#102 prologue:崩山
エルサレア大陸、ファルトマーレ領と魔族領の境界線。
勇者と聖鎧騎士団率いるファルトマーレ軍は、四天王"剛腕"のウラガクナの軍勢と長きに渡り苛烈な戦いを繰り広げていた。
だが、今まさにその決着をついに迎えようとしていた。
「アーバーン!」
「合わせろフォルトナッ!」
「小賢しい勇者どもがよォオッ!」
黒髪の毛先に朱を帯び、中性的だが毅然とした顔つきの青年である聖剣の勇者フォルトナ、そして掻き上げた群青の髪にやや自信家な色が見える顔つきをした男である聖槍の勇者アーバーンは、巧みな連携により巨大にして強大なる四天王ウラガクナを追い詰めつつあった。
聖鎧騎士団率いる軍勢は確実にウラガクナの兵を蹴散らし押し出し、前線にて奮闘していたウラガクナに多大なダメージを与えた。そして撤退したウラガクナを追撃するように勇者二人をウラガクナの下へ送り届けるに至った。ウラガクナの反撃で多くの兵に死傷者が出た。だがそれでも、彼らの犠牲により今勇者は四天王の一人を追い詰めている。
そして現在、長きにわたる苛烈な打ち合いに終止符が打たれようとしていたのだ。
「ぬぅん!」
ウラガクナの文字通りの剛腕が振り下ろされる。
地面を砕く一撃を躱した聖剣と聖槍。ウラガクナの拳により爆砕した大地は柱として隆起し槍めいて宙に飛んだ二人を襲う。それらを空中で切り払い砕いた二人は身を翻して地面へと降り立つ。瞬間、着地と同時に身を捻り聖槍アーバーンの足が黄金色の光を帯びる。
一瞬の力みと共に地を蹴った聖槍アーバーンはまさに雷の速度と見紛う速度でウラガクナの側面に回り込む。軌跡を残しながら死角を取ったアーバーンの持つ槍は、先の足と同じように電を帯びてウラガクナの膝を横合いから刺突した。ウラガクナの岩石のような表皮を関節を狙って放たれた一撃は見事貫通し、ウラガクナは呻いて膝をつく。
ウラガクナの実力は武闘派と銘打たれているだけあって強大。しかし疲労とダメージの蓄積は四天王の巨躯を跪かせた。
前線で戦っていた際に、味方の盾となるようにひたすら前へ前へと進んでいた時に負った傷が、着実にウラガクナを追い詰めていたのだ。
メーアの増援は期待できない。期待もしていない。そしてファルトマーレ軍の大攻勢。さしものウラガクナでさえ歯を食いしばった。
ウラガクナの性質は荒いが、武人であった。勝利を好むが卑怯は望まず、ただ力のみで正面から相対する高潔さも持っていた。ウェアウルフのレコをはじめとした多くの魔族がウラガクナを慕っていたのがその証。
ウラガクナは良く持ちこたえたが、彼の誇りたる勝利を望みすぎた事、そして矜持たる己が強靭な肉体を盾に友軍を守る事。その二つは人間が用いる軍略、戦術、そして戦力差という要因によって今まさに彼を追い詰めた。
既に部下の魔族達には断腸の思いで撤退指示を出してある。だが、逃げる魔族は一部だった。
ならばここで倒れてなるものかとウラガクナは吠えて腕を横なぎに振り払う。だがアーバーンはまたもや稲妻のように移動し今度は背後に回り込んだ。
聖槍アーバーンの異能。それは雷を操る事による瞬間的な身体能力の爆発的向上。異能を発動する際に強化部位が黄金色の光を帯びる様から雷光の異名すら冠されている。ウラガクナとてこの雷光は捉え切れずにいた。
だが、それならばとウラガクナは体の節々を赤く赤熱させ、軍服を燃やしながら蒸気を吹きだしたのちに岩肌の割れ目から赤き液体を噴出する。
この灼熱の液体はラヴァゴレムである彼の体の中を流れる熱血でありマグマのようなもの。飛散したマグマは面による攻撃と防御を同時に行い、アーバーンをして回避困難な攻撃として降り注いだ。
しかし、アーバーンに今まさに注がれんとしたマグマの雨は、甲高い音と共に、炎のように波打つ白い衝撃波によって霧散させられる。
