイカーナ前の平野に集った軍に遅れて合流したゾフを睨み、そう言ってやる。
「すいやせん。ちいっとばかし念を入れて来たもんで」
「ふん……」
クォートラの事だろうな。
奴の事だ。来るなと言っても来てしまうかもしれない。もっとも、翼を負傷している以上は……とも思って、奴なら這ってでも来そうだと笑った。
だから、ゾフが気を回してくれたのは助かった。クォートラはもう十分やってくれた。この作戦は奴無しでも成功させて見せる。
私は魔剣士に引き上げてもらいながら魔馬に跨ると、懐に忍ばせた銃とレイメのネックレスを撫でた。そして深く息を吸い、吐く。深夜の冷たい空気に吐息が白く染まる。もうすぐ冬が来る。その前に……終わらせる。
「諸君、我々は再びバルタを攻める。数的劣勢は搦手と目的を絞ることで相殺する。アウタナを、フリクテラを、ルイカーナを思い出せ。今回も必ず我々は勝利する」
私の言葉に魔族達は頷き、武器を構えて2度鳴らす。私はゆっくりと手を上げて、振り下ろす。
これが正真正銘……私の最後の戦いだ。
「出陣るぞ」
♢
深夜、バルタ。
もう時計の針が0時を過ぎて暫くとなるのに、慌ただしさは収まらずにいた。
ココット軍の襲来によって破壊された大門の前には仮設テントがいくつも張られ、大門の修繕作業と兵士の展開、そして生き残った難民たちの集まりと雑多な様相。
先の襲撃で新市街も旧市街も大きな痛手を負ったが、中でも大きな問題が難民の事であった。
旧市街に集まっていた難民たちは先の襲撃で多くの死傷者が出たために、日夜新市街への収容を求めるデモ隊と兵士の激突が繰り広げられており、兵士を鎮圧に充てねばならず満足に大門の修繕作業もままならない有様であった。
勿論新市街は新市街で先の悪魔の相を持つ子らの蘇りを受けて、疑心暗鬼に陥る民が溢れかえる始末。敬虔なる信徒はユナイルに救いを求めたが、肝心の教皇が教皇庁の奥に身を隠しているという状態だった。
そんな中、再びココットがいつ攻めてくるかわからない状況であるから、バルタの防衛は自分たちでやるしかない。疲弊した身の上だが魔族の襲来は夜だ。日中よりもより一層の警戒網を敷く必要があった。
しかしイファールからの援軍もなく、バルタの兵士たちは疲れ切っていた。
そんな中、大門の内に設けられたテントの中で、キエルは椅子に座っていた。
対面に坐する聖剣の勇者フォルトナの表情も暗かった。
少し前、聖女クーシャルナの遺体の埋葬に立ち会ったのだ。フォルトナは彼女の亡骸を見て絶句したのち静かに黙祷。
隣に付き添ったキエルもまた、目を伏せた。
そして充てられたテントへ戻ってきて今に至る。
ずっと無言を貫いていたフォルトナを見て、キエルは心中を察していた。
愛するものを失った悲しみ、経験がある。
「クーとはずっと主戦場で一緒でした。でも彼女がバルタに行くよう命令が来て、別れてからはずっと手紙でやり取りしていました。といっても、大した期間ではなくなってしまったけれど」
「フォルトナさん……」
「ココットと言う名の子がいると、クーからの手紙に最近書かれていたんです。新しく友達ができたと。大人ぶっているけど、まるで妹みたいだって嬉しそうな文字で」
語り始めたフォルトナの言葉に、キエルははっとしたように口元に手を当てた。
「まさか魔将軍ココットだとは思っていなかった」
キエルは胸にこみあげてくる何かを感じた。
やはり、そうだったんだと。聖女もまた、ココットを友達だと思っていた。ならばやはりあの暗殺者を放ったのは聖女ではないのだろう。二人は行き違いからあのような惨劇にまで至ってしまったのかと、キエルは胸の痛みを覚えた。
ココットも、聖女も。お互いの事を良く思っていた。キエルが知ったあの真実を踏まえれば、それがなぜあの二人を引き裂く運命などを辿らせることになってしまったのか憤りすら覚えた。
