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八話

 時刻は深夜0時を回ったところ。

 いつものわたしならここから活動を開始するはずだったけど、脳の不具合でも起こったのか一時間半も早く覚醒してしまった。


 ニュースによると、今夜は底冷えするような寒さになるということだった。灰色のネックセーターの上から黒いチェスターコートを合わせる。

 和室の押し入れには『土日のわたし』が作った完成品のマフラーが何本か収納されている。そこからネイビーブルーのバーバリーチェックを選ぶ。姿見鏡でコーディネートをチェックして、マフラーを手で撫でつけた。

 彼女たちが一生懸命お客さんへ向けて作ったもの。カシミヤの優しい着け心地もそうだけど、心を込めて編んだマフラーって、なんだかくすぐったい気分になる。

 こっそりわたしが使っていることを知ったら『土日のわたし』に怒られるだろうな。そんな風に考えて苦笑する。いやわたし、もっと悪いことしてるじゃん、って。


 旅行用のボストンバッグに道具一式を詰め込み、自宅を出る。

 近くの駐車場にはカーシェアリングの車両が三台ほど駐車されている。使用者さえいなければ、スマホで予約して数分後に借りることができた。

 黒塗りのプレマシーに歩み寄る。会員カードをリアウインドウの読み取り部にかざしロックを解除する。乗車すると、助手席にボストンバッグを置き、駐車場を出た。


 行き先は近かった。目的の人物は同じ真白ヶ丘市に住んでおり、車を十五分ほど走らせた場所にある。何度もその家に通ったから、もうカーナビを使う必要もない。

 それは二階建ての木造アパートで、彼女は二階の角部屋に住んでいた。両親はおらず、祖父と二人暮らしをしているらしい。部屋は二部屋あり、その一室を彼女の自室としているようだった。ときどき、彼女の部屋がピンクのカーテン越しに照らされているのが見えた。

 アパートの目の前にはコンビニの駐車場がある。毎回そこへ車を止め、車中から彼女の生活を観察した。わたしが活動できるのは0時以降の深夜に限られる。目的の人物が夜更かしや深夜徘徊をしない子でなければ、わたしの行動はすべて徒労に終わる。

 その点で言えば、今回も幸いだったと言えた。


 その夜も、彼女の部屋の明かりは点いていた。

 コンビニの駐車場に到着したとき、彼女は既にカーテンを開け、黄昏るように窓際から星を見ていた。

 夢見がちな子なのだろう。つまらなさそうな顔をしていたかと思えば、流れ星でも見つけたか、満面の笑みで目を輝かせる。表情がころころと変わる天真爛漫な女の子。

 わたしはボストンバッグからNikonのデジタル一眼を取り出し、望遠レンズを取り付ける。夜空を眺める少女へとファインダーを合わせ、何度かシャッターを切る。

 『他の時間帯のわたし』は知らないだろう。わたしがこんな立派なカメラを持っているなんて。いつもは和室の押し入れの下の段、その奥の空の靴箱に収納している。よほど暇じゃなきゃこんなところ目にも入らない。


 しばらく彼女の表情を観察しながら写真を撮っていたが、星を見飽きたのか、やがてカーテンが閉じられる。わたしは残念な思いでカメラを下げる。待ってみるも部屋の様子に変化はない。

 だが明かりは点いたままだった。彼女がとある作業に熱中していることが察せる。

 ボストンバッグから、高校生が作った部誌を取り出す。

 部誌は三部構成となっており、短編小説、エッセイ、絵本が一作、あるいは数作ずつとなっている。それぞれの部員が一ジャンルごとを担当しているようだ。

 そのうち、絵本を製作している部員にわたしは目をつけた。『小峰真由』という子らしい。これがペンネームであれば本名は分からない。ともかく、わたしはこの真由ちゃんという人物を先日、この近辺で偶然目撃した。




 一週間ほど前だろうか。深夜に車を走らせていると、このコンビニへ立ち寄る真由ちゃんを見かけた。

 明るい雰囲気のある女の子で、ミディアムショートの毛先に軽くウェーブをかけている。高校生くらいで、どこか幼さの抜けない顔立ちをしている。

 彼女はバーバリーチェックのマフラーを着けていた。薄いピンク色がよく似合っている。誰かにプレゼントされたばかりなのか、コンビニのガラスに反射するマフラー姿の自分を満足そうに眺めていた。