ウラガクナが忌々し気に首を回せば剣を振りぬいた姿勢のフォルトナが映った。
彼の異能は先の白い炎のようなものを自在に操る。女神が与えたもうた異能らしく神聖な気を放つその炎はフォルトナの剣に乗せられ剣波として放たれた。
唸るウラガクナ。忌々しい女神の力。歴代でも有数の力を持つ勇者フォルトナの異能により己の攻撃が掻き消されるのはこれで何度目か。
人間どもの波状攻撃のすべてを受け止め続けてきた事による疲弊で本来の力がもはや出せないウラガクナはこの二人の勇者の連携を受け、更にダメージが蓄積していった。
そして。
怒り。苦痛。そしてプライドを傷つけられたウラガクナが大きく腕を振り上げ地盤を砕き一挙に葬るべくして渾身の力を込めた所を、その空いた脇腹へアーバーンの槍が刺し込まれる。
苦痛に呻き、関節を穿たれたことで振り上げた腕は大きく後ろにそれて姿勢を崩す。
そこへすぐさま白き炎を剣に纏わせながらこちらへ疾駆してくるフォルトナ。
ウラガクナは剣を上段に構えて跳躍したフォルトナに目を見開き、咆哮した。
「人間なんぞが俺様をォぉおおッ!!」
「これで終わりだよ、ウラガクナ――ッ!」
四天王が一人、"剛腕"のウラガクナは……討ち取られた。
今はもはやその山岳めいた岩肌の巨体を大きく地に曝しており、その胸には深く抉られた剣による傷があった。
ウラガクナの死は瞬く間に戦場に伝播し、魔族軍は散り散りとなる。
一部、ウラガクナの仇と燃える魔族もまた、聖鎧騎士団によって切り伏せられていった。
主戦場での決着が付いた。その報告は速やかに早馬で首都イシャールへと運ばれる。
人と魔の戦争の最大の主戦場でファルトマーレが勝利を収めたことはこの戦争において多大なる意味を持つ。
功労した兵士たちは戦争の勝利を目に浮かべ、確かな安堵と共に兜を脱いだ。
そして残党狩りへと移行したファルトマーレ軍。
その設営本部。
テントの中では、フォルトナとアーバーンが椅子に座って体を休めていた。魔族残党の対処や負傷兵の救護等の戦場の後始末を兵士たちに任せ、淹れられたコーヒーを啜りながら報告書を前にしてアーバーンは伸びをする。
負った傷の手当てもそこそこにアーバーンはフォルトナを見やった。フォルトナはテーブルに肘をついて眼前のカップから立ち上るコーヒーの湯気をじっと眺めていた。
そんなフォルトナの姿にアーバーンはふうと息をついた後肩を叩いた。
「終わったってのに気張りすぎだぜフォルトナ。俺たちは勝ったんだぞ」
フォルトナはゆっくりとアーバーンに顔を向けると、小さく笑った後また表情を険しくした。
「聖鎧騎士団や兵の皆がウラガクナを追い詰めてくれた。そうでなくては、僕らは勝てなかったかもしれない」
「正直しんどい戦だった。俺たち二人だけがガンバったわけじゃあないが、気張った方だぜ」
「アルアダン殿達が合流してくれたおかげもあるかな」
「なんにせよヨーンのおっさんも浮かばれるわな」
「そう、だね……」
長きにわたって共に戦った男、聖弓のヨーン。勇者たちの中でもアーバーンに次いでひょうきんで、掴み所がないが気配りができる男だった。
風読みの異能を持つだけはあるのか、空気を読むのが大変にうまくいつも戦いの中に在り疲弊するフォルトナらの取りまとめ役をしてくれていた。落ち込んでいるときには冗談などを言ってくれたし、間違った事をしそうになれば先んじて制してくれたし、顎髭を掻きながら叱ってもくれた。あの態度のままだから叱られたという実感はわかなかったものだが。
最年長であったこともあるのか頼れる大人と言うポジションだった彼だが、ルイカーナに魔族が攻めてきたという事態に際し単身派遣され、そして死んだ。
彼ほどの男が死ぬなどと、フォルトナらは酷く悲しんだ。もちろん、ヨーンがファルトマーレを裏切り亡命しようとした末に死んだことはフォルトナは知らなかった。
