異世界召喚されたんだけど、第二王子はツンデレでした
柔らかな陽射しが降り注ぐ青い空の下、スニーカーが規則正しいリズムで地面を蹴る。整地されたアスファルトではなく、石の転がった土の地面。でこぼこした小道を注意しながら走ると、時々踏む枯葉が、かさりと音を立てた。
異世界に来て早半月。長瀬くんの言動には相変わらず振り回されたり突っ込み入れたりだけど、それなりに生活にも慣れて来た。
元の世界に居た頃からやっていた、毎朝の日課。走り込みと柔軟、ストレッチ、そして発声練習。こちらの世界に来ても日課にしてる。
やがて走り込みが終わり、その場に立ち止まると、葉擦れの音と共に目の前の繁みから、小さな生き物が飛び出して来た。尖った大きな耳と、狐のようなふさふさした長い尻尾。茶色の毛並み。うさぎ位の大きさで、猫か子犬のような丸い顔に大きなアーモンド形の黒い瞳をしている。元の世界にはいない生き物だ。可愛い。
その子はあたしの方を見ると、長い耳を後ろに倒し、ひくひくと鼻を動かした。しばらく目が合った後、満足したように後ろ足でぴょんっと跳ね、繁みに戻って行く。
ぬいぐるみみたいだったなぁ。あんな動物がいるなんて、やっぱりここは異世界なんだ。しみじみ納得。後で何ていう生き物か、ユアさんに聞いてみよう。そう思いつつ、柔軟を終えたあたしは、後ろで手を組むと胸を張り、大きく息を吸った。
「あめんぼあかいなあいうえお~!」
大きな声を出すのは、なかなか気分が良い。道が悪いとはいえ、元の世界のように住宅街のど真ん中という訳ではないから、思う存分気兼ねなく大きな声が出せる。気分爽快だ。続いて『外郎売り』もやってみようかな。どちらも部活の発声練習でよくやっていたのだけど、ストレス解消にもうってつけだ。そう考えて、ひとつため息。
――うん、ストレスだな、あれは。
先日のアリシア姫の一件からこっち、勇者の婚約者を一目見ようと、色んな人が職場へ押しかけて来ているのだ。働き始めという事もあり、最初は特になにも思わず、先輩の言うままに給仕していたのだけど、明らかに刺すような視線におかしいなと、ロザリンド姫に問い詰めたところ発覚したという次第。なんであたしが婚約者だとバラすかなぁ。
応援されるわ、ライバル宣言されるわ、挙げ句の果てに夫婦仲についてレクチャーされるわ。どうしろと。お客さまなだけに無下にも出来ないし。
自分で言うのもなんだけど、あたしって結構楽天的な性格をしてると思う。しかしポジティブにも限界があるんだよっ。
「えぇい! たちましょらっぱで……って?」
調子良く続きを口にしていると、ガサガサと近くの繁みが揺れ、今度は真っ赤な頭がひょこりと覗いた。
「第二王子?」
思わぬ人物の出現に、素っ頓狂な声が出る。なんでこんなところに。
「なっ、……なんでお前がこんなところにっ!?」
相手も同じ事を思ったらしい。第二王子はあたしを見止めるやいなや、ダッシュで後ずさると、こちらを指差して来た。なにその危険人物扱いは。
「いや、なんでって言われても、さっから居ましたし」
答えようがない答えに、目を泳がせると後頭部に手を当て、ポニーテールにした髪をかき上げる。
「そういう殿下こそ、何故ここに?」
「毎朝城の周囲で奇声が上がるというので確認をな……」
「なるほど、それは間違いなくあたしが犯人ですね」
「少し位否定しろよそこは」
いや、だって毎朝走り込みしてるから、そんな変な人がいたらすぐ判るし。って、あたしか、変な人は。
「それでお前は何をしているんだ?」
呆れたらしい。第二王子はため息をつくと、あたしの方をちらりと見やった。
「発声練習です」
すっと息を吐くと、続きを一節。第二王子は耳を押さえた。
「いきなり大声を出すな! 朝から何をしてるんだ、お前は」
「だから発声――」
「だからそれはなんだ?」
遮られてしまった。酷い。
「声を出すための練習ですよ。声楽をやってましたので」
「セイガク?」
「んと、歌を歌うんです」
「お前、神子なのか?」
「神子?」
「歌を歌う女性は神子か聖女だけだ」
「違いますね」
こちらの世界ではそうなのか。しかしあたしが呼ばれた職は勇者の嫁であって、神子にジョブチェンジした覚えはないしなぁ。それに神子とか面倒そうだし、否定しておくに限る。
「そうだよな、お前はフレアとは……」
