断章(一)
■■■■■
「B・Nニュース」関東版 今年12月20日 18:57
◎杉並区、F中学二年女子行方不明 深夜外出したまま失踪
17日の夜、コンビニへ出掛けた中学二年生の加藤結未さん(14)の行方が分からなくなった。
結未さんの通うF中学は杉並区でも上位の偏差値で、結未さん自身も勉強熱心な生徒だった。その日は期末試験の期間で学校は昼で放課となった。結未さんは帰宅後すぐ試験勉強に励む。夜になると家族に「近くのコンビニへ行ってくる」と残し、そのまま姿を消してしまった。
結未さんは最近購入したばかりだというお気に入りのコートとマフラーを身に付けて出ていったと、彼女の家族は話している。
コンビニの防犯カメラにはたしかに、買い物をする少女が映されている。ところが、帰り道の街頭カメラに結未さんの姿はなかった。
(中略)
・目撃情報はこちら
連絡先:杉並警察署刑事第二課
TEL:○○○-○○-○○○
■■■■■
聞いたこともない新聞社のニュースサイトだ。吉村から送られてきた記事を、日野咲子は部室の片隅で読んでいた。
ついこの間までパン屋の美人店員に執心していたかと思えば、彼の無尽蔵の興味はまた目新しい事件に向いたらしい。いかにもというような、誰かから恨まれる謂れのない少女の失踪。けど、と咲子は思う。被害者やその関係者には申し訳ないけれど、至ってよくある行方不明事件じゃないだろうか。吉村浩介の特異な感性を刺激するものだとは、とても思えない。
とすれば、と咲子は先読みする。咲子と吉村の親密度はそう深いものではないが、ある意味では家族や恋人以上に分かり合える部分があった。だからこそ出来る読みだった。
この事件単体を見るのではない。何か他に関連する要素があるのだろう。
吉村とのメッセージ欄を表示させたまま待っていると、案の定もう二件ほどの事件記事が送られてきた。記事タイトルを見る限り、二件とも同じような関東圏での失踪事件だった。
さっそくURLをタップしようとしたところで、追加でメッセージが届いた。
◆◆◆
吉村浩介:どれもよくある失踪事件だって思ってるだろ咲子さん
吉村浩介:ひとのこと言えないけど君、だいぶ性格歪んじゃってるぜ
さっきぃ:吉村くんのせいだろ
さっきぃ:ていうか、まだちゃんと読んでないし。ちょっと待ってて
吉村浩介:いいよ、咲子さんも部誌作りで忙しいだろうからね
吉村浩介:失踪者情報だけ見てくれれば良い。三つとも記事の下の方に載ってるから
◆◆◆
「おい、日野」
吉村への返信文を打っていたところで、不機嫌な呼び掛けをぶつけられた。顔をあげると、ひどく疲れた様子の堤信吾と視線が合った。彼らしくない、他人へ助けを求めるような弱った目だった。
「俺は、後悔している」
堤の長机には書き損じの原稿用紙が山と積み上げられている。それは彼の苦労の証のようだった。
「部誌の短編小説、苦戦しているみたいだね。堤くん」
「いや、そっちの方はもう仕上がっているのだが」
「そうなの? じゃあ何書いてんのさ」
「小峰への誕生日プレゼントだ」
「あー」
咲子はスマホへ目を落とす。メッセージアプリをなんとなく眺めながら数十秒ぼうっとして、それから椅子をがたりと揺らした。
「え、なんて?」
堤は短い髪を両手で掻きむしりながら原稿用紙に頭を落としていた。
「だから、小峰真由への誕生日プレゼントだ。奴にねだられてしまってな。市民ホールの帰りだ。図書館への資料探しに小峰をお供させただろう」
お供て。
「俺も軽率でな。そのときは部誌の書き下ろしのことで頭がいっぱいだったし、何も考えず小峰の要求に応じてしまった」
「それで何。その、今書いてるやつがプレゼント?」
「ああ。奴のために短編を一本書いてやろうと思ってな」
「ええ……」
ドン引きする咲子に、堤は補足する。
「俺とて自ら進んでこんなことをやっているわけじゃない。小峰からリクエストされたんだ。お題小説と言うのか。いつの間にか、こんな紙が俺の上着のポケットに入れられていた」
堤から渡された紙を受けとる。雑貨店で売っているようなクローバーの絵柄の便箋。そこに、とてもアホそうな字でこう書かれていた。
『未来の大先生へ
マユはもうすぐ誕生日です。12月24日です。
さっきも言った通り、堤さんからの誕生日プレゼントが欲しいです。
なにが欲しいかなって考えたんだけど、やっぱ、堤さんの小説が欲しいです。でも堤さんの小説はむつかしいし、つまんないから、マユが読みたいお話を書いてください。