 わたしはそのマフラーに見覚えがあった。

 車を路駐させ、スマホでハンドメイド販売サイトを開く。自分が販売している商品の画像と、彼女が着用しているマフラーとを交互に見る。最近商品を発注した宛先を見て、そういうことかと合点がいく。そしてわたしの直感は確信へと変わった。




 十日ほど前の深夜、森林公園そばの山中で出会った女子高生を思い返す。飴が好きなのか、とても甘い香りがする子だった。彼女はたしか、今は部誌作りで忙しい時期だ、と言っていた。

 ピンクのカーテンの奥に目を凝らす。きっと真由ちゃんは今、その絵本作りに熱中しているのだろう。締め切りが近いのか、最近は夜中まで作業に没頭している。それはわたしにとって非常にありがたいことだった。


 カーテンから目を離し、ボストンバッグからアルバムを引き出す。車内灯を点け、写真を眺めた。

 そこには真由ちゃんの隠し撮りが何枚も納められている。このアルバムに納められた写真の人物が何者なのか、『他のわたし』は気づいていないようだ。

 ここ数日の『他のわたし』は聡い。何度記憶をリセットされようが、幾度となく真実へと近づいてくる。

 わたしもそのからくりに気づかなかったわけじゃないが、彼女たちの可能性に目を見張り、どこまでやれるのだろうとしばらく放置してしまった。しかしそれも限界のようだった。

 『⑬』のノートをバッグから取り出し、さらにもう一冊の『⑬』のノートと見比べる。新しいノートには都合の悪い情報など一切書き写さなかった。

 早くに目覚めてしまったこの一時間半は、『⑬』のノートを一から書き直す作業にあてた。まるでそうするために早くに覚醒してしまったように。

 『他のわたし』だってきっと、知りたくもない自分があったのだろう。本心から自首する気なんてなかった、とさえ思える。だから彼女たちは、言い訳をするように『深夜のわたし』を強制的に目覚めさせた。記憶リセットの齟齬については、今はそう解釈している。


 彼女たちが行った『⑬』のノートの工作もすぐに見抜いた。1月4日の日記である。一見、それは当時の書き込みのまま何の変化もないように見える。

 問題は書き込みそのものではなく、日付にあった。

 注意して見みなけれ気づけもしない箇所。『1月4日』の数字の部分だ。他と比べて、やや字が太い気がした。

 ページを裏から見てみるとその正体を知ることができる。裏面から浮かび上がる『1 4 』というメッセージに。

 マジックの細いペン先を使ったのだろう。もとある日付の上から、彼女はマジックでその数字だけをなぞった。

 1月4日。『0104』、つまり茉里ちゃんの命日であり、防音室の金庫を解く暗号でもあった。

 素直に感嘆の息が漏れる。

 おつかれさま、とわたしは思った。

 記憶が続かない状態のまま、『深夜のわたし』にノートを監視されているという状況下で、よくここまで辿り着けた。あやうく、本当に自首されてしまうところだった。


 もう一歩だったね。惜しかったね。もうその記憶はないだろうけど、ここまで頑張ったのに、悔しいよね。

 そんな風に思いながらわたしは丁寧に『⑬』のノートを書き直した。古い『⑬』のノートと、置時計型のビデオカメラとSDカードを外に持ち出す。

 今回の深夜の外出は真由ちゃんの観察をするためでもあったけど、この二つの証拠品を処分する目的もあった。

 真由ちゃんがこのまま絵本作りを終えて寝てしまうようだったら、わたしはすぐに車を出して証拠品を捨てにいくつもりだった。


 だけど、その予定は大幅に変更となりそうだった。

 部屋の明かりが消える。やっぱりもう寝るのかな、と思ったがそんなことはなかった。

 時間を置いて、アパートの階段からスマホを耳に当てながら降りてくる真由ちゃんが見えた。

 急激に胸が高鳴る。

 彼女は寝巻きのスウェットの上からキルティングジャケットを羽織り、首にはあのマフラーを巻いていた。眠気まなこをこすりながら誰かと通話している。わたしはサイドウインドウを十センチほど下げる。そばの歩道を通りかかる真由ちゃんの話し声に耳を傾けた。

