あなたに選ばれなくても、私は幸せになります
その日、私は人生で初めて、自分のために椅子を引いた。
王宮の大広間。
高い天井から吊るされた無数のシャンデリアが、磨き上げられた床を淡く照らしている。
楽団の奏でる音楽。
絹のドレスが擦れる音。
香水の甘い匂い。
笑い声。
そのすべてが、いつもの私なら少し遠く感じられたはずだった。
けれど、その夜だけは違った。
「エレナ・アシュフォード嬢」
正面に立つ婚約者、レオンハルト・ヴァレンティン公爵令息が、冷たい声で私の名を呼んだ。
「君との婚約を破棄する」
音楽が止まった。
ざわり、と人々の声が広がる。
私は手にしていたグラスを見つめた。
中には淡い琥珀色の葡萄酒。
水面が震えている。
震えているのは、私の手だった。
「……理由を、お聞かせいただけますか」
声は、自分でも驚くほど静かだった。
レオンハルトは眉を寄せた。
「君は、つまらない」
「……はい」
「舞踏会に出ても誰とも話さない。流行のドレスにも興味を示さない。私の隣に立っていても、まるで人形のようだ」
周囲から、小さな笑い声が漏れた。
「それに、君には華がない」
胸の奥に、小さな針が刺さった。
「婚約者として、私の隣に立つには相応しくない」
私は顔を上げた。
レオンハルトの隣には、一人の令嬢が立っていた。
淡い桃色のドレス。
巻き毛の金髪。
大きな瞳。
彼女は少し困ったように眉を下げている。
けれど、その唇には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「……彼女を愛しているのですか?」
私が尋ねると、レオンハルトは迷わなかった。
「ああ」
「そうですか」
それだけだった。
怒りはなかった。
悲しみも、思ったほどではなかった。
ただ、胸の奥にあった何かが、静かに切れた。
「では、仕方ありませんね」
私はグラスをテーブルに置いた。
小さな音がした。
「婚約破棄を、お受けします」
「エレナ?」
レオンハルトが驚いたように目を見開く。
私は頭を下げた。
「今までありがとうございました」
そして、顔を上げる。
「どうか、お幸せに」
その瞬間だった。
不思議なほど、身体が軽くなった。
十六歳の誕生日。
父に言われた言葉を思い出す。
『レオンハルト様に気に入られるようにしなさい』
十八歳の社交界デビュー。
母に言われた言葉。
『余計なことを言わず、笑っていればいいの』
婚約が決まった日。
『公爵家に嫁げるのだから、お前は恵まれている』
ずっと私は、自分ではなく、誰かにとって都合のいい私になろうとしていた。
笑えと言われれば笑った。
黙れと言われれば黙った。
似合うと言われれば好きでもない服を着た。
婚約者が好むと言われれば、興味のない舞踏会にも通った。
それなのに。
つまらない。
華がない。
人形みたいだ。
私は胸の中で、小さく息を吐いた。
――ああ。
そうだったのか。
私はずっと、誰かに選ばれるために生きていたのだ。
だから、疲れていたのだ。
◇
翌朝。
父は私を見るなり、ため息をついた。
「まったく……」
朝食の席だった。
銀のナイフが皿に触れる音がする。
「お前は最後まで役に立たなかったな」
「申し訳ありません」
「謝れば済むと思っているのか?」
私は黙って紅茶を飲んだ。
ぬるかった。
いつもなら、冷めてしまったことを気にしていた。
けれど、その日はどうでもよかった。
「公爵家との縁を失った以上、この家にお前を置いておく理由もない」
父は封筒をテーブルへ投げた。
「地方の別邸へ行け」
「……追放、ですか?」
「そう思いたければ、そう思え」
封筒には、辺境にある古い屋敷の住所が書かれていた。
ほとんど使われていない別邸。
使用人もいない。
貴族令嬢が暮らすには、あまりにも寂しい場所。
