天使との出会い
あれは桜舞う晴れた朝……入学式当日のことだった。
前日、遠足前の小学生のように、俺はこれから始まる「高校生活」に胸を躍らせ、興奮してなかなか寝つくことができなかった。
時間は十二時をとうに過ぎている。ここから眠りにつくのは難しいと思った俺は、発想を変えて眠らないことにした。
ゲームをすればあっという間だろう。俺は春休みにけっきょくクリアできなかった「ドルファン13」をやることにした。
やりこみ要素を無視し、ただひたすらシナリオを進め、ついに俺はラスボス前まで到達した。
興奮度が最高潮に達する。俺は壮大なストーリーのラストへ向かおうとした。
戦いは熾烈を極めた。次々に仲間は死に、残りは主人公一人となる。ターン制とはいえ、一つの判断ミスで全滅になる。俺は慎重かつ大胆に、自らの「直感」を信じて、確率二分の一の諸刃の剣でもある、主人公最強の必殺技を放った。
激しい音とともに、画面がピカッと光る。成功した証拠、だった。
間違いなく、これでラスボスは倒せたはず。俺はガッツポーズをした。
――ところが不思議なことに、次に俺の目に入ってきたのは、ゲームのタイトル画面だった。
時間をふっとばされたかのような感覚だった。俺はぼーっとしたまま、ふと壁にかかった時計を見た。
【8:02】
徐々に血の気が引くことで、俺はそれが何を意味するのか理解した
「遅刻」
脳裏に浮かぶはその二文字。俺は奇声を上げた。
まずいまずいまずい! 徹夜をするはずがいつの間にか、しかもエンディングを見ることもなく眠ってしまった!
俺は大慌てで立ち上がり、テレビとゲームの電源を消すことも忘れ、身支度を整えた。
一階に下り、母になぜ起こしてくれなかったと怒ると、母は何度も起こしたと怒ってきた。
あーだこうだ言っても仕方ない。俺はメシも食べずに家を出た。
「やばいやばいやばい!」
入試と合格発表の時に、チャリで高校へは行ったことはあるが、その時は三十分近くかかった。教室集合まで、あと二十分。全力でこいでも間に合うかどうか、ギリギリのラインだった。
「うおおおっ、ケイデンスをさらに上げろぉお!」
黙っていた方が効率的にも関わらず、俺は自転車漫画の主人公になったかのように、叫びながらがむしゃらにペダルを回した。
初めのうちは信号にも引っかからず、追い風もあってかなりの速度でこぐことができた。だが、
「はあ、はあ……!」
寝不足と朝飯を食わなかったことで、俺の体はあっという間に限界がやって来た。
こんなことなら小学生みたいに、九時には眠っておけばよかった。この時ほど、俺は自分を殴りたい衝動に、駆られることはなかった。
「あき……らめるかああぁっ!」
だが俺は諦める(遅刻する)つもりはなかった。これは試練、これを乗り切れば楽しい高校生活が待っている。俺は何度も自分にそう言い聞かせることで、力を入れる
「あとちょっとおおおお!」
残り時間五分。もう視界には学校が入っている。気が、抜けてしまったのだろう。
俺は、思い切りコケた。
「ぐわあああ!」
チャリが壁にぶつかり、俺もその勢いのまま投げ出される。少しして激しい衝撃が体全体を伝った。
「…………うぅ」
あまりの痛みに、俺は立ち上がることはおろか、体を動かすこともできなかった。俺は唯一動く首を、右に向ける。
「…………」
俺と同じ高校の制服を着た女子は、ぺたんと尻もちをついて、倒れた俺の方を見つめる。その目は大きく見開かれ、口もポカンと開いていた。
ああ、良かった……!
自分が大怪我したことよりも、名も知らぬ彼女が無傷であることにホッとした。
彼女は、ひと一人入るのがやっとの、そもそも通行路かどうかも怪しい、家の壁と壁の隙間から、いきなり出てきた。そこにちょうど、俺の自転車がぶつかりそうになり、俺はとっさにハンドルを右に切り、壁にぶつかった。
客観的に見れば、向こうも悪いかもしれない。だが、そもそも俺がスピードを出さなければこんなことにはなっていなかった。さらに言えば、寝坊した自分が悪い。これは当然の結果だった。
「だ、大丈夫ですか……!」
それなのに彼女は、俺を心配してくれた。彼女は目に力を戻すと、急いで俺の方へ走ってきた。
「あ、ああへいきへいき……!」
彼女を心配させまいと、俺は無理やり笑顔をつくる。しかし俺の意識は少しずつ薄れていった。
あ、これやばいわ……。俺はあまりの痛みに逆に痛みがなくなってきた。
「し、しっかりしてください!」
彼女は俺の意識を覚まそうと、ペシペシと頬を叩く。気が動転しているのだろう。かなり力強いペシペシだった。
「もうすぐです! 死なないでください!」
けれど、彼女の必死な呼びかけを聞いていると、そんなことは些細なことに思えた。
「しっかり!」
騒ぎを聞きつけたのか、女の子以外の声も聞こえてきた。現れた誰かは、ぎゅっと俺の手を掴んでくれた。
「もうすぐ救急車来るから!」
「がんばってください!」
ぼやけた視界。彼女たちは必死に俺に呼びかける。その熱い思いは、俺の意識をギリギリのラインで保たせることにつながった。
数十分後、救急車のサイレンの音が聞こえてきた。俺は担架に載せられ、車内に入れられた。
「わたしも乗せて下さい!」
彼女は救急隊員に切実な声で頼み、俺と一緒に救急車に乗りこんだ。
乗っている間、彼女は何度も俺に「頑張れ」と言った。
(良い人だなあ……天使みたいだ)
そんなことを思いながら、俺の意識は徐々に薄れていき、俺は痛みも忘れて眠りについた――。