書いてほしいお話とは、こんな感じです。
・主人公は記憶ソーシツの女の子。ドイツかどっかの国のお姫さま。
・記憶ソーシツなのは、四人の魔女から記憶をいっこずつ盗まれたから。
・かっこいい剣士さんと出会って、なんやかんやあってお姫さまは魔法を覚えて、剣士さんと旅に出ます。で、四人の魔女を倒しにいきます。
・お姫さまと剣士さんのあいだでは、もちろん、恋が芽生えます。
・魔女をたおすごとに記憶が戻っていきます。
・記憶をつなぎあわせていくと、しょうげき的なことがわかります。そのしょうげき的なことは、考えてないので、堤さんにおまかせします。
楽しみに待ってるね。
将来、堤さんが売れっ子作家になったら、マユはこの小説をたくさん印刷して、メルカリで売って大もうけします。
マユより』
こいつよくぶっ飛ばされなかったな。
咲子は堤が不憫に思えてきた。真由が押し付けてきたお題は明らかに彼の作風にマッチングしていない。むしろ純文学とSF専門の彼には真逆と言っていい。それに題材的に短編で収まりそうな話じゃない。苦労するのも無理はないだろう。
咲子は中庭へ行き、自販機で微糖のコーヒーを買い、部室へ戻った。堤の手元に缶コーヒーを置き、ぽんぽんとその背中を叩いた。
「参考までに日野、お前は小峰に何をあげるつもりだ」
「あたし? 一応マフラーあげようかなって。一昨日ネットで注文したから、そろそろ届くかな」
「俺もそういうベタなのにしておけば……」
ベタとは失礼な。
咲子は堤にいくつか慰めと励ましの言葉を送り、鞄を提げて部室を後にした。
■■■■■
・行方不明者の情報(1)
日時と場所:去年11月29日深夜 神奈川県真白ヶ丘市
名前:瀧本ひかりさん(たきもとひかり さん/17歳/I高校)
身長:162cm
頭髪:ミディアムショート、黒髪
服装:I高校の冬制服、白とネイビーのマフラー、黒のローファー
・行方不明者の情報(2)
日時と場所:今年1月16日深夜 静岡県御殿場市
名前:尾上未来さん(おのうえみらい さん/21歳/フリーター)
身長:155cm
頭髪:ミディアムヘア、暗めの茶髪
服装:、灰色の無地スタジャン、黒のガウチョ、マルチカラーのマフラー、青のスニーカー
・行方不明者の情報(3)
日時と場所:今年12月17日夜 東京都杉並区
名前:加藤結未さん(かとうゆうみ さん/14歳/F中学)
身長:152cm
頭髪:黒髪のショートカット
服装:紺のデニム、ベージュのダッフルコート、カシミアのマフラー、白のスニーカー
■■■■■
咲子は夜の森林公園を散歩しながら、お気に入りの与謝野晶子の本を読んでいた。部誌の制作に煮詰まったときの習慣だった。いつもはそうすることで良いネタが浮かんできた。
だけど今日はいくら歩き読みしてみても駄目だった。あることが気になって集中できない。
全て、吉村から送られてきたニュース記事のせいだ。加えて、彼から三枚の画像が送られてきた。杉並区、真白ヶ丘市、御殿場市、三ヶ所の交番や警察署のボードの写真で、そこにはそれぞれの失踪者の人捜しポスターが顔写真付きで載っていた。ネットで画像が拾えなかったのだろう。吉村が自分の足で撮って回ってきたらしい。相変わらずの行動力だった。
咲子は本を閉じ、プチフルーツキャンディのスイカ味をくわえる。棒を器用に動かし、三分で舐め尽くす。二本目のパイナップル味はゆっくりと味わった。
吉村が興味を惹かれた理由が、少しは分かった。被害者三人のプロフィールには共通点が非常に多い。
・若い女性であること。
・冬の夜に失踪していること。
・髪がミディアムもしくは短めなこと。
・失踪の瞬間等、目撃情報が皆無なこと。加害者の有無も不明。
・三名とも行方をくらます理由が特段ないと思われる。
あとは、なんだろう。咲子は頭をひねりながら記事を見返す。これだ。三人ともマフラーを着用していたこと。
ニュース記事や人捜しポスターを見る限り、警察は三つの失踪事件に関連性を見い出していないようだった。あるいはその可能性もにらんでいるかもしれないが、世間に公表できるほど確かなものはないのだろう。失踪者同士の関係、出生や生活範囲等が一切被っていない。共通点が多いとはいえ、ただの偶然で片付けられる範疇だ。そもそも日本では年間どれくらいの失踪者が出ているんだろう?
