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第八話

 百花は、毎朝、新樹の一日のスケジュールを確認するが、それは事前に予定のあったものだけ。例えば会議の後に接待が行われたとしても、彼がどこで誰と会っていたかなんかはわからない。


 とにかく屋敷内で新樹の補佐をする、というのが百花の仕事なのだ。だから彼が接待を受け、この店を利用したというのは、まったく知らなかった。

 百花は、新樹の所作の真似をして、ナイフで帆立をカットし、フォークの腹に帆立をのせて口へと運んだ。


 その様子を新樹がじっと見守っているものだから、緊張が走る。粗相はないかとか、フォークの使い方が間違っていないかとか、そんな考えが瞬時に浮かんだ。


 だが新樹が気にしていたのは料理の味だったらしい。


「どうだ? 美味いか?」

「はい。初めて食べる味ですが……酸味が効いていて、帆立は口の中でとろけました」


 新樹が笑顔を見せてくれたため、百花も張り詰めていた気がふっとゆるみ、料理の味だけでなく見た目も楽しめる余裕が出てきた。


「それに、お料理も華やかできれいですね」

「あぁ。異国では料理はただ食べるだけでなく、その時間を楽しむという文化があるらしい。だからこうやって、料理が一品ずつ運ばれてきて、一時間も二時間もかけて食べるんだ」


 使用人の百花たちからすれば、信じられない話である。仕事と仕事の合間に食事をかき込むから、忙しいときなんてその味さえわからず、何かをお腹に詰め込めばいいという状況なのに。


