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九話・古都実のノート(上)

 はじめまして、になるのかな。

 あなたには、今まで隠していた事、言わなければいけない事がたくさんあるよね。

 まずは、これまでの夜更かしや勝手な行動の件、謝らせてください。あなたにはあなたの生活や立場があるのに、わたしのせいで色々と迷惑をかけてしまったよね。本当にごめんなさい。


 きっとあなたは今、吉村くんや咲子ちゃんと一緒にこのノートを読んでいるんだよね。

 そう考えると緊張するな。だって、あなた一人にならしょうがないと思える事でも、他の人が絡むとどうしても躊躇してしまう。引かれてしまったり、気持ち悪がられてしまうのが、少しだけ恐い。

 でもなるべく詳細に、起こったことや感じたことをそのまま綴っていきます。わたしが犯してしまった罪の重さは計り知れないけれど、そこだけは責任をもって告白させてもらおうと思う。

 少し長くなるけど最後まで付き合ってね。

 きっとあなたがこの文章を読むのは、これが最初で最後になるだろうから。




 はっきり言ってわたしは、あなたのことを同一人物だと思えない。

 たしかに、過去のわたしたちは同一だった。わたしはわたしだと認識していたし、昨日の自分が今日の自分に繋がっているなんて、疑うべくもない事実だと思い込んでいた。

 ところが、わたしたちはある時期を境に少しずつ別離していった。性格や思考、記憶までを分断し、一つの体に二つの人格を持つことになった。

 その自覚は、あなたにはないでしょうね。いつの間に自分の中でそんな現象が起こっていたなんて、気づいてすらいないかも。でもわたしは常にあなたの頭上から状況を俯瞰して、たびたび訪れる人格の分離を見守ってきた。

 まずは、あなたも覚えているだろう、という話から始めるね。




 小さい頃、わたしはよく虫で遊んでいた。

 遊ぶっていうのはつまり、虫の命で。物心がつき始めるような子供って多かれ少なかれそういう経験があるし、虫や小動物なんて、もはや生き物として見ていない所がある。

 子供は残酷だなんて言うけれど、この命を弄ぶ行為こそ最たる例だよね。

 ともかくわたしはその頃よく虫で遊んでいた。その遊びに固執していたと言ってもいいくらい。周りとの協調性なんてまるでなかったし、先生や親からたびたび心配されたほどだった。

 幼稚園も年長になると、大抵の園児はそんな遊びをやめてしまう。外で運動をしたり、絵本を読んだり、そういう生産的な遊びをする。

 虫にだって命があるし、それで遊ぶのは可哀想。そう思う賢い子だって居ただろうね。

 わたしだって、虫にも命があることは知っていた。これがおもちゃじゃないってことも、なんとなく理解している。


 わたしが気になっていたのは虫の反応だった。

 周りの子を見ると、転んで膝や顔を擦りむいてしまう子たちは大体、大声をあげて泣き出す。たまに気の強い子が泣かないよう頑張っていても、その目には涙を溜め、顔は痛みに歪んでいて、明らかに我慢しているのが分かった。

 だけど虫は違う。

 蟻の下半身を小石で擦ってつぶしてみても、ムカデの足を何本か引っこ抜いてみても、トンボの羽を左右に引っ張って中身をさらけ出してみても、周りの子たちと同じような反応はしなかった。

 わたしは、もぞもぞと蠢く虫の有り様をながめた。何が起こったのか分からない、どうしてだか体がうまく動かせない、そんな風に、傷ついた虫たちは戸惑うように必死で足を振る。

「ねえ、痛くないの?」

 尋ねたが、答えてくれる虫はいなかった。

 そうか、とわたしは思う。声が出ないだけで、虫だってきっと痛がっているのかも。

 その日、わたしはダンゴ虫を半分に切断し、それを幼稚園の先生に見せた。

「この子、痛がってるかな?」

 先生は、わたしの手のひらの上で暴れる二つの物体を見て、薄気味悪そうに目を逸らした。

「痛がってるよ! そんなことしちゃダメだよコトちゃん。ダンゴ虫さん、すごく痛いって言ってるよ」

「ほんとに!」

 先生には虫の声が聞こえるのだと思った。大人は頭が良いだけじゃなく、子供には聞こえない虫の鳴き声も聞き分けられるのだ。

 わたしはダンゴ虫を先生に近づけ、「なんて言ってるの、なんて言ってるの」としつこく訊いた。


 小学生になると、流石のわたしもそんな遊びはやめてしまった。女の子というのは本当に集団意識の確立が早い。小学生の中学年にもなれば、周りの子たちに合わせた行動を取らないと、すぐさまグループの爪弾きにされてしまう。

 いつまでも他の子たちと違う行動を取るわけにはいかなかった。特に女の子受けの悪い言動は極力表に出さないようにしなければならない。

 今となってはお裁縫の世界にどっぷりはまって、その楽しみややりがいを知って夢中になっているわけだけど、きっかけは、周りに合わせて無理をして始めたんだよね。


 わたしの頭の片隅にはいつも『痛み』が在中していた。

 痛みって何のためにあるんだろう。痛いのって、すごく嫌なことだよね。どうして人の身体にはそんな機能が備わっているんだろう。痛みがない身体ならきっと、世界はもっと楽で心地よいものになるはずだ。

 もし虫が痛みを感じていないというのなら、人間もそれと同じように、痛みを感じないよう進化してほしい。そうわたしは真剣に考えた。


 どうしてその頃のわたしが『痛み』にこだわっていたのか、今ならなんとなく説明ができる。

 その根本には『不安』があった。

 ニュースでは毎朝のように人の不幸が報道されている。そんなニュースを目にする度に、耳に入る度に、心臓を握りつぶされるされる思いがした。

 老人が何々線の電車に飛び込んだ。どこぞの社長が暴力団の抗争に巻き込まれて殺された。高速道路での人身事故で何人もの人が亡くなった。強盗が勢いあまって殺人を犯した。有名人が病気に苦しんで死んだ。


 あるときわたしは、恐いもの見たさで家のパソコンで調べ物をしてみた。世の中には、どんなむごい死に方があるんだろう?

