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六話

 アラームの音に飛び起きる。

 わたしは何故か、新幹線の車内に居た。

 きょろきょろと辺りを見回す。アラーム音のせいで、周りの乗客が迷惑そうにこちらを見ていた。訳が分からないまま、「すみません」と小声で何度か会釈をする。

 現状把握のために車窓を見るが、トンネルに入っており景色は伺えない。


 それにしてもわたし、いつの間に新幹線になんか乗ったんだろう?


 眉間を指で揉む。ひどい頭痛だ。それに、疲労感で身体が重たい。

 最後の記憶を辿ろうとしたところで背筋がゾッとする。

 それは眼前まで迫ってくるゴルフクラブだった。死の瞬間というのは世界がスローモーションに映ると言うけれど、スローどころか、わたしには止まって見えた。クラブを振り下ろす行秀さんの無機質な瞳を視認できるほど。


 もしかしてわたし、死んだのかな? でも死後の世界なのに新幹線って、かなり可笑しな光景だった。

 自分の身なりを見て、更に不信感がつのる。

 わたしは喪服を着ていた。いつ購入したのかも知れないオーソドックスなスカートタイプのもの。これってどちかというと、死者を見送る側の様相だ。

 また、膝の上には一冊のノートが乗っている。表紙には『⑬』と書かれている。


 しばらくはノートの内容に衝撃を受けたまま、身じろぎ一つ出来なかった。だけど、現状を合理的に説明するためには書かれたことを真実と受け止めた方が良さそうだ。

 今日付けの日記に目を通す。


 1月4日 6~12時、12時~18時

・今日は茉里ちゃんの命日。彼女の弔いのため、今年も盛岡へ行きました。

・過去のノートを見れば分かると思うけど、わたしは障害を負っても毎年、彼女の命日にはかかさず帰郷してます。

・実家にも一応顔を出しました。やっぱり「帰ってこい」って言われたけれど、即答は出来ませんでした。どうしてなのかは分からないけれど、ねえわたし、実家ではどうしても暮らしたくない理由があるんでしょう?

・同日夜のわたしへ。東北線を東京駅で乗り換え、今は東海道新幹線の車内にいるはずです。ちゃんと小田原で降りて帰ってね。


 また頭痛がしてきて、おでこの辺りを手でさする。

 パーサーが車内販売のワゴンを押してやってきた。彼女を呼び止め、紙コップの林檎ジュースを買う。頭痛には林檎が効くとどこかで聞いたことがある。

 紙コップを傾けながら、わたしは茉里ちゃんのことについて考えた。なつかしくて、馴染みのある名前だった。わたしはこの日になると必ず、彼女のことを思い出す。

 地元に居たときはもちろん、上京してからも彼女の弔いは毎年行った。それが記憶障害を患ってからもなお続けているということは、茉里ちゃんの存在は自分にとってよほどの呪縛になっているんだろう。


 トンネルを抜ける。左手に夜の相模湾が見えた。丸い月が海に歪んで映っている。小田原はもうすぐかな。ノートによると、わたしは北真白ヶ丘に住んでいるらしい。電車の乗り換えが分からないから、小田原で降りたら駅員さんに訊かなきゃ。


 頭痛に耐えながら思い返す。

 今から十五年前のこと。わたしは、茉里ちゃんの遺体の第一発見者だった。


 茉里ちゃんは二つ年下の二年生だった。彼女とは幼なじみで家も近く、いつもわたしが面倒を見る役だった。特段それを嫌だと思った覚えはないし、むしろ好んで彼女のお姉さん役を買っていた。

 実家は山間部の方にある。北上川の傍まで行くと、岩手山や姫神山をはじめとした峰々の形状や稜線の筋がよく見えた。そんな盛岡の自然に育まれながら、わたしたちは小学校までの長い道のりを毎日一緒に登下校した。

 茉里ちゃんは、ショートカットがよく似合う女の子だった。わたしは親に女の子らしく髪を伸ばすよう言いつけられていたし、自分でもショートは合わないかな、と思っていた。無邪気な性格の茉里ちゃんにはショートカットがぴったりで、わたしは密かにそれを羨ましいと思っていた。