フォルトナはテーブルの上のコップに手を伸ばし、茶を一口啜った後深く息を吐き……キエルに顔を向けた。
「キエルさん、君の話は本当なのですか。ココットはクーとの和平を望んでいたと」
「……はい。ココットは人間を憎んでいます。悪魔の相を持つ自分を愛してくれた母を奪われたのだと。でもそれを押し殺して、聖女様と共に歩む道を選んでくれていました。私と花を選んだあの夜に……」
「そう、か……」
コップをテーブルに置き、再びフォルトナは項垂れる。
口に手を当てながら、何かを思案している様子だった。
フォルトナも悩んでいるのだろうかとキエルは合わせた両手を絡めた。ぎゅっと掌を握りしめ、フォルトナを見る。
きっとココットの事だろう。戦うべきか否か、殺すべきか、否か……。
……笑ってしまうな、とキエルは心の中で自嘲する。今自分の置かれた状況。目の前の男。自分は人間でここは聖都。自らが信じてきたユナイル教の総本山。
だが、居心地が悪い。ユナイルに守られているとは思えない。此処から出たい。ココットの下へ戻りたい。そしてもう、戦わなくていいと抱きしめてでも止めたい。うぬぼれかもしれないが、ココットにはキエルですら必要なはず。ココットが自分を死んだと思っているのならばなおさらだ。
だが自分は今実質囚われの身。自由に彼女に会いに行けるかどうかわからない。故にそれが叶わないのなら、ココットを止められるのは目の前の勇者しかいない。彼は迷っている。なら、手はあるのかもしれない、と。
キエルは意を決して椅子に座り直し、はっきりとフォルトナに向かい合う。気づいたフォルトナが顔を上げ、キエルに目を向けた。
「貴方に話しておきたいことがあります。ココットには、話せず仕舞いでしたから……。きっと貴方は戦場で彼女と会う。だから知っておいてほしいんです。できれば……戦わなくて済むように……」
外ではいまだに難民と兵士の声が絶えず響き、蝋燭の日が揺らめくテントの中で。キエルはココットの事を語る。
あの日ココットのテントで見た記録。奴隷であったココットの母の事。
ココットが聖女の何なのか。フォルトナにとって、何なのか。語ることで少しでも何かが変わるのなら。
「ココットは、聖女様の……」
♢
「デオニオ様。……暗殺者、とは何のことです」
「……さて、何のことだか」
レーヴェの真っ向からの質問に、デオニオはどこ吹く風で答えた。
大門の上の物見やぐらめいた場で、デオニオは眼下の難民たちや兵士の展開の様子から目を離さず、背後のレーヴェに応対していた。
レーヴェは明らかな疑いの目を以てしてデオニオの背中を睨む。戦場であのヴァンパイア……ツォーネに言われた言葉。そしてあのキエルとかいうココットとともにいた人間の言葉。
暗殺者を放った。聖女を殺したのはその報復。
意味するところはそうだろう。レーヴェは真実を得るために、聖女とココットの会談の折にも同行せず難を逃れていたデオニオに先の言葉を叩きつけた。
だがデオニオは眉一つ動かさずにこれを一蹴。もともと一筋縄ではいかない男だと思っていた。尊敬の念もあったが今は疑いが勝るとして、レーヴェはデオニオの横に立つ。
「デオニオ様、ではなぜ彼らは暗殺者などと! 私のあずかり知らぬところでココットに暗殺者を放ったとしたら……あのキエルと言う捕虜は暗殺者に誰かが殺されたと言っていました。聖女様を殺したのがその報復だとしたら、見過ごせない事実です! 聖女様は暗殺者など知らなかった!」
「欺瞞に嵌るな。あの幼女の手口だ」
デオニオは捲し立てるレーヴェにそう静かに言うと、驚いて押し黙ったレーヴェに体を向けた。
「奴は人間の心理を理解している。人間だからな。戦場で音楽をかき鳴らし楽しげに歌を歌った。理解できないことに対する恐怖を煽り、こちらの士気を下げた」
デオニオは一歩レーヴェに歩み寄り、同じだけレーヴェが後ずさる。