 だが、それが文化や立場の違いなのだろう。


 そう考えると、今、新樹と向かい合って食事をしているこの状況は、夢のような時間に想えてきた。となれば、このときを丁寧に過ごしたい。


 カルパッチョをすべて食べ終えたとき、新樹が「ナイフとフォークはこう置け」と教えてくれた。

 すると空になった皿は下げられ、次にスープが並べられた。平べったい皿に入るスープは、味噌汁のように皿に口をつけて飲むわけにはいかない。


 どのようにして飲むのかと新樹の様子を探ると、彼は手にしたスプーンですくって飲み始めた。

 百花も真似をして外側に置かれているスプーンを取ると、スープをすくう。口の中にひと匙入れると、とうもろこしの甘みがふわっと広がっていく。


「これも、美味しいです。初めて食べる味です」


 目をくりっと広げる百花に、新樹も「そうか」とどこか口元をほころばせる。


「風蘭紫国の人が、食事に時間をかけるっていうのが、わかったような気がします。こんなに美味しいものだったら、いつまでも味わっていたいですから」


 新樹は両眉をくいっとあげると、スープに視線を落として、忙しなくスプーンを動かしていた。

 一つを食べ終えると次の料理が運ばれてきて、魚料理の後にシャーベットが出されたときは、百花も目を丸くした。


「次に肉料理がくる。その前に、このシャーベットで口の中をさっぱりさせるんだ」

「お食事の合間に冷たいアイスだなんて、贅沢ですね」


 シャーベットを食べ終えれば、新樹が教えてくれたように肉料理が置かれ、パンを食べつつ肉料理も楽しんだ。


「どの料理もお口の中でとけていくんです。だから料理の美味しさが口の中いっぱいに広がって……なんか、幸せです」


 頬に手を添えて、百花はついうっとりしてしまう。暁陽家の賄いも百花は美味しいと思っているが、ここの料理はそれとは違う味わいがあるのだ。


 デザートまで食べ終えると、最後に紅茶が運ばれてきた。新樹が砂糖を二杯入れていたので、百花も真似をして二杯入れる。


「……んっ?」


 想像していたよりも甘すぎて、百花はつい顔をしかめてしまう。


「どうした?」

「あ、いえ……甘いですね。新樹様の真似をしたのですが……」

「そうか? 俺は甘いとは思わない。これくらいがちょうどいい」


 紅茶は甘いだけで、飲めないわけではない。ただ、もう少し紅茶の香りと味を堪能するなら、砂糖を控えてもよかったかなと、百花はそう思っただけ。


「新樹様は、甘いものがお好きですよね」

「なんだ、急に」

「いえ。あっ、もしお時間があれば、お菓子を買って帰りたいのですが……」


 それは甘いものが好きな新樹のために、何かを買いたかったからだ。今日、朝から買い物に付き合ってくれたお礼の意味を込めて。


 しかし、新樹はなんでも持っている。だから、甘いお菓子であれば、休憩時間におやつとして出せばいいのでは、と思い浮かんだ。


「気になるお菓子でもあるのか?」

「いえ……えぇと、お土産です。みんなにお土産をと思って。着物も朝早くから着つけてもらいましたし……。今日はお仕事を休んでしまったわけですし……」


 新樹のお礼を買うのに、それを本人に伝えては面白くないだろうという考えが働き、とっさに使用人仲間へのお土産と言い換えてしまった。


「そうだな。あいつらにも土産を買っていくか」


 次の目的が決まったところで、席を立つ。


「あの……ところで昂焔さんは? 呉服店までは新樹様の近くにいたような気がしたのですが……」

「あぁ。ここに入るとき、荷物を預けただろ? あそこに昂焔も入ってる」


 とうとう昂焔が荷物扱いされてしまったというわけだ。


「食事の場にあいつがいても、うるさいだけだしな」


 なんとなくその状況が想像できてしまい、百花は小さく噴き出した。


「じゃ、次は菓子屋にでも行くか」


 入口で預けた荷物を受け取ってレストランを出ると、太陽の位置は真上からだいぶ傾いていた。二時間ほどの時間をかけて、ゆっくり料理を堪能していたようだ。


「百花。さっきも言ったようにここは人が多い。はぐれると困るから手をつなげ」


 新樹の声に合わせて、彼が手にする鞄の中身が動いているようにも見えたが、きっと昂焔が中で暴れているのだろう。「オレ様が一緒にいれば、迷子になっても問題ない」とか言いたいにちがいない。


 とはいえ、さすがにこのように人の目が集まる場所で、しゃべって動くうさぎのぬいぐるみの姿を見られたら厄介である。昂焔には悪いが、今はまだ鞄の中でおとなしくしてもらおう。


 百花は躊躇いもせずに、新樹の手を握りしめた。


「こっちだ。こっちに俺の好きな菓子店があるんだ」


 新樹の声もどこか弾んでおり、足取りも先ほどよりも軽そうに見えた。


 だが、歩道は相変わらず人が多く、慣れない百花は少しでも気を抜けば向こう側からやってくる人にぶつかりそうになってしまう。それをうまく避けると、今度は手をつなぐ百花と新樹の間を通り抜けようとする人がやってくる。そのときは、瞬間的にぱっと手を離し、その人が通り過ぎたらまた手をつなぎ、互いに顔を見合わせる。


 なぜか得体の知れないわくわく感が込み上げてきて、思わず二人で笑ってしまった。


「百花。ここだ。この店の焼き菓子が美味しいんだ」


 それは、真上から見たら六角形の形をしており、外壁は薄紅色で異国のおとぎの国を想像させるようなかわいらしい建物である。


 ベルを鳴らして中に入ると、店内いっぱいが甘い香りに包まれていた。


「新樹様がお好きなお菓子はどちらですか?」


 壁際に設置されている棚にお菓子が並び、店の中央部にもお菓子を並べたワゴンが置いてある。好きなお菓子を籠に入れて、最後に精算する仕組みらしい。


「俺は、このクッキーが好きなんだ」


 新樹の好物を知ったところで、百花はすかさず缶入りのクッキーを籠に入れる。仕事仲間には、どれがいいだろうかと棚から棚へと視線を動かした。


「あいつらには、これなんかどうだ?」


 箱に入ったクッキーは、どうやらチョコレートが練り込まれたものらしい。チョコレートも高級品で、百花のような人間がおいそれと食べられるようなものではない。となれば、お土産にはもってこいだろうか。

 と考え、自分の財布の中身が心配になってきた。だが新樹はそんな百花の心配をよそに、次から次へとお菓子を籠の中に入れていく。


「新樹様……こんなに食べるんですか?」

「なっ……ち、違う。土産だ、土産」


 顔を真っ赤にしながら、焦って否定する辺りが怪しい。


「ほら、さっさと会計すませて、帰るぞ。おまえが持っているのも寄越せ」


 大きな箱に入ったお菓子は新樹に奪われたが、袋に入ったクッキーだけは自分で支払いたかった。


「これは、私が払いますので!」


 新樹が怪訝そうに顔をしかめたが、百花から無理やり菓子を奪いはしなかったので、なんとか彼へのお礼は手に入れることができた。


 問題は、いつ渡すかである。帰宅してからが無難だろう。やはり、休憩時間にそれとなく渡すのが自然だろうか。


「百花、そろそろ帰ろうか。疲れただろ? 車まで歩けるか?」


 車はこの大通りの一本外れた通り沿いにある駐車場に止めてある。航平は車で店まで送り迎えすると提案したらしいが、新樹の希望で街中を歩いて見て回っていた。

 人は多いが、百花も初めて目にするものばかりで、車でなく徒歩で正解だったなと、気持ちは高揚していた。


 しかし、駐車場へと向かう最中、人込みから外れたところで、新樹に声をかけてくる男が現れた。年齢は航平と同じくらいだろうか。


「あれ? 新樹? こんなところで、何やってんの?」


 その人物を確認した新樹は、露骨に嫌な顔をしたうえで、わざとらしいくらいの舌打ちをする。


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