プロローグ 天国の庭
「ゼロ! ゼロ!! 起きて! 朝だよ!」
徐々にメインカメラの映像に光が戻っていくのが、ゼロには分かった。
聞き慣れた可愛らしい声に起こされるように、ゼロはスリープモードから通常モードへと移行していく。
いつも通りの朝。正確には、朝と定められた時間。時計が示す午前六時から午前十時までの時間だ。
立ち上がったゼロは、二メートル以上もある無骨な機械の体を軋ませながら、彼のスリープモードを解除した女の子の後ろについて行く。機械の四肢を動かして、歩幅を合わせて。
「今日は何する? 温室で鳥さんに餌あげる? それとも、お父さんとお母さんのとこに遊びに行こっか?」
ナタリー・クルス。
それが女の子の名前。まだ七歳のナタリーは、他に遊び相手がいないので、よくゼロを連れまわしていた。
そして、そんな彼女を守るための護衛ロボット。人間と同じ心を持つ真っ黒な機械。それがゼロ。ゼロの体は所々、装甲が取り付けられていない箇所があり、彼を動かす機構が剥き出しになっている。護衛を行うには、余りに脆弱な体であった。試作機であるゼロには、動作を確認するための最低限の装備しか与えられていなかったのだ。
ゼロは頭部に目のように突き出た、一本のライトを赤く光らせた。人間のような顔もなく、言葉も発せない、彼の意志と感情表現の方法の一つ。ゼロはライトの色で、ナタリーに彼女の両親の研究の邪魔をすることは、良くないことだと咎めた。
「分かってる。冗談。ね、それじゃ、すぐそこのお花畑に行こう!」
ナタリーは笑って、ゼロの鋼鉄の手を引いた。ゼロはライトを青く光らせて、ナタリーに従った。
ナタリーの部屋を出て、長い廊下を二人は歩く。廊下の壁は大きな窓になっているが、窓は決して開かれることはない。何故なら。
「あ、見て! ほら、ちょうど地球が見える! 綺麗……」
何故なら、ここの外は空気のない宇宙空間。ここは宇宙に浮かぶ衛星建造物。生活に必要な機能を備え、地球の周りを漂う、隔絶された場所。
“ヘブンズガーデン”。
ナタリーの父、イーストン・クルスはこの小型スペースコロニーをそう呼んだ。
ヘブンズガーデンにいるのは、ナタリーとその両親であるクルス夫妻。そして、研究のためにナタリーの父、イーストン・クルスが作った護衛ロボットのゼロだけである。
西暦二〇三〇年に、科学的権威であるクルス夫妻が自分たちの研究のために、祖国であるアメリカ合衆国と、その他多数の国の支援を受けて、宇宙に建造された衛星住居。それが、ヘブンズガーデンだ。
建造当時には、まだ三歳だったナタリーも、西暦二〇三四年現在には、七歳になっていた。
「ごほっ、ごほっ!!」
遥か彼方の地球に見入っていたゼロは、ナタリーが苦しそうに咳き込む声に、我に返った。ゼロは腹部に格納されていたポケットを突出させ、そこに入っていた六種の錠剤をナタリーに差し出した。
「薬……、嫌い……」
薬を受け取るのを渋っていたナタリーだったが、やがて、再び咳き込み始めた彼女は観念して錠剤を受けとり、口に含んだ。
「ゼロ……、早く行こう……」
見るからに元気を失くしてしまったナタリーが歩き出す。ゼロもまた、ナタリーについて歩いて行く。そして、二人が廊下の先にあった扉の前に着くと、扉は自動で開き、二人に美しく色取り取りに広がる花畑を見せた。
「あ……。ゼロ! 早く!」
突然元気を取り戻したナタリーが駆け出した。花畑の中に見えた人影に、ゼロはナタリーが元気になったことに合点する。どうやら研究の途中で休憩に来たらしいクルス夫妻が、そこにいたのだ。
夫妻は、花畑の天井に張り巡らされたワイヤーからぶら下がる、色取り取りの花を付けた植物を見て、談笑していた。
ナタリーの父、イーストンと、母であるステラ。
母親似のナタリーは、ステラゆずりのブロンドの髪を揺らして駆けて行く。
「おはよう! お父さん、お母さん!」
「ナタリー! どうした? ゼロと遊んでたのか?」
「うん!」
「おはよう、ナタリー。朝ごはん食べたら、今日も勉強しなさいね」
「ううん、やだ!」
「ナタリー!」
花畑の花たちに包まれて、ナタリーは笑った。つい先ほどの落ち込んだ様子は見る影もなく、そこに在るのは花と家族が大好きな、明るい笑顔を眩しく輝かせる、一人の少女の姿であった。
ゼロがナタリーの元へと歩いて行くと、ナタリーは黄色の花を一つ摘んで、ゼロの傘状の頭に添えた。
ゼロが花の色に合わせて、ライトを黄色に点滅させる。それを見て、ナタリーは可笑しそうに笑った。
ヘブンズガーデン。天国の庭。
その頃のゼロたちには、間違いなく、そこは天国のような場所だった。
ヘブンズガーデン・ゼロ




