決して外さない服装で
蒸し暑い昼間に比べたら、若干だが涼しみを感じる夕暮れ時。セミの鳴き声がいやにうるさく聞こえる。
苦難の末にようやく頂上に到達した俺は、そこからまた新たな山へと登ろうとしていた。
「夏祭りに浴衣で来る男ってどう思う?」
出発まで一時間を切った頃、悩みに悩んだ末に、俺は夏彦に電話で尋ねた。
『え? まあ、個人の自由だと思うけど……』
いきなりの俺の意味の分からない質問にも関わらず、夏彦は戸惑いつつもそう答えた。
だが俺の聞きたいことはそこじゃなかった。
「個人的には?」
『まあ、ムカっとするかな』
こういうところは包み隠さない。夏彦は本音をぶつけた。
『あんなものを着るのは、カッコつけやろうさ。それか私服に自信がなくて、〈言い訳〉するように着ているチキン野郎――』
「ストップ夏彦」
なにかトラウマスイッチでも踏んだのか、いつもの倍以上声が荒々しかった。
『あ、ごめん。つい興奮して……』
「お、おう……どんまい」
「浴衣で行く」なんて答えたら、絶交を食らいそうなほどの雰囲気を電話越しから感じ取る。こいつ、いったい何があったんだ?
『じゃあどこを待ち合わせにする?』
「……ん?」
変なことを訊いてくる夏彦。俺は首をかしげた。
『いや、祭りの待ち合わせ場所だよ。僕、駅で待ってようか?』
夏彦の言葉の意味が分かった。「あー、夏彦。それはな――」
急に俺がこんなことを尋ねてきたものだから、どうやら夏彦は夏祭りに誘われたと思ってしまったらしい。俺は悪いことをしたなと思いつつ、夏彦に正直に答えた。
『…………』
温かく祝福してくれる。そう確信して告げた。だが、夏彦は何も言わなかった。
「な、夏彦さん? べ、べつに俺はおまえとの関係を終わらせるつもりはなくてだね……!」
まるで恋人に言い訳をするように、俺は夏彦をなだめようとした。
『……で』
「デス!?」
『それは浴衣で行くべきだよ!』
耳がキーンとなる。夏彦はさっきとは真反対のことを言っていた。
「え、だってお前さっきはあんなにアンチ浴衣派だったのに……」
『あくまで〈個人的〉って言っただろ。一将、君は浴衣で行くべきだ。そうすれば、どっちに転んでも失敗はない』
鬼気迫るとはまさにこういう声なんだろうな。俺の目の前に夏彦がいるかのようだった。
「……でも、ムカつかない?」
もう一度俺は確認する。ここまで臆病になっているのは、やはり俺も心の底では「男で浴衣はカッコつけ」と思っていたからだろう。
『そんなわけないだろ。着ていくべきさ。僕が保証するよ」
目頭が熱くなった。夏彦は自分の気持ちを置いておき、俺を応援してくれた。
「ありがとう夏彦……! 俺、頑張るよ」
浴衣で行く。俺はようやく決心した。
『頑張るって、告白するの?』
「ん、いや……うーん……」
『花火の音をBGMに告白するなんて、ロマンチックだと思うなあ』
「え、うるさくね?」
「…………」
俺がそう言うと、夏彦は気分を害されたのか、無言となった。
「と、とりあえず、臨機応変にいくぜ!」
すかさず俺はそう言った。こんなしょうもないことで、友情関係に亀裂を走らせたくはない。
『うん、頑張ろう! じゃあね』
「ああ、じゃあな。ありがとよ」
俺は夏彦に礼を言って電話を切った。
「さてと……」
電車発車までまだ時間はある。
「っしゃ、やるぜ!」
俺はほっぺを叩いて気合を入れる。そして、昨日朝桐さんと別れた後に買った浴衣を袋から取り出した。
「だせぇな、俺……」
人に言われて決定するというのは、ひどく情けない。でも、俺はほんのちょっとでも失敗の可能性を減らしたかったのだ。俺は説明書を見ながら、紺色の浴衣きっちりと着た。
「おっ、なかなかいいんじゃね?」
鏡の間で着合わせしながら、俺は自画自賛する。夏彦のいうところの「チャラチャラした男」みたいだった。
「……でもまあ、うん」
ヘタレな自分を少しでも覆い隠せるなら、チャラ男の方がいいかもしれない。俺は浴衣を着ることで、
「積極性」が出てきたような気がした。
「ヘイ母ちゃん! ちょっと出かけてくるゼ!」
自分の思っているチャラ男のイメージで、母に告げ家を出た。
「あらカズくん」
斜向いに住む、おばさんが声をかけてくる。
「あ、どうも」
なんか、冷静になった。俺はチャラ男モードをやめ、頭を下げた。
「お祭り? うちの子も行ったのよお」
「誰とですか!?」
食い入るような目で、俺は訊いた。おばさんはまったく驚かず、のんびりと答えた。
「同じ部活の子とだったと思うわあ」
「……そうですか」
俺はほっと一息つく。まーたあいつが俺と朝桐さんの間に、割り込んでくるものかと思ったが、今回は違うようだ。
「あら、もしかしてあの子と行くつもりだったの?」
「いいえまったく全然これっぽっちも違います」
変な勘ぐりを速攻で否定し、俺はおばさんにもう一度頭を下げて駅へと向かった。