スマホで調べてみて、その数字に驚く。年間8万人。認知症の老人ばかりかと思いきや、若い世代の失踪者も意外と多い。原因のほとんどは家庭環境によるもので、いわゆる家出というやつだろう。もちろんほとんどはすぐ見つかるが、不気味なことにそのうちの数百~数千人の行方は見つからず終いだという。
この狭い日本で毎年、どうやってそれだけの人間が姿を消すんだろう。
失踪の原因に犯罪が絡んだものは1%以下とある。本当にそうだろうか? ただ、大多数の犯罪が明らかになっていないだけだとすれば、消えた数百数千という数字の理由も、そこに当てはまってしまうのではないか。
そこまで考えて、咲子は身震いをした。
行方不明事件のこともそうだし、なにより、辺りが真っ暗で気温がすっかり落ちてしまっていた。
で、ここはどこだろう?
周囲を見回す。暗い山道だった。そこは森林公園の遊歩道というより、登山道といって差し支えない景色だった。うっすらと、咲子は身の危険を感じるのだった。
「神隠しなんてヤだからね、あたし」
とにかく山を下ろうと思い、足を動かす。かろうじて足元ははっきりしている。月明かりがあって良かった。しかし見覚えのない山の風景に焦りはつのる。
「ここはどこ、あたしは誰、つってね……」
一人でふざけてみても心細さは変わらない。すごく癪だけど兄貴か真由にでも電話して気を紛らわそうか、そう思ってスマホを取り出したときだった。
道の先に黒いミニバンが見える。ミニバンとはいえ随分図体のある車だ。いかにも暴力団が人攫いに使いそうな……。
咲子は悪い想像を打ち消すように歩調を早めた。車を通り過ぎるところで、待てよと足を止める。
いくらゴツい車だからって、持ち主が悪い人だとは限らない。訳もわからず暗い山道を一人で延々とさ迷っても、それこそ遭難して行方不明になってしまう。
車内を恐る恐る覗き込む。誰も乗車している気配はない。ひとまずはほっと息を吐く。
しばらく、車のそばで持ち主を待ってみることにした。咲子にとって思わしくない人物である可能性もある。それでも待ってみる価値がないわけじゃない。
咲子には柔道と合気道の経験があった。そこらの素人の男とやり合っても負ける気はしない。とは言うものの咲子も女子で、不安が全くないといえば嘘だった。
何個か飴を消費していると、やがて道の向こうで人影を発見した。疲れた顔で車の方へやってくる。それがおっとりとした感じの優しそうな女性だったので、咲子は胸を撫で下ろした。
女性は懐中電灯を手に、釣り用のボックスを二つ抱えていた。夜釣りってやつだろうか。それにしては、やけにラフな格好をしている。
「あぁ良かった。あのー、ちょっとごめんなさい」
女性の方へ駆け寄る。彼女はひどく驚いた顔をした。無理もないと思う。こんな夜の山道で、制服姿の高校生が一人で居たら怪しいことこの上ないだろう。
「けっして怪しい者じゃないんですけど、考え事しながら散歩してたら道に迷っちゃって。お姉さん、ここがどこだか分かります?」
女性はびっくりし過ぎて何も返せないようで、しきりに腕時計を見ていた。もうすぐ日付が変わる頃だ。こんな夜遅くにどうして、という感じか。
そのとき彼女の腕時計からアラームが鳴った。結構いい音量で、逆にこっちが驚いてしまう。
ふと見ると、女性の顔つきが急に穏やかになっていた。柔らかい笑みを自然と向けてくる。きれいな人だな、と咲子は不覚にも思ってしまう。
「もしかして迷子かな」
「そんな感じですね。いい年こいてお恥ずかしい、えへへ」咲子は照れ笑いを浮かべる。「お姉さんは、釣りですか?」
「そうだよ。最近趣味で始めてみたんだけどね、成果の方はさっぱりかな」
そう言って、彼女はクーラーボックスの一つを咲子に触らせる。両手で持ち上げてみるが、中身は空のようだった。咲子は首を傾げた。
「釣竿とか、ないんすね」
ああ、と女性は手ぶらの両手を広げてみせる。
「あんまり釣れないもんだから、頭に来て捨ててきちゃった。クーラーボックスだけはまだ何かに使えそうだから持ってきたけど。不法投棄なんて、わるい女でしょう?」
女性の笑みに、咲子は愛想笑う。やっぱ初対面って苦手だなあと思う。
「ねえあなた、お家は近いのかな?」
「ええまあ。ここがどこだか分からないけど、森林公園からだったら歩いて30分くらいすかね」
「良かったらわたしの車に乗っていかない? こんなところで知らない女が二人出会うなんて、なんか運命感じる。お喋りでもしながら帰ろうよ」
「いいんですか?」
願ったり叶ったりだった。ひとまず神隠しの危機は避けられそう。咲子は女性に促されるまま、ミニバンへと向かった。