 茉里ちゃんはよく「なして」という方言を使った。登下校の最中、自分の見知らぬものや興味を惹かれるものを発見すると、彼女は決まってその言葉を枕にわたしへ尋ねてきた。大人たちは大抵「なして」を不満や愚痴を漏らすための修飾語として使ったが、茉里ちゃんの「なして」は、純粋な好奇心や興味からくるものだった。

 興味といえば、物心つく頃からわたしはずっと編み物に執着していた。いつだったかのクリスマスプレゼントでおもちゃの編み機を買ってもらったことがある。サンリオのキャラクターを模した卵型のやつで、毛糸をセットしてハンドルを回すだけで簡単に平編みや輪編みを作れるというものだ。わたしはそれで一年くらい、毛糸を何玉も無駄遣いして遊んでいた。

 積雪量の多いわたしの地域では、マフラーやニット帽などを活用する場面が多くあった。だけど、おもちゃの編み機では作れるバリエーションに限界がある。防寒具と呼ぶにはほど遠いもので、よくて幼児用の細いマフラー程度だった。キーホルダーサイズのかわいいぬいぐるみも作れたけど、ちゃんとした作りものと言えるのはそれくらいで、それだけじゃすぐに飽きがきた。


 小学四年生になると、わたしはもうサンタを信じなくなっていた。

 11月の終わり頃、スコップで雪下ろしをする父の背中に近づき「知ってるからね。パパとママだっけ、サンタさんて」と言った。そしてその数日後、サンタの正体を認めた両親にユザワヤに連れていってもらった。

 いい加減クリスマスのプレゼントくらい自分で決めたかった。それに、わたしにはある目標があった。

 自分専用の手芸道具一式と、失敗してもいいように大量の毛糸を買ってもらう。クリスマスまであと一ヶ月を切っていた。間に合うかな?

 わたしはどうしても、初めて編んだマフラーを茉里ちゃんにプレゼントしたかった。


 小田原駅で降り、窓口で北真白ヶ丘駅までの行き方を尋ねる。駅員さんはすごく面倒くさそうに乗り換えの方法を教えてくれた。わたしは手にスマホを持っていたので、なんでそれで調べないんだろう、とでも思われたかもしれない。

 だけどわたしは、無性に誰かと言葉を交わしたいと思った。

 小田急小田原線の吊革につかまりながら、また眉間を揉む。


 十五年前、わたしは茉里ちゃんの遺体を発見した。

 沼の汚れた水面に、彼女は仰向けでぷかぷかと浮かんでいた。

 遺体には鈍器のようなもので何度も殴打された跡が残っていた。痣や傷跡は全身の至るところにあり、単に殺害のみが目的ではない執拗さがあった。

 まるで人体実験だ。ここを叩けば、ここを突けばどうなるのか、それを調べるためにやったような。

 彼女の首には、わたしが編んだマフラーが巻かれていた。彼女の私物や衣類は現場一体に散らかっていた。身に付けていたのは上下の肌着と、手編みのマフラーのみ。

 そのことを思い出すと頭がずきずきと痛む。これは今に始まったことではない。第一発見者であるわたしが一番覚えていなければいけない事だったのに。

 死亡当時の状況が思い出せない。

 彼女はどうして、どんな風に死んでしまったのか?

 思い出そうとするたび、頭痛により記憶が霧散してしまう。事情聴取に来た警察はわたしの様子を見て、「ご遺体を見たショックによるものですね」と判断し、精神科の医師にかかるよう両親に勧めた。


 ノートの地図を参考に自宅に到着する。これ、わたしの家でいいんだよね。持っていた鍵で開いたので、多分大丈夫だと思う。

 リビングに設置された倉庫の存在意義に首を傾げながら寝室に入る。喪服を脱ぎ、ファブリーズを吹きかけクローゼットにしまう。クローゼットの戸にはクリーニングの利用履歴表が貼られていた。クリーニング予定に喪服を書き込んでおく。

