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「…まあ、よほど頭が悪くなければ、あの話しを聞いた時点で公爵家にも落ち子がいるのではないかと疑いをかけるだろうな。ましてや我々は、貴族が婚姻を結んでいなければならない年齢を、とうに越している。当代に落ち子がいるはずだと、興味を抱いて当然か」
自嘲に満ちた声音に、本当にまずいところに踏み込んだと、改めて己の愚かさを嘆いてしまいました。
怒られるのは良いのです。こちらもごめんなさいができますから。
拒絶されても問題はないです。当然の対応ですから。
でも、ああいった辛そうなお顔をされるのは、すごーく困ります。付き合いも浅い上、対等にも扱われていない身の上では、おいそれと慰められないし、かといって口から出た言葉を取り消すわけにもいかないのです。
狭い、とても小さな世界で生きてきた自分は、知らない世界とタブーがたくさんあるんだと今更思い知ってしまいました。
「ああ、君がそんな顔をすることはない。私達がこの件に過敏になりすぎているんだ。現に他の貴族達は、落ち子を一族の恥だと隠すことはあっても、彼等の存在のやるせなさに胸を痛めたりはしないからな」
言葉もなく俯いていると、テーブルを回り込んできたルーファス様が隣に座って、頭を撫でて下さいました。
そうして、ゆっくりと事情を話して下さいました。
前公爵は対外的に男女二人の姉弟であると認知されていますが、実際には二つ下に男女の双子がいたそうです。
どちらもほとんど魔力を持たない落ち子で、男の子の方は三つにならずに夭折なさいました。
その後、残された女の子は無事成人されたそうですが、慣例通り屋敷からでることはなく、しかし非常に頭の良い方でこっそりお兄さんのお仕事の補佐をして、お過ごしだったのだとか。
時は過ぎ、育った甥達が爵位を継ぐにあたり、その方もお兄様とご一緒に隠遁地へ転居しようとなさったそうなのですが、前公爵夫人に激しく拒絶されたそうです。
『これまでずっと、夫を独占してきたのだから、いい加減返して下さい』
と。近親婚すらできるこの世界、何故奥方様が泣きじゃくりながら訴えたのか……勘ぐってしまうのは下種なことなのでしょうか?でも、ルーファス様はこれが誤解だったとはおっしゃいませんでした。むしろ寂しげに目を伏せられた辺り、真実なのかも知れません。
ともかく、奥方様の願いを聞き入れ、お屋敷に残った落ち子様、公爵家の叔母様は、現在離れにひっそりとお住まいなのだそうです。
裏に詳しいわたし達メイドすら立ち入れない場所で、長年を共にした乳母と二人、心安らかにお過ごしなのだとか。
「持てなかったお子の代わりにと、私達も随分可愛がっていただいた。領地の管理もご指導いただいて、慣れるまではと手伝ってもいただいたのだ。けれど叔母上はその功績をご自分の名で公表することはできず、優れた頭脳を継げるかもしれない子を残すことも許されていない。私達はそれが悔しく、またこれ以上同じ境遇の子を作りたくなかったのだ」
以下に続くであろう説明は、していただく必要はありませんでした。わたしが強引にこの家の嫁にされた理由、でしょうから。
おかげさまで、ようやくすっきりとしました。
身分や階級が重要視される世界で、いかに実力があるとはいえ、最下層とほぼ変わらない出自のわたしごときを、なぜ公爵夫人などという分不相応の地位につけてやろうとお考えになられたのか。
たかが魔力がないだけで、不当に扱われていた叔母様に対する罪悪感なのですね。彼の方の不遇を嘆き、食い止めるために欲した突然変異種が同じように扱われるのを良しとしなかったということなのでしょう。
昨日今日会った利用価値しかない珍獣に、いきなり情がわいたので厚遇してやると言われるよりは、余程信憑性が高いし、理解ができる理由です。
わかりましたが、同時に努力しなければ一生、憐れみと同情だけでぐるぐる巻きにされて生きていかなきゃならないんだってことも、自覚できましたよ。
やはり皆さんがわたし個人に純粋な好意を持ってくださるというのは、壮大すぎる夢なんでしょうか?
前世のいらぬ知識のせいで、利害より恋愛が結婚の大前提と思ってしまうことが問題とか?
この辺の価値観が違うのかと、そうっと隣に視線を向けてボソボソと尋ねてみましたよ。
「…つかぬ事を伺いますが、お嘆きになられた奥様をご覧になって、心は動かされなかったのですか?旦那様と叔母様が、そのぅ…そういったご関係だったなら、奥様はさぞお辛かったのではないかと推察できるのですが」
わたしの中にどっかり根を張っている倫理は、その状態を家庭内不倫と位置付けていますかいかがでしょう?こういった場合、大抵のご子息はご自分の母君に味方し、お相手の女性を憎むものです。
でも、会話の中でルーファス様からそういった嫌悪は感じられなかったんですよね。むしろ、叔母様に同情的で奥様に無関心に思えたんですが、いかに?
ぶつけられた疑問に、やはりというか予想通りというか、ルーファス様は眉根を寄せられました。
「意味がわからないんだが?子を残すために貴族に嫁いだ母が、父の恋に口を出すこと自体がおかしいだろう。あの人にだって恋愛の自由はあったのだから、四人の子を生し義務を果たした後は、好きに生きればよかったんだ。あんな風に父上と叔母上を引き離したことの方が異常だろう」
嫌悪感まで浮かべて吐き捨てられたご様子に、昨日のメロディさんとの会話を思い出しました。
貴族は義務と恋愛を別に考えているんでしたか…様子から察するに、奥様は旦那様に恋愛感情を持っちゃったんですね。
そりゃあ、やることやりますし、常に一緒のお家にいて優しくなんてされた日には、恋したって仕方がないと、わたしは思います。ルーファス様には分からなくても、乙女心ですよそんなものは。
けれど世間一般の常識では、奥方様やわたしがおかしくなってしまうらしい。恋と結婚がどうしたって別次元なのだ。
なんといいますか、自分の中に潜む前世の知識が疎ましいと、今ほど痛切に感じたことはありません。
こんなものがなければ、先入観なくこの世界を受け入れられたかもしれないのに。生まれ持ったチート魔力を喜び、贅沢と自由恋愛を謳歌できたかもしれないのに!
…悲しいかな、わたしは転生という頸木から逃れることができません。どうしたって恋と結婚は延長線上にしか存在しないんですよ。
「そしたら、子供産んだ後はわたしも自由に恋していいんですか?」
公爵夫人にしてくださるというのなら、貴族のわけのわからない婚姻制度の適用を受けていいのかと、夫となる予定のルーファス様に聞きましたらば、とっても爽やかなお顔で頷いてくださいましたとも。
「当然じゃないか。大変な事を強いるんだ、心は君の自由にしてくれてかまわないよ。ああ、でも子どもは私達を父親としなければダメだ。他の男の子ならば、始末しなければならなくなるから、気をつけて」
なんだろう、このやるせなさ、どこにぶつければいいんだろう…?
その後しばらく、私の意識が遠くを彷徨ったのは、致し方ないと思いませんか?