父は私を見なかった。
「そこで大人しく暮らせ。社交界に戻る必要もない」
「わかりました」
「それから」
父が言った。
「嫁ぐことすらできなかったお前に、これ以上金をかけるつもりはない」
私は手を膝の上で握った。
「……はい」
「何か言いたいことはないのか?」
私は少し考えた。
そして首を横に振った。
「ありません」
本当に、なかった。
父に認めてほしい。
母に愛してほしい。
婚約者に必要としてほしい。
そんな気持ちは、もうどこにも残っていなかった。
私は立ち上がった。
「今まで、お世話になりました」
父は顔を上げなかった。
だから私は、そのまま部屋を出た。
◇
辺境の別邸へ向かう馬車の中。
窓の外には、見慣れない景色が広がっていた。
王都を離れるほど、建物は減っていった。
やがて石畳が消え、土の道になる。
草原。
森。
遠くに見える山。
風が強かった。
馬車の隙間から入り込んだ冷たい空気が、頬を撫でる。
私は窓を少し開けた。
草の匂いがした。
王都では嗅いだことのない匂いだった。
私は目を閉じる。
すると、不思議なことに。
初めて、何も考えなくていい気がした。
誰かに笑顔を見せなくていい。
誰かの顔色をうかがわなくていい。
誰かの期待に応えなくていい。
「……楽」
思わず声が漏れた。
御者が振り返った。
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ」
私は笑った。
今度は、誰かに求められた笑顔ではなかった。
◇
別邸は、森の近くにあった。
古い石造りの建物。
庭には雑草が伸び放題で、窓枠には埃が積もっている。
けれど、私は嫌いではなかった。
屋敷の中に入る。
冷たい空気が肌に触れた。
暖炉は壊れていた。
家具もほとんど残っていない。
けれど、一つだけ。
私の足を止めたものがあった。
廊下の奥。
鍵のかかった小さな部屋。
扉に触れる。
なぜか懐かしい気がした。
鍵は簡単に開いた。
中には古い机と、本棚。
そして、窓際に置かれた木箱。
私は箱を開けた。
中に入っていたのは、一枚の古いハンカチだった。
白い布。
端には、小さな青い花の刺繍。
私は息を呑んだ。
「……お母様」
幼い頃。
母が使っていたハンカチだった。
私は覚えている。
母がこの花を刺繍していたことを。
膝の上に布を広げて、一針ずつ。
私が隣で見ていると、母は笑った。
『エレナもやってみる?』
私は頷いた。
初めて針を持った。
何度も指を刺した。
それでも楽しかった。
糸が布を通る感触。
少しずつ形になっていく模様。
完成したとき、母が頭を撫でてくれた。
『上手ね』
その言葉だけが、ずっと胸に残っていた。
私は木箱の底を見た。
一冊の古いノートが入っていた。
表紙を開く。
そこには、母の字で刺繍の図案が描かれていた。
花。
鳥。
木の葉。
小さな動物。
ページをめくるたびに、胸の奥が熱くなる。
その夜。
私は暖炉の前で、古い布を広げた。
屋敷には誰もいない。
時計の音だけが響いている。
私は針を持った。
指先が震える。
一針。
二針。
糸を引く。
青い花を縫う。
夢中になっているうちに、窓の外が白み始めた。
朝だった。
私は完成した刺繍を見つめた。
小さな花。
決して上手ではない。
けれど。
「……綺麗」
誰に見せるわけでもない。
褒めてもらう必要もない。
ただ、自分がそう思った。
それだけで、胸がいっぱいになった。
◇
それから私は、毎日刺繍をした。
古い本を読みながら、母の図案を参考にする。
庭の花を観察する。
色を組み合わせる。
糸を染める。
失敗すれば、ほどいてやり直した。
誰にも急かされない。
誰にも評価されない。
それが、こんなにも心地よいものだとは知らなかった。
ある日、私は完成した刺繍を近くの町へ持っていった。