 シャワーを浴び、パジャマに着替えてベッドに腰をおろす。お腹も空いていないし、ノートを読んで時間を潰すことにした。

 『⑬』のノートはすぐに読み終えてしまった。寝室を見回す。部屋の角には本棚が置かれていて、過去のノートは全てそこに収納されていた。

 表紙に振られた番号の通り、ノートは合わせて13冊になった。壁掛け時計は22時35分を示している。記憶リセットまであと一時間半ほど。いくら暇だからって、全冊読み通す時間はないし、何より記憶が持たないわたしが読んだところで意味がない。それに明日は昼からパン屋のバイトが入っているらしい。

 気だるい思いでベッドへ横になる。ノートの束をサイドテーブルに積む。

 部屋の明かりを落とす。


 わたしは茉里ちゃんが死んだ日のことがよく思い出せない。これは前向性健忘を患う以前の、正常なわたしでも同様だった。警察が言うように、事件のショックによる一時的な記憶障害だろう。

 本当にそうなのかな、と今のわたしは思う。

 前向性健忘症になってみて初めて浮かぶ疑問だった。おそらくこんな病気がなければーー彼女の命日でなければ、考えもしなかったことだろう。わたしは人の記憶というものがいかに不確実なものなのか、この病気を通じて実感してしまっている。

 部屋の明かりをつける。

 寝室は整理整頓が行き届いている。掃除もこまめにやっているみたい。物自体が少なく、いかにもわたしらしいメイキング。リビングもさっきちらりと見たけど、雑多な貼り紙はあるものの目を瞑れるレベルで、まあ許せる範疇だ。

 そんな部屋の様子と、『⑬』のノートを見比べる。過去のノートも適当にめくっていく。

 ああ、なんて汚いノートだろう。

 ボールペンの書き殴りは仕方ないにしても、ときにマジックペンを使ったり、修正テープを乱用したり。これじゃ裏写りしたり、ノートが汚れる原因になっちゃうじゃないか。

 もともとわたしは綺麗好きな方で、部屋やノートがめちゃくちゃになるのは許せないたちなのだ。記憶が続かないとはいえ、わたしはわたしだ。急に人格が変わるわけでもない。わたしがこんな風にノートを雑に扱うなんて考えられない。


 『⑬』のノートにもマジックや修正テープを使った痕跡があった。1ページ目の余白、そこにマジックで書いたものに、上から修正テープが塗りつけられているようだった。

 一体何を消したんだろう?

 ページの裏側を見てみる。2ページ目の書き込みと被っているが、読み取れないこともなさそうだった。ノートを部屋の照明にかざしてみる。


・このノートを自分以外の人間に見せないこと。


 ページの裏からなので文字は反転して見える。しかし字は案外はっきりとしており、容易に読み取れた。それは当然と言えた。

 他の箇所の、たとえばボールペンで書いた字を修正した場合。これは裏側から読み取ることは困難になる。ボールペンは裏写りし辛いことと、またわたしの筆圧が弱いせいもあるだろう。

 他に修正テープを使用した例は、『①』の日記の一節にもあった。このノートはおよそ一年前に使われていたものだ。


 11月30日 18時〜0時

・洗顔剤が切れたみたい。次回買い物に行ったら忘れずに買うこと。


 この書き込みの行とその下の行、合わせて二行分に修正テープの跡がある。

 この二行は何を修正した跡なのか。

 ページの裏側を透かし見てみる。予想通りマジックペンで書かれたものらしく、なんとか読めそうだった。そしてわたしは「あっ」と声を上げる。


・リビングに設置されてる邪魔くさいのは何? 中には金庫が入ってたね。四桁の暗号で、解けません。どうやって開くの?

・時間がないので、朝のわたしへ引き継ぎ。あの防音室を処分して!


 わたしは恐らく、感情が高ぶったときや大事なことを伝えたいときにマジックペンで書き込みをしてしまうのだろう。自分が自分らしからぬ行動を取ったとき、どうしても許せないことがあったとき、ノートが汚れるのも構わずやってしまうのだろう。自分がやることだから、何となく分かる気がした。

 そして、この翌日の日記。

 

 12月1日 12時~18時

・まちがって洗顔剤を買ってきてしまった。まだ替えが二本も残っていたのに!