「どこに行けばいいの? マユ、もう眠たいからあんまり遠くはヤなんだけど……アート広場? うえーっ、超遠いじゃん」

 アート広場、と聞いてすぐにピンとくる。森林公園の一角で、建築デザイナーの作品が展示されている広場だ。

 あそこは住宅街寄りの閑散とした場所で、駅とは森を挟んで反対側に位置する。人通りは限りなく少ない。

「ねー何の用事? 寒いし、眠いし……。もし告られてもマユ、断っちゃうよ。違うの? じゃあなんだろ。えっ! お小遣いくれるの? じゃあ行く!」

 彼女を観察しながら、ボストンバッグに手を伸ばす。中に入っているスタンガンの所在を確認した。

 真由ちゃんが見えなくなってしばらくの時間を置き、わたしは車を出した。




 森林公園の第三駐車場に車を停める。駐車料金はかからず、アート広場も近い。なにより、無料駐車場のためか防犯カメラは設置されていないはずだった。

 車から降り、コートのポケットに手を差し入れる。手袋の上からスタンガンの感触を確かめた。


 遊歩道を50mほど歩くとアート広場が見えてくる。太いエノキの幹に身を隠し、広場の様子をうかがう。

 そこは一面に芝が敷かれており、独特のオブジェクトが随所に展示されている。広場の中心には噴水があり、その噴水もデザイナーの手により趣向を凝らした形状をしていた。そのせいか、そばに設置されたベンチはゆったりと座れるように配慮されていない。

 真由ちゃんは、どこか所在なげにそのベンチに座っていた。

 わたしは広場の芝を踏む。ゆっくりと歩を進め、後ろから少しずつ距離を詰めていく。彼女は手元のスマホへと、ひたと視線を落としていた。

「こんばんは」

「わっ」

 真由ちゃんが振り返る。やっぱり驚かせてしまったみたい。彼女はベンチを立ち、スマホを胸に抱いて一歩後ずさる。しかし当惑したのはそこまでで、わたしの顔を見た彼女はいくらか緊張を解いたように見えた。

 わたしはこの瞬間ほど、自分が若い女でよかったと思うことはない。

「あはは。ごめんね、驚かせちゃったかな」

「ゆ、ユーレイじゃないですよね?」

 別の意味で疑われているようだった。わたしは片足をぶらぶらと振ってみせる。

「大丈夫だよ。ほら、ちゃんと足あるでしょ」

 真由ちゃんは首を横に振った。そんなの見ればわかる、というように。

「マユ知ってますよ。今どきのユーレイは足があるし、ゾンビは走るのめっちゃ早いし、ジェイソンは一回もチェーンソー使ったことないんだから」

 何が言いたいのか全然分からなかったけど、ひとまずわたしは笑顔を振りまいておいた。

「こんな夜中にどうしたのかな? 女の子が一人で、こんな人気のないところに居ちゃ危ないよ」

「友だちを待ってるんです」

「お友だち?」

 知らないふりをして首を傾げる。彼女は何度か大きく頷いた。その仕草には不満の色が見てとれた。

「もう寝ようとしてたのに、なんか急に呼び出されてね、でもなかなか来ないし、暗いし寒いし、なんかユーレイとか出そうだし……マユ、もう帰ろうかなって思ってたところです」

「そうなんだ。どれくらい待ってるの?」

「うーん、かれこれ20分くらいかな。おねえさんは何してたの?」

「わたしは……お散歩かな。ダイエットにね。お正月食べ過ぎちゃったから」

「あ、分かるー。お餅とかおせちとかミカンとか、おこたに入って食べるお正月グルメって、なんであんな美味しいんですかねー」

 この死ぬほどどうでもいい会話の間、わたしさりげなく周囲の様子を気にしていた。相変わらず人の影は全くない。噴水は深夜のため稼働しておらず、辺りは木々のさざめきを除いて無音に包まれていた。待ち合わせの友だちとやらが来る気配もない。

