友達になろう
次に俺が目を覚ましたのは、病室のベッドだった。
病室には俺以外誰もいない。俺は重たい体を起こし、人生初のナースコールを押した。すぐに医者と看護師がやって来た。
自転車からぶっ飛んで、壁に激突する。
命が失くなってもおかしくないが大事故だ。俺はごくりとつばを飲み込み、医者からの話を聞くことにした。
「いやー、運が良かったよ君!」
が、医者の呑気な声で、力が抜けた。俺が呆気にとられていると、医者はざっくりと現状説明をした。
不幸中の幸い、だった。俺は体のあちこちから血を流していたが、骨折や臓器に甚大な影響があったというわけではなく、右腕と左足の打撲だけで事なきを得た。
「あ、そうっすか……」
すぐには信じられない説明に、俺は気の抜けた返事をした。
「でも二週間は入院してもらうよ」
ならばすぐ退院かと思っていたが、そうはいかなかった。おそらく、万が一のことを考えてだろう。俺はうなずくも、完全にスタート失敗したと落ちこんだ。
医者の説明が終わった後、両親がやって来た。
「この馬鹿が!」
「自業自得!」
感動の対面……にはならず、両親は病室に入ると同時に、俺を烈火のごとく叱りつけてきた。
「すいません、ごめんなさい」
さすがに反論できるわけもなく、俺は、ただただ謝った。両親は渋い顔をしながらも、なんとか許してくれた。
それからの入院生活は、退屈そのものだった。
スマホは使えず、携帯ゲームもない。両親は分厚い参考書を持ってきて「勉強しとけ」と命じた。
俺はその場ではうなずいたが、もちろん勉強するわけがなく、参考書は俺の枕の位置を高くするだけのものとなった。
「……あーヒマだ」
売店で買ってきた漫画を読んだり、テレビを観るのは、三日で限界が来た。便所こそ一人で行けるが、アウトドア派の俺にはそれだけじゃ物足りなかった。
「やっぱ勉強、しとくかな……」
このままじゃ暇死にしてしまう。俺はいやいやながら、枕を持ち上げた。
「あの……」
その時だった。病室入り口から声がした。
「あ」
顔を向け、俺は唖然となった。
艷やかな黒髪、白い肌に丹精の取れた顔立ち、そして俺の通う高校の女子の制服……あの時の、彼女だった。
「えっと……こんちわ」
思いがけない来訪者に、俺は頭が真っ白になりながらも、あいさつした。
「こ、こんにちわ」
彼女は申し訳なさそうにしながら、入ってくる。俺は姿勢を正した。
「あ、どうぞ」
俺はパイプ椅子を彼女の前に置く。だが彼女は座らなかった。
「あの、これ……どうぞ」
彼女は両手に持っていた紙袋を、俺に差し出す。
「あ、どうも」
俺は条件反射で頭を下げ、紙袋を受け取る。ずっしりとした重みがあった。紙袋の中身に目を落とすと、メロンが二つ入っていた。
「こんな二つも……ありがとうございます!」
遠慮を見せるのは逆に失礼だ。俺は心から礼を言った。
「い、いえ……」
彼女は顔を床に向け、押し黙る。
「…………」
「…………」
それからしばらく、無言が続いた。何も喋ろうとしない、俺たち二人の異様な雰囲気に、同室の患者たちもちらちらと視線を向けてきていた。
「君の名……」
「ごめんなさいっ!」
沈黙を破ろうと、フレンドリーに話しかけようとした時だった。彼女は頭を下げ、謝った。
「本当にごめんなさい……わたしのせいで……!」
涙声で、彼女は俺に頭を下げ続ける。
「ちょっ、ちょっとちょっと!」
いたたまれない気分になる。俺は彼女に顔を上げるように頼んだ。
「で、でも――!」
「と、とりあえず……えっと………外に出よう!」
周りの目もある。俺は彼女にそう言って、一緒に病室を出た。彼女は戸惑いながらも、俺のあとをついてくる。
「ここで話そう」
待合室に着いた俺は、二つ隣同士で空いた席を指差す。彼女はぺこっと頭を下げて椅子に座る。俺も隣に座った。
「まず第一に」
周りに迷惑がかからないような音量で、俺は彼女に言った。
「君は全然悪くないから。悪いのは一〇〇パーセント俺。だから、気にしないで」
元々の原因は間違いなく俺にある。それだけははっきりと伝えたかった。
「ちがいます! わたしがあんなところから出てきたからです……」
だが彼女は、さらに自分を追い詰める。ダメだ……このままじゃずっと平行線だ。
「いやその……うーん」
切り口を変えてみよう。俺はとっさに思いついた言葉を、そのまま口にした。
「そうだね。確かに……君と出会うきっかけを作ってくれたよ」
――言った後、俺はすぐに後悔した。
あいったたたた……!
あまりの痛々しい発言に、俺は顔から火が出るかと思った(ほんと、この時の俺をぶん殴りたい……)。
「……」
案の定、彼女はぽかんとしていた。あ、これマジで死にたい。俺は思い切り走れるものなら、すぐさま病院から出て、そのまま自転車に乗って壁に激突したかった。
「わ、分かりました!」
「……え?」
現実逃避(飼い犬を拾った時のことを思い出していた)をしていた俺に、いきなり彼女はふんすと鼻息をならし、力強く言った。
「わ、分かったって、何を?」
意外と冷静な声を出せた。彼女は俺を力強い目で見てきた。
「今後についてです! 皆見さん!」
「は、はい……!」
彼女はさらにぐいっと近づき、俺をじっと見つめる。こ、これはまさか……!
「こ、こんなこと言う資格は、わたしにはありません。でも、それでも……わ、わたしと……」
「わかった! 付き合――」
「友達になってください!」「ごっほん!」
危うく再び地雷を踏むところだった。俺はせきをすることで誤魔化した。
「と、友達?」
「はい。わたし、皆見さんのために何かしたいんです!」
「いやそんな……」
明らかに彼女は負い目からそんなことを言っていた。俺はもう一度、強く「気にしないでいいから」と言おうとした。
「いいよ、友達になろう」
ところが口から出た言葉は、それとは真逆だった。
「あ、ありがとうございます!」
彼女はほっと一息ついた。結果的に、これでよかったのかもしれない。俺は彼女を見てそう思った。
「これからよろしくお願いします」
仰々しく、彼女はそう言って右手を差し出す。とても友達同士のやり取りとは思えなかった。
「あ、うんよろしく」
まあ負い目を感じているうちは仕方ない。これから徐々に打ち解けていこう。
俺も同じく、彼女に右手を差し出して握手した。あの時とは状況が違うこともあって、彼女の右手はひんやりと冷たかったが、温かった。
四月十日。こうして俺は朝桐透子さんと「友達」になった。
そしてこれが「はじまり」となる日でもあった。