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「少し前にこの世のものとは思えない悲鳴を聞いたのですが、発生源は君ですか?」
「………はい」
正視に耐えられない美貌なので、顔貌からご主人様の血縁かどうかを判別するのは難しいですが、状況証拠と視界の端で揺れるのが見事なプラチナブロンドであることを考慮すると、間違いなくこちらの男性もわたしの雇用主だと思われます。
したがって柔らかなテノールが紡いだこの質問に答えるのはあまり気が進まなかったのですが、聞かれたら答えるが染みついている前世の躾がわたしを頷かせました。
弟が封印解除するとか言ってたしこの人がそうなら…また痛い目にあわされるのか、イヤだなぁ…。
「でしたら原因は兄さんですね」
「ああ、うん、まあ切羽詰まっていたからなぁ…」
「だとしても、若いお嬢さんに何をしているんですか、あなたは」
予想が、外れました。なんでしょう、公爵家にも常識をお持ちの方がいらしたんですねぇ。
…わたしの腰をがっちり抱いてる手が気になりますが、その辺は貴族の方々の通常モードなのかもしれないですもん、気にしませんよ。
それよりなにより、厳しい顔つきでお兄様に懇々と説教されるお姿が素敵です!
嫌悪感を取り払ったせいかお顔も直視できるようになりました。腰につくほど長い白金の髪を濃い紫のリボンで一つに結び、同じく濃い紫の瞳は完璧なアーモンド形です。造作の美しさは言わずもがな、わたしより頭一つ分高い身長はお兄様に数センチ及びませんが、細身に見えて意外にがっちりされているお体も鍛錬に余念がない事を暗に示してます。
これでフェミニストとか、完璧!パーフェクトな美の神ですっ!貴方こそ、理想のお婿さん!!
「悲鳴は睦言の合間に上げさせるものですよ」
…はい?
「苦痛と快楽の加減を間違えては楽しみが減るではありませんか」
もしもし?
「背徳の喜びとは奥深いものなのです」
間違ったーっ!!欠点だらけの変態でしたよ!!
慌てて危険人物から離れようとしましたが、手遅れです。捕獲されてるんですもん、寧ろ藻掻いたお仕置きとばかりに耳殻を噛まれました。甘噛みじゃありません、涙が出るほどがっつりです。ガリッていったもん!痛いよ、この変態!ニヤッとか笑ってんじゃないよ!
「僕が来たからにはもう安心ですよ」
「冗談はよしこさん!!」
あああ!動揺のあまり前世でも死滅寸前だったおやじギャグが…っ!だって、囁くんです耳元で。しかもこの美声が腰にクルもんだから、脱力寸前なんですって。気力で立ってるこっちの身にもなれってんですよ、こん畜生!
「助けてください、眺めてないで!」
「無茶を言わないでください」
一応直属の上司にヘルプを出しましたが、素気無くお断りされました。そりゃあね、実力万歳魔力至上主義の魔人ですから、己より力が上の方には本能で逆らいません。公爵家の息子さん方に執事とはいえ使用人が対抗できるわけないんです、わかりますけど可愛い部下のピンチなんだから、根性くらい見せろってんです!
諦め顔で首を振るフランクさんをひと睨みしてから、ならばと先ほどまでわたしをいたぶっていた(?)ご主人様その一に状況改善を求めてみました。
そしたらばまあ、口端を上げる悪人くさい笑みを浮かべておっしゃるわけです。
「公爵家へ嫁に来ると約束するなら、助けるよ」
「何、本末転倒なこと言っちゃってんですか!!」
助けろって言ってんのに、それじゃ余計に深みでしょうが!すっごいバカじゃない限り、公爵家の嫁=兄弟全員の嫁、だってこと知ってます!お隣の変態も含めて、あなたとまだ見ぬもうひとりが夫ですよね?!状況悪化させてどうする、死んでもごめんです。
というより、嫁って何だ?!いつそんな話になった!
「…僕達の花嫁ではないんですか?」
「そう決めたが」
「初耳ですよ?!同意してませんし!」
こーとーばーがーつーうーじーまーせーん!!
なんなの?!どうしてこうなってるの?!平民だから貴族に逆らえない?魔力が足りないからいいなり?