だが分かっていることはヨーンすら殺して見せた何かが、主戦場とは別の行軍経路を取りファルトマーレを着実に追い詰めていることだった。
事実何度か主戦場の人員を割いてそちらの防衛に回す算段も上がった。しかし、イシャールから伝えられたファルトマーレ王の言葉は主戦場への戦力集中。僻地が押された分だけ主戦場を押そうという事だろうかとフォルトナはアーバーンやクーと話し合った。
だが、ルイカーナ陥落を報じられた時、クーが単身でバルタ防備につくという命令を聞いてフォルトナは猛反対していた。
ルイカーナが落ちたのだから次に襲われるのはバルタ。ファルトマーレにとって首都と同等に重要な都市であるから戦力増強は理解できるが、フォルトナはクーを単身で行かせるこの命令に怒り反発した。だが結局、クーの説得で彼女を送り出してしまっていた。
だから早くウラガクナとの戦いに決着をつけ、彼女の下に行きたかった。何度か文でやり取りはしていたが、心配だったのだ。
手紙で彼女は主にバルタにあって士気向上のためのお飾りに戻ったという事であった。元々聖女クーシャルナはフォルトナらと戦線に出るまではずっとバルタのシンボルとして生きていた。だがフォルトナは知っていた。シンボルと言ってもクーを良く思っていない教皇によって人前には出されず、実質幽閉じみた扱いをされていることを。
だがそれでも、彼女が戦いの場に出るよりはいいと自分に言い聞かせ、早くこの戦争に終止符を打つべく聖剣を振るった。
そして見事ウラガクナを打倒したというのに、この胸騒ぎはなんだろうとフォルトナは胸に手を当てた。
「っはあ。ホントお前は心配性だな。今回の戦は勝った。残る四天王はメーアとエルクーロだけだろ」
「でもこちらも痛手を負ってる。こんな戦争、一体いつまで続くんだ」
「それを終わらせるために、俺たち勇者は民の想いを背負って戦ってる。だっていうのにお前がそんな調子でどうする。兵の気持ちも考えろ」
「……わかったよ」
アーバーンがフォルトナの肩に手を置き、にぃっと笑う。そんな友の顔に、フォルトナも静かに笑った。
だが、そこへ息を切らした兵士の一人が荒く天幕を抜けてテントへ走り込んできた。
兵士はテントに入るなり首を回し、驚いた顔をしているフォルトナらを見るなり叫んだ。
「勇者様! 火急の知らせが……バルタ近郊に魔族軍が! 聖女様が!」
兵士は伝令であった。早馬を駆り急ぎ主戦場まで駆け付けたとのこと。
その伝令が伝えた内容を聞いたフォルトナは椅子から立ち上がり、額に手を当てる。
「そんなっ……クーが……!?」
伝令が語った内容。
それはバルタに現れた魔族軍相手に聖女クーシャルナが軍を伴い出陣したが敗北したという報せだった。
「クーが戦いになんて……どうして戦線に……! 彼女はバルタのシンボルとして戻ったはずだ!」
クーシャルナの異能は強力だ。だが、デメリットも多い。そんな彼女が自分たちと共にではなくたった一人で軍を率いて戦場に出た等と。まして彼女は盲目なのだ。
フォルトナとクーシャルナは相思相愛であり、戦争が終わった暁には平和な世界で将来を誓い合っていた。
だからこそ人一倍彼女の出陣にフォルトナは怒り、焦った。激しく机を叩き、歯を食いしばった。
そんなフォルトナをアーバーンは静かに優しい声色で窘める。
「落ち着けフォルトナ。いくらクーちゃんが戦嫌いとはいえ、あの異能があればそう簡単に彼女が死ぬはずがない……それにバルタには聖歌隊がいるだろ」
クーシャルナの異能、それはフォルトナの異能に匹敵する圧倒的な能力。
すなわち、氷結の力。やろうと思えば戦場を冬と化し、一人で軍を相手取る事さえできる。能力だけで見れば魔将軍はおろか四天王とすら互角に渡り合えるとさえ言われている。だが、戦いを望まないクーシャルナはその力を戦いに使うことをよしとしなかった。
共に主戦場に居た頃は、もっぱら兵士の傷を塞ぎ化膿を防ぐために使っていた。