 あれこれと検索し、ヒットして出てきた事件・事故の数々は、女子小学生のわたしにとっては衝撃だった。

 わたしの想像の範疇をはるかに超えていた。世の中には考えうる以上の死に様があり、中には凄惨という言葉だけでは言い表せない複雑なものもあった。

 それらはテレビや新聞に出てくるような事件とは一線を画しており、また、それこそがこの世の真実という感じがして、あまりにリアルで、しばらく震えが止まらなかった。

 特に、人が人を殺めた事件には言葉も出なかった。よくこんなやり方を思い付いたものだ、と呆れてしまうような殺害、虐待の数々。

 ある記事が紹介していたのは、何の罪もない女子高生が数人の男たちに拉致され、一ヶ月以上に渡る暴行を受けたあげく殺害されたという事件だった。戦後最も残虐と言われる有名な事件で、これはわたしにとって一生癒えることのないトラウマを生んだ。

 何故その女子高生はここまで酷い目に合わなくちゃいけないのか。罪もない少女にどうして、そんなひどいことができるのか。彼女のことを思うと、悔しくて涙が出てきた。


 いつしかある意識が、わたしの中で芽生えていく。

 小学生のわたしは比較的成績優秀な方で、先生やクラスメイトからの評判も良かった。両親はそれを誇りに思っていたし、「コトちゃんは頑張ってるし人当たりもいい。将来はきっと幸せになる」と信じて疑わなかった。

 何故将来をそう決まったことのように言えるのか、わたしには甚だ疑問だった。

 だって人生なんて、しょせん確率でしかないんだから。


 どんなに成績優秀で、どんなに頑張ったとしても、不慮の事故や事件に巻き込まれる可能性はある。

 一流企業に就職したって、会社の人間と壊滅的に馬が合わないかもしれないし、会社自体が倒産しないとも言い切れない。

 ある日交通事故に合って両足を根本から失ってしまうかもしれない。

 道を歩いていると、変質者に襲われて苦しい拷問の末殺されてしまうかもしれない。

 突然の心臓発作で倒れてしまうかもしれない。

 たまたま乗っていた電車が脱線して、対向列車と衝突してしまうかもしれない。

 友達と海水浴に行ったら運悪く波にのまれ溺れてしまうかもしれない。

 狂った放火魔がそこら中の家に火をつけて回るかもしれない。

 のほほんとくつろぐこの部屋にも、いつ暴走したトラックが突っ込んでこないとも限らない。


 いい子でいること、勉強を頑張ることは、幼心ながらの抵抗でもあった。そうすることで未来の自分がしっかりとした大人になり、金銭面や生活が豊かになれば、最低限の安全は確保されるのではないかという考えだ。ぜったいにホームレスになんかならないと、その時のわたしは強く思っていた。小学生のわたしの目からしても、彼らの生活は安全とは程遠かったのだ。




 ねえ、わたし。あなたにはまだ、この意識があるかな。小学生の頃に抱いた『不安』のこと。もう忘れちゃったかな。

 少なくともわたしははっきりと覚えているし、『不安』に関して言えば、当時よりもっと強くなっている気がするな。

 今になって悟ることがある。この『不安』はどう解消しようが決して無くなってはくれない。むしろ、解消すればするほど、その分だけ肥大していく。


 茉里ちゃんの事件のこと、どうしても思い出せないんだよね。ごめんね。その記憶、今まで一人占めにしてたよね。でも、感謝もしてほしいかな。忘れた方がいい思い出くらい、誰にだってあるでしょう?

 茉里ちゃんを殺したのは、わたしだよ。

 たぶん、その瞬間からわたしたちの別離は始まっていたんだ。泣きわめく茉里ちゃんを前にして、わたしの人格は明確に『あなた』から分断され、個としての意識を持つようになった。

 『あなた』が茉里ちゃんにマフラーをプレゼントして、『わたし』が茉里ちゃんを殺した。

 まあ、殺そうと思って殺したわけじゃないよ。あることを試していたら、たまたま死んじゃったってだけ。


 わたしは、罪のない人たちが拷問され殺されていくという現実が受け入れられなかった。拷問なんてむごい真似が出来る人間の存在が、どうしても信じられなかった。

 しかしネットを見る限り、世の中にはそういう不条理は間違いなくあるようだった。様々な死に方はあれど、それが一番恐いとわたしは思う。

 拷問をかける彼らに人の心はない。いや、あるいは理性のどこかにはあるのかもしれないけれど、彼らの目には、自分以外の人間は虫にしか見えないのだろう。幼稚園児のわたしが何百もの虫を痛めつけ殺したように、それと同じ感覚で彼らは拷問を行った。どうしてあんなに酷いことが出来るのかずっと理解に苦しんでいたけれど、『虫を殺すように』という感覚だったら、少しは分かる気がした。


 わたしは試すことにした。

 いつか自分にも降りかかるかもしれない(・・・・・・)、その不条理を。そして、その不条理を受けた者がどんな反応を見せるのかを。

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