#11 epilogue:私が人ではなくなった日
「フハハハ! やりおるか、娘……いや、ココット! まさか本当にヒトの身でヒトの街を落としてくるとは!」
魔王城に戻ってきた私の報告を聞いた魔王は、大層喜んでいた。私を褒めながら子供のように大笑いする魔王に、エルクーロは目を丸くして驚いていた。そして、毅然と立ちアウタナ落としの顛末を報告し、同族をためらいなくその復讐の業火にて焼いたココットという人間に、エルクーロは確かに一抹の恐れを抱いた。この幼女は危険なのではないかと。
そんなエルクーロの視線など露知らず、私は自信をもって魔王に胸を張る。未だにその圧力には腰が抜けそうになるが、今回は確かな手土産を持ってきたのだ。魔王のご機嫌な様子も嘘ではないだろう。
といった風な私を見て改めてため息をついたエルクーロは、怪訝な顔で言葉を溢した。
「しかし、派手に焼いてくれたものだ。魔王様、この後早急にアウタナに駐屯兵を送りたく」
「ああ、好きにしろ。しかし……中々どうして、よい拾い物をしたなエルクーロ。他の四天王も羨むだろう」
「恐縮でございます」
エルクーロは頭を下げた。
そんなやりとりに、私はすこしだけしまったと思った。アウタナほどの街、接収し魔族のものとした方が私の評価も上がっただろうか。あの街と共に連中を焼いた事に後悔はないが、反省点として次に活かそう。
特に機嫌を損ねた様子もなく上機嫌なままの魔王は指を組んで顎に当て、テーブルに身を乗り出すと、笑顔で私を見る。
「ココット。なかなかの逸材よ。先にお前が発した人を辞めるという言葉に偽りはなかったようだ」
「当然であります」
私の返答に魔王は頷く。
「ついては、ココットよ。このまま我が陣営に加わる気はあるか?」
「は……」
魔王は私をじっと見てそう言った。スカウト、いや……まるで最終面接。
「私はお前を気に入ったよ、ココット。お前が望むのならこのまま将軍として我が軍に置きたいが、どうか?」
私に問いかける口ぶりだが、拒否権など無いだろう。それに、拒否する理由も、私には存在しない。
私はすぅーっと息を吸込み、ゆっくり吐くと、びしりと気をつけをして魔王に述べる。
「願ってもない事です」
「フハハ、よろしい」
魔王は満足げに笑う。エルクーロは眼鏡をずらし眉間を指で押さえながら、何度目かのため息をついていた。
「ではココットよ。改めてお前に我が軍の将軍となることを命じよう。ヒトの身でありながらヒトを憎む小娘が、どう働くか楽しみだぞ」
「……必ずやご期待に沿えましょう」
私は深く頭を下げる。その顔には笑顔。
やった! 正式に私は魔王軍の将軍の地位を賜ることと相成ったのだ。大出世である。試用期間はクリア。これで晴れて正社員という訳だ。
と、エルクーロが私の前にやってくる。私はにやけ顔を悟られない様に顔を上げ、エルクーロを見上げた。
私を見下ろすエルクーロは複雑な顔をしていた。何か粗相をしてしまっただろうか。魔王はあんなにうれしそうなのに。やはりアウタナの街をすぐに魔王軍が使えないほど焼いたのでお怒りなのだろうか。作りのしっかりした、例えば領主屋敷等であれば焼け落ちてはいないだろうが……。
思案しつつもエルクーロの仏頂面に心なしか胸の鼓動が早くなる。
「あ、の……」
「後で君の部屋を用意する。将軍用の個室だ。手配をするから、準備が出来たら使いを向かわせる。それまでは自由に行動してくれ」
「は、はい」
部屋、部屋が用意されるのか。私はお叱りの言葉を受けなかった安堵に胸を撫で下ろすと同時に、期待に目を輝かせた。
それはうれしい。自分の部屋。自分だけの部屋。私が勝ち得た部屋。
牢屋じゃない、小屋でもない。将軍用の個室となれば期待はできる。
私はつい顔をキラキラと輝かせてしまう。
「以上だ。下がっていい」
「はい!」
私はお辞儀をして退室した。その足取りはとても軽いものだった。
私を見送り部屋の扉が完全に閉まった後……エルクーロは私の出て行った扉を見やりながら、ぼそりとつぶやいた。
「……哀れな娘だ」
♢
背中で魔王の執務室の扉が完全に閉まると、私はにやぁと破顔した。
ああ、素晴らしきかな! 鼻歌でも歌いたい気分だ!