女神の権能を授けられたなどと大層ではあるが、人の世にあって人外の理たる異端の力で命を奪いたくない事、そして異能は強力ゆえに強く力を引き出せばクーシャルナ自身すら凍らせてしまう諸刃の剣であること。
その二つの理由からクーシャルナは異能を用いることがこれまでほとんどなかったのだ。彼女は自分の力について「冷たいのはなんかイヤですよね」などと困ったように笑っていた。
故に戦場においては聖女と言う肩書を利用し兵士の士気を上げる、そういう役割を持っていた。少なくとも兵士たちは、傷を手当てしてくれ、共に戦場に出てくれるクーシャルナが居る事で確かな鼓舞を見せていた。
「クーちゃんだって、いざってときにはちゃんと力を使ってた。ウラガクナと小競り合ってた頃は、クーちゃんに何度か助けられてるだろ。あいつの熱と相性も良かったしな」
「だけど……」
「あの時は俺たちがクーちゃんを守ってた。バルタでは聖歌隊が守るはずだ。デオニオのおっさんとレーヴェちゃんを信じろって」
その言葉に、フォルトナは聖剣を握りしめながら頷くとゆっくりと椅子に座り直し、背もたれに身体を沈めた。
フォルトナが落ち着いたのを見てからアーバーンは伝令に向き直る。
「なあ、バルタの魔族はまだ健在なのか?」
「は……未だ動きはありませんがいつ攻めてくるか……現在バルタ軍は先手を打つべく兵の再編をしておりますが……その……」
言い淀んだ伝令に一瞬アーバーンは眉根を寄せたが、別の一点に気がかりがあった。
バルタ軍を率いたうえで正面からやり合って魔族軍がいまだ健在という点。クーシャルナは敗北したと聞いた。ありえないことだ。
クーシャルナがいかな戦いを嫌うとて、僻地進行の魔族軍の数などたかが知れている。となれば、相手はヨーンを殺した魔将軍率いる軍……だとしても数的優位はバルタ軍にあったはず。なぜだ、と。
顎に指を当ててアーバーンは考え込む。
そこへ再びテントへ兵士が駆け込んできた。
「伝令! 魔族領方面より敵軍を視認! "妖艶"のメーア率いる軍勢が此方に向かっております!」
報告にテント内は再びざわついた。
ウラガクナに頑として救援を出さなかった女狐がここにきて前進。疲弊したファルトマーレ主軍を食らいにでも来たかと兵士はざわめく。
「へっ、立て続けってか」
アーバーンが拳を鳴らし立ち上がる。狡猾なるメーア、ウラガクナが斃れるのを待っていたか。
すぐさま次の戦いの準備を始めねばならない最中、しかしフォルトナは未だに椅子に坐して俯いていた。
クーシャルナの事がよほど気がかりらしいとして、アーバーンは溜息をついた。
「行けよフォルトナ、バルタへ」
槍を肩に担ぎながらそう言うアーバーンにフォルトナははっとして顔を上げた。
「アーバーン……!?」
「メーアは俺が抑えとく。聖鎧騎士団もいる」
「だけどっ……君を戦場に置いて行くなんて!」
「クーちゃんが行ったのも戦場だぞ。お前は行くべきだ。バルタが落ちりゃ終いだ。行け! 行って確かめてこいよ、クーちゃんの事を!」
フォルトナは立ち上がりアーバーンと向かい合う。
アーバーンの瞳は確かな信頼を持ってフォルトナを見つめていた。フォルトナは拳を握りしめ、一瞬の逡巡の後歯を食いしばりながら纏ったマントの紐を締めなおした。
「……すまない、アーバーンっ!」
そう言い終わる前にフォルトナはテントから駆け出していった。
すぐに早馬に跨りバルタへ向かうだろう。
アーバーンはその背を見送った後、兵士たちに防衛網を敷きなおすように命ずる。未だ戦場で動いているアルアダンの所へも行かねばなるまい。
やる事が山積みだとアーバーンは笑った。
そして槍を一度くるりと回した後背中に背負い、天幕の向こう……メーアが進軍して来るであろう魔族領の方角を睨んだ。
「さて、行きますかねぇ。顔を合わせんのはいつぶりだ? なあ、"妖艶"のメーア」