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1.捕らわれの海で

 様々な圧力の連続で疲れ切ったサヤカは、また不思議な空間へと導かれました。

 海が見える。


 と言っても、想像するような碧空を映し出した海ではない。

 黒き入道雲の下、太陽も射さない、生き物の息する声もない、ただただ漆黒を染み込ませた海だけが目の前に湛えられている。

 不思議と怖さはない。

 寧ろ、心地よさすら感じる。

(そう……。私を呑み込んでくれるの?)

 既に爪先に波がかかっている。氷点より冷たく感じるその塩水は、纏わりつくようにして段々と濡らし始めた。

 その様子をただ黙って、息の音すら出さず死んだ目で見ている自分がいる。

(ようやく、私の人生に終わりを告げられるのかもしれない……)

 息の詰まる人生だ。

 友人もおらず、学校ではいつも汚物を触るように扱われ、誰からも好かれることなく、退屈で、苦痛で、悲壮な毎日を送ってきた。

 だったら、このままこの虚無の海に呑まれて、全てを溶かし込んで、最後は虚空へと蒸発させてほしい。

 何かを忘れている気がするけど、気にもせず膝まで覆った死の境目を、自分の顔まで届くのを待つ。

(生まれてきたこと自体が間違いだったんだ……。私は、望まれて生まれてきた人間じゃない……)

 あぁ、こんな時でも自分を卑下して、悲劇のヒロインぶって、何してんだろう? と思う反面、それが私なんだと諦観染みたことを勝手に思っていた。

 そうだよ、元から諦めた人生だ。

 誰かから声を掛けられた気がしたけど、それも所詮は夢の延長だったんだから……。

――やめてよ、そう思うのは。

「!」

 突然、誰もいないはずの空間に、幼い少年の声。

 慌てて見渡すものの、姿はおろか声の方向すら見えない。

――君は分かっていない。その命のたどってきた道のりをね。

 再び声が聞こえた。

「一体どういうことなの……?」

 理解ができなかった。

 何故見も知らぬ、姿も見せず、聞いたことさえもない少年に、命なんてものについて説教を受けなければならないのか?

 無性に怒りが込み上げてきた。

「あなたには関係のない事! 私は私よ!!」

――そう、君は君だよ。

 不意に力を抜かれたような回答に、私は足を滑らせた。

 いや、実際にもう水面は私の腰まで来ている! 呑み込まれるのは時間の問題だ。

(待って、まだこいつの話が終わってない!)

――だけどその命は、君だけで生きてきたわけじゃない。

「何が言いたいの?」

 自分の状況に構わず少年に問う。

――君は今ある命に感謝をしなければいけない。

「……はい?」

 水は胸まで来ていたが、気にもならなかった。

 そんなことより、こいつの言葉が引っかかって仕方なかったから。

「感謝……? この命に対して……??」

――そうだね。今ある、感じている、その命に感謝しないと……。

「感謝なんてするわけないでしょ!」

 言葉を遮って、私は叫んだ。

 否定したくなった。

 否定しなければいけないと思った。

 出ないと本当に自分の存在が分からなくなってしまう。

 木の葉の下に埋めた気持ちを、芽吹かせるわけにはいかないんだ。

「私はもう、死んだも同然の存在なのよ! だったら、感謝する意味なんてないの! 無責任に感謝とか使わないで!!」

(私は別に、生まれたくて生まれてきたわけじゃないんだから……)

 どうせこの思いも読まれているのだろうが構わない。私は自分の気持ちを吐き出す。

 しかし……。

――……無責任で言っているつもりはないよ。

 背筋に悪寒が走った。感情も一気に冷め切る。

 もう首から下は完全に水の中だ。冷たいのは当然だし、もうすぐ完全に頭まで浸かってしまう。

 けど、それ以上にこいつの声が一瞬にして、鋭く冷え切ったものになったことが恐かった。

――ただこう言っては何だけど、僕からはまだ何も答えを出せない。それは君が見つけるものだからね。

「……まだこの苦痛の中を生きて探せってこと?」

 皮肉を込めて私はまた問うた。

――苦痛になるかどうかは分からないけど……。

 呆れたような声で語ろうとする少年にむかつきかけた。

――少なくとも不安を払ってくれる女の子は一人見つけたじゃん。

「!」

 しかし、その気持ちを吹き飛ばすワードが私の顔を上げさせた。

 直後――。

「あっ! わぷっ……!!」

 遂に海面が顔を覆い始めた。もがこうとすると焦ってしまい、かえって自分をより身動きの取れない状況に追い込んでいった。

(そうだ! やっと、掴めたのに……!)

 さっきまで何ともなかったこの海が、突然、恐怖の対象へと切り替わる。

 黒々とした海は命を取らんと、今も必死に私を捕まえていた。

(こんなところで死にたくない!)

 今更ながら私は必死に抗った。

――やっと思い出したかい?

 少し嘲笑うように少年が再び話しかけてきた。

――君にはまだ生きて欲しい。彼女に会うまでと決めていたとしても、その先もずっと……ね。

「あ、あぶっ、あなたは、いったい、なん、わっ、なんで、わた、しを、たすけ、あぷっ、たすけ、よう、とす、るのっ?」

――言ったよね? その答えは自分で探す物だって。だから、僕からは何も言わないよ。

「ど、どういう……?」

――まぁ、もうすぐ君も目を覚ましそうだから、そろそろ僕も眠るね。またいつか、こんな感情的な状況じゃなくて、ちゃんと話したいな……。

「ま、待って! あなたはだれ……っ!」

 その言葉を最後に、少年の声は途絶えた。

 同時に私は抵抗虚しく、海面に出していた顔すら水に浸かってしまった。

(生きてその意味を探せって……)

 そんな中でも私はさっきの少年の言葉を反芻する。

 何で曖昧な問題をよこしていったのか、意味が分からない。

 苦しいけど、今の苦しさも乗り越えろというのか?

 酷な相談であった。

(それでも生きろってこと……ね……)

 それから私は千切れた藻屑のように、暗き海の底へと引きずり込まれ、そのまま意識を失った……。

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