小さな店の前で立ち止まる。
扉を開ける。
「いらっしゃい」
店主の女性が顔を上げた。
「……これを」
私は刺繍を差し出した。
「売りたいのです」
店主はしばらく黙って作品を見た。
「あなたが作ったの?」
「はい」
「……いくら?」
私は答えられなかった。
今まで、自分が作ったものに値段をつけたことなどなかった。
「好きな値段で、と言われましても……」
店主は笑った。
「じゃあ、私が決めるよ」
その日。
私は初めて、自分の作ったものをお金に換えた。
帰り道。
財布の中に入った数枚の硬貨が、やけに重かった。
でも、それは嫌な重さではなかった。
私が自分で作ったもの。
私が自分で選んだもの。
誰かに与えられたものではない。
その夜。
私は母のハンカチを木箱から取り出した。
「お母様」
返事があるはずもない。
それでも私は話しかけた。
「私、これを続けてもいいでしょうか」
風が窓を揺らした。
カタカタ、と小さな音がした。
私は笑った。
「……ありがとうございます」
◇
半年が過ぎた。
私の刺繍は少しずつ町で知られるようになった。
最初は小さな花だった。
次に、鳥。
その次は森の風景。
私は毎日、見たものを刺繍にした。
風に揺れる草。
朝露。
夕暮れの空。
雪の上についた動物の足跡。
王都にいた頃なら、そんなものに価値があるとは思わなかっただろう。
けれど、ここでは違った。
「この花、好きよ」
「娘への贈り物にしたい」
「亡くなった妻が好きだった花なんだ」
作品を買ってくれる人たちは、それぞれの物語を話してくれた。
私はその話を聞くのが好きだった。
刺繍を通して、人と繋がる。
それが嬉しかった。
そんなある日。
店に、一人の男性が入ってきた。
黒い外套。
銀色の髪。
鋭い目。
けれど、私を見る視線には不思議な柔らかさがあった。
「君がエレナか?」
「はい」
「辺境伯のカイルだ」
私は目を瞬いた。
「……辺境伯様?」
「ああ」
彼は店内の刺繍を見回した。
「君の作品を見せてもらった」
「ありがとうございます」
「一つ、頼みたい」
彼は懐から小さな布を取り出した。
古びた布だった。
「母の形見だ」
布には、途中までしか刺繍されていない。
花の茎。
葉。
そして、その先に何もない。
「続きを刺してほしい」
私は布を受け取った。
「……どんな花だったのでしょう」
「知らない」
「え?」
「母はこの刺繍を完成させないまま亡くなった」
私は布を指で撫でた。
「だから、君に続きを作ってほしい」
「私で、いいのですか?」
カイルは少しだけ笑った。
「君がいい」
その言葉に。
なぜか胸が熱くなった。
以前なら、誰かに選ばれることを恐れていた。
選ばれなければ価値がないと思っていた。
けれど今は。
少し違う。
「……わかりました」
私は布を受け取った。
「やってみます」
◇
完成したのは、一週間後だった。
私は森で見つけた白い花を参考にした。
細い茎。
五枚の花弁。
中央には淡い黄色。
その花を布の空白に刺した。
カイルはそれを見て、しばらく何も言わなかった。
「……母が好きだった花だ」
「ご存じだったのですか?」
「いや」
彼は首を横に振った。
「だが、きっとそうだと思う」
そして。
彼は初めて、私の前で笑った。
「ありがとう、エレナ」
「こちらこそ」
「なぜ?」
私は少し考えた。
「作らせてくださったからです」
カイルは黙った。
「私は、作ることが好きなんです」
「知っている」
「……どうして?」
「君は刺繍をしているときだけ、別人のような顔をする」
私は頬が熱くなるのを感じた。
「そんなに、違いますか?」
「ああ」
カイルは真っ直ぐ私を見る。
「その顔を、王都で見たことがあるのかと思った」
「……ありません」
「なら、これからは、その顔を大切にするといい」