第二王子はそこまで言うと、あたしの姿を上から下までマジマジと見て、一瞬で全身を朱に染めた。まぁ、綺麗。髪が赤いから、本当に全身真っ赤だ。
「なっ……、な」
口元を押さえると、絶句したように口篭る。その不思議な様子を見て、あたしは首を捻った。
「どうかしたんですか?」
「ばっ、馬鹿っ、近づくな!」
あたふたと手を振り首を振る第二王子。ふむ。
「な、何故近づいて来る?」
「いや、殿下が離れるから」
「離れてるのが判るなら、近づくなっ!」
しっしと、追い払うように手を振ってくる。酷い扱いだ。楽しいけど。
「お前、女の自覚はないのか!? そんな……」
指差されて自分の格好を見下ろす。特におかしくはないと思うんだけどな。
「生足を出すな! 破廉恥な!!」
「へ?」
あたしが着ているのは、向こうの世界の体操着。半袖の体操着と短パン。ちょうど体育があったから、下に着込んでいたのだ。動きやすい服があって良かった。
「なるほど。あたしの美脚を見て、イケナイ妄想に浸ってしまったと」
ふむふむと納得。ロングスカートが主流のこの世界、生足なんて見る機会など余りなさそうだ。それもぴちぴち女子高生。うふん。
「お前のような女以下のはしたないヤツに欲情なんかするか!」
まあ酷い言われよう。
「女以下なら着替える必要ないですね」
後ろで縛っている髪を解くと、綿の端切れを貰って作ったタオルで顔の汗を拭う。第二王子はあたしの仕草にビクリと身体を揺らしたものの、黙ってこちらを見ている。
「何か用ですか?」
声を掛けると顔を赤くして、ぶんぶんと首を振る。良く解らない人だ。
「お前、そんな性格だったか?」
怪訝そうに言われて少し考え込む。
「被っていたネコなら、夕べで売り切れたようです」
「買ってこい」
買ってこいとは庶民的な。意外にノリが良いのか、この王子さま。あたしにはこんなだけど、長瀬くんとは仲が良いのか、よく釣るんでいるのを見る。
「俺は……反対だからな」
既に何回か聞いた言葉が、また呟かれる。そろそろ聞き飽きてきたんですが。
「反対と言われましても、この世界におけるあたしの存在意義はそれですし」
それを否定されても困るのですよね。どうしろって感じです。
「だがお前はユキヤの事が好きではないのだろ?」
「好きですよ」
「しかし!」
「恋愛にはまだ達しておりませんけどね。大体毎日顔を合わせてるとはいえ、挨拶しかろくにした事がない人にそういう感情を抱くのは難しいと思います」
あれほどあからさまに好意を示されて、正直嫌な気はしない。表現方法には多少問題はあるけどね。この世界にデジカメがなくて本当に良かった。
「それに長瀬くんも同じ気持ちだろうし」
「え?」
鳩が豆鉄砲を食らった顔って、こんな感じだろうか。そんな意外かなぁ。
「言ったでしょ。ろくに知らない人間に、そういう感情を抱くのは難しいって」
まぁ、あの人あたしの個人情報に関しては、随分と知ってるみたいだけどね!
「だが、あいつはいつもお前の話をして、お前の事を想っていたぞ。あの戦いの最中もずっと話すのはお前がどんなやつだったかという事だった」
「そうですか」
あたしはそう、おざなりに言うと、再び髪を纏めて後ろで縛り、地面に座り込んでストレッチを始める。第二王子はしばらく迷ったように視線を泳がせていたのだけれど、心を決めたのか口を開いた。
「ユキヤが喚ばれた時、彼と共に旅立つ者も選定された」
一度口火を切ると心を決めたのか、第二王子は淀みなく話し始める。
「勇者と共に旅する者、人の世からは偉大なる賢者、勇敢なる騎士、神の巫女たる聖女。そしてかしこき小さな者、猛き龍と麗しきエルフ。まぁ、他はともかく、俺は勇敢ではないがな」
「殿下も参加されたんですか」
言って欲しそうだから言ったのに、何で赤くなってこちらを睨むんだろう。このツンデレめ。第二王子は咳払いすると、再び口を開いた。
「賢者はお前を召喚したシュテンドダルト、騎士は俺、小さな者はフィン。龍族のガイアス、妖精族のセーレン。そして聖女がフレアだ」
あの魔法使いが賢者ねぇ。長瀬くんやあたしを召喚したりとか、博識なのは確かと思うけど、賢者と呼ばれるには随分若い気がする。
「7人で魔王を倒したんですか?」
「馬鹿言うな。魔族の大群だぞ。常識で考えろ」
まぁ、そうだよね。RPGゲームじゃないんだから、いくらチートキャラでもその人数じゃ無理だろう。