「新市街に現れた悪魔の相も、悪魔が地獄から舞い戻っただのと言われていたが、結局蓋を開けてみればなんてことはない……ただのリビングデッドだった。まんまとしてやられたわけだ。敵は兵と民に恐怖を植え付けた。聖女を殺し、断罪のため殺された同胞を蘇らせたように見せた。全部、ただのまやかしだ。それが奴の武器だ」
「私が知りたいのはココットの事ではなくあの日の……」
「誑かされるな! 聖女クーシャルナを殺したのは誰だ!? ココットだろう! それだけが事実ではないのか!?」
レーヴェの言葉を切るようにデオニオは怒りの表情で怒鳴った。
突然の怒声に周囲に居た兵士たちも何事かと顔を向ける。レーヴェは一瞬息をのみ気圧されるが、すぐに表情をキッと正しデオニオを睨み上げた。
そんなレーヴェの表情にデオニオも不快感をあらわにしかけるが、深くため息をついて顔を背けた。
「……ココットはまた現れるだろう。直感が囁く。あの赤い瞳の奥にある闇は未だ晴れてはいない。だというのに肝心の聖歌隊副隊長がその様ではな。身内を疑う暇があったらあの悪魔を倒す心構えをしたまえ」
「……私が尊敬したデオニオ様と、今の貴方は別人に見える」
「私は今も昔も変わらない。他人よりまず己の観察眼を疑うべきだな」
ぐっとレーヴェは唇を噛む。もはや進展はないのだからと。だが、心の中の疑いの気持ちは未だ冷めやらず、迷いが生じていた。
デオニオは話を変え、兵士たちを見下ろしながら愚痴を零す。
「教皇はおかしくなられた。あの魔将軍ココットを生け捕りにせよとの命令だ。馬鹿馬鹿しい」
「生け捕りに?」
「教皇はココットを本当に悪魔の使いだとでも思ってしまったらしい。あれがココットの術中に嵌った典型だ。悪魔を浄化する儀式にかけねばバルタは救われないそうだ」
レーヴェは返答しなかった。ただ何か思案に耽るように俯いた。兵士の喧騒を聞きながら、デオニオもまたココットの事を考えていた。
デオニオはユナイル教の信徒ではない。神も女神も信じてはいない。だからココットの事も人間だと思っている。だがただの人間ではない。魔族を従え人間を脅かす敵。あれに対処するのは必要な事だ。だがそれは断じて呪いを断ち切るためではない。自分の為だった。
もはや教皇は利用できない。聖鎧騎士団のアルアダンを越えるには、別の何かを利用するしかない。ココットの対処は、バルタでの最後の手柄とする。
と、デオニオは吐いた息が白い事に気づき、両手をすり合わせた。
「もうすぐ冬が来る。冬越えの前にカタを付けねばな」
呟いたデオニオの下に、兵士が一人駆けてきた。
レーヴェとデオニオは兵士に向き直る。伝令だった。
「デオニオ様! 魔族軍の来襲あり!」
やはり、と思った。
「……敵将は」
「魔将軍……ココットです……!」
レーヴェは少しだけ目を見開き……デオニオはゆっくり眼を閉じた。
「来たか」
やはり奴は来た。ならば、今度こそ完全なる排斥が必要だ。
デオニオは伝令を見やり、声を張り上げる。
「聖剣にも伝えろ。全軍に招集!」
大門の前に集合した兵士、騎士の隊列を前に、デオニオは腕を振るって叫ぶ。
「今、二度にわたり我らの聖都を脅かす魔将軍ココットの蛮行をこれ以上許すわけにはいかない。相手は人間だが一切の情けは無用である。幼い童の姿に惑わされるな」
兵士たちは顔色が悪く、それでもデオニオの弁舌に握った武器の柄に込める力を強める。
「我々はこれより襲い来る魔族軍を迎撃、殲滅する! 今度こそ完全に、だ! 逃がすことはあり得ない!」
教皇の命令は捕らえる事。だがそれは不可能だろう。そんな手心じみた真似をすればあれに付け入られる。
故に、デオニオは命ずる。一切の情け容赦を捨て去り、これを撃滅せよと。
生け捕りなど不要。
なぜならば。
「――――その幼女、悪魔につき……必ず奴を女神の威光を以て討ち取れッ!」




