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#1 prologue:第二の生は誰が為に

 



 ――――彼女は、地獄の只中に立っていた。




 燃え盛る家屋。倒壊する石レンガの棟。焼ける肉の匂いと悲鳴やら絶叫やらの狂騒ばかりが耳に聞こえる。


 空は黒い雲で塗りたくられた闇の色に赤々とした光沢を照り返し、まさしくこの場にいる人間たちに地獄めいた終焉を想像させる彩りだ。


 誇らしげにそそり立っていた城塞都市を覆う壁も今や外敵の侵入を防ぐ意味をなさず、かえって内より外に逃げようとする者たちを阻む檻となっていたのだから救えない。


 そんな様を眺めるは体躯130㎝台の半ば程で、雪のように白い髪に血のような赤い目をした、ぶかぶかにすら見える格式ばった黒い外套と帽子という、軍服めいた装束姿の……幼女。


 彼女は思う。



(ああ、なんて儚く脆いものか)



 あまりの呆気なさにもう少し晴れやかになる予定だった気分は、大した変化もなく。


 彼女はのっぺりとした心持ちのままカツカツと靴音を鳴らしながら割れたレンガの道を進みつつ、周囲を見回している。


 なるほど見事なまでの地獄だ。


 そこら中で起きている出来事として殺戮と形容するほかない狂宴。


 それはすべて、この幼女が手ずから生み出したものに他ならない。


 連れてきた魔族達は思い思いの蹂躙に興じているようだ。住人達からすればたまったものではなかろうが。


 道路で魔族に組み敷かれ、腹に突っ込まれた腕により掻き出された己のはらわたを、ゆっくり咀嚼されている様を見せつけられ、絶望を顔に貼り付けた男。


 倒壊した家屋に隠れていたところを複数の魔族に引きずり出されて全身を味見とばかりに舐めまわされ嫌悪感と恐怖に喘ぐ女。


 それらに全く心動く事なくただ冷淡な視線で眺めていた彼女だが、魔族というものは本能のままに動けばなるほどこうなるのかという淡い感心はあった。いや、それだけ彼らの恨みが深いのだ。彼女と同じように。


 まさしく悪魔の宴。さしずめこの街の住人は供物やら贄やらといった所か。あるいは、悪魔の怒りに触れた事による制裁。


 ふむ、言い得て妙だ。


 彼女は己の小さな掌を握り、開く。


 妙に馴染む言い方だが、それでは私がまるで悪魔のようではないかと。


 いや、もとよりそう望まれたのではなかったか。であれば諸君。おめでとう。これは君たちが望んだ結末という訳だ。


 彼女は誰に言うでもなくそう心の中で呟く。


 魔族の宴響く燃える街の中で、悪魔の子と呼ばれたその幼女は、にたりと笑うのだった。






 ♢






 私はその日、まだ日も登り切らない薄暗さの中、慣れた手つきでボロ桶を棒の両端に括り付けると、日課の水汲みに出かけるべく住処たる小屋を出た。


 栄養失調気味の体は同世代の少女と比べても小柄で、細身の体躯の私であるから水汲みという作業は大変な重労働だ。


 スラム街にある我が家では未だレイメと言う女性が眠っている。私の産みの親である女性ではあるのだが、とある理由から私は彼女を母ではなく名前にさん付けという形で呼ぶ。つまりはレイメさん、と。


 そして彼女が起きる前に水くみを済ませるのが日課でありささやかな気遣いだった。


 裸足で土を踏みしめ井戸へやって来た私は、井戸へ桶を沈め、全身を使って滑車を回し、水を汲み上げる。


 古い滑車は幼い私を苦しめたものだ。何度もロープを握る手から力が失われ桶を取り落としそうになり、やっとの思いで二つ分の桶に水を満タンにした私は、再びよろよろと桶を担いで歩き始める。


 そして、人に会わぬように周囲に目を配りながら元来た道を家へ向かって歩く。


 こんなに早い時間に水くみという仕事を行うのは、先の通りレイメへの気遣いもあったが、他の理由として単純に私の体力では時間がかかる事。そして時間がかかることを加味した上で日が登るまえに帰宅したかったからだ。


 日が登ればスラムの人々が起き出してくる。私はそういった人々に極力姿を見られたくなかったのだ。早い時間に仕事を済ませるのは正直に言えばレイメのためというのは建前で、ひとえに人に会わぬためと言っても過言ではない。