 これもマジックでの書き込み。しかしこちらは消されていない。

 つまり、マジックペンでの書き込みを片っ端から修正しているわけではないという事だ。そこにはとある選別が存在している。それは何か?

 決まってる。自分にとって都合の悪い情報だ。わたしにとって、ないしは『一部のわたし』にとって。 

 怪しいのは12月1日の『深夜のわたし』と『朝のわたし』だ。

 『昼のわたし』と、前日の『夜のわたし』は除外される。この二人のわたしは修正テープの意図に踊らされているからだ。防音室の処分についての案を隠蔽され、洗顔剤の買い間違えをしている。完全な被害者だ。


 深夜と朝、二つの時間帯のわたしに絞ったとき、より不審な行動を取っているのは『深夜のわたし』だった。

 過去の日記を読み通していると幾度か似たような言葉が出てくる。たとえば『⑫』のノート。


 12月20日 6時~12時

・夜、もしくは深夜帯のわたしへ。夜更かしはやめてください。ノートを読み返すと、最近目に余るなと感じました。


 こんな風に何度も注意されているにも関わらず、夜もしくは深夜のわたしは夜更かしを繰り返し、朝や昼のわたしに迷惑をかけているらしい。

 加えて『深夜のわたし』は、日記の書き込みをほとんどしない。一冊のノートを通しても片手で数えられるほど。あったとしても、日常生活的な引き継ぎが事務的に書かれているだけである。

 夜更かししているというのなら、何かしらの行動を起こしているはずだ。『深夜のわたし』は何故、それを報告しない? どうして深夜帯の行動について引き継ぎをしないのか……。


 とある仮説をひらめき、身体が震える。

 いや、そんなことがあるはずない。わたしの病状に合わないし、そもそも前提が崩れてしまう。真っ先に除外していい仮説だ。そうは思いながらも、ある可能性が頭から離れない。

 引き継ぎが必要ないーーそれってつまり、『深夜のわたし』には、記憶の連続性があるってことじゃないか?

 彼女の記憶はリセットがない。深夜の0時を回ったところで、全ての記憶が復活する。朝、昼、夜のわたしの記憶の取り戻し状況を把握する。その上で、自分にとって都合の悪い情報を消したり書いたりしているとしたら。


・このノートを自分以外の人間に見せないこと。


 この言葉を『深夜のわたし』が消した理由も分かる。記憶を失い続けるわたしなら、このノート一冊で騙しおおせたかもしれない。

 だが他者から見ればどうだろう。例えば『深夜のわたし』と出会ってしまった人物なら、このノートの違和感に気づいてしまうかもしれない。他者にノートを見せるか否か、その可能性をわたしに考えさせたくないために消したとしたら納得がいく。


 ただし、この仮説が正しいとしても一つの矛盾点が残る。

 記憶には思考も含まれるのだ。仮に『深夜のわたし』が全ての記憶を取り戻せるなら、今わたしが考えていることだって把握されてしまう。

 『深夜のわたし』を出し抜こうと考え、マジックペンを使用した場合、その意図さえも見抜かれるのだ。下手すればノートごと一から書き直されてしまうだろう。

 そうはせず、彼女は修正テープを使用した。そのせいで、今のわたしは真理に近づいてしまっている。

 とすれば、『深夜のわたし』が記憶を取り戻せるとしても、何かしらの制限があるのかもしれない。


 記憶の連続性、とわたしは思う。

 『深夜のわたし』が何をしたいのかまだ分からない。もう考える時間もないだろう。


 時計を見ると間もなく0時だった。記憶がリセットされてしまうけど問題ない。根拠はないけど、『深夜のわたし』がマジックペンの意図を見抜けなかったことが大きな功績だった。

 リビングの電話台にマジックペンがあった。『⑬』のノートに新たな書き込みをする。これで次のわたしが異変に気づき、行動を起こしてくれるはずだ。

 アラームが鳴る前にベッドに入る。

 茉里ちゃんのことを考えると、また頭痛がした。

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