デートしたら兄に怒られた。
シャンシャンシャン。
街の何処からか鳴り響く鈴の音。
空からゆっくりと舞い降りる、綿の様な雪。
店頭のガラスには、服だの、バックだのが綺麗に飾られている。
BGMには、White Cristmas。
今日は、十二月二十五日、クリスマス。平日ながら、たくさんの人が街にごったがえす日だ。
原智町商店街でもそれは変わらない。商店街の真ん中辺り、盛大に水を噴き上げ、立派に建っている噴水は、多くの客の待ち合わせ場所。噴水の元にやって来て、スマホをいじる人達も、すぐに遅れてきた相手を見つけては噴水から去っていく。
つまり、あまり相手に待たされる人がいないのだが、それにも例外がいた。
遥も、そんな例外の一人。黒いパーカー、黒いジーンズ、黒髪に黒キャップ――と、黒ずくめの服装で、夜である今、闇に溶け込んで見えなくなってしまいそうなものだが、ライトアップされた商店街の中、しかも輝く噴水の前にいると、逆に目立つ。
遥の格好は目を引くものであったし(なんと言っても、クリスマスにこんな恰好をするものがいない)、その体格は非常に綺麗だ。足が長い。痩せ過ぎず、太り過ぎずの体型。多くの女性が、一度振り返っては連れの男性にじっとりと睨まれていた。
遥の携帯に、メールが届く。
――ごめん、もうちょっと待って
遥は、未だに準備をしているだろう、相手を思い浮かべながら、少しだけ笑みを浮かべた。
――ずっと待つよ。ゆっくり来てね
返信を打ち、遥はのんびりと店のウィンドウを眺めた。遠くの観覧車を見た。相手と、何処を廻ろうか――二人で今までずっと相談してきたが、まったく決まらなかった。なにしろ、初デートなのだし。
待つこと三十分、遥は遠くから駆けてくる待ち人の姿を認めた。ゆっくり来てね、とメールしたのに、相手は悪いと思ったらしい。そうやって走っていると、汗ばんでしまうと思うのだが。
相手も遥の姿を見つけ、一目散にこちらへ――。
とんっ。
勢い余ってぶつかってきた相手を、そっと受け止めた。
「ありがと、遥ちゃん。遅れて、ごめんね?」
上目づかいで謝られても、こちらには許す以外の選択がない。
「別にいいよ。……それと、遥ちゃんって止めてよ、秋乃」
相手――秋乃は、てへっと舌を出した。「遥ちゃんって呼ぶもん」と全く反省しない。
秋乃の服は、遥と対照的だった。ふわりと揺れるスカート、白いコート。長いマフラーを、くるくるとまとめて首に掛けている。ショートカットの、少し茶色がかった髪が、秋乃の頬にそっとかかった。
髪の毛が口に入りそうになっていたので、遥はそれをそっと払った。
「……ん、ごめん。それで遥ちゃん、何処行こうか?」
「何処行こうか……。秋乃を待ってる間、ずっと考えていたんだけど、思いつかないや」
「とりあえず、商店街回ろう!」
張り切ってまた駆けだそうとする秋乃を、コートの袖を引いて止めた。
不思議そうに遥を見てくるので、ただ手を差し出す。
「遥ちゃん……? 顔、赤いよ」
秋乃が顔を覗き込んできたので、遥は必死にそれを避けた。秋乃は何が嬉しかったのか、えへへ、と笑う。遥ちゃんの珍しい所見ちゃった。たぶん、そういうことを思っているのだと思う。
「顔、真っ赤~」とこちらを散々からかって、秋乃はようやく遥の手を取った。
「何処行きたい?」
歩きながら、尋ねる。秋乃は、手をちょんと顎にあて、ふむ、としばらく考えた。
「とりあえず、」
遥の方を向いて、秋乃は少し黙った。先が言いづらいのか。遥は目で、先を促す。
「ぉ腹空いた……」
恥ずかしそうに言うので、遥はちょっとだけ笑ってしまう。蚊の鳴くような声で囁かれても。
しばらく笑っていると、秋乃が手をぐっと拳型に、遥の肩辺りをぽこすかと殴る。
「もー! 笑わなくても、いいじゃない!」
顔が真っ赤だ、恥ずかしさからなのか、怒りからか。これ以上笑うとすねてしまいそうなので、遥は笑いを引っ込めて提案する。
「じゃあ、食べようか。何食べたい?」
店をきょろきょろと見まわしながら、秋乃は答える。
「遥ちゃんは何食べたいの?」
「秋乃が食べたいのなら何でも」
即答、だった。秋乃の顔がみるみる真っ赤に染まる。夕焼けの様に。
「顔、真っ赤だねえ」
そうからかってやると、秋乃はついにすねてしまった。
「遥ちゃんなんて、知らない」
「ごめんって」