その言葉は。
私の胸の奥に、ゆっくりと染み込んだ。
◇
それから、私とカイルは少しずつ親しくなった。
彼は頻繁に別邸を訪れた。
仕事の話をすることもあった。
領地の話。
町の人々の話。
冬になると食料が不足すること。
若者が王都へ出ていってしまうこと。
私は話を聞いた。
そして、ふと思った。
「辺境伯領の紋章を刺繍にしたらどうでしょう」
「紋章を?」
「はい。領地の人たちが身につけられるような、小さな刺繍です」
カイルは考えた。
「それが何になる?」
「誇りになると思います」
私は窓の外を見た。
そこには雪が積もっていた。
「この土地に住んでいることを、嫌だと思わないように」
カイルはしばらく黙っていた。
「……君は面白いな」
「そうでしょうか」
「ああ」
そして彼は言った。
「やってみよう」
私は工房を作った。
最初は一人だった。
けれど、町の女性が一人。
次に二人。
さらに子供たちもやってきた。
「これ、どうやるの?」
「糸はこっち?」
「先生、できた!」
いつの間にか、小さな工房は人でいっぱいになった。
私は先生と呼ばれるようになった。
それが、少しだけくすぐったかった。
かつて私は。
「何の役にも立たない」と言われた。
今は。
「エレナさんがいてくれてよかった」
そう言われる。
同じ私なのに。
場所が変わっただけで。
こんなにも違う。
そのことに気づいたとき。
私は初めて、自分を責めるのをやめた。
私が悪かったのではない。
私の価値を測る場所が、間違っていただけだった。
◇
二年後。
私は王都から届いた手紙を開いた。
差出人は、父だった。
内容は短かった。
――領地が財政難に陥った。
――王都での事業も失敗した。
――公爵家との関係も悪化した。
――援助を頼みたい。
私は手紙を読み終えた。
机の上には、工房のみんなで作った刺繍布が並んでいる。
壁には、辺境伯領の紋章。
窓からは春の風が入ってくる。
私は手紙を折りたたんだ。
そして、暖炉へ入れた。
紙の端に火がつく。
赤い炎が文字を食べていく。
私はそれを見つめた。
胸は痛まなかった。
怒りもなかった。
ただ。
「もう、戻らない」
それだけだった。
◇
その年の春。
王都から大勢の貴族が辺境へやってきた。
理由は一つ。
辺境伯領で作られる刺繍製品が、王都で評判になったからだ。
小さな工房だった場所は、今では領地を代表する産業の一つになっていた。
そして。
その中に、見覚えのある顔があった。
「……エレナ」
レオンハルトだった。
隣には、かつて私から婚約者の座を奪った令嬢もいる。
彼女は以前より痩せていた。
華やかなドレスも、どこかくすんで見えた。
「久しぶりだな」
私は頭を下げた。
「お久しぶりです」
「……変わったな」
「そうでしょうか」
「ああ」
レオンハルトは工房を見回した。
「君が、これを?」
「はい」
「まさか……君にこんな才能があったとは」
私は少し笑った。
「私も知りませんでした」
彼は苦笑した。
「王都では、ずいぶん噂になっている。辺境伯が君を重用していると」
「はい」
「……まだ結婚していないのか?」
私は黙った。
そのとき。
「エレナ」
後ろから声がした。
カイルだった。
彼は私の隣に立った。
「話は終わったか?」
「はい」
レオンハルトが顔を強張らせる。
「カイル辺境伯……」
「ああ」
カイルはそれだけ答えた。
そして私を見る。
「昼食にしよう」
「工房の子たちも一緒ですよ」
「もちろんだ」
二人で歩き出す。
背中からレオンハルトの声がした。
「エレナ!」
私は振り返った。
「……あのときのことを、謝りたい」
私はしばらく彼を見つめた。
「そうですか」
「ああ」
「ありがとうございます」
「許してくれるか?」
私は首を傾げた。