 なぜならば……。


 と、私は背中に痛みを覚える。


 ああ、しまったな。と私は思った。


 水くみに手間取り、思ったよりも時間を使っていたらしい。


 私は背に石を投げつけられた痛みで嗚咽し、あやうく桶を取り落としそうになる。


 顔を向ければ幾人かの早起きな子供が私を嘲笑うような表情で数名、こちらに視線を向けていた。





 エルサレア魔戦歴37年。


 この世界たるエルサレア大陸は魔王軍の人類への宣戦布告を境に戦乱の世が続く大地。


 そんな世界に第二の生を受けた私は、今年で実に12歳を迎える。


 エルサレア最大の人類都市国家であるファルトマーレ王国の辺境に位置する城塞都市、アウタナの街に生を受けて早12年。


 思えば早いものだと改めて思う。色々と慣れたものだ。そう、色々と。


 12歳の幼女に過ぎない私が年齢不相応にしみじみしているのには理由がある。


 有体に言えば、私はこの世界に生を受けて12年。しかし、人生として見るならば、すでに40を越す年月は生きている。


 もっとも、遡る事12年より前の私はもともとこの世界の存在ではなく、さらに言えば女性ですらなかったのだが。




 所謂私の前世と呼べるものは日本という国のしがない会社員の男性だった。


 大した実績もなくエリートとは程遠い、ただのしがない会社員。


 ただただ機械のように与えられた仕事をこなすだけの歯車のうちの小さな一つ。


 それなりに部下もいたが慕われていたかと言えば、どうだろうな。興味がなかったのだろう。他人にどう思われようと興味はないし、私も他人の事をどうこう思った記憶もない。


 仕事に追われる毎日だ。自然と功績だけで人を見るようになったし、見られるものだと思っている。他人に優しくした記憶もないし、他人をそもそも疎んでいた。腹で何を考えているかわからない、未知の存在。自分の理解の及ばない他人という存在を、私は嫌っていた。


 空虚な生活。心にぽっかり空いた穴。何のために生きているのか。そんな事ばかり考える毎日。灰色の人生。


 ぼうっと夜道を歩いていた私はある時、飲酒運転のトラックが歩道に突っ込んできたことで、その空虚な人生に幕を下ろした。


 意識が遠のく寸前に世界がスローモーションになったような錯覚を覚える。手足があらぬ方向に折れ曲がり、体内の色々が外に零れている感覚まで鮮明に感じた。


 ああ、死ぬとはこういう事か。思考がどんどん鈍化していく。周囲でサイレンの音や、悲鳴。スマホのシャッター音が遠く聞こえる。


 自分の空虚な人生が走馬灯めいて脳裏を走っていく。生まれ、育ち、就職し、仕事をし、疲れ、眠り、食べ……死ぬ。


 そこまで流れ、走馬灯はまだ終わらない。私がトラックにつぶされた光景が終わると次の瞬間には、金髪の女性が赤ん坊を抱く光景が見えた。


 なんだこれは。なんの記憶だ? 私のではないはずだ。ああ、鐘の音が聞こえる。解読不可能な謎の言語が幾重にも重なって聞こえる。――――ああ、五月蠅い。


 よくわからない声に眉根をひそめるが、どうせ私は死ぬのだ。意味もない幻聴が聞こえるのも不思議ではない。


 ああ、死ぬのだ私は。それもいいだろう。なんの意味もない人生だった。意味なく終えるのが筋なのだろう。


 目の前が光に包まれていく。冷たくなっていく身体の感覚。終わりが近い。


 そして完全に意識が途切れる寸前、私は――――誰かの声を聞いた。




 つまらない30年ほどの人生をつまらない事故で終えた私。


 魂の行く先などまるで考えたこともなかったが、意識を覚醒させた私はその場があの世といった場所ではないことはわかった。


 気が付けば見知らぬ部屋、慣れないベッドの上で仰向けに寝ていた。


 手足をはじめとした体にどうにも違和感を覚え、首もまともに動かせなかったので眼球だけをぐるりと動かしてみれば視界には複数人の男女が映った。


 皆が一様に、暗い表情をしていたように思う。



「……血のような紅き瞳……悪魔の相ですな」



 男の一人が私を見てそう呟いたのを覚えている。その後、女性の一人が泣き崩れたのも。



「ああ、ああ、なんという事……可哀想なココット」



 ココット? ココットとは、私に向けられた呼び名であったか。


 私にかぶさるように涙に濡れた目を向けた女性の、瞳に映る私の姿は、赤ん坊であった。


 成程、ぼんやりとした頭でなぜか理解ができた。私は何の因果か記憶を引き継いだまま第二の生とやらを得たらしい。


 何故? 誰が? 私は確かに死んだ。ともなればこれは転生という現象に他ならない。


 理屈としてはまったく不明。だが人は死した時、持っていた記憶の行方はどうなるのかなどという物をうっすら考えた時もあったから、こうなるのかと妙な感心さえあった気がする。


 私は確かに死に、今の私はココットと言う名前を付けられ、女性としてこの、現代日本ではない世界に転生したのだ。


 何故女性に、とも思ったが輪廻転生などという物が実現したのなら、人に産まれただけマシだったかもしれない。動物や植物でなかっただけまだ。都合よく人間の男性に生まれ変われる方が稀なのかも、と。だが、マシというだけで私にとっては人だろうと獣だろうと些末な事だった。


 その生は……望まれぬものであったのだから。


 私にとっても、――――世界にとっても。



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