「ふん、だ」
秋乃は足を鳴らして、先をどんどんと歩いていってしまう。これは機嫌を戻すのが難しそうだ、と遥は苦笑して秋乃の後を追った。
「知らない」
「ごめん」
「やだ」
「何がだよ」
さっきから、短いやり取り。しかも秋乃はずっとご機嫌ナナメなのだ。遥は、流石に寂しくなってきた。せっかくのデートなのに。
「ねえ、本当にごめんって」
遥は、もう萎れた声しか出せないのだった。すると、今まで背中を見せてきた秋乃が、くるっと振り返る。その顔には、悪戯を成功させた子供の様な笑みが。
「遥ちゃんがとっても反省しているようなので、許します」
秋乃は、すでに遥の事を許していたのだが、怒っている振りをしていた様だ。二度もからかわれたことの、意趣返し。遥は一気に脱力して、恨めしげに秋乃を見る。
「……そういうの、止めてよー。ホント、凹むから」
「ごめん、ごめん」
てへ。と誤魔化す様に笑う秋乃を、これ以上やると泥沼なので、許した。
てへ、と言う笑みを、秋乃以外の子がやっても、腹が立つだけなんだけどな。遥は、「あばたもえくぼ」とかいった諺を思い出した。どんなことも、惚れている相手がしたら許せるらしい。
「それと……食べる場所、ここがいいな。いい、遥ちゃん?」
秋乃が指したのは、ステーキ屋。相も変わらず、秋乃はたくさん食べる。
「いいけど……コートとかに汁垂らさないでよ」
「しないよ」と言って秋乃は笑っているが、やりかねないのだ。遥は心配そうに秋乃を見つめた。
やっぱり。
遥は、心の中で呆れた。秋乃は、目の前のステーキに夢中で、イスに掛けたコートのことなぞ忘れているらしい。
こういうところは、普通なのになあ。なんでいつも、ああなのかな?
遥は、世の不思議を秋乃を通して感じたりするのだが、まあ秋乃がこうでなかったら惚れていないので、別にいい。さらに、秋乃が世の不思議、と言いだすと自分もそうなるから、遥はそれを口には出さない。
秋乃の口についている肉汁を、ティッシュで拭き取った。
「あふぃふぁふぉ、遥ひゃん」
「はしたないってば、口に物入れてたらしゃべらないの」
「ふぁーい」
なんだろうか、この妹を見ている気分は――って違う、秋乃が妹ってありえないぞ。遥は慌てて自分の考えを振り払った。
目の前の肉を片した秋乃が、ふう、と一息。
「次どうしよっか」
「…………うーん」
お互いに思いつかずに三十分。秋乃が、水族館に行きたいと言うので――遥も水族館は好きなので、商店街にあるアクアプラネットに行くことに。
水族館は、照明の色や暗さから、デートの場所には適していないと言われているらしい。しかしそんなことを、秋乃と遥は気にしない。
「照明なんか関係なく、秋乃は可愛い」
遥に真顔で言われて、秋乃は少し微妙な顔。
「それ、言われても……。遥ちゃん、かっこいいよ!」
「言われ慣れてる」
お互いに、はあっとため息をついた。
ゆらゆらと揺れる水を眺めやり、遥は秋乃に声をかけた。
「秋乃、何の魚が好き?」
ほうっと、水槽――その中で泳ぎ回る魚たちを見ていた秋乃は、無意識につい、と言った感じで呟いた。
「マンタ……」
マンタ――オニイトマキエイが、水槽の中で優雅に飛んでいた。実際には、水の中を泳いでいるだけ。マンタの動きは、空飛ぶ絨毯の様だった――もしも、この世にそんな絨毯があるなら、マンタの様に動くだろうか。
「そういえば、昔海で見たって言ってたよね。海でもこんな感じ?」
「海だと、もっと楽しそう」
魚の話になると、秋乃は夢見がちな目になって話すのだ。楽しそうったって、マンタの気持ちなんて分からないのに――と言っても仕方ない。遥は、秋乃が楽しげに話すから、本当はマンタがどう思っているかはどうでも良かったりする。
「遥ちゃんは、何の魚が好き?」
「エンゼルフィッシュ」
迷うことなく答えた遥を、秋乃はくすりと笑った。
「無難だねえ」
「無難さがいいじゃない」
エンゼルフィッシュが無難というより、それを好きな魚と選ぶ遥が無難である。
「マンタも、無難だろ」
ダイバーに大人気な、オニイトマキエイ。
秋乃はちょっと膨れて言った。
「無難だからいい訳じゃないもの。それに、マンタって意外とみんな知らないよ?」
マンタにはとても熱い。ぺらぺらと話す秋乃を見ていると、テレビに出てくる、魚好きの教授を思い出す遥だった。