「俺たちの役割りは魔王討伐の旗印であり、軍が切り開いた道を進んで、魔王に止めを刺す事だった――」
魔族との戦いは熾烈を極めたという。人の他、目に見えない神々の末裔を始めとして龍族、妖精族、精霊たちの助けも借り、ようやく魔族を抑えて魔王の許に行く事が出来た。
「だが魔王に止めを刺す瞬間、ユキヤを庇って魔王の血を浴びたフレアは、魔に侵されて死んでしまった」
ぐっと握り締められる拳。その時の事を思い出しているのだろうか。
「フレアは、ユキヤの事が好きだった。あいつに好きな相手がいると知ってもずっとだ。なのに……」
「なるほど、フレアさんを死なせておいて、自分だけ好きな相手と幸せになる勇者が許せないと?」
「ち、違う! ユキヤではない」
うん、解ってるけどね。でも逆からみたらそうなるよね。
「殿下はフレアさんの事が好きだったんですか」
「あいつは俺の幼馴染で、妹みたいなものだ。小さい頃から聖女として、神殿の厳しい戒律の中で生きてきた。誰より幸せになって欲しかったんだ」
もしご存命であれば、長瀬くんを巡る最大のライバルになった訳ですね、ふむ。
「では、あなたはあたしにどんな役割りを求めてるのですか? 言ってくれなければ解りません」
「それは……」
淡々としたあたしの言葉に、第二王子は言い淀んだ。そう切り返されると思ってなかったようだ。
あたしは第二王子から目を逸らすと、ゆっくりと深呼吸をした。すぅっと、息をつくと口を開く。いつもはこの後ハミングとかもするんだけど、今日はまぁ良いか。さて、何にしよう。
少し間を開けて口から零れたのはフォスターの『夢路より』。続いて『さくらさくら』。小学校の音楽の教科書にも出てくるポピュラーな曲だ。
横目で第二王子を見ると、呆然とした表情をしている。まぁ、突然話してた相手が歌い始めたら変に思うよね。でもあたしは今すごく歌いたい気分なんだ。
歌うのは好きだ。歌っている間は色々な事を忘れていられるから。ごちゃごちゃした思考も、その間に整理されて新しい考えが浮かんだりする。あたしが声楽を続けているのはそのせいかもしれない。そんな事を思うのは、あたしの思考が今ごちゃごちゃしてるからなのかな。うん、そうかもしれない。ごちゃごちゃして、もやもやして、ぐるぐるしてる。では、何故ぐるぐるしてるんだろう。
「佐倉さん」
その声が耳に届くやいなや、あたしの中を風が一陣、吹き抜けた気がした。ごちゃごちゃした気分が一瞬であるべき場所へと収まった感じがする。あれ、なんだろう。これは。
歌を止めて振り返ると、息を切らせてこちらを見る瞳と目が合った。そっか。なんとなく、答えが落ちてきた気がする。
「長瀬くん」
あからさまな好意。それを向けられて嫌な人間なんていない。先程自分で言った台詞。うん、これはちょっと新鮮かもしれない。
「ハルト、ズルイぞ。僕だって歌姫の歌滅多に聴けなかったのに。それに体操着姿なんてレベルの高いものを」
「え? いや、それは……」
長瀬くんは第二王子に気づくと、拗ねたような口調で彼に詰め寄った。焦ったように首を振る第二王子。レベルが高いってなんですか。というか、それよりも。
「誰が歌姫ですか」
けれどもまだ、それは口に出すには小さくて不確定なもの。
「あれ、佐倉さん知らなかったの? 君、合唱部の歌姫って結構有名だったんだよ」
「初めて聞いたよ!」
なにその恥ずかしい称号。
「他にも色々あったよ。音楽室の小妖精とか、天上の歌声とか」
「長瀬くんのポエム並みの破壊力だね、それは」
「僕の?」
あ、いけない。口に出してしまった。怪訝そうな顔をした長瀬くんは、真っ直ぐあたしを見つめてくる。ひょろりと伸びた身長、随分と大人っぽくなった。一緒に過ごすはずだった二年分の歳月、君は1人で行ってしまったんだね。でもあたしはそんな感傷などおくびにもださずに肩を竦めてみせた。
「それより、どうしてここに?」
「毎朝城の周囲で奇声が上がってるって聞いたから」
「それは間違いなく、あたしだね」
「うん、そうだと思ったから来てみた」
くすくすと笑う声。失礼な。これは意趣返しするっきゃない。
あたしはことさら何でもない表情を作ると、長瀬くんの顔を覗き込んだ。にっこりと、なるべく無邪気そうな笑顔を浮かべる。
あたしは長瀬くんを良く知らない。
でもようするにさ、君の事を知らないなら、知れば良いんだよね。
「ねぇ、長瀬くん。デートしょっか?」