あー切実に力にが欲しいわ~全力でこの理不尽に対抗できる手だてが欲しいわ~。根性で封印て解除できないものかしら?できないとおかしいわよね、ピンチに都合よくヒーローが登場するより、自力で困難を切り抜ける方がよっぽど簡単なんだから。
でも取り敢えずできることは本当に簡単なことで、小さな火の玉を作り出してわたしを拘束するご主人様その二へ投げつけるというお粗末な攻撃なんですよ。仕方ないんです、今はこれが精いっぱいです。
「ほう。漏れ出た魔力でもこれだけの力が揮えるのですね」
感心した口調に反して、指先で火球を消し去るとか嫌味ですか?嫌味ですね。やっぱり魔力が欲しいです。というより元々持ってるものなんだから、使いたい!
爽やかな微笑みさえ嘲笑に見えるこの現状、わたしは望みましたとも。己を叱咤しましたとも。何が何でも封印方法思い出さんかーい!って勢いです。原動力は頭の隅が冷えるほどの怒りです。
「んー?…フィン、何かしたか?」
「…いいえ?」
チリチリとどこかが焦げる小さな音がして、自分が粗末なベッドの上で必死に悩んでいる映像がフラッシュバックする。視点の低さから察するに小さなころなんだろうな、そんな予想をした直後にまざまざとその瞬間のことを思い出した。
『確か、本当の名前を隠すとついでにいろいろ隠れるんだよね』
そうそう、聞きかじったマンガの知識でそんなこと考えた気がする。
『でもでも、あたしだけが名前を忘れてもあのバカおやじと母さんが覚えてたら意味ないじゃん』
周囲には愛称で通してたけど、さすがに実の両親まで謀るのは無理だもん。
『んじゃ、二人の記憶を消して、あたしの名前を忘れて貰おう!ついでにあたしも忘れちゃえば完璧!』
わぁ、お気楽ぅ~。
ぽんと小さな手を叩いた自分が、どう魔力を操っていたのかまでは感覚的なことすぎて思い出せなかったけれど、少なくともこの頃のわたしは与えられたチート能力を自在に使いこなしていたらしい。
その証拠に両親は娘の名前を”セーラ”だと信じて疑ってなかったし、自身はこんなことがあったことすら忘れてたんだから。
すごいわ自分!けど同時になんてことしたの自分!おかげで面倒事が増えたじゃないの!
ぶつけどころのないむかつきまで加味して、『本名』と共に噴出させた魔力はすごかった。派手な音をさせて一息に頭上まで突き抜け、バラバラぼろぼろと降ってくる家具や破片さえ消し飛ばして最後には素敵な青空を見せてくれたんだから。
屋根に穴が開きました。おっきな穴です。あれって人一人通るのは余裕、とかってレベルじゃないよなぁ。6畳間レベル?
「えーっと」
雇用主様になんと言い訳したものかと恐る恐る皆様のお顔を見回せば、一様に緊張感あふれる厳しい表情でわたしを見てるんですよ…やっぱり弁償、ですよね?どのくらいタダ働きしたら返せるんでしょうか…ああ、退職の日が遠のくわ…。
「色移り…これはまた幸運ですね兄さん」
人が顔色をなくすくらい借金額にガクブルしてるっていうのに、いち早く通常運転に戻ったご主人様その二は、ちょっと危ない感じの微笑みを浮かべて何やら聞きなれない言葉を呟きました。
気になるのは、わたしの拘束がきつくなったことでしょうか。
どうしよう『絶対逃がさないぞ、この破壊魔』みたいなノリ?ねえ、そんなノリ?!
「ああ…絶色までの変異種に生きているうちにお目にかかれるとは思わなかった。しかもそれが我々の花嫁とは、な」
また、知らない言葉…というよりも、ですよ。なんで花嫁決定してますか?!さっきまではまだこっちの意思を聞く気があったじゃない。聞くだけ聞いて無視するとしても、決定権がわたしにある振りくらい、してましたよね?!
何この豹変プリって困り果ててフランクさんに助けを求めると、名門の執事らしく素早く立ち直っていた彼は小さな身振りでわたしの髪を指したのです。
「??」
メイドモードでお団子ヘアーの一纏めのものを、見ろとおっしゃる。ほどくとか、面倒なんですが?あ、文句言うなと。ともかく見ないと始まらない?はいはいわかりましたよ。
無言でそんなやり取りをして、ぶつぶつ言いながらもひと房、括った髪を引っ張り出したわたしは、遠い過去で役者が叫んだセリフが自然と口をつきました。
「なんじゃこりゃーっ!!」
一瞬で白髪になった乙女が上げるに、ふさわしい叫びだったと思います。