マンタに夢中な秋乃を見、遥はしばらく放っておくことにする。そのまま奥へ進み、出口から出た。
売店には、水族館に関係するお土産がたくさん並んでいる。葉書だの、ぬいぐるみだの、キーホルダーだの。魚の図鑑もあった。手に取ってみてみると、かなり値の張る代物だった。
「……まあ、図鑑だしね」
遥は少しだけ、それを買ってやろうかと思ったのだが、流石に高すぎる。それより、秋乃はマンタの写真を喜ぶだろう。
葉書からマンタとエンゼルフィッシュが載っているものを選び、他にもちょっと買い足した。
レジ袋――可愛くデザインされたイルカが載っている――を下げて売店から出ると、とてててと軽い足音が聞こえる。
秋乃だった。
「もー、何処か行くなら教えてくれれば……って、何買ったの?」
不思議そうに、袋の中を覗こうとする秋乃。遥は、にやっと笑って言った。
「とりあえず、ここ出ようか」
水族館を出てからも、秋乃は、「それ何? 教えて?」と聞いてばかりだ。遥はちょっぴりうんざりして、秋乃に言った。
「何がそんなに気になるのさ」
「だって遥ちゃん、ケチだから。何か買う事、あんまりないでしょ?」
図星なので言い返せないが、遥はそれでも不満だった。
「……秋乃に何か買って、おかしいの」
つい、口を滑らした。慌てて口を閉ざすのだが、秋乃に聞こえてしまったらしい。
「あ、う」秋乃はへどもどして、そのまま黙りこんだ。
しばらく、二人とも無言。
先に口を開いたのは、秋乃だ。
「……ありがと」
まだ、買った物を渡していないと言うのに、秋乃はお礼を言った。
「……ん」
それだけ答えて、レジ袋を突き出す遥。
秋乃が受け取ってから、遥は慌てて言った。
「あ、待って。エンゼルフィッシュの葉書が」
わたわたと、二人で中身を分ける――なんだか、締まらないプレゼントだ。
「これから、何処行こうか」
事が済む度に、その相談をしている気がするが、二人はそれも楽しんでいる。
「えっと、買いたいものがあるんだけど、いいかな」
秋乃が、おずおずとお願いしてきた。もちろん、遥は断ることはない。
「いいよ」
「……えっとね」
あそこ。秋乃が指さした店に、遥は迷わず入って行った。秋乃が、呆れ気味だ。
「よく、普通に入れるね」
「いや、今は秋乃が入りづらいんじゃ?」
秋乃の顔が暗くなった。
「……いっつも、だからいいんだー」
へーんだ、と遠い目だか虚ろな目だかをして言う秋乃。いつも大変だな、と少し同情する。……もっとも、遥もいつもそうだが。
そこで買い物を済ました秋乃は、店の入り口で待っていた遥を見て驚いた。遥の手には、この店の袋があったのだ。
「何か、買ったの?」
「……はい。あげる」
ガサ、と袋を秋乃に押しつけた。
「……! これ、ずっと欲しかった! ありがとう、遥ちゃん!」
中身を見て、秋乃は晴れやかな笑みを浮かべた。遥はそれにちょっと見惚れつつ、お返しにと一つお願いをする。
「ちゃん付けしないで、一度名前呼んでほしいな」
「え……恥ずかしい」
顔を赤らめて、断る秋乃。
「ちゃん付けされてると、自分の事呼ばれてると思えないんだよね。だから、一度でいいから」
遥が真剣に言っていると分かったらしく、秋乃はうーとかむーとか唸りながら、凄く小さな声で、言ってくれた。
「ありがと、……遥」
「どういたしまして」
秋乃は、「もう、ちゃん付けでしか呼ばないよ」と言った。一度だけの呼び方が、なんとなく新鮮で、遥は心が跳ねた。
「……うん、秋乃は可愛い」
「グサッ」
秋乃は胸を押さえて、苦しそうな顔。やはり、可愛いと言われるのはトラウマらしい。
ぴりりりり。
商店街で鳴り響く鈴の音――に混じって聞こえる、電子音。遥の携帯にメールが届いたらしい。
遥の母からだった。
――件名:家に帰ってきて
直後、またメールが来た。今度は兄からだ。
秋乃が、携帯をじっと見つめる遥を見て、首を傾げて聞いてくる。
「どうしたの?」
本文を最後まで読んだ遥が、眉を寄せたまま秋乃に言った。
「……今日のデートが兄にばれた。秋乃、帰りに家にちょっとだけ寄ってくれない? 兄が酷い勘違いをしているんだ」
家に帰ってみると、遥の家の玄関には、一人の男が仁王立ちをしていた。
「……にーちゃん、何してんの?」
遥が聞くと、くわっと目を見開き、男――遥の兄が怒鳴った。