軽快な足取りでステップを踏みながら、廊下を歩いていく私。
心のうちは、安堵と、作戦の成功……アウタナ落としだけではない、魔王軍に認められたことへの喜びがあったのだ。
これで魔王の庇護と、復讐の手段の両方が手に入った。滑り出しは好調だ。素晴らしい!
復讐をしたら幸せな生活の第一歩が手に入った! 私は両手を広げ、くるくると踊る様に進む。
ついニコニコと頬を緩ませていた折に、背後からクォートラとゾフに呼び止められる。
私は慌てて姿勢を正し、黒く緩んだ表情を戻した。
「俺たちは貴女のおかげで小さな復讐を遂げました」
「俺たちは貴女を認めますぜ。貴女に付き従いまさあ」
二人が言った。私は短く「そうか」とだけ答えた。
「どうかこれからも我らを指揮し、人間どもに悪夢を。我らが魔の姫よ」
姫? その物言いはどうなのだと思ったが、クォートラ曰く人間たちに私を見てそう言ったものが居たのだそうだ。全く身に余る恐縮な呼び名だ。むず痒い。私はただの悪魔。煌びやかなものではない。
私は肩をすくめると「よしてくれ」とだけ言ってクォートラ、ゾフと別れた。
一人廊下を歩きながらも高揚した気分は冷めやらず。
足取り軽く歩きうっとりとした表情をしてしまう。
ああ、今私は満ち足りている。今生にして初めてだ。こんなに胸中が昂る気持ちで充足しているのは。
体は非力な女児である私が、街一つを潰せたのだ。私はもう無力ではない。
と、私は軽快なステップで廊下を歩きながら、ふいによろよろと姿勢を崩し壁にもたれかかる。
(ん、なんだ……)
頭に疑問符を浮かべながらも壁にもたれた体はずるずるとずり下がり、足には力があまり入らない。
そしてそのまま胸のむかつきを覚え、あわや嘔吐しかけた。
無理やり喉からせり上がって来た不快を口に手を当てて飲み込むと、足元に雫が零れたのが見えた。
はて? と思い自分の目元に指をやれば、一筋、二筋と涙が零れているではないか。これは一体?
私の心は晴れやかで、すがすがしい程に幸先良いスタートを切った事で胸中は喜びに満ちている筈。
ましてや憎きアウタナの連中を葬ったのだ。なぜ涙が零れるかわからない。
「はは……」
そうか、私は今嬉しいのだ。これは嬉し涙だ。間違いない。
「はは、はははは……あはははははっ!」
私は廊下で大きく笑い声をあげた。
燃える街。捻り殺された弟。領主や夫人の顔。住民たちの阿鼻叫喚絵図。全てが愛しき復讐の成果。
ああ、素晴らしい。もはや私は本当に人ではないのだろう! それでいい、それがいい。
だが、まだだ。まだ終わらない。アウタナの連中の腐敗は全てファルトマーレという国家のもの。根源から潰さねばレイメに顔向けができないではないか。ああ、楽しみだ。後いくつの地獄を作ればいいだろうか。いくつ街を焼き人を殺めればいいだろうか。わくわくする。
そのために私は、悪魔として生きるのだ。人を辞め、魔族の中で成り上がり、幸せに生きる。それだけだ。それだけが私を動かす。復讐はそのための手段。ただそれだけなんだ。
ああ、見ていてくれレイメ。安らかなる天国で、我が報復を見届けてくれ。レイメを汚した奴らと同じ連中は、私が全員灰にするから。そして、幸せになるから。
壁に手をつきながら天を仰ぎて。
私は溢れてくる涙の意味も分からずに、笑い続けた。