「許すも何も、もう気にしていません」
彼が目を見開く。
「私は、あのときあなたに選ばれなかったことで、自分には価値がないと思っていました」
風が吹いた。
工房の窓から、色とりどりの布が揺れている。
「でも、違いました」
私は自分の胸に手を当てた。
「私は私を選ぶことができたんです」
レオンハルトは何も言わなかった。
私は頭を下げた。
「どうか、お元気で」
そして今度こそ、振り返らなかった。
◇
夕方。
工房を閉めると、空が赤く染まっていた。
私は外に出た。
風が髪を揺らす。
「エレナ」
カイルが待っていた。
「今日は疲れたか?」
「少しだけ」
「なら、座ろう」
近くのベンチに並んで座った。
沈みかけた太陽が、森の向こうを赤く染めている。
しばらく二人で黙っていた。
やがてカイルが口を開いた。
「一つ、聞きたい」
「はい」
「君は幸せか?」
私は空を見上げた。
昔の私なら。
誰かに必要とされているか。
愛されているか。
それで答えを決めていたかもしれない。
けれど。
今は違う。
「はい」
私は笑った。
「幸せです」
「私がいるから?」
少しだけ意地悪そうな声だった。
私は笑った。
「それもあります」
「それも?」
「はい」
私はカイルを見る。
「工房があること」
「うん」
「みんなと働けること」
「ああ」
「自分で作ったものを、自分で好きだと思えること」
「……うん」
そして最後に。
「それから」
私は少しだけ迷った。
「あなたが隣にいてくれること」
カイルは黙った。
耳が赤くなっている。
「……それは、ずいぶん嬉しいな」
「私も、言うのは恥ずかしいです」
「なら言わなくてもよかったのに」
「でも」
私は笑った。
「言いたかったんです」
カイルは私の手に、自分の手を重ねた。
温かかった。
「エレナ」
「はい」
「これからも、君の好きなものを作ってほしい」
「はい」
「誰かのためじゃなくてもいい」
「……はい」
「君自身のために」
私は小さく頷いた。
「わかりました」
握られた手に、少しだけ力が込められる。
私はその温もりを感じながら、夕焼けを見つめた。
◇
その夜。
私は工房の鍵を閉めた。
机の上には、今日作った刺繍が一枚。
白い布に、青い花。
その花の隣には、小さな鳥が一羽。
私はそれを手に取った。
思えば。
私の人生は、ずっと誰かに決められていた。
令嬢なのだから。
婚約者なのだから。
娘なのだから。
こうしなさい。
ああしなさい。
そうしているうちに。
自分が何を好きなのかさえ、わからなくなっていた。
でも。
人生をやり直すのに、遅すぎることなんてなかった。
婚約を破棄されたあの日。
私はすべてを失ったと思った。
けれど。
本当は違った。
あの日、私が失ったのは。
私を必要としてくれない人たちの期待だけだった。
そして。
代わりに手に入れた。
自分で選ぶ自由を。
自分の好きなものを。
大切に思える人たちを。
そして。
自分自身を。
私は母の形見のハンカチを木箱から取り出した。
青い花の刺繍。
少し歪んでいる。
幼い頃の私が、一生懸命に刺したもの。
私はそれを胸に抱いた。
「お母様」
窓の外から、春の風が吹き込んでくる。
「私、ちゃんと幸せになれました」
返事はない。
けれど。
窓辺のカーテンがふわりと揺れた。
まるで誰かが、そっと背中を押してくれたように。
私は笑った。
「明日も、作ろう」
誰かに褒められるためではない。
誰かに選ばれるためでもない。
私が、私らしく生きるために。
机の上の刺繍を、そっと撫でる。
青い花は、月明かりの中で静かに輝いていた。
そして私は。
初めて、自分の人生を自分で選んだ。
――あなたに選ばれなくても。
私は、幸せになれる。
そう。
私は、私を選ぶ。
それが、私の人生で初めて手に入れた。
本当の自由だった。