「何してんの……は、こっちのセリフだああああっ!」
ぴし!と彼が指さすは、秋乃。
「なーんで、女の子と一緒なんだッ。夜に二人でどっか出かけるんだッ。危ないだろう!? というか、何で女の子と出かけて、デートとか言っちゃってるんだあああ!?」
ツッコミどころが多すぎる、と兄は頭を抱えて悲しそうに言う。
「……まさか遥が、その、同性愛者だとは思わなかったよ!」
遥ははぁっとため息をついた。母からのメールで、兄が怒り狂っていると分かってからずっと想定していたが、まさか本当に信じているとは。
「……違うよ?」
「ああああ俺の妹がドンドン変に……って違う? 何が?」
兄が、妹の言葉を聞いてぽかんと口を開けた。間抜け面を秋乃に晒さないでほしい。
遥は言葉少なく、秋乃を紹介した。
「俺の彼氏。秋乃だよ」
兄は、たっぷり十秒は秋乃を見、ぶんぶんと頭を振る。彼は疲れた様な笑みを浮かべた。
「いやいや、兄さんをからかうなよ、遥……。彼氏っていうのは、男の子のことだろうに」
「いや、だから男の娘」
兄、再び硬直。
「……いやいや、待って、男の子? この子が?」
遥の兄の動揺を知ってか、秋乃がにっこりと挨拶をする。
「はじめまして、遥ちゃんのお兄さん。秋乃です」
兄が、さらに硬直。
「遥……『ちゃん』……だと……!?」
「俺のこと、ちゃん付けするのは、秋乃だけなんだ」
「ぐ……」
秋乃が、遥の言葉に付けたす。
「遥ちゃん、学校じゃ女の子に大人気ですけど……。僕、遥ちゃんのこと、大好きなんです」
遥と、秋乃。男らしい女の子と、女らしい男の子。ちょうどマッチしてしまった結果であった。
遥の兄は、二人の真剣な顔に押されて、ずず、と後ずさった。
「……う。でも、こんな弱弱しい男子(?)に、妹は渡せないぞ。もっと男の子らしく! 強く!」
彼の言葉を聞き、秋乃は「遥ちゃんと一緒にいれるなら頑張る」と一人頷いている。
「それと妹!」
もはや、名前も呼んでいない。兄は怒ると、遥を「妹」としか呼ばなくなるのだ。
「もっと女の子らしくしろ! 秋乃サンがこれだからって、そのまんまで嫁に行ったり婿迎えたりできると思うなよ!」
「え……俺、このままで」
「母さんにも頼んどいたから! お前は明日から花嫁修業だ!」
「ええ? いらない。俺、嫁にはならない!」
必死に逃げようとする遥を、兄はがっちりホールドして逃がそうとしないし、さらに秋乃が追い打ちをかけてきた。
「僕も、頑張るからさ……遥ちゃんも、頑張ろう?」
「うぐ……わ、分かった」と遥はがっくり肩を落とした。
やっと落ち着いたところで、遥の兄が未だ表情厳しく秋乃を見ている。
「ところで……。性格がなよなよしているのはともかく、なんでスカートなんだ?」
その場の三人は、合わせて秋乃の服装を見た。どう考えても、男子が着る服ではないが……。
遥と秋乃が、合わせて説明した。
「いや、俺と秋乃が普段、学校帰りに一緒に歩いてるとさ」
「制服取り替えっこしてるの? って言われるから……」
なんとも世知辛い。
「デートの時くらい、普通に歩きたかったんだよな」
「うん。……あ、流石に女装の趣味はないですよ、遥ちゃんのお兄さん」
「……全く信用できないんだけど!?」
秋乃の弁解を聞いて、遥の兄は天を仰いだ。空には、大きな月が昇っている。
家から遥の母が出てきた。
「こんな寒いのに、まだ話してたの? 秋乃ちゃんもいるんだから、家に上げなさいよ翔」
「母さん……俺に、あんな写メを見せてきたのが悪くない!?」
「えー、遥の彼氏の写真を、ちゃんと見せたわよー」
ふふふ、と意地悪げに笑う遥の母はきっと、遥の「彼氏」ではなく「恋人」とだけ言ったのだろう。彼女は、長男のことを始めから、からかうつもりだったのだ。
翔は、それだけで疲れたように家にとぼとぼと入って行った。「バイトから家族まで、最悪の一日……」とぼやいていたが、何かあったのだろうか。秋乃と遥は、顔を見合わせて困った様に笑った。
「さあさ、体もすっかり冷えちゃったでしょう。秋乃ちゃんも、上がって上がって。お茶汲むから」
母に背中をずいと押されて、一つのカップルが温かな家に入った。
ぱたん。
ドアが閉じる。
これにて、クリスマスの、とある家族のお話、終わり。
読んでいただきありがとうございました。
皆さん、よいクリスマスを。