 わたしは微妙に、視線を彼女の顔から首もとへとシフトさせる。

「あ、同じマフラー」

 真由ちゃんは首を上下に動かし、自分の首に巻いてあるものとわたしのマフラーとを見比べた。

「ほんとだ、ピンクとネイビーの色違い!」

 きんと響く大声に、やめてくれ、とわたしは思った。表情を崩さないよう努力する。

「こんな夜更けに女が二人、しかも同じマフラーって、なんか運命感じない?」

 真由ちゃんはうんうんと嬉しそうに頷く。ユーレイがどうとかいう疑いはもう晴れているようだった。

「てゆうかおねえさん、すっごい美人だね。芸能人とかやってるひと?」

 わたしはそれを無視した。

「よかったら、お友だちが来るまでわたしの車で待つってのはどう? 今日は冷え込むでしょう。車はすぐそこにあるし、なんなら真由ちゃん、待ってる間居眠りしててもーー」

「なんでマユの名前知ってるんですかっ!?」

 夜鳥がばさばさと飛んでいった。はからずも笑みが引きつる。この子、防犯ブザーいらなさそうだなあ。

「だって自分のこと、マユ、って」

「あ、そっかあ」

 真由ちゃんは照れ臭そうに自分の頭をこつんと叩いた。




 真由ちゃんを車に誘い込むと、彼女にスマホゲームの得点勝負を提案した。ディズニーのキャラクターを使ったパズルゲームで、直感操作ゲームとしては最もポピュラーなものだ。

「いいけどマユ、ツムツムめっちゃ上手いですよ?」

 彼女の友だちを待つ間の暇潰しじゃない。スマホで余計な連絡を取られるのを防ぐためだ。頃合いを見計らって、わたしは行動を起こすつもりだった。

「お友だち来そう?」

「んーん、連絡なし。イタズラだったのかなあ。マユ、もう知らない」

 彼女は画面上でキャラクターのパズルを動かすのに熱中していた。

「そっか。ちょっと温かい飲み物でも買ってくるね」

「はーい」

 後部座席のボストンバッグに手を伸ばす。財布を取るついでに、さりげに粉の錠剤が入ったビニール袋を出し、ポケットに仕舞った。




 アート広場の奥まった箇所に自動販売機がある。粉末の薬剤を混入させるため、なるべく不信に思われないようペットボトルの飲料を買うつもりだった。

 スタンガンはいわば緊急用だった。皆が真由ちゃんのように馬鹿正直な子ばかりとは限らない。そういうときのための強硬手段だ。

 自販機の前で財布を開く。小銭のポケットには十円玉が三枚、五十円玉が一枚あるだけだった。わたしらしいなと思う。支払いは小銭の端数からきっちりと使い切っていくのだ。

 千円札を投入する。だが返却口から戻ってきてしまった。

 もう一度入れてみて、『釣り銭切れ』のランプが点灯していることに気づいた。

 まいったなあ、と横髪を撫でつける。周囲を見渡すが他に自販機は見当たらない。この広場は森林公園の外れで、自販機がありそうな他の広場までは長い遊歩道を移動しなければならない。それは面倒だし、何よりわたしはここからあまり動きたくなかった。

 もう一度小銭ポケットを覗いてみる。何度見ても、八十円しか入っていない。


「よろしければ」

 眼前に黒い革の小銭入れが差し出される。

 しばしそれに目をやり、はっとして顔を上げた。

「奇遇ですね古都実さん。いや、初めまして、とご挨拶した方がよろしいでしょうか」

 知らない男の子だった。柔らかく作られた笑みに、自然に整えられた髪。高校生くらいの青年で、わたしを知っている様子なのに、まるで見覚えがない。

「やっぱり僕を覚えていらっしゃらないようだ。何度も何度も会っているのに。傷つくなあ」

 わたしは何も言えない。いや、正確に言うなら、返す言葉を必死で選んでいた。何度も何度も会っている? この男の子について、ノートには何も書かれていなかった。何故? 本当に知り合いだと言うのなら、一体彼は何者なのか……。

 そのとき、全身に震えが走った。

 『他のわたし』、とわたしは思った。彼女たちが幾度も仕掛けてきた工作の数々。その全てを処理したとわたしは思い込んでいた。わたしの関与できない範囲、つまり彼の存在こそ、それら工作のひとつだとしたら。

「あれこれと文句を言っても仕方がないですね。ここはやはり、『深夜のあなた』には初めまして、ということにしておきましょうか」

 ポケットに右手を差し入れる。スタンガンを縦に持ち直し、スイッチに親指をかける。

 視線を戻す。彼は笑みを解き、つまらなそうにわたしの手元に目をやっていた。

「それはやめた方がいい」

 ふいに、わたしの右手に触れるものがあった。斜め後ろのすぐ背後から。右手に添えるその手つきは優しかった。

 振り返ると、あの山中で出会った飴の女の子だった。自販機の逆光で分かり辛いが、その表情は悲しげだった。

「真由ちゃんの面倒を見てくれてありがとうございました。古都実さん、お家に帰りましょう」

 彼は静かに語りかける。わたしの右手はポケットから抜け、だらりと宙に落ちた。

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